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712、『時の調べ』と狂った聖獣
先は、広い広い空間になっていた。
部屋じゃない。空間。
空には一面に歯車があって、音もなく回っている。
入口からひとフロア分だけある床以外は、全てが宇宙空間みたいに暗い空間が広がっている。そして、床の先には、細長い床が伸びていて、闇の中まで続いていた。
これ、どうあってもあの細い道を進まないといけないやつかな。
皆、頭上に広がる歯車に見入っている。
俺もまた、視線を上から外せないでいた。
ここに俺が立ってるってことは、この世のどこかにはこんな空間が本当に存在するってことなんだよな。
これは誰かが作ったゲームのデータじゃなくて、本当にある場所なんだから。
ヴィデロさんがログアウトしてもそばにいてくれるのが何よりの証拠で、この世界が存在する証明にもなっていて。
この歯車が、『時の調べ』。
そして。
最後に開けた、祭壇にあった透明な歯車が、俺たちの視線の先に現れた。
カチリ、そう音が聞こえたかと思うと、透明な歯車は、まるで最初からそこにあったかのようにぴったりと填まって回り出した。
それと同時に、闇に続いていた道の先に、魔法陣が輝き始めた。
その魔法陣の上には、白地に薄っすら白い縞の浮き上がっている、虎が現れた。
魔物反応はない。けれど、あの虎を倒さないと、ここから出られないのはわかる。
俺はさっき来た通知音の元になったクエスト欄を開いた。
『【NEW】聖なる獣を正気に戻せ
時の調べを守護していた聖獣が長年の闇に覆われ正気を失っている
正気に戻った瞬間に、弱った聖獣に聖なる気を分け与え、本来の性質になるよう尽力せよ』
何度読んでもそれだけしか書かれていなかった。クエストクリアの条件とかクリア失敗した時のデメリットとか、報酬とか。
他の人はこのクエスト来てるのかな。
魔法陣の上の聖なる虎はまだじっとこっちを見ているだけで動いてはいない。
「あれを倒せばここから出られるってことか?」
「いや、あれを倒した後が肝だ」
「ユキヒラ、あの虎なんだか知ってるのか?」
「お前らクエスト来てねえのか?」
「いんや」
雄太とユキヒラの言葉で、図らずもクエストの有無はわかった。
「あの虎、この歯車の守護獣らしいんだわ。でも女神がアレだったろ、それのせいで狂ってるらしいんだ。HP削ってその後正気を取り戻させねえといけねえ奴」
「聖獣なのか?」
「ああ。でも手加減なしでガンガンやらねえと多分強い」
「見てわかるっての。威圧半端ねえ。勇者の威圧目じゃねえよ」
雄太がしっかりと視線を虎に固定している。ヴィデロさんも少し険しい顔をしてまっすぐ虎を見ている。
威圧? 威圧なんて感じないけど。と首を捻っていると、ユキヒラが俺の方を向いた。
「マックはなんかクエスト来てたみてえだな」
「あ、うん。聖なる気を分け与えろっていうの来てた」
「俺もだ。多分俺らは戦闘後が本番だな」
「そうみたいだね。俺、あの虎から全然威圧感じないんだけど」
「俺もだ。俺らは敵対してねえみてえだな。HPが見えてこねえ」
「俺も」
ってことは、この戦闘には混ざれないってことなのかな。
ちらりとヴィデロさんを見上げると、ヴィデロさんは険しい顔をフッと緩めて、俺と視線を交わした。
「マックが攻撃されないなら、安心だな」
「ヴィデロさん……気を付けて」
「ああ」
ヴィデロさんは返事をすると、雄太たちに並ぶように前に出ていった。手にはしっかりと剣を持ち、先頭に立つ。
代わりにユキヒラが一歩下がって来た。
「見てるだけってのは性に合わねえんだけど」
「聖騎士だったらそうだろうね。俺は魔物と戦う方が性に合わないけど」
「薬師だったらそうだろうな」
虎と5人の戦闘は、かなり過酷で熾烈だった。
何度回復魔法を飛ばそうとしたか。何度アイテムを使おうとしたか。でも、俺たちは本当に指一本手を出すことが出来なかった。
戦闘し始めた瞬間から、俺とユキヒラの周りには透明なバリアみたいな物が張り巡らされてしまったんだ。
皆が虎の牙と爪と放つ魔法にボロボロになっても、俺たちの放つ聖魔法は皆に届かない。アイテムを使おうとしても干渉しない、そんな感じだった。戦闘空間が出来上がってしまっていて、俺たちはその外っていうか中っていうかから見てる様な状態なのは地味に辛い。ヴィデロさんの鎧の一部が欠けて宙を舞っても何も出来ないんだ。雄太の足がザクっと切られても。
すぐに戦闘中の誰かが対処して事なきを得ているけれど、魔王戦よりさらに皆ボロボロになってる気がする。辛い。
ユキヒラも俺と同じような気分を味わってるのか、いつでも飛び出せるように剣をずっと握りしめていた。俺も短剣を何度抜いたことか。
何もない宙を、まるで壁を蹴るように蹴って縦横無尽に走り回る虎を仕留めたのは、それからゆうに30分は経った頃だろうか。
俺とユキヒラは、多分戦闘してる人たちよりも精神的に疲労してたと思う。
怪我しようが何しようが戦ってる人たちは目を輝かせて強い敵と楽しそうに戦ってるのに対し、俺たちはただ皆が怪我して飛ばされて血を流すのを見ているだけ。せめてアイテムくらいは使わせてほしかった。もしくは最初に教えてくれれば持てるだけのアイテムを持たせたのに。
ヴィデロさんが肩をざっくりと爪に裂かれてこっちに飛んできた時なんか俺が悲鳴を上げて、駆け寄れないことに目の奥が熱くなった。
ユキヒラもまだヴィデロさんがアバター姿になったことが慣れないのか、ヴィデロさんが攻撃を受けた時は息を呑んでいた。
虎が倒れると、ようやく俺たちの周りにあった透明な壁は消え去った。
虎はキラキラすることなく、横たわって静かに胸を上下している。
でもそれは雄太たちも似たようなものだった。
最後に放たれた虎の全体魔法が全員を瀕死状態まで持って行ってしまったから。
ヴィデロさんもHPは残り僅か。
俺とユキヒラはバリアが解除された瞬間に剣を構えた。
「我は求む。この世を慈しみ、愛し、護り抜いた者を。この剣、胸、心、すべての力を持ちて、復活のエールを叫ぼう。『融和聖杯』!」
何の合図もなく、俺たちは連携魔法を唱えた。
考えていることは同じだった。
共鳴する聖剣が光を放ち、辺りを包み込む。
皆、死に戻る前にちゃんと復活して欲しい。
例え死に戻り出来るんだとしても、目の前でヴィデロさんが消えていくのはいやだ。
詠唱をした時の俺は、すでにその後虎を正気に戻すなんていう使命をすっかり忘れていた。多分ユキヒラも。仲間が倒れているなかで敵対した人を正気に戻すなんて、それこそ正気じゃない。
力の抜ける膝を立て直す力もなく、重力がこの空間にあるのかはわからないけど重力に逆らうことが出来なかった俺は、沈んでいく視界に、見てはいけないものを見てしまった。
ああ、俺とユキヒラは、あの虎とは敵対してなかったんだっけ。
だから、あの虎も。
俺たちが唱えた『融和聖杯』は、倒したはずの聖獣まで復活させてしまっていた。
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※本作にはボーイズラブ要素およびオメガバース設定(α、β、Ωの概念やフェロモンに関する描写)が含まれています。苦手な方は閲覧にご注意ください。