1 / 1
プロローグ
紅蓮の残り香
しおりを挟む
20年前。この日の夜は、天そのものが血を流しているかのような紅に染まっていた。 御門の屋敷を包む業火は冬の冷気を焼き尽くし、逃げ惑う人々の叫びを爆ぜる木々の轟音がかき消していく。
「桜猟、蹴鞠。……こっちおいで。私の手、離しちゃかんよ」
当時三歳だった桜猟の手を、母・ろみなが強く引く。彼女の岐阜弁はこんな地獄の中でも変わらず柔らかく、けれどその指先は火傷しそうなほど熱く震えていた。五歳の姉、蹴鞠は必死に桜猟の背中を押し、三人は燃え盛る回廊を突き進む。
その時。NEXUSの追っ手が放った閃光弾が、逃走経路を無惨に引き裂いた。凄まじい爆風。桜猟が目を開けたとき、目の前には崩れ落ちた燃える梁が立ち塞がり、姉の蹴鞠の姿が炎の向こう側へと引き離されていた。
「蹴鞠!!」
「……あ……ママ…っ! 助けて……っ!」
幼い姉の声が、火柱の向こうから響く。ろみなの瞳に、凄烈な決意が宿った。彼女は桜猟を、駆け寄ってきた夫・朔夜の胸へと、言葉より先に力任せに押し付けた。
「朔さん、桜猟を頼むて! 蹴鞠が……あの子がまだあそこにおるんや!うちは助けに戻らなあかん!」
「ろみな、無茶だ!火が回りすぎている、共倒れになるぞ!」
朔夜の制止を、ろみなは力強い微笑みで遮った。それは、この世で最後に見せる慈愛の笑顔だった。
「……大丈夫やよ。桜猟、これ持っとりゃあ。大事な、宝物やよ。母さんやと思って、ずっと持っとるんやよ」
ろみなが桜猟の手のひらに握らせたのは、二粒の銀紙に包まれた苺飴。
「……行かんね。あんたたちは、生きなあかん」
それが、彼女の最後の岐阜弁だった。ろみなは迷いなく炎の渦中へと飛び込み、崩れゆく屋敷の奥へと消えた。
朔夜は、妻を追いかけることすらできなかった。腕の中には震える幼い息子。背後には、容赦なく迫るNEXUSの機械化部隊。 無力。あまりに無力だった。愛する妻も、幼い娘も、この手で救い上げることができなかった己の弱さへの絶望が、朔夜を塗り潰した。
「……あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!」
絶望に染まった朔夜の咆哮が、屋敷の蔵の奥底に封印されていた禁忌を呼び覚ます。
妖刀『紅時雨』
それは御門の一族が代々守り、同時に忌み嫌ってきた、魂を喰らう魔剣。
「……もういい。家族を守れぬ命など、砂も同然だ。……すべて、持っていけ」
朔夜がその禍々しい柄に手をかけ、鞘を払った瞬間、刀から溢れ出した血のような紅い霧が、彼の肉体を侵食した。その代償として、彼の右目の光が失われ、舌の上からあらゆる味が消え、世界は色彩を失った「砂」の色に染まり始めた。
「桜猟、蹴鞠。……こっちおいで。私の手、離しちゃかんよ」
当時三歳だった桜猟の手を、母・ろみなが強く引く。彼女の岐阜弁はこんな地獄の中でも変わらず柔らかく、けれどその指先は火傷しそうなほど熱く震えていた。五歳の姉、蹴鞠は必死に桜猟の背中を押し、三人は燃え盛る回廊を突き進む。
その時。NEXUSの追っ手が放った閃光弾が、逃走経路を無惨に引き裂いた。凄まじい爆風。桜猟が目を開けたとき、目の前には崩れ落ちた燃える梁が立ち塞がり、姉の蹴鞠の姿が炎の向こう側へと引き離されていた。
「蹴鞠!!」
「……あ……ママ…っ! 助けて……っ!」
幼い姉の声が、火柱の向こうから響く。ろみなの瞳に、凄烈な決意が宿った。彼女は桜猟を、駆け寄ってきた夫・朔夜の胸へと、言葉より先に力任せに押し付けた。
「朔さん、桜猟を頼むて! 蹴鞠が……あの子がまだあそこにおるんや!うちは助けに戻らなあかん!」
「ろみな、無茶だ!火が回りすぎている、共倒れになるぞ!」
朔夜の制止を、ろみなは力強い微笑みで遮った。それは、この世で最後に見せる慈愛の笑顔だった。
「……大丈夫やよ。桜猟、これ持っとりゃあ。大事な、宝物やよ。母さんやと思って、ずっと持っとるんやよ」
ろみなが桜猟の手のひらに握らせたのは、二粒の銀紙に包まれた苺飴。
「……行かんね。あんたたちは、生きなあかん」
それが、彼女の最後の岐阜弁だった。ろみなは迷いなく炎の渦中へと飛び込み、崩れゆく屋敷の奥へと消えた。
朔夜は、妻を追いかけることすらできなかった。腕の中には震える幼い息子。背後には、容赦なく迫るNEXUSの機械化部隊。 無力。あまりに無力だった。愛する妻も、幼い娘も、この手で救い上げることができなかった己の弱さへの絶望が、朔夜を塗り潰した。
「……あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!」
絶望に染まった朔夜の咆哮が、屋敷の蔵の奥底に封印されていた禁忌を呼び覚ます。
妖刀『紅時雨』
それは御門の一族が代々守り、同時に忌み嫌ってきた、魂を喰らう魔剣。
「……もういい。家族を守れぬ命など、砂も同然だ。……すべて、持っていけ」
朔夜がその禍々しい柄に手をかけ、鞘を払った瞬間、刀から溢れ出した血のような紅い霧が、彼の肉体を侵食した。その代償として、彼の右目の光が失われ、舌の上からあらゆる味が消え、世界は色彩を失った「砂」の色に染まり始めた。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる