本條玲子とその彼氏

ミダ ワタル

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03.本條家の洋館

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 種々雑多な木が適度な間隔を取り、広げた枝葉を重ね合わせている様は、雑木林の入口を連想させた。
 全体を少し引いて眺めると、実に絶妙な配置で木々が植えられていることに気がつく。
 木々が成長した後の姿まで考えて造り込こまれた、見た目よりずっと手間も費用も掛かっていそうな庭には無造作のなかに秩序があった。
 木々の合間から、砂色の石を煉瓦レンガのように積み上げたアーチが覗いている。
 ざくりと足元で音を立てる、地面に敷き詰められた砂利の跡を見ると、どうやらそこは車寄せがある玄関らしかった。
 濃い灰色に光る瓦屋根に、石造りの壁は全体的に桜の花のような薄紅色。
 玄関アーチの壁の色だけ訪れる者にすぐそことわかるよう色を変えているのだろう。
 吹抜の天井にしているのか、玄関らしき部分はそこだけ塔になっている。
 建物は二階建てのようで、細かな枠でガラスを区切る大きな窓が上下に平行に並んでいた。
 長方形を連ねたアンティークな白い窓枠は、薄紅色の壁にレース飾りを貼り付けたように見える。
 数える気がしなかったので何角形かしらないが、丸く張り出したサンルームらしき部屋があることも、装飾的な鉄柵が開いた門扉から建物へと近づくにつれわかった。
 たまに街中に見かける、洋館もどきな輸入住宅とは明らかに異なる。
 日本の大工と外国の設計師が互いの技巧を競うようにして造った正真正銘の洋館。
 重要文化財指定されていても不思議ではない建物は、『本條家の洋館』と付近一帯の人々から呼ばれている本條玲子が暮らす家だった。
 
 物珍しい建物を観察するように、車寄せのすぐ脇に植わっているかえでの幹に背を預け洋館を振り仰いで眺めていたのを、ふと時間が気にかかって頭を正面に戻し、制服の袖を軽く揺すり上げて腕時計を見る。
 八時二分。
 まだ本條玲子の家に来て五分も過ぎていない、もっと時間が経っているとばかり思っていた。
 この感じはなにか物事の合間に本を読み出して、ふと我に返った時に似ている。
 さわさわと木々が葉擦れの音を立て、緩い風に乗って建物の壁と同じ薄紅色のハナミズキの花びらが軽く持ち上げていた腕の上に止まる。
 玄関の正面に、植わっている木だった。
 紺色の生地の上から花びらを摘んで地面に落とし、黒エナメルの革ベルトに皺が入っている腕時計の、銀色の秒針が滑るように動いていくのをぼんやりと眺めながら、そろそろかなと胸の内で呟く。
 始業時間は八時三十分で、本條家の洋館から学校までは徒歩十分程度の距離だった。
 予想通りに、ガチャリと玄関が開く音と石の床を踏む革靴の音が聞こえ、銀の鈴を鳴らしたという形容がぴったりな本條玲子の声が聞こえてきた。
「うん、わかってる。ピアノの先生はいつもより三十分早いのよね……いってきます」
 出かけの挨拶に続き、正確な三拍子を刻む足音が続いて止まり、ざくっと石の床から砂利に足が下りたなと思ったら、砂利が荒々しい乱れた音を鳴らした。
「わっ、わっ……み、三橋くんっ?!」
 教科書の他に弁当も入っているらしき学校指定のナイロン鞄をゆさゆさと揺らし、腕を前後左右に振って本條玲子があたふたしている。どうやら俺がここにいることに驚き慌てているらしい。
「おはよう。初めてまともに見たけど、これはたしかに洋館だな」
「う、うん」
 とりあえずわけもわからずに返事をしたといった返事だ。
「それにしてもこういった屋敷に無断で入ったら、番犬か使用人かがどこからともなく咎めにやってくるものだと思っていたけど、あっさりここまで来れた」
「うん」
「門も開いていたし無用心じゃないかな?」
「ち、父がもうすぐ出かけるから……車で。玄関に防犯装置もついているしたぶん大丈夫」
「そう」
 俺を見たり、門を見たり、玄関を振り返っては口をぱくぱくと動かす、まるでネジを巻いたら動くブリキのおもちゃのようだ。
「あっそうだ、おはようございます。でも、どうして?」
 ようやく平常心を取り戻したのかあたふた動くのを止めて、遅れた朝の挨拶を返した本條玲子がゆっくりと俺を仰いで首を傾ける。
 どうして、か。
「昨日、付き合うことにならなかった?」
 質問に質問を返す形になってしまったが、認識が誤っているといけないので先に確認することにした。
「う、うん。でも、お付き合いすると、三橋くんは女の子のお家に迎えに来るの?」
「でないと機嫌を悪くする人もいるし、どちらのタイプなのかわからなかったからとりあえず」
「そう……」
 ぽかんとしてこちらの顔を見上げている、本條玲子の少し開いた唇から小さな歯の頭が見えた。
 お嬢様らしく幼児期にちゃんと矯正したのか生来のものなのかわからないが、綺麗な歯並びをしている。
「別々で行く?」
「一緒で、いいです」
 本條玲子の返答に、並んで歩き出す。
 門を出て、綺麗に刈り込まれた背の高い生垣に沿って歩く。
 二、三十メートル先まで続く生垣の内側は本條家の敷地だった。

「教室、何組?」
 悪友から聞かされた噂と本條家の洋館以外に彼女についてなにも知らないため、ごく基本的なことを尋ねかけた。
 一学年七クラス。
 同じ学年なのは知っているが、クラスはわからない。
 選択授業や体育のような近隣クラスと合同になる授業で見かけた覚えがないから、離れているはずだ。
「三組、三橋くんは七組よね?」
「よく知ってる」
 感心して呟くと、両手で鞄を前に持って歩く本條玲子が白い頬を微かに染めたので、そういえば自分と違い本條玲子側は俺に好意を持って付き合っていたと思い出した。
「当然か」
「うん」
 話しながら、最初相手に合わせる気で速度をやや落として歩いていたのを元に戻す。 
 ぎこちない言葉とは反対に、本條玲子は意外と早足であった。
 のんびりと足を運んでいるようなのに、頭一つ分位の身長差があるこちらをあっさりと追い越してしまう。
 それに気が付いて意識して歩幅を小さく運ぼうとする本條玲子に、数メートル程歩いたところで普通に歩くことにした。
 それで丁度つり合った。
 すっと爪先を遠く前に、真っ直ぐ膝を伸ばして静かに足を運ばせる美しい歩き方だった。
「踊りかなにかしてる?」
「中学校までバレエ習ってた。どうして?」
「歩き方から」
「すごい!」
 急にぱっと顔を輝かせて本條玲子がこちらを見上げた。
 さらりと眉の辺りで切り揃えた前髪が綺麗な額を滑る。
 朝の光を反射する髪の艶に眩しさを覚えて、軽く目を細めながらやんわりと本條玲子の賞賛を否定した。
「すごくない」
「だって、三橋くん探偵みたい!」
 突然、大きな目をきらきらさせてやけに興奮し始めた本條玲子を訝《いぶか》しんだが、そういえば昨日、図書室から久生十蘭を借りていった。
 あれは探偵小説だ。
「家にそういった人がよく訪ねて来るから、それだけだよ」
「バレエをやってる人が?」
「いや、バレエは少ないな……日本舞踊が一番多い。たまによくわからない流派の舞踏家も来るけど」
「三橋くんのお家って……」
「家までは見にきてない?」
 不思議そうに俺を見る本條玲子を少し揶揄からかう気持ちで聞けば、案の定、顔を真っ赤にして反論してきた。
「しません! 住所だってわからないのにっ」
「そうだろうね」
「昨日も思ったけど、三橋くんって結構、意地悪」
 口元をもぐもぐさせてぼやいている本條玲子に、くっくっと喉から笑いが漏れる。
「まあまあ近いよ。五丁目だから学区は違うけどね」
「え、それじゃあ……学校前の道を挟んだ反対側」
「そう、学校からは君の家と同じぐらいの距離かな。たいした距離じゃない」
「でも」
「いいよ、休日は余り自由にならないし、登校時くらいしか時間が合わなさそうだし」
「お昼休みと放課後は?」
「図書委員」
「毎日?」
「他の委員は概ね週一回の当番制で本校舎の第二図書室だけど、俺は第一図書室専任」
 途中で話が逸れていると気が付いていたが、本條玲子が気にしていない様子なので放っておくことにした。
 休日があまり自由にならない理由について、聞かれもしないのにわざわざ説明する程のことでもない。
 話しながら歩いているうちに賑やかなざわめきが聞こえてきた。
 閑静な住宅地を抜けて、道幅の広い、国道へと繋がる道路に出ていた。
 南北に緩やかな坂になっている道を登ったつきあたりに学校がある。
 本條玲子が、「学校前の道」と言った道路で、この街の小中学校の学区の境界線でもある。
 本條玲子の家は道路の東側で俺の家は西側だった。
 本来、ガードレールに区切られた道の中央部は車道なのだが、いまは尋常では無い台数の自転車が占領している。
 国道からこの道に入るとあとは学校まで一直線なため、朝と夕方の登下校時間帯はほぼ学生たちの専用道路になってしまう。
 緑風高等学園というそれなりに名の通った郊外の進学校は、最寄駅から歩くには遠く、シャトルバスを運行するには近すぎた。
 郊外で、坂の上。保有している土地は広い。
 広く緩やかに傾斜している敷地を段々に削って、教師の駐車場と生徒の駐輪場は十分に確保できる事情もあって、通学する生徒の九割以上は最寄駅から自転車通学。
 そのため、朝と夕方は車道いっぱいに無数の自転車が複数の列をなして走っているといった、独特の風景となるのだった。
 本條玲子と俺は学校ではごく少数派の、近所から徒歩通学している生徒だった。
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