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王宮編

第12話 お供の騎士と帰省する王女

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 朝から機嫌が悪かったのは、眠かったからだったのか――?
 王都への移動の幌馬車が動き出し、揺れに耐えかねるティアを強引に膝の上に乗せて間も無く、俺の腕の中でうとうとしはじめて寝入ってしまったティアに俺は呆れた。
 膝の上にいても、ガタガタといった揺れの音と振動は続いている。

「この揺れのなかでよく眠れたものだな」
「王女のことだ、夜更けまで考えていたのだろう。貴殿とどこを訪ねて回るのがよいか」
「え?」
「昨日儂には学術院に行くと仰っていたが、その格好は王宮じゃな。たしかに王都へ戻れば立ち寄るとはいえほんの挨拶程度。頭まで飾るような支度はされない」

 俺が公国を取り返すための助けを要請したからか?
 朝になって突然、ティアに井戸端へと引っ張られ髪を切って染められ、髭を剃られた。
 王宮に連れて行くからと。
 金髪は王国では珍しいそうで、一目で公国の者とわかってしまうからと言って。
 それにいつの間に俺の寸法に合わせてこんな服を調えていたのだか。

「ああ、それか? 貴殿の体格に近い者のお古を洗って仕立て直した。なにせ急だったしな。体に合わんか?」
「いえ、古着と思えないくらいです。ティアは……第三王女殿に会わせると」
「ふむ、たしかにあの方なら。あの方のやり方で公国の様子を掴んでいるやもしれん」
「何故、第三王女殿が?」
「ま、儂の口から説明するより、直性お会いして話すのが早い」
「はあ」
「貴殿は王国には?」
「一度も。まつりごとより、馬術、剣術、国境の守りや市井の見回りにかまけていたもので。王国がどれほどの大国かも実のところ一通りのことしか。あとはかつての友好国として騎士団と兵の運用規模。こうして敵側となれば公国など本当に王国の子供に過ぎないとわかる」

 振動にティアの髪が跳ね、顔に乱れかかるのを直しながら俺はカルロ殿にそう言った。 
 公国騎士団をまとめ国境さえ守っておればよい、それが自分の役目だと思っていた。
 国のことは王である兄と議会が取り仕切るものと。
 下手に出過ぎた真似をして妙な争いの種を蒔くことも避けたかった。
 治安維持を担っていたためか、市民階級以下には王である兄より俺の方が顔を知られ親しまれていたし、公国の軍事を預かる者だから公国の議会に属する者の中には俺に警戒心を持つ者もいることは知っていた。
 そして騎士団を率いて演習中、突然の帝国による侵略の一報。
 自分たちが戻るよりも早く議決された降伏。
 無駄な血を流させないためといえばそうかもしれないが、相手は略奪こそが目的のような帝国。
 抵抗しなかったからと穏便に済ませてくれる保証はないはずだった。
 たまたま王国の侵略拠点として価値があったから、公国を荒らさないでいてくれているだけだ。 

「十二も年下のはずなのに、それが王国の習いだとしてもティアを見ていると反省させられる。利権にあぐらをかく者達のようにはならないつもりでいたが、立場に課せられた役目さえ守っていればいいなら大した違いはない」
「左様か」
「公国が帝国の属国のままでいるのは、公国にとっても王国にとってもよくない。なにより」
「なにより?」

 尋ねられて、いえ……とかぶりを振ってティアの頭を軽く撫でた。
 さらさらとした黒髪が指の隙間を流れていく。
 芥子粒のように細かな真珠を縫い込んだ頭飾りをつけ、仄かに光るような淡い黄色に染めた服を着て、緩く金の飾り帯を結んだティアの姿は眠っていてあどけなさはあるが、本当に壁画に描かれる女神のようで、あのような薄暗い森の塔に閉じこもっているのが勿体ないくらいに綺麗だ。
 仕度を終えて現れたところを見てしばし呆けてしまうほど、若く可憐な王女として魅力的なティアではあるが、国を左右する価値を持つ意味でも魅力的なのは、流石の俺も薄々気がつきはじめていた。

 帝国は公国を通じて、元々は国交のあった王国の情報を手に入れる。
 その中にティアのことが含まれているかも、含まれていたとして興味を引くかもわからない。
 帝国が王国への侵略を諦めない限りいずれ巻き込まれる。
 このままでは、不本意な形でティアと離れることになる可能性が濃厚だ。
 これ以上、成り行きに流されなにも出来ないまま守るべきものを守れないのは御免だったが、そのことを彼女を幼い頃から見守ってきた軍神殿に臆面もなく口にするのは躊躇ためらわれた。
 俺の思いや考えがどうであれ、俺が現在、帝国側の人間である事は曲げようがない事実だ。
 黙った俺に、カルロ殿は微かに息を吐いた。呆れたのかもしれない。

「貴殿は真面目だな。ま、だからこそ王女もこうまで懐いたのかもしれんが。これほどまでに安心しきった様子で人に身を任せる王女の姿は滅多なことでは見られん」
「はあ」

 そうなのか?
 俺にとっては所構わず無防備に寝入ったり、敵国の者と知りながらそいつの作ったものをなんの躊躇いもなく口にするような危なかしい王女なのだが。
 それにここのところ、自分から身を寄せてくるようなことも。
 信用されているのならうれしいことではあるが。
 
「ま、それも王宮に行けばわかることだ。自分の目で見るのが早い」

 馬車の速度が緩まり、道なりを外れる気配がした。
 王都に着いたようだ、とカルロ殿が目を伏せた。
 幌の外で、勅令だとかなんとか二、三やり取りしている気配があって再び馬車が動き出す。

「いくら王宮からの馬車とはいえ、中をあらためないのはいささか杜撰ずさんでは?」
「王立書庫自体が王直轄の機密事項。それに怪しい風体でも顔を見せれば御者は宰相。あえて突っ込もうなんて奴はおらん」
「王国は権力の濫用に厳しいのでは?」
「ん……それは……手続きを踏まない濫用に対してで……」

 腕の中からぼそぼそした声が聞こえて、衣摺れの音とともに膝の上の柔らかで華奢な身体がもぞもぞと動いた。

「うん……着いたか……?」
「王都には。よくお休みになられてましたな王女」
「ん、爺より厚みがあって頑丈だからか揺れが緩くていい……」

 完全に座椅子扱いだなと思いつつも、まだ眠そうに目をこするティアにお褒めに預かり光栄だと応じれば、うん……と胸に頰を擦り付けてきた。
 これは、寝ぼけてるな。

「王都に入れば王宮はじきだろ、起きろ」
「……まだ着かない」

 くっくっくっと堪えきれない様子で腹を抱えてカルロ殿が俯いているのに、妙な気恥ずかしさを感じてティアを揺さぶる。
 こんな様子をあの宰相殿が見たら、またなにを凄まれるかわかったものじゃない。
 どうもあの人は俺が、献身的な看病されいい気になったあげく不埒な思惑で何も知らない無垢な王女に手を出したのではないかと疑っているようなところがある。
 いや、はじめはその通りだったかもしれないが、不埒な思惑は微塵もないし、大体、そんな器用さがあるならとっくにもっといい思いをこれまで色々してきているはずだ。

「毎回毎回、寝起きが悪すぎるぞ。王女が夜更かしするなと前にも」
「ん~……っ」
「なにやら殺気が渦巻いとる気配も漂ってくるが、若い者は楽しそうでなによりだ」
「いえ、楽しくは」

 毎回? 寝起き? それは一体どのような状況下で? 
 王宮の裏手の入口に馬車は止まり、案の定、詰問調で宰相殿に問い質され、王宮では王女が床で倒れて寝ていることは……と尋ねてみれば。なに寝ぼけたことを有り得んと一喝された。
 そうか、有り得ないか――。

 *****

「こっちだ」

 壮麗。
 王国の王宮はまさにそんな言葉が浮かんだ。
 白い石造りの、俺の体などすっぽり埋まってしまうだろう太さの柱に床、柱と柱の間隔を広く開けて高く伸びる尖頭アーチとそれに交差する対角線のアーチが、天井に幾何学的な模様を織り成し、アーチとアーチの隙間をレース編みの如く精緻に彫られた装飾が埋めている。 
 天井のすぐ下に網目に開いた明かり取りの窓から広い通路に差し込む、幾筋もの細い帯となった光の粒子は青白く拡散してこの白い空間を仄かに照らし、床に光と薄い影が緻密な文様を描いていた。
 俺たちはこの通路を動く小さな染みのような影だった。
 
「王宮は広く深い、私を見失うなよ」
「ああ……」

 しかしそれにしても。
 コツコツ、カツン……ティアと俺の足音が重なって響く。
 王宮に入ってから俺とティア以外の人の姿が、まったく見えない――。
 宰相殿とカルロ殿とは幌馬車を降りてすぐに別れた。彼等、特に宰相殿には彼の仕事がある。

「ティア」
「ん?」
「ここは、王宮……なんだよな?」
「そうだ。この辺りは……そうだな上級官吏以上しか入れない区間かな?」
「わからないのか?」
「言っただろ、王宮は広く深い」

 さらりと黒髪をなびかせて、先を歩くティアになにか違和感を覚える。
 王宮は広く、深い。
 また、上級官吏以上しか入れない場所でもあるらしい。
 だからなのか?
 しかし、王宮だぞ?
 王族に仕える使用人から、側近の家臣、その部下、その他様々な役目を負う官吏や出入りの貴族などの人々がいるはずだ。
 誰ともすれ違わず、人ひとりの姿も見かけない。
 そんなことがあるのか?
 
「通常人が使っている場所や通路とは違う。迷い込む者が出ないよう、通常人が使用しない場所や通路は封鎖しているから誰もいない」

 いわれて見れば、足元の床に白い塵がうっすらと積もっている。
 長い間誰も通る者がいない証拠だった。

 ティアの後ろを歩きながら周囲に首を巡らしていたら、それに気がついたらしいティアが振り返って、だから私からはぐれて迷ってしまったらしらんぞと念押しされ、慌てて隣に並んだ。

「大昔から増改築や建て直しを繰り返していて誰も王宮の全貌はわからない。正確な図面を作ろうと何年も前から王宮を調査しているが、解明は当分先だな」

 つまり迷い込んでしまったら、誰も捜索にも助けにも行けないということか。まるで迷宮も同じだ。

「恐ろしいな、王宮」
「この通路は私しか知らない。もしやはりお前が敵で、ここで私を殺したらきっと誰にも見つけられないだろうな」

 ふと、足を止めてそんなことを言い出したティアに、俺も立ち止まった。
 たしかにこの場所なら、誰にも見られずわからないだろうなと思ったが、俺がティアと一緒に王宮に入ったことは宰相殿もカルロ殿も知っている。

「あからさまにあやしいだろ。それに俺も出られないんじゃないか?」
「使用している場所はすぐ近くだから、番犬並みに耳のいいお前なら出られるんじゃないかな」
「番犬……」
「それにそういった話をしてるんじゃないよ」

 一瞬目を伏せて、すぐにまた歩きだしたその横顔が何故か酷く儚げに見えた。
 誰にも会わない、ティアしか知らない通路。

 ――これほどまでに安心しきった様子で人に身を任すような王女の姿は滅多なことでは見られん。
 ――あれほど人をお避けになる方がどうして……。

 ふと、彼女の忠臣二人の言葉が甦って、先に進んだティアの背を見つめる。
 裾の長いゆったりした衣服と黒髪が揺れる、細く華奢な後ろ姿。
 俺のことを、俺の言葉や考えを全面的に信用してくれるということ、か?

「なにぼさっとしてるんだ? こっちだぞ」
「あ、ああ」
「お前は私に助けを要請して私はそれを聞いた。お前は私の捕虜だし、そうする判断をしたのは私だ」
「背負い過ぎだろ」
「そう思うのなら、背負わずに済むようにしろ」

 本当に、まだ十八歳の娘だというのにどうしてこんなに偉そうなんだか。
 俺の隣で、俺を仰ぐように首を傾けて、偉そうな言葉にそぐわない愛らしい様子で微笑んだティアにその手を取って握る。

「フューリィ?」
「迷子になったら困るからな、俺が」
「お前みたいな大男引っ張ってなんか行けないぞ」
「歩くのは自分で歩くから案内してくれ」
「……まったく、いい歳をして世話のかかる男だな」
「その内、挽回出来るよう精進する」

 ティアの指が掌の中で動いて、互いの指を絡めて握る。
 細い指、二回りは小さな手。
 薬を調べ、不思議な道具を組み立て、本の頁を繰って……俺を死の淵から引き上げた手。
 たとえ俺より彼女に相応しい者がいたとしても、手離したくない。
 俺は、この小柄で華奢な王女のものだ。
 彼女の捕虜になった時から、そうなると決められていたのではないだろうか。
 気づいたら、繋いでいない細い指が頰に触れていて、繋いでいない俺の手はティアを抱き寄せていた。
 たぶん、いままでで一番深いキスをしている。

「いなくなったら……きっとさみしい」

 吐息に掠れるような綺麗な声が、耳元で囁いた。
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