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第弐章 西伐の狼煙
第拾肆話 猪鹿蝶
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久遠浜の国から、三人の刺客が放たれた。猪子兵助、鹿島鉄人、由井薗お蝶。連携戦術を得意とし、鍔隠れの忍衆の中で台頭してきたこの三人は、それぞれの名前をとって、猪鹿蝶と呼ばれている。
鍔隠れの里は、妖崎の国にある小さな村である。妖崎の国は、倭の国一番の山国で、領土の九割を山岳地が占めている。領土に海岸線を持たない唯一の国でもある。故に、水田を拓ける土地が少なく、また海路を活用した交易もなく、物資の面で古くから苦しい領国経営を強いられる国であった。
畢竟、戦略は天然の要害を活かした防備に徹することとなり、常時より国を挙げての籠城の体をなしてきた。長い歴史を通してみても、武器、兵力いずれも周囲の国々が妖崎を上回る時代がほとんどであった。要害の各所に砦を築き、守りに徹するとしても、敵陣の状況を見誤れば即滅亡、という戦いをこの国は余儀なくされ続けてきた。そうした環境がこの国に忍の技術を生むこととなり、その中で特に優れていたのが、鍔隠れの里の忍衆であった。
燻隠れの忍衆との違いは、彼らがしばしば多勢を恃むことである。人口が極端に少ない燻隠れの里は、少数の際立った精鋭を育て上げ、海外へ送り込んで戦功と名声を上げてきた。一方、妖崎の国は、人口はそれなりの数があるが、脅威になる敵が多く、少数の精鋭では回らない。環境の違いが、異なる性格の忍を産んだということだ。
降魔の国が周辺諸国を併呑し力をつけてきたとき、妖崎の国の領主・忌田兼家は、一つの大きな決断をした。降魔の国は、元々は大きな湖と広い湾岸を領土に持つ海洋都市国家であった。しかし、次第に後背地の内陸部を攻め上げ、大きく領土を広げて妖崎の国と隣接するに至った。
忌田は、竜ヶ崎鬼定の並々ならぬ統率力を前に、これと交戦する愚を悟り、初めて同盟の交渉を行った。妖崎の国が他国と同盟を結んだのは、後にも先にもこの一度だけである。
妖崎を味方につけて以降の降魔の国の台頭は、既に誰もが知るところであり、今では竜ヶ崎鬼定は天下人の呼び名をほしいままにしようとしている。
周囲の国と数多くの戦を繰り広げてきた妖崎の国、特に鍔隠れの忍衆は、燻隠れの影一族と違い、軍隊としての色彩が濃い。
特徴的なのは、多くの忍が三人一組を単位として行動することが多いことである。部隊編成をする場合でも、多くは三人組の集合体という形をとる。故に、一人の忍としてというよりは、三人組の忍衆として、周囲に認知されることが普通である。猪鹿蝶の三人衆もそんな三人組の一つであった。
並外れた剛力でありながら、小柄で遁走術に優れる猪子は、三人の中の攻撃力の主力である。
体格は普通だが器量が良く、侍のいでたちが様になる鹿島は、いかなる公共の場にも自然に溶け込む。人々との何気ない会話や群衆の噂話から、カギになる情報を拾い出し、敵地の情報を探るのに優れている。
一方お蝶は、女であることを武器に敵国の要人に巧みにすり寄り、一般民衆が知りえない極秘情報を盗み出すことに優れていた。
彼らが台頭できたのは、戦闘と諜報において各人がそれぞれ異なる分野を得意とするため、様々な局面で主役と援護役の役割分担を柔軟に変え、戦功につなげてこれたことにある。
死角なく、多方面に対応できる三人組、菊川が猪鹿蝶を選んだのはそこにある。恐らくは、極めて強力な戦闘力を持つ影一族。だが、その実像を把握するにはあまりにも情報が不足していた。
菊川は、三人にまず影一族と一戦を交えることを命じた。ただし、今は本気の戦いはしてはならない。命を危険にさらす戦いはするな。少しでも危険を感じれば直ちに引き、情報を持ち帰れ。それが菊川が三人に与えた任務である。
「やれやれ、此度の菊川の旦那の任務は、やけにばっくりしていてやり辛ぇよな。」
旅人に扮し、山路を歩く鹿島がぼやいた。
「そうよね。いつもは戦さ場の働きか、密書を誰々に届けるとか、某を暗殺するとか、もっとわかりやすい任務だけど。」
お蝶が同調する。鹿島と並んで歩き、二人連れを装っている。
「まあ、そういう捉えどころのない任務だからこそ、俺たちにお鉢が回ってきたというところだろうよ。要するにいずれこれから戦り合うことになる相手ということだ。」
猪子のみ、茂みに紛れながら歩いている。小声で話すため、普通の人間は聞き取れない。
「どうせ、やらされるのは俺たちなんだろうね。要するに敵情視察して、勝つための作戦を俺らで練れるようになれば、一応任務達成と思ってよさそうだな。」
「ふふん、殺れそうだと判断したら、俺はその場で殺るがな。」
小声で物騒なことを話す猪子に、「おお怖っ」と鹿島はおどけて見せた。
「ねえ、中津東に入るまでにあまり人に見られない方がよくない?船を使って入る手もあるわよ。」
「でも、船を借りる時に足がつくんじゃね?」
「その1回だけで、借りてしまえば、もう人目に付かないわ。旅の二人連れが、借りたって記録が残るだけよ。」
「それ、猪子はどうすんだよ。」
「俺かよ。」
勝手に自分がのけ者という前提で話が進みかけたことに、猪子が抗議した。
「え、もちろんそうでしょ?」
こともなげにお蝶が答える。
「船底にしがみつくとか、いろいろできるでしょ?あんた得意じゃん、そういうの。」
「ちっ。」
なんだかんだでそれをやってしまうのが、遁走術が得意な猪子兵助である。
鍔隠れの里は、妖崎の国にある小さな村である。妖崎の国は、倭の国一番の山国で、領土の九割を山岳地が占めている。領土に海岸線を持たない唯一の国でもある。故に、水田を拓ける土地が少なく、また海路を活用した交易もなく、物資の面で古くから苦しい領国経営を強いられる国であった。
畢竟、戦略は天然の要害を活かした防備に徹することとなり、常時より国を挙げての籠城の体をなしてきた。長い歴史を通してみても、武器、兵力いずれも周囲の国々が妖崎を上回る時代がほとんどであった。要害の各所に砦を築き、守りに徹するとしても、敵陣の状況を見誤れば即滅亡、という戦いをこの国は余儀なくされ続けてきた。そうした環境がこの国に忍の技術を生むこととなり、その中で特に優れていたのが、鍔隠れの里の忍衆であった。
燻隠れの忍衆との違いは、彼らがしばしば多勢を恃むことである。人口が極端に少ない燻隠れの里は、少数の際立った精鋭を育て上げ、海外へ送り込んで戦功と名声を上げてきた。一方、妖崎の国は、人口はそれなりの数があるが、脅威になる敵が多く、少数の精鋭では回らない。環境の違いが、異なる性格の忍を産んだということだ。
降魔の国が周辺諸国を併呑し力をつけてきたとき、妖崎の国の領主・忌田兼家は、一つの大きな決断をした。降魔の国は、元々は大きな湖と広い湾岸を領土に持つ海洋都市国家であった。しかし、次第に後背地の内陸部を攻め上げ、大きく領土を広げて妖崎の国と隣接するに至った。
忌田は、竜ヶ崎鬼定の並々ならぬ統率力を前に、これと交戦する愚を悟り、初めて同盟の交渉を行った。妖崎の国が他国と同盟を結んだのは、後にも先にもこの一度だけである。
妖崎を味方につけて以降の降魔の国の台頭は、既に誰もが知るところであり、今では竜ヶ崎鬼定は天下人の呼び名をほしいままにしようとしている。
周囲の国と数多くの戦を繰り広げてきた妖崎の国、特に鍔隠れの忍衆は、燻隠れの影一族と違い、軍隊としての色彩が濃い。
特徴的なのは、多くの忍が三人一組を単位として行動することが多いことである。部隊編成をする場合でも、多くは三人組の集合体という形をとる。故に、一人の忍としてというよりは、三人組の忍衆として、周囲に認知されることが普通である。猪鹿蝶の三人衆もそんな三人組の一つであった。
並外れた剛力でありながら、小柄で遁走術に優れる猪子は、三人の中の攻撃力の主力である。
体格は普通だが器量が良く、侍のいでたちが様になる鹿島は、いかなる公共の場にも自然に溶け込む。人々との何気ない会話や群衆の噂話から、カギになる情報を拾い出し、敵地の情報を探るのに優れている。
一方お蝶は、女であることを武器に敵国の要人に巧みにすり寄り、一般民衆が知りえない極秘情報を盗み出すことに優れていた。
彼らが台頭できたのは、戦闘と諜報において各人がそれぞれ異なる分野を得意とするため、様々な局面で主役と援護役の役割分担を柔軟に変え、戦功につなげてこれたことにある。
死角なく、多方面に対応できる三人組、菊川が猪鹿蝶を選んだのはそこにある。恐らくは、極めて強力な戦闘力を持つ影一族。だが、その実像を把握するにはあまりにも情報が不足していた。
菊川は、三人にまず影一族と一戦を交えることを命じた。ただし、今は本気の戦いはしてはならない。命を危険にさらす戦いはするな。少しでも危険を感じれば直ちに引き、情報を持ち帰れ。それが菊川が三人に与えた任務である。
「やれやれ、此度の菊川の旦那の任務は、やけにばっくりしていてやり辛ぇよな。」
旅人に扮し、山路を歩く鹿島がぼやいた。
「そうよね。いつもは戦さ場の働きか、密書を誰々に届けるとか、某を暗殺するとか、もっとわかりやすい任務だけど。」
お蝶が同調する。鹿島と並んで歩き、二人連れを装っている。
「まあ、そういう捉えどころのない任務だからこそ、俺たちにお鉢が回ってきたというところだろうよ。要するにいずれこれから戦り合うことになる相手ということだ。」
猪子のみ、茂みに紛れながら歩いている。小声で話すため、普通の人間は聞き取れない。
「どうせ、やらされるのは俺たちなんだろうね。要するに敵情視察して、勝つための作戦を俺らで練れるようになれば、一応任務達成と思ってよさそうだな。」
「ふふん、殺れそうだと判断したら、俺はその場で殺るがな。」
小声で物騒なことを話す猪子に、「おお怖っ」と鹿島はおどけて見せた。
「ねえ、中津東に入るまでにあまり人に見られない方がよくない?船を使って入る手もあるわよ。」
「でも、船を借りる時に足がつくんじゃね?」
「その1回だけで、借りてしまえば、もう人目に付かないわ。旅の二人連れが、借りたって記録が残るだけよ。」
「それ、猪子はどうすんだよ。」
「俺かよ。」
勝手に自分がのけ者という前提で話が進みかけたことに、猪子が抗議した。
「え、もちろんそうでしょ?」
こともなげにお蝶が答える。
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