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キューピッドは諭される
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粛々と食事を済ませた。
食器を洗い、身支度をする。職場までは電車を使うと二十分程度かかる。そろそろ家を出る頃合いだった。
「僕は仕事に出ますが、ここにいてもらっても構いませんし、出て行かれるなら玄関にある合鍵を使ってドアを施錠してくださると助かります。鍵はポストにでも入れていただければ」
ぼうっとしていたらしい雅樹さんは、僕の言葉で我に返り、壁の時計を見た。
「仕事? 今から?」
「午前休を取ったので、午後から出る必要があります。いまちょっと仕事が繁忙期に入りそうで、丸一日休むわけにはいかないんです」
「そうか。ここはモデルルームみたいな部屋だとは思ったが……忙しい仕事なんだな」
モデルルーム。言い得て妙だ。
寝るためだけのこの部屋に、生活感はまるでない。
僕はミニマリストではないのだが、物欲がないのがさらに殺伐さを後押ししているのだろう。
「なので、僕のことは気にせずくつろいでいてください。帰られる際は戸締りだけくれぐれもお願いします」
「仕事を半日休ませまでして助けてもらったのに、きみに礼をしないまま帰るわけには……」
「僕が『気にしないで』と言ったら、文字通りに受け取ってください」
少し強めに言い含めた。
僕は、人の感情の機微やいらぬ気遣いには構っていられない性格だ。
仰々しいお礼なんかされても反応に困る。ただ貸したお金をきっちり返してくれるだけでいい。そうしてくれれば気を遣わずに済む。
「……わかった」
人を信用するなと言われたり、文字通りに受け取れと言ったり。
まるで会話のままごとをしているような気分だ。
相手も相手で感情の起伏がほとんど顔に出ないので、本当にわかってくれたかどうかは判断がつかなかった。だが出社時間も迫っていたので、僕は鞄を持って玄関へ出た。
もしも家の物が盗まれたりしたら僕の責任だし、そもそもこのモデルルームに盗む価値のあるものがあるとは思えない。
それ以上に、叶野雅樹という男は家から物を持ち出したりしないだろうと、心のどこかで確信している自分もいた。たった数十分話しただけだというのに、妙に彼のことを信用したくなる。
おそらく雅樹さんは、ある種の魔性を持っているのだ。美貌からくる本能的な魅力ゆえか、それとも僕が危機に鈍感すぎるのか──。
「真也」
靴を履いたところで背後から名を呼ばれ、びっくりした。振り返ると、玄関口まで出てきた雅樹さんが、またうっすらと笑っている。
「いろいろと、ありがとう」
「あ……どうも」
とっさに言葉が口を出て、部屋を出るとドアを閉めた。そのまま早足にエレベーターへ向かう。
ありがとうだなんて言われたのは、いつ以来だろう?
食器を洗い、身支度をする。職場までは電車を使うと二十分程度かかる。そろそろ家を出る頃合いだった。
「僕は仕事に出ますが、ここにいてもらっても構いませんし、出て行かれるなら玄関にある合鍵を使ってドアを施錠してくださると助かります。鍵はポストにでも入れていただければ」
ぼうっとしていたらしい雅樹さんは、僕の言葉で我に返り、壁の時計を見た。
「仕事? 今から?」
「午前休を取ったので、午後から出る必要があります。いまちょっと仕事が繁忙期に入りそうで、丸一日休むわけにはいかないんです」
「そうか。ここはモデルルームみたいな部屋だとは思ったが……忙しい仕事なんだな」
モデルルーム。言い得て妙だ。
寝るためだけのこの部屋に、生活感はまるでない。
僕はミニマリストではないのだが、物欲がないのがさらに殺伐さを後押ししているのだろう。
「なので、僕のことは気にせずくつろいでいてください。帰られる際は戸締りだけくれぐれもお願いします」
「仕事を半日休ませまでして助けてもらったのに、きみに礼をしないまま帰るわけには……」
「僕が『気にしないで』と言ったら、文字通りに受け取ってください」
少し強めに言い含めた。
僕は、人の感情の機微やいらぬ気遣いには構っていられない性格だ。
仰々しいお礼なんかされても反応に困る。ただ貸したお金をきっちり返してくれるだけでいい。そうしてくれれば気を遣わずに済む。
「……わかった」
人を信用するなと言われたり、文字通りに受け取れと言ったり。
まるで会話のままごとをしているような気分だ。
相手も相手で感情の起伏がほとんど顔に出ないので、本当にわかってくれたかどうかは判断がつかなかった。だが出社時間も迫っていたので、僕は鞄を持って玄関へ出た。
もしも家の物が盗まれたりしたら僕の責任だし、そもそもこのモデルルームに盗む価値のあるものがあるとは思えない。
それ以上に、叶野雅樹という男は家から物を持ち出したりしないだろうと、心のどこかで確信している自分もいた。たった数十分話しただけだというのに、妙に彼のことを信用したくなる。
おそらく雅樹さんは、ある種の魔性を持っているのだ。美貌からくる本能的な魅力ゆえか、それとも僕が危機に鈍感すぎるのか──。
「真也」
靴を履いたところで背後から名を呼ばれ、びっくりした。振り返ると、玄関口まで出てきた雅樹さんが、またうっすらと笑っている。
「いろいろと、ありがとう」
「あ……どうも」
とっさに言葉が口を出て、部屋を出るとドアを閉めた。そのまま早足にエレベーターへ向かう。
ありがとうだなんて言われたのは、いつ以来だろう?
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