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徐州攻防1 緒戦
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198年の夏頃まで呂布は戦力の拡充に努めた。その間にも袁術が曹操に大敗するなど、様々な事が起こったが呂布は 座して動いていない。
198年5月、満を持して呂布は曹操への兵を挙げた。
沛国小沛に劉備は駐屯し、徐州の呂布を睨んでいた。劉備は劉備で徐州奪還のための軍備を増強しており、呂布としても無視できない。呂布たちは沛国付近の諸方を攻略しつつ、最終攻略目標の小沛を落とすための命令を発した。同年8月終わりのことであった。
歩兵を率いるのは精強な歩兵部隊を錬成した高順である。特に高順自身が直卒する千人弱の兵から成る営はこれまでの大小の戦で敵の陣営を度々陥落せしめた実績があり、『陥陣』の営と呼称されていた。また河内兵や丹陽兵も別働隊としてそれぞれ営が存在しており、共に精鋭部隊であった。彼らが戦況を作り出し、多数を占める徐州内外で徴募した兵が決定力として起用される。
また騎兵を率いるのは呂布の永年の同志である張遼である。ヘイ州騎兵を中核とし、歴戦を戦い抜いてきた部隊に敵はいない。陳珪を筆頭とした諸豪族の後押しで軍備も拡充できており、馬や装備の質も良い。
ちなみに呂布や陳宮は下ヒに留まっており、戦場には出ていない。敵となる曹操側も曹操自身が兵を率いていないため、呂布と曹操の個人的な戦術能力に影響されない戦いとなった。そしてその結果は呂布政権の軍政能力の高さを端的に示すものになった。
曹操は劉備への援軍を夏候惇という将に率いさせて送り出していた。
この夏候惇はエン州で度々呂布と戦った経験があり、また曹操の従弟ということもあり将兵の信頼も厚い。
何度かの戦闘で迎撃してきた劉備の軍を撃破し、小沛まで一舎以内まで進軍した徐州軍の前には曹操が発した援軍も混じった混成軍が待ち受けていた。
混成軍の兵数は呂布たちのそれと比べると明らかに多く、時間を稼ぐことはもちろん撃退することさえ可能であると劉備・夏候惇は誤認した。
劉備たちはエン州最後の大規模な戦闘である第二次定陶の戦いを念頭に置いて布陣していた。
多数の兵の練度が低く、交戦面積が広くなると指揮が行き渡らなくなるという呂布たちの状況は以前も今も変わらない。そしてそれは事実ではあった。徐州全土から集められた兵たちは練度もそうだが、士気にも問題があった。相手が曹操であるならばともかく、かつて徐州を救った劉備が相手では士気も上がらないのである。
劉備たちの誤算は呂布軍の中核を担う部隊の精強さだった。
大小の方陣から成る厚い横列を敷く敵に、まずは張遼の軽騎兵が発せられた。相手にも騎兵はいる。迂回を企図する張遼の騎兵に対する敵の騎兵はその進行を扼する。騎兵たちはもつれ合いながら主力歩兵部隊から離れたところで戦況を展開し始めた。
その状況を見つめながらも行軍を進めていた呂布軍は、ついに臨戦態勢をとった。弓手は矢戦のため足を止め、鎧を着込んで長矛を持った重歩兵が敵の矢面に立ちながら進軍する。
予想よりも敵の抵抗は弱い。理由は明らかであった。敵の装備が劣っている。援軍を急派したためだろうか。特に曹操の重歩兵の数が少ない。
これなら突き崩せる。張遼は即断した。
「指揮は頼みます」
張遼は溌剌とした笑顔を高順に向ける。
「ご武運を」
高順は騎兵指揮のことはわからないが、これから張遼がやろうとしていることが難しいのはわかっている。
鉄騎兵による突撃、そしてそれを楔としての大攻勢である。
鉄の集団が敵を一文字に切り裂く姿は見ていて胸がすく。無造作にさえ見えるその動作だが、同じ芸当をできる者がこの中原に何人いるだろうか。
自分一人だけならまだしも、馬にも重い鎧を纏わせて戦場を駆け回り、さらに兵を指揮するという行為は高順の想像力と経験では困難さを推し量ることさえ出来かねた。
劉・曹の混成軍の側方に百程度の鉄騎兵が出現する。彼らは対応に出た敵兵たちを馬蹄で薙ぎ倒し、そのまま方陣と方陣の切れ目から敵陣列へ突入した。
騎兵の進行方向に位置する敵兵は崩れ、逃げ惑うかのように見えた。馬上の張遼がおや、と眉をしかめたのは敵兵の動きに恐怖の色はあっても混乱の色が見えなかったことだ。鉄騎兵に兵を相対させようとしないのは指揮官の指示らしい。
鉄騎兵の衝撃力を受け流すため進路をいっそ開けてしまおうということか。それとも陣中央まで引き込んでから押し潰そうとでも考えたのか。
張遼から漏れ出たのは哄笑であった。
なるほど、騎兵突撃はその衝力ゆえに急な進路の変更はできない。たしかにそれはそうだろう。だが兵の動かし方や陣立てを見れば指揮を出している場所はわかる。枝葉の兵は自在に動かすことができようとも、大小の方陣それぞれの中核にある指揮官のいる場所はどうしても動きは遅れる。まして、曹操と劉備、二勢力の混成軍だ。連携もままならないはずである。
先頭を走る張遼は進路を緩やかに転じた。後続もそれに続く。一行は陣を縫うように騎行する。
少なくとも張遼らの進路周辺に位置していた敵部隊はしばらく使い物にならないだろう。だが予想外に敵全体の兵気には乱れた様子は少ない。事前に鉄騎兵の脅威が周知されていたのだろうが、それ以上に敵兵の練度が高いというのが影響している。
張遼は背後で喚声が響くのを聞いた。予定通り高順が全面攻勢を開始したのだろう。張遼によって乱された敵陣列はその攻勢に対応できないということは目に見えている。勝った、と張遼は思った。
敵陣列を斜めに突っ切った張遼らは速度を緩めて並足で整列し直す。脱落者数名。熟達した騎兵、中でも鉄騎兵として働ける者は貴重だ。できれば一兵たりとも損ないたくはなかったがやむを得ない。
張遼は戦場を観望する。一面高順が押しまくっているように見えるが敵軍にはどこか本気で戦っていないような気配がある。鉄騎兵突撃も一定の効果はあったが、ある意味いなされたようにも感じた。
張遼は視界の端で自軍の軽騎兵を捉えた。歩兵たちの戦場目掛けて疾駆しているのだ。戦場から敵騎兵を誘引し、一部兵力でその敵騎兵と遅滞戦闘を行いながら過半の騎兵は反転、歩兵へ騎射を浴びせるという作戦は質・量共に徐州軍の騎兵が劉備・曹操のそれに勝るからできる芸当だった。
これも作戦通りである。側面から騎射を浴びた敵の軍は崩れた。押されながらも抵抗を続けていた混成軍の指揮が乱れるのが手に取るようにわかった。
高順は予備隊として置いていた自身の営の兵も投入したようである。劉備・曹操の抵抗はそう長くは続かなかった。
敵が敗走し始めると徐州軍の軽騎兵たちは勇躍して追撃の支援に移る。
追撃時の軽騎兵の役割は主に退路の遮断だ。敵軍は当然小沛県の主城である沛城へ逃れると予見し、軽騎兵たちはその進路を阻もうと動いた。張遼自身が指揮してもそうしていただろう。
だが敵軍は城へは向かわず街道を直進した。見込み違いを察した呂布の騎兵たちは役割を果たすべく動いたが、今一歩及ばなかった。敗軍の横列に幾ら矢を射込もうとも、僅かな戦果が得られるだけで大勢に影響は出ない。敗走する人馬の奔流の半ばに割って入ることもできない。
理想は敵軍の先頭に回り込み、その先頭の足を緩めることにより敗走そのものを遅滞させることなのだが、僅かに機を逸した。劉備の撤退は思い切りがいい。
戦略目的は達せられたものの、曹操・劉備軍の被害は甚大というほどではない。
城にいた劉備軍諸将の家族を捕らえたのは戦果といえば戦果だが大勢に影響はない。
画竜点睛を欠いた形だが、呂布たちに亡き陶謙の勢力圏を越えて外征するほどの余力はまだない。
とはいえ、曹操の対徐州の橋頭堡である小沛を陥落させたとことで一連の攻防は呂布側の勝利と評価されるかのようにも見えた。
だが並行して別の状況が発生していたことに呂布たちは気がつかなかった。曹操はその頃、小沛を避けて別ルートで徐州への侵攻を企図していたのである。10月に入り、小沛の南東にある彭城国の国都である彭城を攻め落とされて初めて、沛国の戦いにおける曹操劉備連合軍の粘りのなさと装備が劣弱だった理由を呂布たちは理解した。
だが陽動作戦であったとはいえ、ああもあっさりと小沛が破られたのは曹操にとっても誤算だったに違いない。本来ならば呂布の主力を拘束できるのが最上だったはずだ。だが策の一つが綻びようとも揺らぐことのない地盤を築き上げた曹操にとっては、戦略を変えるほどの出来事ではない。
曹操にとって肝要なのは沛国を素通りして徐州へ侵攻できたという事実だ。
沛国が属する豫州の南方は陳家の影響力が強い。そしてその陳家は呂布を支援していたはずである。つまり曹操の軍が通ったのであれば本来は偵知できたはずだ。
「沛国の御仁の仕業でしょうか」
「エン州からは沛国を中継して彭城の方へいくつもの河川が通っている。水運を使っての進軍であれば足も速い。その地を支配する者以外には見つかりらんだろう」
エン州の地理に明るい陳宮は奇襲部隊の侵攻路を即座に理解した。そしてその背景も。
「陳珪も一族の運命を賭ける決断をしたようですな」
陳宮と会話を交わす呂布の言葉には軽い驚きがあった。もちろん陳家が本心より自分を支援していたとは思っていなかったが、こうもあからさまな敵対行為に及ぶとは考えていなかったのである。とうとう腹を決めたようだ。
陳ウの行いで世評を落とし、呂布の後援をすることでその回復を図るというまどろっこしいことは止めたのだ。曹操が徐州を強力に支配すれば、その庇護を受けられる。評判が多少悪かろうが勢力は無事に保てるということだろう。
無論、曹操が企てに失敗すれば呂布に攻め滅ぼされるということも覚悟の上に違いない。
曹操のまさに電撃的な奇襲には防衛戦略上、大きな意味がある。
単に沛国を素通りして下ヒとの間にある彭城が落とされたというだけならば下ヒと小沛の部隊で挟撃すればいいだけのことだ。だが今回はそれができない。
奇襲が成功した要因は沛国の相・陳珪の裏切りにある。沛国の中の小沛が防衛拠点として機能するというのは少なくとも陳珪が敵ではないというのが前提だ。敵の侵攻を秘匿されてはどこから攻められるかわからず、防衛などできるはずもない。
陳珪の裏切りで小沛は戦略的価値を失った。精鋭を留めておく理由がないため呂布たちは小沛を放棄することを決めた。
豫州北部の魯国に以前から駐屯していた張遼は任地に、高順は下ヒに戻ることになる。
「彭城を取り戻すべきだろうか」
「私はこの際下ヒまで曹操を誘引するのが得策だと思いますが陳太守は反対ですか」
呂布たちは善後策を協議する。
徐州は以前に苛烈な略奪を行った曹操を憎んでいる。士気は上がるだろう。
彭城に籠った曹操軍もそれなりの規模のようであり、さらに増援も送られてきているはずだ。一朝一夕で陥とせるとも思えない。練度の劣る軍では急な野戦が発生した場合は不意をつかれて一挙に瓦解する可能性もあった。
「戦場をこちらで選定できる状況を作った方が良いと呂将軍はお考えか」
「その通りです。曹操も周辺には敵を多数抱えています。いつまでも徐州に駐屯はできますまい。どうせ下ヒへ一直線に攻め寄せてくるでしょう。それを討つ方がやりやすいかと」
取り得る選択は二つしかない。出戦して彭城を奪い返すか、引いて守るかである。
小沛に陽動で呂布たちの精鋭を引きつけ、より下ヒに近い彭城を攻める。並行して陳珪を調略し、彭城以西の土地を呂布に放棄させるという曹操の戦略は見事に成功している。
呂布たちは不利に立ったといっていい。だが焦りはない。呂布たちの統率する全軍はほぼ無傷である。豫州でも沛国からは撤退したが張遼が統治を任されている魯国近辺の支配力は一連の戦いに勝ったことで強くなった。先だっての戦いで得た果実の全てを失ったわけではない。
曹操に持久戦は取れないという見解は一致している。一度曹操を追い返せばいい。曹操はかつての盟主の袁紹と対立を深めており、長々と徐州に駐留できる状況ではない。この戦いで徐州を統べることができなければ、曹操は軽々に再度の遠征を行うことができないはずだ。
暫時の協議の後に呂布たちは下ヒで曹操を待つという決断を下した。
曹操は先ほども述べたように呂布を一貫して敵視している。呂布の騎兵の恐ろしさについて身をもって知っていながらその態度を貫けたのはその対抗策を備えることができたのも大きい。
少し前の西暦196年初頭、その前年の12月に曹操は雍丘に籠る張超を滅ぼしエン州を平定した後、近くにある袁術の影響下にあった豫州の陳国という地域に攻め入って、袁術が私的に任命していた袁嗣という陳国の相を降伏させていた。曹操は袁術にならって私的に陳国の相を任命したりはせず、既存勢力の支配を認めた。
支配者は豫州陳国の王である劉寵である。劉寵は皇族であり知勇に優れた人物だ。自身の領土である陳国の統治は非常にうまくいっており、黄巾党の乱の際も賊たちは陳国へ攻め入ることはなかったという。
それには陳国の所有する武力が影響していた。劉寵は皇族にしては珍しい趣味があった。弩を非常に好んだのである。三国志の中でも劉寵に関する記述は異彩を放っていて面白い。自身でも百発百中の腕を持っており、さらに陳国内でも多数の弩を作らせていたという。
弩は弓と同じ射撃武器である。西洋風に表現するとクロスボウといい、銃の原型ともいわれている。
(以下の構造に関する説明は語弊がある部分もあるがわかりやすさを優先した。)
いわゆる銃身の先に弓が寝かせて設置されているような形状である。弦は非常に重く張られており、弓のように手で引くのは不可能だ。巻き上げ式のハンドルや、足を使って背筋力を使って弦を引くのが一般的であった。弦を十分に引き絞った状態を維持できるようになっている。
弦を引いて矢を設置すれば予備動作は完了だ。後は引き金を引けば弦が解放されて弓を射出するという構造である。
弓と弩にはそれぞれ長所短所があった。
中世の欧州などでは弓兵の育成よりも弩の大量生産を優先していた国が多い。
しかし欧州百年戦争の中で有名な戦いの一つであるクレシーの戦いではイングランド側が念入りに育成した長弓隊がフランス側の弩兵隊を射撃戦で圧倒して大勝利を収めている。
戦略戦術にもよるが、練成された弓兵は基本的に弩兵よりも優れていると断じても良い。しかし練度の低い、いわゆる雑兵が用いるには弩の方が戦果を挙げることができる。
弓は狙いに命中させることはもちろん、まともに発射することにすらそれなりの鍛錬が必要である。弩は狙いを定めて引き金を引けば矢を放てるため、鍛錬はそれほど必要ないというわけだ。
弩は金具を作成する鋳型や工房など、生産体制を整えなければ量産はできない。要は弓よりも生産にコストと手間がかかる。
弩は人力で引く弓よりも威力は勝るが、連射能力は著しく劣る。
弓は人的コストがかかるが物的コストは安く済み、連射能力に勝る。
弩は人的コストは安く済むが物的コストがかかり、威力に勝る。
両者の特徴を一行でまとめるとこうなるだろう。
黄巾党の乱の際、劉寵は数千の強弩(通常の弩よりも張力の強い弩)隊を率いて賊に備えたという。そのため賊は陳国に攻め入らなかったらしい。誇張はあろうが、その治安の良さを見込んで十万の民が陳国に避難してきたという。
袁術は独自に陳国の相を任命していたが、正式な相として駱俊という者が別に存在しているところをみると、少なくとも袁術と劉寵は協力関係になかったと捉えて問題ない。その袁術の息のかかった国相を追い払った曹操と劉寵の交流に関する記述はないが、おそらく穏やかな関係を保っていたはずだ。
この付近の情勢が一転したのが197年の9月の少し前のことだ。当時の中原、特に長江を中心とした地域は不作に喘いでいた。袁術はこの陳国に援助を求めたのだ。陳国にも余裕はないし、元々仲が良い勢力というわけでもない。
この申し出を断ったのだが、それに対し袁術は劉寵と駱俊を暗殺することによって目的を達成しようとした。主君とその補佐を殺され、指揮系統が混乱した陳国はあっさりと攻め落とされ、袁術によって略奪された。
戦略目的を遂げた袁術は一部の部下たちを留め置いて陳国を引き払った。それに対する曹操の行動は迅速だった。自身で兵を率いて全力をもって陳国を攻め、袁術の兵たちを蹴散らしてここを領有した。
軍需物資は当然袁術に略奪されており、弩の生産拠点としての機能も略奪によって荒廃していたが、少なくない人々が袁術の略奪から逃れようと曹操の勢力圏内に避難していた。その中には当然弩の生産に関わる人々もいる。曹操は彼らを庇護し、設備投資を行って弩の生産能力を手に入れたのだ。
先ほどは述べなかったが、弩の利点には一つ付け加える必要がある。弓と比べると張力が強いため、騎兵に強いのだ。弓から放たれる矢は弧を描くように射る間接射撃と水平に近い弾道で敵を狙う直接射撃に分けられるが、高速で移動する騎兵を射るには歩兵を相手する以上の技量が要求される。間接射撃で狙うのはまず不可能であるし、直接射撃であれば非常に近い距離でしか射ることができない。
しかし弩であれば直接射撃の射程が弓よりも長い上に照準を合わせるのが容易であるため、集中運用すれば騎兵を壊滅させることすら可能であった。その上、張力が強いため弓兵の矢を無力化する装甲に覆われた重騎兵に対しても打撃を与えられるという、呂布の得意とする戦法に対して非常に有効な武器であった。
もっとも、ただの弩では鉄の装甲を貫くことは至難である。それには従来よりも格段に強い張力が必要であったが、その課題は陳国の技術者たちの手により達成されていた。そんな事実を呂布たちは知る由もなかった。
198年5月、満を持して呂布は曹操への兵を挙げた。
沛国小沛に劉備は駐屯し、徐州の呂布を睨んでいた。劉備は劉備で徐州奪還のための軍備を増強しており、呂布としても無視できない。呂布たちは沛国付近の諸方を攻略しつつ、最終攻略目標の小沛を落とすための命令を発した。同年8月終わりのことであった。
歩兵を率いるのは精強な歩兵部隊を錬成した高順である。特に高順自身が直卒する千人弱の兵から成る営はこれまでの大小の戦で敵の陣営を度々陥落せしめた実績があり、『陥陣』の営と呼称されていた。また河内兵や丹陽兵も別働隊としてそれぞれ営が存在しており、共に精鋭部隊であった。彼らが戦況を作り出し、多数を占める徐州内外で徴募した兵が決定力として起用される。
また騎兵を率いるのは呂布の永年の同志である張遼である。ヘイ州騎兵を中核とし、歴戦を戦い抜いてきた部隊に敵はいない。陳珪を筆頭とした諸豪族の後押しで軍備も拡充できており、馬や装備の質も良い。
ちなみに呂布や陳宮は下ヒに留まっており、戦場には出ていない。敵となる曹操側も曹操自身が兵を率いていないため、呂布と曹操の個人的な戦術能力に影響されない戦いとなった。そしてその結果は呂布政権の軍政能力の高さを端的に示すものになった。
曹操は劉備への援軍を夏候惇という将に率いさせて送り出していた。
この夏候惇はエン州で度々呂布と戦った経験があり、また曹操の従弟ということもあり将兵の信頼も厚い。
何度かの戦闘で迎撃してきた劉備の軍を撃破し、小沛まで一舎以内まで進軍した徐州軍の前には曹操が発した援軍も混じった混成軍が待ち受けていた。
混成軍の兵数は呂布たちのそれと比べると明らかに多く、時間を稼ぐことはもちろん撃退することさえ可能であると劉備・夏候惇は誤認した。
劉備たちはエン州最後の大規模な戦闘である第二次定陶の戦いを念頭に置いて布陣していた。
多数の兵の練度が低く、交戦面積が広くなると指揮が行き渡らなくなるという呂布たちの状況は以前も今も変わらない。そしてそれは事実ではあった。徐州全土から集められた兵たちは練度もそうだが、士気にも問題があった。相手が曹操であるならばともかく、かつて徐州を救った劉備が相手では士気も上がらないのである。
劉備たちの誤算は呂布軍の中核を担う部隊の精強さだった。
大小の方陣から成る厚い横列を敷く敵に、まずは張遼の軽騎兵が発せられた。相手にも騎兵はいる。迂回を企図する張遼の騎兵に対する敵の騎兵はその進行を扼する。騎兵たちはもつれ合いながら主力歩兵部隊から離れたところで戦況を展開し始めた。
その状況を見つめながらも行軍を進めていた呂布軍は、ついに臨戦態勢をとった。弓手は矢戦のため足を止め、鎧を着込んで長矛を持った重歩兵が敵の矢面に立ちながら進軍する。
予想よりも敵の抵抗は弱い。理由は明らかであった。敵の装備が劣っている。援軍を急派したためだろうか。特に曹操の重歩兵の数が少ない。
これなら突き崩せる。張遼は即断した。
「指揮は頼みます」
張遼は溌剌とした笑顔を高順に向ける。
「ご武運を」
高順は騎兵指揮のことはわからないが、これから張遼がやろうとしていることが難しいのはわかっている。
鉄騎兵による突撃、そしてそれを楔としての大攻勢である。
鉄の集団が敵を一文字に切り裂く姿は見ていて胸がすく。無造作にさえ見えるその動作だが、同じ芸当をできる者がこの中原に何人いるだろうか。
自分一人だけならまだしも、馬にも重い鎧を纏わせて戦場を駆け回り、さらに兵を指揮するという行為は高順の想像力と経験では困難さを推し量ることさえ出来かねた。
劉・曹の混成軍の側方に百程度の鉄騎兵が出現する。彼らは対応に出た敵兵たちを馬蹄で薙ぎ倒し、そのまま方陣と方陣の切れ目から敵陣列へ突入した。
騎兵の進行方向に位置する敵兵は崩れ、逃げ惑うかのように見えた。馬上の張遼がおや、と眉をしかめたのは敵兵の動きに恐怖の色はあっても混乱の色が見えなかったことだ。鉄騎兵に兵を相対させようとしないのは指揮官の指示らしい。
鉄騎兵の衝撃力を受け流すため進路をいっそ開けてしまおうということか。それとも陣中央まで引き込んでから押し潰そうとでも考えたのか。
張遼から漏れ出たのは哄笑であった。
なるほど、騎兵突撃はその衝力ゆえに急な進路の変更はできない。たしかにそれはそうだろう。だが兵の動かし方や陣立てを見れば指揮を出している場所はわかる。枝葉の兵は自在に動かすことができようとも、大小の方陣それぞれの中核にある指揮官のいる場所はどうしても動きは遅れる。まして、曹操と劉備、二勢力の混成軍だ。連携もままならないはずである。
先頭を走る張遼は進路を緩やかに転じた。後続もそれに続く。一行は陣を縫うように騎行する。
少なくとも張遼らの進路周辺に位置していた敵部隊はしばらく使い物にならないだろう。だが予想外に敵全体の兵気には乱れた様子は少ない。事前に鉄騎兵の脅威が周知されていたのだろうが、それ以上に敵兵の練度が高いというのが影響している。
張遼は背後で喚声が響くのを聞いた。予定通り高順が全面攻勢を開始したのだろう。張遼によって乱された敵陣列はその攻勢に対応できないということは目に見えている。勝った、と張遼は思った。
敵陣列を斜めに突っ切った張遼らは速度を緩めて並足で整列し直す。脱落者数名。熟達した騎兵、中でも鉄騎兵として働ける者は貴重だ。できれば一兵たりとも損ないたくはなかったがやむを得ない。
張遼は戦場を観望する。一面高順が押しまくっているように見えるが敵軍にはどこか本気で戦っていないような気配がある。鉄騎兵突撃も一定の効果はあったが、ある意味いなされたようにも感じた。
張遼は視界の端で自軍の軽騎兵を捉えた。歩兵たちの戦場目掛けて疾駆しているのだ。戦場から敵騎兵を誘引し、一部兵力でその敵騎兵と遅滞戦闘を行いながら過半の騎兵は反転、歩兵へ騎射を浴びせるという作戦は質・量共に徐州軍の騎兵が劉備・曹操のそれに勝るからできる芸当だった。
これも作戦通りである。側面から騎射を浴びた敵の軍は崩れた。押されながらも抵抗を続けていた混成軍の指揮が乱れるのが手に取るようにわかった。
高順は予備隊として置いていた自身の営の兵も投入したようである。劉備・曹操の抵抗はそう長くは続かなかった。
敵が敗走し始めると徐州軍の軽騎兵たちは勇躍して追撃の支援に移る。
追撃時の軽騎兵の役割は主に退路の遮断だ。敵軍は当然小沛県の主城である沛城へ逃れると予見し、軽騎兵たちはその進路を阻もうと動いた。張遼自身が指揮してもそうしていただろう。
だが敵軍は城へは向かわず街道を直進した。見込み違いを察した呂布の騎兵たちは役割を果たすべく動いたが、今一歩及ばなかった。敗軍の横列に幾ら矢を射込もうとも、僅かな戦果が得られるだけで大勢に影響は出ない。敗走する人馬の奔流の半ばに割って入ることもできない。
理想は敵軍の先頭に回り込み、その先頭の足を緩めることにより敗走そのものを遅滞させることなのだが、僅かに機を逸した。劉備の撤退は思い切りがいい。
戦略目的は達せられたものの、曹操・劉備軍の被害は甚大というほどではない。
城にいた劉備軍諸将の家族を捕らえたのは戦果といえば戦果だが大勢に影響はない。
画竜点睛を欠いた形だが、呂布たちに亡き陶謙の勢力圏を越えて外征するほどの余力はまだない。
とはいえ、曹操の対徐州の橋頭堡である小沛を陥落させたとことで一連の攻防は呂布側の勝利と評価されるかのようにも見えた。
だが並行して別の状況が発生していたことに呂布たちは気がつかなかった。曹操はその頃、小沛を避けて別ルートで徐州への侵攻を企図していたのである。10月に入り、小沛の南東にある彭城国の国都である彭城を攻め落とされて初めて、沛国の戦いにおける曹操劉備連合軍の粘りのなさと装備が劣弱だった理由を呂布たちは理解した。
だが陽動作戦であったとはいえ、ああもあっさりと小沛が破られたのは曹操にとっても誤算だったに違いない。本来ならば呂布の主力を拘束できるのが最上だったはずだ。だが策の一つが綻びようとも揺らぐことのない地盤を築き上げた曹操にとっては、戦略を変えるほどの出来事ではない。
曹操にとって肝要なのは沛国を素通りして徐州へ侵攻できたという事実だ。
沛国が属する豫州の南方は陳家の影響力が強い。そしてその陳家は呂布を支援していたはずである。つまり曹操の軍が通ったのであれば本来は偵知できたはずだ。
「沛国の御仁の仕業でしょうか」
「エン州からは沛国を中継して彭城の方へいくつもの河川が通っている。水運を使っての進軍であれば足も速い。その地を支配する者以外には見つかりらんだろう」
エン州の地理に明るい陳宮は奇襲部隊の侵攻路を即座に理解した。そしてその背景も。
「陳珪も一族の運命を賭ける決断をしたようですな」
陳宮と会話を交わす呂布の言葉には軽い驚きがあった。もちろん陳家が本心より自分を支援していたとは思っていなかったが、こうもあからさまな敵対行為に及ぶとは考えていなかったのである。とうとう腹を決めたようだ。
陳ウの行いで世評を落とし、呂布の後援をすることでその回復を図るというまどろっこしいことは止めたのだ。曹操が徐州を強力に支配すれば、その庇護を受けられる。評判が多少悪かろうが勢力は無事に保てるということだろう。
無論、曹操が企てに失敗すれば呂布に攻め滅ぼされるということも覚悟の上に違いない。
曹操のまさに電撃的な奇襲には防衛戦略上、大きな意味がある。
単に沛国を素通りして下ヒとの間にある彭城が落とされたというだけならば下ヒと小沛の部隊で挟撃すればいいだけのことだ。だが今回はそれができない。
奇襲が成功した要因は沛国の相・陳珪の裏切りにある。沛国の中の小沛が防衛拠点として機能するというのは少なくとも陳珪が敵ではないというのが前提だ。敵の侵攻を秘匿されてはどこから攻められるかわからず、防衛などできるはずもない。
陳珪の裏切りで小沛は戦略的価値を失った。精鋭を留めておく理由がないため呂布たちは小沛を放棄することを決めた。
豫州北部の魯国に以前から駐屯していた張遼は任地に、高順は下ヒに戻ることになる。
「彭城を取り戻すべきだろうか」
「私はこの際下ヒまで曹操を誘引するのが得策だと思いますが陳太守は反対ですか」
呂布たちは善後策を協議する。
徐州は以前に苛烈な略奪を行った曹操を憎んでいる。士気は上がるだろう。
彭城に籠った曹操軍もそれなりの規模のようであり、さらに増援も送られてきているはずだ。一朝一夕で陥とせるとも思えない。練度の劣る軍では急な野戦が発生した場合は不意をつかれて一挙に瓦解する可能性もあった。
「戦場をこちらで選定できる状況を作った方が良いと呂将軍はお考えか」
「その通りです。曹操も周辺には敵を多数抱えています。いつまでも徐州に駐屯はできますまい。どうせ下ヒへ一直線に攻め寄せてくるでしょう。それを討つ方がやりやすいかと」
取り得る選択は二つしかない。出戦して彭城を奪い返すか、引いて守るかである。
小沛に陽動で呂布たちの精鋭を引きつけ、より下ヒに近い彭城を攻める。並行して陳珪を調略し、彭城以西の土地を呂布に放棄させるという曹操の戦略は見事に成功している。
呂布たちは不利に立ったといっていい。だが焦りはない。呂布たちの統率する全軍はほぼ無傷である。豫州でも沛国からは撤退したが張遼が統治を任されている魯国近辺の支配力は一連の戦いに勝ったことで強くなった。先だっての戦いで得た果実の全てを失ったわけではない。
曹操に持久戦は取れないという見解は一致している。一度曹操を追い返せばいい。曹操はかつての盟主の袁紹と対立を深めており、長々と徐州に駐留できる状況ではない。この戦いで徐州を統べることができなければ、曹操は軽々に再度の遠征を行うことができないはずだ。
暫時の協議の後に呂布たちは下ヒで曹操を待つという決断を下した。
曹操は先ほども述べたように呂布を一貫して敵視している。呂布の騎兵の恐ろしさについて身をもって知っていながらその態度を貫けたのはその対抗策を備えることができたのも大きい。
少し前の西暦196年初頭、その前年の12月に曹操は雍丘に籠る張超を滅ぼしエン州を平定した後、近くにある袁術の影響下にあった豫州の陳国という地域に攻め入って、袁術が私的に任命していた袁嗣という陳国の相を降伏させていた。曹操は袁術にならって私的に陳国の相を任命したりはせず、既存勢力の支配を認めた。
支配者は豫州陳国の王である劉寵である。劉寵は皇族であり知勇に優れた人物だ。自身の領土である陳国の統治は非常にうまくいっており、黄巾党の乱の際も賊たちは陳国へ攻め入ることはなかったという。
それには陳国の所有する武力が影響していた。劉寵は皇族にしては珍しい趣味があった。弩を非常に好んだのである。三国志の中でも劉寵に関する記述は異彩を放っていて面白い。自身でも百発百中の腕を持っており、さらに陳国内でも多数の弩を作らせていたという。
弩は弓と同じ射撃武器である。西洋風に表現するとクロスボウといい、銃の原型ともいわれている。
(以下の構造に関する説明は語弊がある部分もあるがわかりやすさを優先した。)
いわゆる銃身の先に弓が寝かせて設置されているような形状である。弦は非常に重く張られており、弓のように手で引くのは不可能だ。巻き上げ式のハンドルや、足を使って背筋力を使って弦を引くのが一般的であった。弦を十分に引き絞った状態を維持できるようになっている。
弦を引いて矢を設置すれば予備動作は完了だ。後は引き金を引けば弦が解放されて弓を射出するという構造である。
弓と弩にはそれぞれ長所短所があった。
中世の欧州などでは弓兵の育成よりも弩の大量生産を優先していた国が多い。
しかし欧州百年戦争の中で有名な戦いの一つであるクレシーの戦いではイングランド側が念入りに育成した長弓隊がフランス側の弩兵隊を射撃戦で圧倒して大勝利を収めている。
戦略戦術にもよるが、練成された弓兵は基本的に弩兵よりも優れていると断じても良い。しかし練度の低い、いわゆる雑兵が用いるには弩の方が戦果を挙げることができる。
弓は狙いに命中させることはもちろん、まともに発射することにすらそれなりの鍛錬が必要である。弩は狙いを定めて引き金を引けば矢を放てるため、鍛錬はそれほど必要ないというわけだ。
弩は金具を作成する鋳型や工房など、生産体制を整えなければ量産はできない。要は弓よりも生産にコストと手間がかかる。
弩は人力で引く弓よりも威力は勝るが、連射能力は著しく劣る。
弓は人的コストがかかるが物的コストは安く済み、連射能力に勝る。
弩は人的コストは安く済むが物的コストがかかり、威力に勝る。
両者の特徴を一行でまとめるとこうなるだろう。
黄巾党の乱の際、劉寵は数千の強弩(通常の弩よりも張力の強い弩)隊を率いて賊に備えたという。そのため賊は陳国に攻め入らなかったらしい。誇張はあろうが、その治安の良さを見込んで十万の民が陳国に避難してきたという。
袁術は独自に陳国の相を任命していたが、正式な相として駱俊という者が別に存在しているところをみると、少なくとも袁術と劉寵は協力関係になかったと捉えて問題ない。その袁術の息のかかった国相を追い払った曹操と劉寵の交流に関する記述はないが、おそらく穏やかな関係を保っていたはずだ。
この付近の情勢が一転したのが197年の9月の少し前のことだ。当時の中原、特に長江を中心とした地域は不作に喘いでいた。袁術はこの陳国に援助を求めたのだ。陳国にも余裕はないし、元々仲が良い勢力というわけでもない。
この申し出を断ったのだが、それに対し袁術は劉寵と駱俊を暗殺することによって目的を達成しようとした。主君とその補佐を殺され、指揮系統が混乱した陳国はあっさりと攻め落とされ、袁術によって略奪された。
戦略目的を遂げた袁術は一部の部下たちを留め置いて陳国を引き払った。それに対する曹操の行動は迅速だった。自身で兵を率いて全力をもって陳国を攻め、袁術の兵たちを蹴散らしてここを領有した。
軍需物資は当然袁術に略奪されており、弩の生産拠点としての機能も略奪によって荒廃していたが、少なくない人々が袁術の略奪から逃れようと曹操の勢力圏内に避難していた。その中には当然弩の生産に関わる人々もいる。曹操は彼らを庇護し、設備投資を行って弩の生産能力を手に入れたのだ。
先ほどは述べなかったが、弩の利点には一つ付け加える必要がある。弓と比べると張力が強いため、騎兵に強いのだ。弓から放たれる矢は弧を描くように射る間接射撃と水平に近い弾道で敵を狙う直接射撃に分けられるが、高速で移動する騎兵を射るには歩兵を相手する以上の技量が要求される。間接射撃で狙うのはまず不可能であるし、直接射撃であれば非常に近い距離でしか射ることができない。
しかし弩であれば直接射撃の射程が弓よりも長い上に照準を合わせるのが容易であるため、集中運用すれば騎兵を壊滅させることすら可能であった。その上、張力が強いため弓兵の矢を無力化する装甲に覆われた重騎兵に対しても打撃を与えられるという、呂布の得意とする戦法に対して非常に有効な武器であった。
もっとも、ただの弩では鉄の装甲を貫くことは至難である。それには従来よりも格段に強い張力が必要であったが、その課題は陳国の技術者たちの手により達成されていた。そんな事実を呂布たちは知る由もなかった。
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