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キューピッドは諭される

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「僕を襲ったところでどうしようというんです? これといって魅力のかけらもない男を」

 思わず聞き返すと、眠そうな相手の目が初めて見開かれ、まともに視線が合った。
 今の今まで気付きようがなかったけれど……よく見ると、雅樹さんの瞳は灰色をしていた。

「きみが見ず知らずのおれを助けた優しさは、魅力にはならないというのか?」

 トーストを持つ手が止まる。
 一瞬、心臓が鼓動をやめたのかと思った。

 なんだろう……この、謎めいた感覚は。

 昨日までの僕は、自分に対する魅力のなさをむなしく感じるくらいだった。
 雄としての魅力がない。良妻賢母マシーン。結婚相手はない。ありえない。
 それが雅樹さんの言葉で、『魅力』に文字通り魅力的な魔力が与えられたような気がした。

 だけど、雅樹さんの言ってくれる『優しさ』は僕の『魅力』にはなり得ない。
 昨日の僕は、飲みで佳乃に言われた『甲斐甲斐しい』を、心のなかで気にしていた。
 だから一度は雅樹さんを無視しようと思ったけど、やっぱりできなかったというだけ。

 この胸が締め付けられるような気持ちは、たぶん、罪悪感だ。
 一度は彼を捨ておこうと決めていたのだから。

 雅樹さんは言いたいことだけ言ってうっすらと唇を引き、目を伏せる。
 その瞬間、僕は謎の感覚から解き放たれた。

「とにかく、自分が男でも防犯を甘く見ないことだ。セカンドバースがどうであれ、男が男を襲うことは往々にしてある」
「は、はい」

 僕はトーストをかじりながら、目のやり場所に困り、テーブルへ視線を落とした。
 美貌の男が真正面から向けてくる微笑の破壊力が、怖い。
 言葉の内容が頭にまったく入ってこない。

 普段編集している小説の主人公たちはこのような気分なのだろう。
 ときめく、という言葉すら生ぬるい。
 話を逸らさないと早晩心臓がぶち壊れる。

「……昨日はどうしてあんなところで倒れていたんです?」
「飲んで酔ったから倒れた」

 うつむいたままのつむじに、雅樹さんの抑揚のない声が返ってくる。

「家がないとおっしゃっていましたが、お家に戻れない事情か何かがあるんですか?」
「いや、文字通りの宿無しなんだ、情けないことに」
「しかしこのご時世ですし、働き盛りの年代なら家なしで過ごすほうがむしろ難しいのでは……」
「そうかもしれないな」

 雅樹さんの相槌は、先ほどの優しさを込めた柔らかさとは違う、冷たい拒絶の色が含まれていた。
 ちょっと踏み込み過ぎたかも。

 相手から話を引き出そうとするのは編集者の職業病のようなものだが、聞き出したところで今日一日が終われば彼は家を出て、二度と会わなくなるような相手だ。
 言いたくないことをほじくり返せるほど仲良くなる見込みはないし、そもそも仲良くなったところで、相手の事情に踏み込みたくない。
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