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30. 王国へ
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サンドリア王国。
私の生まれ故郷、ずっと閉じ込められていた籠。
郷愁を感じることはない。
私は馬車に揺られて、じっと地平線の彼方を眺めていた。
バルトロメイ殿下の馬車に続いて、次々と帝国貴族たちや臣下の馬車が行く。
私もまた馬車群に参列していた。
「…………」
不安に息を漏らす。
自分から望んで参列したが、やはり私の暗殺を企てたゼパルグの式に行くのは怖い。
「大丈夫か?」
向かいに座るグリムが尋ねてくる。
最初、私がバルトロメイ殿下の提案を受けたと言ったとき……彼は落胆した様子を見せた。
だが、エムザラの決断ならばとこうして付き添ってくれることになった。
グリムには申し訳ないと思う。
同時に、私について来てくれて本当に感謝している。
「ううん、あまり大丈夫ではないかもしれません。軽く体が震えています。
……おかしいですよね。王国に行くことを決めたのは私なのに」
自分でも馬鹿らしいと思う。
視線を落とすと、そこには震える指先があった。
そこにグリムの手が重なる。
「おかしくなんてない。エムザラが怖いのは当然だ。だからこそ、俺が離れずに君を守る」
「グリム……」
「一度助けた君の命、絶対に失いたくない。それに……」
それに。
グリムは向かいの席から、私の隣に移って話を続けた。
「あの傲慢なゼパルグ王子には、痛い目に遭ってもらわなければならない。最初は俺も王国に行くことを否定したが、こうなった今では……ちょうどいい機会だと思っているよ」
私も同じ意見だ。
今にして思えば、ゼパルグの私への仕打ちは王族のそれとも、婚約者のそれとも思えないものだった。
当時の私は忌み嫌われる待遇を当然のように考えていたが。
私を大切にしてくれる人がいる。
だから、王国で私がどれだけ大切にされていなかったのかを知った。
もう私が人形ではないことを証明するためにも、この決断は大きな一歩となるだろう。
私はグリムに尋ねた。
「……グリム。怖いのは、あなたも同じではありませんか?」
その問いに彼は瞳を揺らした。
肯定はしないが、否定もしない。
どこか不自然な沈黙だった。
「どういう意味だ?」
「私、知ったのです。あの日……グリムと初めて出会ったときに、どうしてあなたが死にかけていたのか」
ああ、そうか……とグリムは呟いた。
知られたくない過去、思い出したくない過去は誰にでもあるだろう。
私が王国のことを思い出したくないように。
それでも、いつかは向き合わなければならない。
彼にこんな話をするのを、少し心苦しく思うけれど。
「たしかに……バルトロメイと王国に赴いていると、あの日を思い出すよ。優しかった臣下が、いきなり俺に刃を突き立てた幼少の日を。
だが、過去は過去だ。今なら誰に裏切られたとしても、自分の力で切り抜けられる自負がある。だから怖くはない」
怖くはない……そう言いながらも。
彼の語気は何かを隠すように、注意していなければ気がつかないほどに、いつもより強めだった。
それは恐怖を隠すための強がりなのか。
「私がいますよ。たとえあなたが何度も傷ついても、私があの日のように救います。裏切りません。一人にもさせません。
グリムが私を孤独から救ってくれたから……あなたに寄り添わせてほしいです」
素直に伝えたい。
私のすべて、本音そのままを。
まだまだ彼への想いはあふれて止まらないけれど、私はそこで一度口を閉ざした。
「本当に……君は変わったな」
グリムは呟き、顔を上げる。
彼の紅い瞳が私をじっと見つめていた。
変わった……自覚はある。
私は私の心に殉じていると。
「ありがとう、エムザラ。君が俺を想ってくれて嬉しい。君だけは、何があっても信じるよ」
「はい。どうか私を頼って、ときにグリムを頼らせてくださいね」
気がつけば王国の城が見えていた。
ああ、もうすぐ王都に着く。
私が一度は逃げ出した、あの場所に。
車窓から景色を眺めていると、隣でグリムが消え入るような声で言った。
「俺も……変わらないといけないのかもな……」
***
結婚式を直前に控えたゼパルグ。
彼は婚約を結んだ相手のもとを訪れた。
相手……ベリス・エイルはちょうどドレスを合わせているところだ。
ベリスを囲む侍女たちに指示を飛ばしている。
「ちょっと、腰がきついじゃない! あと、この髪飾りは美しくないわ……もっと私に合った、おしゃれな装飾を用意してちょうだい!」
侍女たちは困り顔だ。
ベリスはいつも明確な指示を出さず、あいまいに指示を出す。
その結果、不都合が生じれば侍従のせい。
都合よくいけば指示を飛ばした自分のおかげにする。
そんなベリスの傾向にゼパルグも薄々気づいていた。
……が、人形のエムザラよりはマシだと必死に自分に言い聞かせている。
「やあ、ベリス。準備はできたかい?」
「……あ、殿下! いえ、もう少しだけ時間がかかりそうですわ……ごめんなさい」
「ははっ、いいんだ。焦らなくてもいい。主役の君はきれいに着飾らないと」
ゼパルグの前だと急にしおらしくなるベリス。
そんな狡猾な彼女も、今回ばかりは緊張していた。
ゼパルグは次代国王の筆頭候補だけあり、結婚式には諸国の重鎮も集まってくる。
ここでどれだけ媚びを売れるか、関係性を作れるかがベリスにとっても重要だ。
ゼパルグ以外の頼れる人脈も作っておく必要がある。
自分をより美しく見せるには。
ベリスは結婚式を間近に、ひたすら考えていた。
私の生まれ故郷、ずっと閉じ込められていた籠。
郷愁を感じることはない。
私は馬車に揺られて、じっと地平線の彼方を眺めていた。
バルトロメイ殿下の馬車に続いて、次々と帝国貴族たちや臣下の馬車が行く。
私もまた馬車群に参列していた。
「…………」
不安に息を漏らす。
自分から望んで参列したが、やはり私の暗殺を企てたゼパルグの式に行くのは怖い。
「大丈夫か?」
向かいに座るグリムが尋ねてくる。
最初、私がバルトロメイ殿下の提案を受けたと言ったとき……彼は落胆した様子を見せた。
だが、エムザラの決断ならばとこうして付き添ってくれることになった。
グリムには申し訳ないと思う。
同時に、私について来てくれて本当に感謝している。
「ううん、あまり大丈夫ではないかもしれません。軽く体が震えています。
……おかしいですよね。王国に行くことを決めたのは私なのに」
自分でも馬鹿らしいと思う。
視線を落とすと、そこには震える指先があった。
そこにグリムの手が重なる。
「おかしくなんてない。エムザラが怖いのは当然だ。だからこそ、俺が離れずに君を守る」
「グリム……」
「一度助けた君の命、絶対に失いたくない。それに……」
それに。
グリムは向かいの席から、私の隣に移って話を続けた。
「あの傲慢なゼパルグ王子には、痛い目に遭ってもらわなければならない。最初は俺も王国に行くことを否定したが、こうなった今では……ちょうどいい機会だと思っているよ」
私も同じ意見だ。
今にして思えば、ゼパルグの私への仕打ちは王族のそれとも、婚約者のそれとも思えないものだった。
当時の私は忌み嫌われる待遇を当然のように考えていたが。
私を大切にしてくれる人がいる。
だから、王国で私がどれだけ大切にされていなかったのかを知った。
もう私が人形ではないことを証明するためにも、この決断は大きな一歩となるだろう。
私はグリムに尋ねた。
「……グリム。怖いのは、あなたも同じではありませんか?」
その問いに彼は瞳を揺らした。
肯定はしないが、否定もしない。
どこか不自然な沈黙だった。
「どういう意味だ?」
「私、知ったのです。あの日……グリムと初めて出会ったときに、どうしてあなたが死にかけていたのか」
ああ、そうか……とグリムは呟いた。
知られたくない過去、思い出したくない過去は誰にでもあるだろう。
私が王国のことを思い出したくないように。
それでも、いつかは向き合わなければならない。
彼にこんな話をするのを、少し心苦しく思うけれど。
「たしかに……バルトロメイと王国に赴いていると、あの日を思い出すよ。優しかった臣下が、いきなり俺に刃を突き立てた幼少の日を。
だが、過去は過去だ。今なら誰に裏切られたとしても、自分の力で切り抜けられる自負がある。だから怖くはない」
怖くはない……そう言いながらも。
彼の語気は何かを隠すように、注意していなければ気がつかないほどに、いつもより強めだった。
それは恐怖を隠すための強がりなのか。
「私がいますよ。たとえあなたが何度も傷ついても、私があの日のように救います。裏切りません。一人にもさせません。
グリムが私を孤独から救ってくれたから……あなたに寄り添わせてほしいです」
素直に伝えたい。
私のすべて、本音そのままを。
まだまだ彼への想いはあふれて止まらないけれど、私はそこで一度口を閉ざした。
「本当に……君は変わったな」
グリムは呟き、顔を上げる。
彼の紅い瞳が私をじっと見つめていた。
変わった……自覚はある。
私は私の心に殉じていると。
「ありがとう、エムザラ。君が俺を想ってくれて嬉しい。君だけは、何があっても信じるよ」
「はい。どうか私を頼って、ときにグリムを頼らせてくださいね」
気がつけば王国の城が見えていた。
ああ、もうすぐ王都に着く。
私が一度は逃げ出した、あの場所に。
車窓から景色を眺めていると、隣でグリムが消え入るような声で言った。
「俺も……変わらないといけないのかもな……」
***
結婚式を直前に控えたゼパルグ。
彼は婚約を結んだ相手のもとを訪れた。
相手……ベリス・エイルはちょうどドレスを合わせているところだ。
ベリスを囲む侍女たちに指示を飛ばしている。
「ちょっと、腰がきついじゃない! あと、この髪飾りは美しくないわ……もっと私に合った、おしゃれな装飾を用意してちょうだい!」
侍女たちは困り顔だ。
ベリスはいつも明確な指示を出さず、あいまいに指示を出す。
その結果、不都合が生じれば侍従のせい。
都合よくいけば指示を飛ばした自分のおかげにする。
そんなベリスの傾向にゼパルグも薄々気づいていた。
……が、人形のエムザラよりはマシだと必死に自分に言い聞かせている。
「やあ、ベリス。準備はできたかい?」
「……あ、殿下! いえ、もう少しだけ時間がかかりそうですわ……ごめんなさい」
「ははっ、いいんだ。焦らなくてもいい。主役の君はきれいに着飾らないと」
ゼパルグの前だと急にしおらしくなるベリス。
そんな狡猾な彼女も、今回ばかりは緊張していた。
ゼパルグは次代国王の筆頭候補だけあり、結婚式には諸国の重鎮も集まってくる。
ここでどれだけ媚びを売れるか、関係性を作れるかがベリスにとっても重要だ。
ゼパルグ以外の頼れる人脈も作っておく必要がある。
自分をより美しく見せるには。
ベリスは結婚式を間近に、ひたすら考えていた。
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