呂布の軌跡

灰戸礼二

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徐州攻防2 曹操の侵攻 

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曹操が自ら率いる大軍は下ヒ国内に入った。
曹操軍随一の戦術家といえば曹操自身を差し置いて他にいない。曹操は重要性の高い戦いでは兵を直卒している。今回もまた然りであった。
呂布たちは邀撃に出る。丹陽兵と河内兵を前衛に配置し、呂布を支持する豪族の私兵と徴発された兵たちが後衛に控えている。騎兵たちはさらにその後ろにいた。呂布たちは選定した戦場へ軍を展開し終えると固唾を飲んで曹操の来襲を待った。
今回の戦いは呂布たちの支配領域で行われる。曹操軍の動向は把握済みである。別軍が北方の魯国や泰山郡の方からも侵攻をしようとしているようだが、呂布の右腕ともいえる張遼及びゾウハら同盟者の防衛線は有効に機能しており、曹操の企図する多方面からの進軍を許さなかった。
少なくとも下ヒ国へ侵攻してきているのは曹操の直卒する本隊のみであることは確認できていた。
呂布の徐州時代の動員兵数については何度か史書に登場する。その信憑性は記述によってまちまちだが、一貫しているのは周辺勢力よりもその数が少ないことだ。特に曹操との差は開く一方であった。エン州の領有権を競い合っていた頃ならいざしらず、外敵の諸勢力を打ち破って勢力を伸張させ、内政も充実しつつあった曹操の動員兵数と呂布のそれは隔絶している。
そうとはいうものの、速戦を半ば強いられる曹操と勝てなくとも時間を稼げればいい呂布たちでは立場が違う。戦略に幅を持たせられる呂布たちには優位な点もあった。そして何よりも、呂布たちの騎兵戦力は曹操のそれを大きく上回っていた。
会敵前からその差は浮き彫りとなる。呂布は手元の騎兵おおよそ半数を遊兵して放っていた。彼らは進軍する曹操たちの後方や側方をたむろし、進軍を妨害する。弓を射かけた際にどの部隊がどのような反応を示したか、彼らを追い払うために出てきた部隊の錬度がどの程度のものか等の情報が持ち帰られる。そしてそこからは想定程度の答えが得られた。
兵数だけならば呂布たちの五倍はいる。ただし錬度・士気共に際立って高いのは曹操が直轄する青州兵だけでその他の兵のそれはむしろ低い。そして青州兵の割合は多くはない。全軍を一度混乱に陥れればその復旧は難しいはずだ。

会敵を前に、呂布たちは残った騎兵を先行させ、曹操軍の斥候を遮蔽した上で歩兵の主力部隊を急激に前進させた。曹操が行軍隊形から臨戦隊形へ軍を展開しようとする徴候を察知してのことだ。
曹操も呂布の歩兵部隊接近に伴う砂塵や騎兵による哨戒の厳しさから呂布たちの接近をある程度察知していたが、その予測を上回る速さは曹操に猶予を与えなかった。
猛進する敵に対し曹操の前軍は有効な手立てを打てないまま戦端を開くことになった。
呂布の歩兵たちの隊形も無茶な進軍速度のため整っていないが曹操軍の方はそれ以上である。呂布の騎兵による進軍と展開の妨害により緒戦は呂布たちに有利な状態で推移していた。
「鉄騎兵を出す」
戦場にいる兵数は曹操軍の方がはるかに大きい。長々と戦えば不利になるのは呂布たちの方だ。それに大勝は必要ないということもある。呂布たちからすればまずは小さい勝利を得て徐州内外の諸勢力に対し自分の力を誇示するのが先決であった。そのためには曹操軍の出鼻を叩いて追撃をされないうちに撤退すべきと呂布は判断したのである。
曹操軍の前衛はかろうじで組織的な抵抗を維持しており、崩れる気配はまだない。時間をかければ主力が参戦してくるだろう。鉄騎兵で素早い一撃を加えて壊乱させるのが最上の策であった。
鉄騎兵は無敵ではない。重量ゆえに活動時間が極めて短く、突撃を終えて馬が疲弊しているところを狙われると弱い。またその衝撃力ゆえに方向を容易に転換できず、長兵の密集防御への対応し難い。つまり相手から組織的な戦闘力をある程度奪ってからでなくては用いることができない、限定的な運用を強いられる兵科なのである。経験則で呂布は鉄騎兵にとっての障害は取り除けたと判断した。
呂布が直卒していないが、信頼に足る部隊長に率いられた鉄騎兵たちは勇んで敵に飛び込もうと野を駆ける。
曹操軍を切り裂こうと騎行する勇姿を視界に認めた呂布の歩兵は虎の咆哮にも似た喚声を以て果敢な攻勢をかけた。
鉄騎兵と歩兵の猛攻を受けた曹操軍の前衛が瓦解するという近い未来を誰もが脳裏に描いたその時、突入直前の鉄騎兵たちが薙ぎ倒された。
曹操が行ったのは弩兵隊による斉射である。通常の弩であれば鎧に覆われた人馬にダメージを与えるのは至難だが、曹操は陳国の技術者たちに張力が特に強い弩を作らせていた。部品の強度の問題やその弦を引く手間もあり、戦場では一射すればもう使い物にならなくなる。鉄騎兵を倒すためだけに作られたそれは絶大な戦果を挙げた。
まずは先頭集団が矢と矢を受けてよろめいた人馬に衝突したことで壊滅した。倒れた仲間により進路が塞がれたため後続は急激な進路変更を余儀なくされ、突撃に不可欠な推進力を喪失した。高速で動いている的に矢を当てるのは極々一部の優れた技量を持つ者にしか不可能だが、動きが緩やかになれば難易度は落ちる。先程の射撃に参加できなかった者たちが引き金を引くと鉄騎兵たちの惨状はさらに広がった。
残った鉄騎兵たちは突撃の続行もできず、自由の利かない装備であることから仲間を助けだすこともできず、馬術を駆使してなんとか踵を返すとその場から去った。
最強と信じていた鉄騎兵突撃が失敗に終わったことで兵の士気が極端に下がり、高順の率いる歩兵部隊の攻勢は停滞した。曹操のほぼ全軍が臨戦態勢を整え終え、前軍の両翼から高順たち歩兵部隊を半包囲せんと進軍してきている。このままでは殲滅されることさえあり得る状況にあった。

「陳太守は撤退の指揮を」

陳宮の返事を待たずに呂布は動き出した。手近の軽騎兵を集合させて直卒し、曹操軍の側面から攻撃を仕掛けた。
折良く、倒れている鉄騎兵を救うために高順が放った部隊とそれを妨害しようとする曹操軍の小競り合いが始まったところであり、呂布の来援はその妨害を頓挫させることにもなった。
引き際を見定めていた歩兵を率いる高順はその機を逃さず緩やかに兵を後退させた。鉄騎兵で息のある者の収容にも成功している。
呂布の率いる軽騎兵部隊はよく戦い敵を惑わせたが、相応の被害も受けた。両軍の歩兵部隊同士の戦闘が停止し、高順の歩兵の撤退が開始されたのを見届けると呂布も兵を引いた。無論、撤退戦にありがちな敵の軽騎兵による退路の遮断を警戒することも怠らない。
予め曹操の進軍を遅滞させるための備えはなされている。陳宮の指揮により障害物等によって街道の要所は寸断させられていた。大軍が通り難い間道を縫って呂布たちは下ヒに帰還する。
全体として被害はそれほど大きくない。鉄騎兵たちはその三割が死傷し、部隊長の成廉という将が捕虜にされるなどの被害を受けたものの、歩兵や軽騎兵の被害は許容できる程度であった。
だが深刻なのは士気の低下である。徴募された兵たちが倍する敵と接しても臆することなく戦えたのは、呂布の騎兵戦力が目に見える数の不利を補うに余る能力を持っていると信じていたからだ。そのわかりやすい象徴が鉄騎兵であったのだが、それが部隊としては成り立たなくなるほどの被害を受けたのである。兵たちの認識を覆すには十分だった。彼らは曹操を恐れた。そしてその恐れは自然に全軍へ伝播した。
呂布たちは徐州内には遅滞戦闘を成功させ、曹操軍に打撃を与えたと喧伝した。陳宮らの首脳陣の宣伝工作は自軍内にも向けられた。その甲斐もあり、落ち着きを取り戻した兵たちだったが、その心には澱のように曹操への畏怖が沈殿した。

曹操の進軍は思ったように進まなかった。攻勢を遅滞させるべく呂布自身が何度も出撃し、軽騎兵を以て進軍を妨害したからである。曹操は万全の準備で出兵したにも関わらず、呂布らの籠る下ヒの攻城準備を終えたのは彭城を落とした十月初旬から一ヶ月半の後であった。

曹操はこの後に再度徐州を攻める機会があった。その際は小沛にいる主将が逃げ出し、下ヒに籠るその部下は逃げる間もなく城を囲まれ、捕虜になるという電撃的な動きを見せている。それに比べるとあまりにも遅い今回の進軍は呂布の遅滞戦闘が有効に機能したことを示している。
時間的な余裕を勝ち取った呂布たちは万全とはいえないまでも、それなりの籠城の備えをして曹操と対峙した。
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