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29. 過去
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「――過去、グリムと何があったのですか。
どうか隠さずに教えてください」
バルトロメイ殿下は瞳を揺らした。
想定外の要求だったのだろう。
彼は戸惑いを隠せない表情で眉を落とした。
皇族が何でも要求を呑むと言っているのだ。
それなのに、要求が過去の説明を求めるだけ。
たしかに困惑されても仕方ないのかもしれない。
「そのような質問でよいのですか?」
「私にとっては何よりも大切な確認なのです。私の命を救ってくれたグリムの過去を知ることは、彼の心を救うことにつながるはずですから」
家族とは仲良くしてほしい。
私は親にも妹にも愛されず、縁を切ることになってしまったけれど。
手を伸ばせる範囲にいる大切な人を、家族とつなげてあげたい。
グリムもバルトロメイ殿下も悪い人ではないのだから。
「……わかりました。お話しましょう。おもしろい話ではありませんがね」
殿下は諦めたように首肯した。
普段から質実で威厳のある殿下とは思えぬ、追い詰められた幼獣のような雰囲気。
「――私とグリムがまだ、年端もいかぬ子どものころのことでした」
ぽつり、ぽつりと語り出す。
殿下の呼気が聞こえてしまうほど静かな空気の中で。
「グリムが後妻の子で、私やアトロとは腹違いだということは知っていますか?」
「はい。それゆえ継承権が低いことも存じ上げております」
「……ええ、そのとおりです。グリムは周囲から疎まれ、皇城内でも立場がなかった。私はそんな弟を気にかけ、あの子を守ろうとしていた。グリムも私をそれなりに信頼し、好いてくれていたのでしょう……あの日までは」
殿下は中空に視線を漂わせた。
まるで遠い過去を追想するかのように。
グリムが小さいころ、どんな人だったのか。
彼は過去を語らないから私には知りようもない。
「八年前。私とグリムは共にサンドリア王国に赴くこととなりました。外交の一環で、王国貴族と親交を結びつつ、楽しみながら見聞を広めるだけの旅……のはずでしたが。
私の派閥が、グリムの暗殺を企てていたのです」
「……!」
どうして。
そんな疑問、意味はない。
貴族は不要と判断されれば捨てられる。
私もまた同じ道をたどった身だから、痛いほどわかる。
「私の派閥からすれば、グリムは邪魔な存在だったのでしょう。私とアトロが死ねば帝位につくのはグリムです。だからこそ、周辺諸侯は彼を警戒して排除しようとした。
あの子は……兄を殺してでも帝位を欲するような性格ではないというのに」
「ですが、殿下の派閥はグリムの暗殺に失敗した。そうですよね?」
私には半ば確信があった。
私はとっくに知っていたのだ。
グリムが孤独に生きるようになった理由を。
「ええ。でなければ、グリムは今ごろ生きていませんから。何も知らない私の前に現れたのは、満身創痍のグリムだった。
あの子から事情を聞き、私は激昂した。もちろん暗殺を企てた者どもはすぐに排除しました。だが、私の手勢がグリムに刃を向けたことは紛れもない事実……」
聞いているだけで胸が苦しくなる。
兄弟のどちらも悪くないのに、どうしてそんな。
「あの子は誰も信用しなくなった。唯一信じていた兄に裏切られ、何も信じられなくなったのでしょう。宮殿に引き篭もるようになり、周囲の者にも接することはなくなり……いつしか人知れずサンドリアで密偵をしていました。
普通、皇子が隣国の密偵などしようものなら……誰かが咎めるのでしょう。だが、グリムの活動を知っても咎める者はいなかった。彼が死んでも、誰も困らないからです。むしろ隣国で野垂れ死んでくれればいいと、私の派閥の者は思っていたことでしょう」
ああ、同じだ。
私と同じなんだ、彼は。
グリムもまた"人形"だったのかもしれない。
私はいいように使われる人形。
彼は……部屋の隅で埃を被った人形。
「私、知っています。その日の彼を。今にも死にそうな傷を負っていたグリムを……私は聖女の力を使って助けた。名前も告げずに去ってしまった彼だけど、今度は私の命を救いに来てくれた。
グリムはずっと待っていたんです。……彼が密偵として王国にいた理由は、私を助けるためだった」
ようやくわかった。
あのとき、どうして彼が死にかけていたのか。
「……! そ、れは……聖女様がグリムの命を救ってくださった、そういうことですか……? 王国に赴いたあの日、弟の命をつないでくれたのが聖女様だと……グリムが何度も話していたのは、あの日のことだったのか……」
バルトロメイ殿下は目を見開いた。
驚き、戸惑い、そして肩を落とし、笑い……今の数秒の殿下の行動は奇妙なもので。
どういう心情なのか、再び顔を上げた殿下は真剣な表情に戻っていた。
「聖女様。もはやグリムを頼める人は貴女しかいないのでしょう。
あの子のことをこんなにも想って、理解してくれる人は貴女だけだ」
「それは……どうでしょうか。たしかに私は彼の心を開けるかもしれません。ですが、私はもう一度グリムと殿下をつなぎたいのです。あなたにも彼は理解できるはずです」
殿下はかぶりを振った。
もう結論が出ていると言わんばかりに。
「いえ、私は……もう諦めたのです。私がグリムに近づけば、あの子は不幸になってしまう。
ですから、聖女様。どうかグリムのことを……頼みます」
どうして諦めてしまうのか。
尋ねるのは無粋だろうか。
だって殿下やグリムの決断を咎める権利は、私にはないのだから。
「……この回答でご満足でしょうか。私とグリムは、こうして分かたれた。弟を救っていただき、感謝します。
そして……ゼパルグ第一王子の結婚式へ赴く話もお忘れなく。ぜひとも協力をお願いします」
話は終わった。
終わってしまった。
それきり殿下は過去に触れることなく、未来の話しかしなくなった。
煩悶とした気持ち。
胸中にわだかまる暗澹を抱えたまま、私は殿下の計画を聞き届けた。
どうか隠さずに教えてください」
バルトロメイ殿下は瞳を揺らした。
想定外の要求だったのだろう。
彼は戸惑いを隠せない表情で眉を落とした。
皇族が何でも要求を呑むと言っているのだ。
それなのに、要求が過去の説明を求めるだけ。
たしかに困惑されても仕方ないのかもしれない。
「そのような質問でよいのですか?」
「私にとっては何よりも大切な確認なのです。私の命を救ってくれたグリムの過去を知ることは、彼の心を救うことにつながるはずですから」
家族とは仲良くしてほしい。
私は親にも妹にも愛されず、縁を切ることになってしまったけれど。
手を伸ばせる範囲にいる大切な人を、家族とつなげてあげたい。
グリムもバルトロメイ殿下も悪い人ではないのだから。
「……わかりました。お話しましょう。おもしろい話ではありませんがね」
殿下は諦めたように首肯した。
普段から質実で威厳のある殿下とは思えぬ、追い詰められた幼獣のような雰囲気。
「――私とグリムがまだ、年端もいかぬ子どものころのことでした」
ぽつり、ぽつりと語り出す。
殿下の呼気が聞こえてしまうほど静かな空気の中で。
「グリムが後妻の子で、私やアトロとは腹違いだということは知っていますか?」
「はい。それゆえ継承権が低いことも存じ上げております」
「……ええ、そのとおりです。グリムは周囲から疎まれ、皇城内でも立場がなかった。私はそんな弟を気にかけ、あの子を守ろうとしていた。グリムも私をそれなりに信頼し、好いてくれていたのでしょう……あの日までは」
殿下は中空に視線を漂わせた。
まるで遠い過去を追想するかのように。
グリムが小さいころ、どんな人だったのか。
彼は過去を語らないから私には知りようもない。
「八年前。私とグリムは共にサンドリア王国に赴くこととなりました。外交の一環で、王国貴族と親交を結びつつ、楽しみながら見聞を広めるだけの旅……のはずでしたが。
私の派閥が、グリムの暗殺を企てていたのです」
「……!」
どうして。
そんな疑問、意味はない。
貴族は不要と判断されれば捨てられる。
私もまた同じ道をたどった身だから、痛いほどわかる。
「私の派閥からすれば、グリムは邪魔な存在だったのでしょう。私とアトロが死ねば帝位につくのはグリムです。だからこそ、周辺諸侯は彼を警戒して排除しようとした。
あの子は……兄を殺してでも帝位を欲するような性格ではないというのに」
「ですが、殿下の派閥はグリムの暗殺に失敗した。そうですよね?」
私には半ば確信があった。
私はとっくに知っていたのだ。
グリムが孤独に生きるようになった理由を。
「ええ。でなければ、グリムは今ごろ生きていませんから。何も知らない私の前に現れたのは、満身創痍のグリムだった。
あの子から事情を聞き、私は激昂した。もちろん暗殺を企てた者どもはすぐに排除しました。だが、私の手勢がグリムに刃を向けたことは紛れもない事実……」
聞いているだけで胸が苦しくなる。
兄弟のどちらも悪くないのに、どうしてそんな。
「あの子は誰も信用しなくなった。唯一信じていた兄に裏切られ、何も信じられなくなったのでしょう。宮殿に引き篭もるようになり、周囲の者にも接することはなくなり……いつしか人知れずサンドリアで密偵をしていました。
普通、皇子が隣国の密偵などしようものなら……誰かが咎めるのでしょう。だが、グリムの活動を知っても咎める者はいなかった。彼が死んでも、誰も困らないからです。むしろ隣国で野垂れ死んでくれればいいと、私の派閥の者は思っていたことでしょう」
ああ、同じだ。
私と同じなんだ、彼は。
グリムもまた"人形"だったのかもしれない。
私はいいように使われる人形。
彼は……部屋の隅で埃を被った人形。
「私、知っています。その日の彼を。今にも死にそうな傷を負っていたグリムを……私は聖女の力を使って助けた。名前も告げずに去ってしまった彼だけど、今度は私の命を救いに来てくれた。
グリムはずっと待っていたんです。……彼が密偵として王国にいた理由は、私を助けるためだった」
ようやくわかった。
あのとき、どうして彼が死にかけていたのか。
「……! そ、れは……聖女様がグリムの命を救ってくださった、そういうことですか……? 王国に赴いたあの日、弟の命をつないでくれたのが聖女様だと……グリムが何度も話していたのは、あの日のことだったのか……」
バルトロメイ殿下は目を見開いた。
驚き、戸惑い、そして肩を落とし、笑い……今の数秒の殿下の行動は奇妙なもので。
どういう心情なのか、再び顔を上げた殿下は真剣な表情に戻っていた。
「聖女様。もはやグリムを頼める人は貴女しかいないのでしょう。
あの子のことをこんなにも想って、理解してくれる人は貴女だけだ」
「それは……どうでしょうか。たしかに私は彼の心を開けるかもしれません。ですが、私はもう一度グリムと殿下をつなぎたいのです。あなたにも彼は理解できるはずです」
殿下はかぶりを振った。
もう結論が出ていると言わんばかりに。
「いえ、私は……もう諦めたのです。私がグリムに近づけば、あの子は不幸になってしまう。
ですから、聖女様。どうかグリムのことを……頼みます」
どうして諦めてしまうのか。
尋ねるのは無粋だろうか。
だって殿下やグリムの決断を咎める権利は、私にはないのだから。
「……この回答でご満足でしょうか。私とグリムは、こうして分かたれた。弟を救っていただき、感謝します。
そして……ゼパルグ第一王子の結婚式へ赴く話もお忘れなく。ぜひとも協力をお願いします」
話は終わった。
終わってしまった。
それきり殿下は過去に触れることなく、未来の話しかしなくなった。
煩悶とした気持ち。
胸中にわだかまる暗澹を抱えたまま、私は殿下の計画を聞き届けた。
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