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連載
509、まだまだ先は長すぎる……
しおりを挟む「ところで健吾君。今日こうして来てもらったのには訳があるの」
料理がなくなったところで、アリッサさんは居住まいを正して俺を見た。
まあ、ドレスコードがあるようなところの個室でご飯って、ただ楽しく食べましょうなわけはないよな、と俺も座り直す。
「ヴィルフレッドが研究しているグランデ国との転移装置のことなんだけれどね」
まっすぐ俺を見つめながら言葉を発するアリッサさんの表情には、さっきまで浮かんでいた笑顔はなくなっていた。
「健吾君もその場にいたからわかると思うけれど」
フッと一瞬だけアリッサさんの視線が下を向いた。その後また俺に向かったけれど、その逸らされた視線に俺の心臓が一つドクッと鳴る。
「人の体積分の生体を転移させることは、理論上、とてつもなく難しいということがわかったのよ」
「え……」
聞こえてきた言葉に、俺は思わず視線をヴィルさんに向ける。
ヴィルさんは今までそんなこと言ってなかったから。
ってことは。
俺がヴィデロさんの元に身一つでむかうのは、理論上無理ってこと、なのかな。
「健吾、前に実験した結果を覚えているか? 生体その物の構造が欠けてしまっている状態だったのを。向こうの世界は魔素という不確定要素が必要不可欠になっている。俺たちが手掛けている実験にしてもそうだ。実際に転移装置を向こうの世界と繋いだ時もあの部屋を魔素で満たしたからこそ成功したんだろ?
あの時はどれほどの魔素が満たされたのか、俺はわからないけれど。そんな量では苗木一つにしてもまともな状態では送れないということになってしまう。どこかで何かを変えない限りは魔素依存が大きいんだ。だからと言って完璧とはならない。
計算上では人体一体分の生体を送るのには、普通にそこらへんに現れる魔素溜まり約10万個ぶんほどの魔素が必要になってくるんだ」
「約10万個……」
数字が途方もなさ過ぎてわけが分からずヴィルさんの言葉を繰り返すと、ヴィルさんは少し考えてから「そうだな」と頷いた。
「俺が調べた中央山脈の付近に出来る魔素溜まりのMPが150だとする。実際にはウノの魔素溜まりは50程度、辺境の魔素溜まりは400程度と差が大きいんだけどな。例えだから数値は目安として考えてくれ。あの部屋の魔素濃度と種の体積を色々と調べてみたが、人体一つを送るのに必要なMPは約1500万MPってことだ。まあそれでも完璧に送れるかどうかは疑問だが。
健吾のMPの最大値が今は700程度だろ。聞いたところによると、魔導士ランクが高いユイ君にしても2000とちょっとくらいだそうだ。ギルド統括の詳しい数値はよくわからないが、それでも5桁に行くか行かないか程度じゃないかと踏んでいる。まあそれでも破格の数値なんだけどな。統括が魔力を全て出し切ってあの部屋を満たすにしても、1万行くか行かないかの魔素量っていうのが理論上の計算になってしまうんだ」
「途方もない数値すぎてよくわかりません」
俺が素直に答えると、ヴィルさんは苦笑して俺の頭をくしゃっと撫でた。
「装置そのものをもっと改良していかない限り、健吾を向こうに送ることは絶対に出来ないということだ」
「……ええと」
ヴィルさんが具体的に出してくれた数値を頭の中で整理した俺は。
諦めて、諦めて、そして希望を見出して、今まさに上を目指して階段を駆け上がっている、という状態で、足元が崩れたようなそんな感じだった。
アリッサさんとヴィルさんの言葉に、思考が止まりかける。
「でもあの、それって……これから、改良していくってこと、ですよね……?」
諦めないってことですよね。
ここで研究を終わらせないですよね。
絞り出すようにそう言ってじっとヴィルさんを見つめると、ヴィルさんの目が細められた。
「もちろん、こんなところで止まったら、今までのすべてのことが無駄になるから、もっと俺も改良を重ねていくつもりだし、母も諦めるつもりはないんだけどな」
ただ、と言葉を濁したヴィルさんが、少しだけネクタイを指で緩めた。
「時間は、かかると思うことだけ、可愛い義弟である君に伝えないといけないと思ったんだ」
「私達の、いえ、私のエゴに巻き込まれた形になるのね、健吾君。ヴィデロには本当に幸せになって欲しいし、それを出来るのは健吾君だけってわかっているの。でも私たちの技術が追い付いていないの。あなたたちをどれだけ待たせるかわからないのよ」
ごめんなさい、とアリッサさんが頭を下げてきた。
でもそれは、頭を下げるところじゃなくて。
「俺……あの、待っていては、ダメですか」
だってヴィルさんがあれだけ自信満々に研究を進めていくんだもん。きっとすぐにまた改良されて、今度こそってなりそうじゃん。
だってせっかくヴィデロさんがあんなに幸せそうな顔をしてくれるようになったのに、やっぱり健吾このからだでは行けない、ってなったら。
「健吾君……それは、こちらからお願いしたいけれど、でも」
アリッサさんが思案するように指で唇を撫でる。
きっとアリッサさんも色々調べて絶望に近い気分を味わったんだと思う。だって一番最初に数値を見て理解したのはアリッサさんだろうから。
俺は大雑把に、ああ、魔素が足りな過ぎて行けないんだ、ってくらいにしかわからないけれど。
「待ってくれるのであれば、責任もって健吾の身は俺が預かる。もちろん色々と手伝ってもらうことになると思うし、業務内容も決めたとおりにしよう。でも」
ヴィルさんも思案するような顔をしていた。
「もし、待てない、もう弟を諦める、そう思ったなら、健吾の就職先を紹介するくらいはできるし、これから先健吾に関わらないと誓う。ってこんな言い方は卑怯な気がしないでもないが、どうしたいかは健吾次第だ。まだ卒業まで3か月と半ほどあるから、それまでに考えて」
「お願いします。待ちます。もともといくらでも待つ予定だったんです。今更です」
ヴィルさんの言葉を半分遮るように、俺は頭を下げていた。
今更、ヴィデロさんの元に行くのが遅くなるからってただそれだけでヴィデロさんと別れるなんてできっこない。出来たとしても、きっとなんか心にでっかい穴が開いて、それから先の人生なんて生きてる気がしない気がする。
「だから、ヴィルさんの所で待たせてください。っていうか俺に出来ることならなんでもします」
だから、無理やり別れさせるとかそういうことだけはしないで欲しい。
もう一度お願いします、というと、ヴィルさんは真顔をいつもの笑みに変えた。
「健吾ならそういうと思っていた。だったら、俺も今以上に頭を捻ろう」
「お願いします」
「そうと決まれば、とりあえずまず一番やらないといけないことは、向こうの世界を平和にすること、だな。可愛い弟たちが暮らすんだったら、魔王の脅威にさらされてちゃだめだ」
ニヤリと笑ったヴィルさんが、冗談でも言うかのように軽く言う。でもそれ、まだ俺力不足なんだけど。
「健吾にとって、ゲームであってゲームじゃなくなるってことだ。俺も協力するから、向こうの世界を変えようか。もちろん母も陰ながら力を貸してくれると思う。レベルを上げろ、健吾」
「もちろん。今までもそうでしたし、これからもそれは変わりません」
俺とヴィルさんがこつんと拳を合わせると、アリッサさんが「ちょっと待って」と声をあげた。
「魔王の脅威ってどういうことなの? 私が知っているのは、あの4人の若者が魔王を倒しに行って、2人だけが戻ってきたってことくらいなんだけど」
「それはどこ情報ですか?」
「アンドルースよ」
アリッサさんの言葉に、俺は首を傾げた。
ってことは、宰相も魔王が復活してることを知らないってこと……? なわけはないよね。この間レガロさんが宣言しちゃってるし。その後、その情報をアリッサさんに伝えてないってことかな。忙しいからってそんな情報を伝え忘れるなんてあるのかな。
なんて俺が考えても答えがわかるわけじゃないよな。
と俺は、知ってる限りの情報をアリッサさんに渡すことにした。
俺が魔王討伐メンバーになぜかちゃっかり入っちゃってることまで。
アリッサさんは俺の話を聞き終えると、すごくしかめっ面をしていた。
そうだよね。今までヴィデロさんが住んでいた場所が、危険はあるって言ってもそこまでの脅威は既に去ったと思っていたわけだし。
魔王が復活してさらに勢力を伸ばして来たら、ヴィデロさんも助からないわけだし。そこにもし俺がすでに転移していたりしたら責任問題とか色々持ちあがってくるわけだしね。
「とても有益な情報だわ。ありがとう。この間いつの間にかインベントリに魔道具が入っていた訳がわかったわ。でも、気になるのが……ヴィデロにも古代のアイテムが行ったってことよね。あの子、魔大陸の魔力に耐えうる魔力がないのは私が一番知ってるわ。どうして……」
「きっと! 今まで色々と尽力したから、その報酬だと思います!」
一緒に行くことになるかも、なんて呟かせない。連れて行かない。それはもう決定事項だから。
俺は希望を叫んだ。
アリッサさんは目を丸くして、そしてその後自分に言い聞かせるように「そうね、そうよね」と呟いた。
「大丈夫、俺もちゃんとヴィデロが行こうとしたら止めるから。それに、ヴィデロも自分の限界はわかってるみたいだったから」
だから、ヴィデロは絶対にマックについて行くとは言わないよ、とヴィルさんはアリッサさんを安心させるように微笑んだ。
帰りの車の中で、ヴィルさんは「個室を選んで正解だったな」と笑った。
確かに。大人三人が真顔でゲームの話をしてるなんて、傍から見たらちょっとね。
でも懐石料理はもういいかな。アリッサさんとヴィルさんだったから肩の力を抜いてご飯を食べることが出来たけど、他の人がいたら緊張して味わうどころじゃないだろうし。
そう呟くと、ヴィルさんが笑った。
「じゃあ今度はまたファーストフード店に食べに行こうか。高橋君たちも誘って」
「その方が絶対に気楽です」
真顔で頷いたら、ヴィルさんが声を出して笑った。
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