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キューピッドは男を拾う
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しおりを挟む──どうして、こんな状況になっているんだろう。
飲みの帰りに通りかかった、駅までの道のり。
その裏路地で人が倒れていたから、とりあえず救急車を呼ぼうとして……。
なぜかその人がものすごい美貌だったのは、リアルBLみたいでいい経験したかな、なんて思っていた。
なのに──。
「すまない……こんな、見ず知らずのやつを……気にかけてくれて」
なんで、美貌の大男に思い切り抱きしめられているんだ、僕は?
心臓の鼓動が、どくどくと耳元でうるさい。
待ってくれ。
僕はただの平凡なベータ男だ。
運命とか、美貌とか、ドキドキとか、そういうのは担当する小説の中だけで、精一杯だ。
そう、強いて言えば僕は……自分自身の恋なんて無縁な、キューピッドだったのに!
◇
「お世話になっております、洋芳出版社の中砥です」
いつものように、作家と打ち合わせのためテレビ通話を開始した。
職場での僕の発言を振り返るにつけ、つくづく自分がニッチな職業についたものだと感じ入ってしまう。
「森村先生。新作の売れ行き、かなり好調ですよ。いつにも増して濡れ場も濃厚で、性癖も全開で。たぶん、今回も即重版がかかると思います」
こんなことを真顔で意見するのが、僕、中砥真也の仕事だからだ。
出版社は、小説家先生の小説のお陰で成り立っている。彼らの原稿をお預かりし、作家の執筆に伴走するのが編集者の仕事だ。
特に僕が担当しているボーイズラブ──いわゆるBLと呼ばれるジャンルは、とにかく作家の筆の速度も出版社の刊行サイクルも早い。
最近は特に忙しくて、緩くなってきた眼鏡のネジを締め直す余裕もないくらいだった。
『中砥くんにそう言われると嬉しいね。口調からはちょっと分かりづらいけど、なにしろおべっかを使わないからね、きみは』
「ええ、本心ですよ。担当作が売れるのは編集者至上の喜びです。で、さっそく作家デビュー十周年記念に書き下ろしていただく小説の件ですが──」
電話の相手は、今年で作家歴十年の売れっ子BL小説家・森村セイジ先生だ。
今日は提出してもらった企画プロットについて打ち合わせ中だった。全体的な構成の見直しから濡れ場の感想、キャラクターの整合性に展開の矛盾がないかの考証まで、ありとあらゆる点をこれから詰めていく。
「王道かつ壮大で、大変素晴らしいプロットでした。……ええ。ただ、作家歴十年の目玉的作品ですから──」
僕が編集者として努めている出版社は、老舗の大手・洋芳出版だ。
大学四年間を腐男子として健全な同人活動に費やしたのち、この会社のBL小説部門に新卒で入社して、今年で丸四年が経つ。
「──ええ。そうです。多少王道から外れた人間のえぐさみたいなのを盛り込んでも……はい……十年来の読者様へのファンサとして肯定的に受け入れられると思います」
一通りプロットの修正案や方向性を打ち合わせた後、最後に次回の修正プロットを打ち合わせる日にちを再確認する。
『このプロット場合、鉄が熱いうちに打ちたいね。今からすぐ直すから、明日会えそう?』
「明日ですね。午後であれば問題ありません」
一通り決めることを決めたところで、通話を終えようとした。
その間際、森村先生がなんでもない口調でこう述べた。
『あ、そういえば中砥くん』
「はい」
『ぼく、結婚することにした』
「はい。……はい?」
結婚、と聞いてとっさに、森村先生の作品のカップリングの一組を続編で結婚させるのかと思った。
「はぁ、誰と誰を結婚させるんですか? どのシリーズで続編出すとなっても、会議でゴーサインは出るかと思いますけど」
『いや、小説の話じゃない。ぼくと〝ひさひさ〟先生が結婚する』
沈黙すること、数秒。
結婚っていうのは、どうやら小説ではなく、現実の話だったらしい。
森村先生の第二性別はアルファで、僕が先生の小説の表紙絵として打診したオメガ性の絵師・ひさひさ先生と、数ヶ月前に晴れて番になった。
つまり絵師と小説家を作品で引き合わせた担当編集である僕は、はからずも森村先生とひさひさ先生のキューピッドになってしまったというわけだ。
〝運命の番〟──先生は番になった相手のことを、そう呼称した。
出会った瞬間に結ばれると言っても過言ではない、アルファとオメガだけの強固な関係。
だが僕自身の第二性別はベータであって、パートナーを探すにあたって、そのような運命的なものに頼ることはできないのだけれど。
「失礼いたしました。ご結婚、おめでとうございます。……ええ。では明日、弊社にてお待ちしております」
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