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1話 え、私が公爵家の教育係?
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これは、かつて片田舎で『雷神』などという異名で恐れられていた私――セレイナが、帝都の大貴族ヴァルケスト公爵家に嫁ぐまでの物語です。
あれは、私が二十九歳を迎えた年のことでした。
私の生家は、ロズバーン家という帝国の南端にある小さな男爵家です。
領地は痩せた土地が多く、収穫は決して豊かではありません。貴族といっても最下層に近い立場で、義務ばかりが重くのしかかる家でした。
そんな裕福とは言えない下級貴族の我が家でしたが、幸か不幸か子宝には恵まれました。なんと総勢十三人の兄弟たち。内訳は男五人、女八人。
もちろんそれ自体は祝福されるべきことですが、我が家の家計を考えたら呑気に喜べる話でもありません。
客観的な目線でぶっちゃければ、父も母も少々お盛ん過ぎ……もとい頑張り過ぎだと思います。
ただここで幸いだったのは、我が家の娘たちは皆気立てがよく、早々に嫁ぎ先を見つけて家を出て行ったことでした。
大変喜ばしいことです。結婚にもお金はかかりますが、やはり長らく実家で過ごすよりは遥かに生活費が浮きますので。
いかに下級とはいえ、貴族の生活には様々な出費が発生します。いわゆる貴族としての義務――ノブレスオブリージュ的なやつですね。
ですが、その中にあってただ一人、いつまでも嫁の貰い手のいない者がいました。
それはいったい誰でしょう? ええ、私です。
…………。
なんですかその目は? 文句があるならどうぞ? いいですよ、聞きましょう。
ただ一つだけ忠告しておきますと、言葉選びはくれぐれも慎重になさった方がよいかと思いますよ? 私はこう見えてキレると恐いで有名なんですから。それこそ幼少の頃など、私を馬鹿にしてきた男子たちを得意の――。
……コホンッ。
ともあれ、私は自慢じゃないですが完全なる行き遅れというやつでした。
その理由は明白で、なぜなら私は幼い頃から社交や礼儀作法にはろくに関心を示さず、他のことに夢中だったからです。
それが――魔法でした。
そして、その中でも特に心を奪われたのが雷魔法。
出会ったのは十歳の頃で、父の書庫にあった古い術式を真似して納屋の屋根を焦がしてしまった事件を今でも覚えています。母には烈火のごとく叱られましたが、私はむしろ興奮していました。杖から稲妻を呼びだしたあの瞬間の胸の高鳴りは忘れられません。
以来、私は雷魔法を研究し続けました。
昼も夜も書物を読み、術式を組み替え、実験を繰り返す。けれどその姿は、貴族社会から見れば「奇異」以外の何物でもありませんでした。
帝国では古くから「魔法は男のもの」とされてきました。
女性が魔法を扱うこと自体、珍しさと不気味さが入り混じった目で見られます。なぜならこの世界において魔法は攻撃魔法しかなく、おとぎ話に出てくる癒しの力の要素などゼロ。剣や弓といった武器の上位互換のような位置づけだったからです。
そのため魔法を振るう女など敬遠され、嫁ぎ先を失うだけです。
私はまさにその典型でした。
しかも雷魔法は派手で、轟音と閃光を伴います。制御を誤れば建物を焼き、命を奪うこともある。そんな魔法を女が操るなど、恐怖と嘲笑の対象となるのは当然のことでした。
そうしてついたあだ名が──『雷神』。
雷鳴のように恐ろしく、人の手の及ばぬ存在。
ちなみにそこには尊敬や畏怖も一応混じっていましたが、多くは冷笑でした。「女のくせに」「嫁ぎ遅れ」「行き遅れた雷神様」──そんな言葉を、私は幾度耳にしたか知れません。
当然、婚期なんてものは逃しましたよ。
帝国の貴族社会では、十八を過ぎれば婚約、二十を迎えれば結婚するのが常識です。二十を過ぎれば「大年増」と陰口を叩かれ、二十五を越えれば縁談はほぼ途絶えます。二十九の私など、もはや「結婚は絶望的」と誰もが思っていたでしょう。
とはいえ、実のところ全く声がかからなかったわけではありません。夜会に出れば、必ず男性から声はかかりました。
ただし、それはあくまで「妻」としてではなく「妾としてどうか」という誘いばかり。
帝国の慣習では、男性が妻として迎えられるのは一人の女性だけです。けれどそれはあくまで建前。大貴族ともなれば複数の側室を持つことも許されていました。
高貴なる血は決して絶やしてはならない。そのためにも、子を産む存在は一人でも多い方が良いのです。実際、歴史的に見ても世界の様々な国々で当たり前に行われてきた慣習です。
……もっとも、そこには体よく自由に愛でられる女性を手元に置いておきたいという下卑た考えもありましたが。
そしてだからこそ、嫁ぎ遅れた娘が妾に誘われるのは珍しくありませんでした。
なお、妾とはいえ妻は妻。身分は保証されますし、邸宅をいただいてそこで暮らすこともできます。だからある意味で女性側にとってもありがたいお話であり、お互いにWin-Winの関係とも言えました。
……けれど、私は首を縦には振れませんでした。
妾を持ちかけてくるのは、当たり前ですが正妻を迎えた後。だいたいがそれなりのお年を召した方ばかりです。若い有力貴族は妾など取らなくても夜の街に行けば引く手数多ですしね。
父親ほどの年齢の男性に抱かれる未来を想像することができなかったし、何より私としては魔法の研究に没頭できればそれでよかったのです。
そんな私が、二十九歳の今も実家に残っているのは当然の成り行きでした。
両親に勧められて夜会に顔を出すものの、相手を探す気はなく、ただ人混みをやり過ごすばかり。
夜会に出ても私は常に壁際の存在でした。他の令嬢たちは流行のドレスを競い合い、男性たちは笑顔でその輪に加わる。けれど私の前を通り過ぎるときには、一瞬、視線を泳がせるのです。この頃になると、もう「魔法好きの変人」というウワサは随分広まってましたからね。
好奇の目、恐怖の目、憐れむ目。様々な色が入り混じり、誰も近寄ろうとはしません。会話に混じることもなく、ただワイングラスを傾けるだけの私──それが、二十九歳までの夜会での定位置でした。
***
その夜も同じでした。
煌びやかなシャンデリアが照らす大広間。豪奢なドレスを纏った令嬢たちが笑い、男性に取り囲まれていく。
私は壁際に立ち、グラスを傾けながらその光景を眺めていました。耳に入ってくるのはいつもの囁きです。
──「雷神様も、もうすぐ三十らしいわよ」
──「縁談なんて望むべくもないでしょうね」
笑い声と囁きが混じり合い、私はただ「早く帰りたい」と心の中で呟いていました。
その時です。
「ロズバーン男爵令嬢、セレイナ殿であったな」
低くよく通る声。振り向いた私は、思わず息を呑みました。
背の高い男性が立っていました。
広い肩幅、鍛えられた体格。半ば白い髪と刻まれた皺。年の頃は五十~六十代でしょう。けれどその眼光は鋭く、老いを感じさせません。
「はい、私がセレイナ・ロズバーンですが……」
自然と背筋が伸びました。
彼の纏う空気は、ただの貴族ではなく国そのものを背負う者のそれだったからです。
「私はダリオン・ヴァルケスト。公爵の地位を授かっている」
その名を聞いた瞬間、周囲がざわめきました。
帝国軍を束ね、政治にも深く関わる大貴族。その存在感は圧倒的で、場の空気すら一変します。
ダリオン公爵の名は、田舎に暮らす私の耳にも届いていました。
数々の戦場で勝利を収め、帝国軍をまとめ上げた英雄。その存在は伝説に近く、民草の歌にも謡われるほど。
そんな人物がなぜ私にお声を……? まさか私を妾に……?
でも、いかに高齢でもダリオン様ほどの方ならもっと他にいくらでも……。
私の頭の中は疑問で満たされました。
「君の父君から聞いている。魔法に秀で、領地経営にも才がある娘だと」
「……私などに、何のご用でしょうか」
恐る恐る問うと、公爵様は真っ直ぐに私を見据えました。
「頼みがある。我が息子、ヴァレフの教育係となってほしい」
「教育係……でございますか?」
ヴァレフ・ヴァルケスト。
帝都でも名を轟かせる美貌の少年。魔法も学問も優れ、誰もが認める才子。
しかし同時にあまりに恵まれすぎたがゆえに、傲慢で周囲を見下す性格としても有名でした。
「優秀であることは確かだ。だが、あれでは孤立する。帝国を背負う器にはなれん。矯正が必要だ」
ダリオン様の声音には、父としての苦悩がにじんでいました。
「失礼ながら公爵様……十七歳ともなれば成人も同然。今さら性格を矯正するなど、難しいのでは」
「それでもやらねばならん。でなければ公爵家の未来が危うい。あやつは自分が優秀であれば何とでもなると思っているようだが、貴族の社会はそう甘くはない」
「はぁ……。しかし、教育係ならなにも私でなくともよいのでは」
「すでに各地から名だたる家庭教師を呼び寄せた。でも駄目だった。そこで私は悟ったのだ。この期に及んで必要なのは、あれが最も軽んじている存在に打ちのめされることだと」
「最も軽んじている存在?」
「女性だ。そして、辺境の小さな家に生まれた者だ」
正直なところ、少し呆れてしまった。いくらなんでも突拍子もない発想ではないか……と。
ただ同時に、それだけダリオン様も切羽詰まっていると言うことなのだろう。
そして、ダリオン様は言いました。
「君ならば出来る。『雷神』セレイナ殿ならば」
「!」
その異名を、まさか真正面から呼ばれるとは思いませんでした。
社交界では嘲り交じりで囁かれるそれを、公爵様は期待を込めて口にしたのです。
「……ご存じで」
「当然だとも。むしろその名を耳にしたからこそ、君であればとこうして久々にこのような夜会の場を訪れたのだから」
そう言って、公爵様は力強く頷きました。
「報酬は約束しよう。成功すればロズバーン家には伯爵位を授け、君個人には私の領地内に屋敷も用意しよう。その後はそこで魔法の研究でもしながらゆっくりと過ごすといい」
私は息を呑みました。
貴族の位は上から順に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。
そして我が家は男爵位。伯爵となれば大出世です。ジャンプアップです。きっと両親も大喜びでしょう。
なによりこのまま独り身の娘に気を揉む両親の下で肩身を狭めながら実家暮らしを続けるより、ダリオン様の言うとおり自由に使える屋敷で魔法の研究に没頭できるという点は私にとって大いに魅力的でした。
そう、これはまさに夢のような提案。
けれど念のため確認せずにはいられません。
「……ひとつだけ、確かめてもよろしいでしょうか」
「なにかね?」
「私の異名……そのもう一つの意味をご存じでしょうか?」
問いかけると、公爵様は一瞬目を細め、そして豪快に笑いました。
「ハハッ、もちろんだとも! 必要ならあのわがままな小僧の頭上に容赦なく雷を落としてやってくれ!」
なるほど、つまり手加減無用ということですね。
それはよかったです。私はそういうのができない性格なので。
「承知いたしました。であればこのセレイナ・ロズバーン、ご子息様の教育係の任、謹んでおお引き受けいたします」
「おお、やってくれるか!」
次の瞬間、公爵様は私の手をぐっと握り、大きく振りました。その笑顔は救われたようで、私もつい胸の奥が熱くなるのを感じました。
こうして、私はヴァレフ様と出会いました。
あれは、私が二十九歳を迎えた年のことでした。
私の生家は、ロズバーン家という帝国の南端にある小さな男爵家です。
領地は痩せた土地が多く、収穫は決して豊かではありません。貴族といっても最下層に近い立場で、義務ばかりが重くのしかかる家でした。
そんな裕福とは言えない下級貴族の我が家でしたが、幸か不幸か子宝には恵まれました。なんと総勢十三人の兄弟たち。内訳は男五人、女八人。
もちろんそれ自体は祝福されるべきことですが、我が家の家計を考えたら呑気に喜べる話でもありません。
客観的な目線でぶっちゃければ、父も母も少々お盛ん過ぎ……もとい頑張り過ぎだと思います。
ただここで幸いだったのは、我が家の娘たちは皆気立てがよく、早々に嫁ぎ先を見つけて家を出て行ったことでした。
大変喜ばしいことです。結婚にもお金はかかりますが、やはり長らく実家で過ごすよりは遥かに生活費が浮きますので。
いかに下級とはいえ、貴族の生活には様々な出費が発生します。いわゆる貴族としての義務――ノブレスオブリージュ的なやつですね。
ですが、その中にあってただ一人、いつまでも嫁の貰い手のいない者がいました。
それはいったい誰でしょう? ええ、私です。
…………。
なんですかその目は? 文句があるならどうぞ? いいですよ、聞きましょう。
ただ一つだけ忠告しておきますと、言葉選びはくれぐれも慎重になさった方がよいかと思いますよ? 私はこう見えてキレると恐いで有名なんですから。それこそ幼少の頃など、私を馬鹿にしてきた男子たちを得意の――。
……コホンッ。
ともあれ、私は自慢じゃないですが完全なる行き遅れというやつでした。
その理由は明白で、なぜなら私は幼い頃から社交や礼儀作法にはろくに関心を示さず、他のことに夢中だったからです。
それが――魔法でした。
そして、その中でも特に心を奪われたのが雷魔法。
出会ったのは十歳の頃で、父の書庫にあった古い術式を真似して納屋の屋根を焦がしてしまった事件を今でも覚えています。母には烈火のごとく叱られましたが、私はむしろ興奮していました。杖から稲妻を呼びだしたあの瞬間の胸の高鳴りは忘れられません。
以来、私は雷魔法を研究し続けました。
昼も夜も書物を読み、術式を組み替え、実験を繰り返す。けれどその姿は、貴族社会から見れば「奇異」以外の何物でもありませんでした。
帝国では古くから「魔法は男のもの」とされてきました。
女性が魔法を扱うこと自体、珍しさと不気味さが入り混じった目で見られます。なぜならこの世界において魔法は攻撃魔法しかなく、おとぎ話に出てくる癒しの力の要素などゼロ。剣や弓といった武器の上位互換のような位置づけだったからです。
そのため魔法を振るう女など敬遠され、嫁ぎ先を失うだけです。
私はまさにその典型でした。
しかも雷魔法は派手で、轟音と閃光を伴います。制御を誤れば建物を焼き、命を奪うこともある。そんな魔法を女が操るなど、恐怖と嘲笑の対象となるのは当然のことでした。
そうしてついたあだ名が──『雷神』。
雷鳴のように恐ろしく、人の手の及ばぬ存在。
ちなみにそこには尊敬や畏怖も一応混じっていましたが、多くは冷笑でした。「女のくせに」「嫁ぎ遅れ」「行き遅れた雷神様」──そんな言葉を、私は幾度耳にしたか知れません。
当然、婚期なんてものは逃しましたよ。
帝国の貴族社会では、十八を過ぎれば婚約、二十を迎えれば結婚するのが常識です。二十を過ぎれば「大年増」と陰口を叩かれ、二十五を越えれば縁談はほぼ途絶えます。二十九の私など、もはや「結婚は絶望的」と誰もが思っていたでしょう。
とはいえ、実のところ全く声がかからなかったわけではありません。夜会に出れば、必ず男性から声はかかりました。
ただし、それはあくまで「妻」としてではなく「妾としてどうか」という誘いばかり。
帝国の慣習では、男性が妻として迎えられるのは一人の女性だけです。けれどそれはあくまで建前。大貴族ともなれば複数の側室を持つことも許されていました。
高貴なる血は決して絶やしてはならない。そのためにも、子を産む存在は一人でも多い方が良いのです。実際、歴史的に見ても世界の様々な国々で当たり前に行われてきた慣習です。
……もっとも、そこには体よく自由に愛でられる女性を手元に置いておきたいという下卑た考えもありましたが。
そしてだからこそ、嫁ぎ遅れた娘が妾に誘われるのは珍しくありませんでした。
なお、妾とはいえ妻は妻。身分は保証されますし、邸宅をいただいてそこで暮らすこともできます。だからある意味で女性側にとってもありがたいお話であり、お互いにWin-Winの関係とも言えました。
……けれど、私は首を縦には振れませんでした。
妾を持ちかけてくるのは、当たり前ですが正妻を迎えた後。だいたいがそれなりのお年を召した方ばかりです。若い有力貴族は妾など取らなくても夜の街に行けば引く手数多ですしね。
父親ほどの年齢の男性に抱かれる未来を想像することができなかったし、何より私としては魔法の研究に没頭できればそれでよかったのです。
そんな私が、二十九歳の今も実家に残っているのは当然の成り行きでした。
両親に勧められて夜会に顔を出すものの、相手を探す気はなく、ただ人混みをやり過ごすばかり。
夜会に出ても私は常に壁際の存在でした。他の令嬢たちは流行のドレスを競い合い、男性たちは笑顔でその輪に加わる。けれど私の前を通り過ぎるときには、一瞬、視線を泳がせるのです。この頃になると、もう「魔法好きの変人」というウワサは随分広まってましたからね。
好奇の目、恐怖の目、憐れむ目。様々な色が入り混じり、誰も近寄ろうとはしません。会話に混じることもなく、ただワイングラスを傾けるだけの私──それが、二十九歳までの夜会での定位置でした。
***
その夜も同じでした。
煌びやかなシャンデリアが照らす大広間。豪奢なドレスを纏った令嬢たちが笑い、男性に取り囲まれていく。
私は壁際に立ち、グラスを傾けながらその光景を眺めていました。耳に入ってくるのはいつもの囁きです。
──「雷神様も、もうすぐ三十らしいわよ」
──「縁談なんて望むべくもないでしょうね」
笑い声と囁きが混じり合い、私はただ「早く帰りたい」と心の中で呟いていました。
その時です。
「ロズバーン男爵令嬢、セレイナ殿であったな」
低くよく通る声。振り向いた私は、思わず息を呑みました。
背の高い男性が立っていました。
広い肩幅、鍛えられた体格。半ば白い髪と刻まれた皺。年の頃は五十~六十代でしょう。けれどその眼光は鋭く、老いを感じさせません。
「はい、私がセレイナ・ロズバーンですが……」
自然と背筋が伸びました。
彼の纏う空気は、ただの貴族ではなく国そのものを背負う者のそれだったからです。
「私はダリオン・ヴァルケスト。公爵の地位を授かっている」
その名を聞いた瞬間、周囲がざわめきました。
帝国軍を束ね、政治にも深く関わる大貴族。その存在感は圧倒的で、場の空気すら一変します。
ダリオン公爵の名は、田舎に暮らす私の耳にも届いていました。
数々の戦場で勝利を収め、帝国軍をまとめ上げた英雄。その存在は伝説に近く、民草の歌にも謡われるほど。
そんな人物がなぜ私にお声を……? まさか私を妾に……?
でも、いかに高齢でもダリオン様ほどの方ならもっと他にいくらでも……。
私の頭の中は疑問で満たされました。
「君の父君から聞いている。魔法に秀で、領地経営にも才がある娘だと」
「……私などに、何のご用でしょうか」
恐る恐る問うと、公爵様は真っ直ぐに私を見据えました。
「頼みがある。我が息子、ヴァレフの教育係となってほしい」
「教育係……でございますか?」
ヴァレフ・ヴァルケスト。
帝都でも名を轟かせる美貌の少年。魔法も学問も優れ、誰もが認める才子。
しかし同時にあまりに恵まれすぎたがゆえに、傲慢で周囲を見下す性格としても有名でした。
「優秀であることは確かだ。だが、あれでは孤立する。帝国を背負う器にはなれん。矯正が必要だ」
ダリオン様の声音には、父としての苦悩がにじんでいました。
「失礼ながら公爵様……十七歳ともなれば成人も同然。今さら性格を矯正するなど、難しいのでは」
「それでもやらねばならん。でなければ公爵家の未来が危うい。あやつは自分が優秀であれば何とでもなると思っているようだが、貴族の社会はそう甘くはない」
「はぁ……。しかし、教育係ならなにも私でなくともよいのでは」
「すでに各地から名だたる家庭教師を呼び寄せた。でも駄目だった。そこで私は悟ったのだ。この期に及んで必要なのは、あれが最も軽んじている存在に打ちのめされることだと」
「最も軽んじている存在?」
「女性だ。そして、辺境の小さな家に生まれた者だ」
正直なところ、少し呆れてしまった。いくらなんでも突拍子もない発想ではないか……と。
ただ同時に、それだけダリオン様も切羽詰まっていると言うことなのだろう。
そして、ダリオン様は言いました。
「君ならば出来る。『雷神』セレイナ殿ならば」
「!」
その異名を、まさか真正面から呼ばれるとは思いませんでした。
社交界では嘲り交じりで囁かれるそれを、公爵様は期待を込めて口にしたのです。
「……ご存じで」
「当然だとも。むしろその名を耳にしたからこそ、君であればとこうして久々にこのような夜会の場を訪れたのだから」
そう言って、公爵様は力強く頷きました。
「報酬は約束しよう。成功すればロズバーン家には伯爵位を授け、君個人には私の領地内に屋敷も用意しよう。その後はそこで魔法の研究でもしながらゆっくりと過ごすといい」
私は息を呑みました。
貴族の位は上から順に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。
そして我が家は男爵位。伯爵となれば大出世です。ジャンプアップです。きっと両親も大喜びでしょう。
なによりこのまま独り身の娘に気を揉む両親の下で肩身を狭めながら実家暮らしを続けるより、ダリオン様の言うとおり自由に使える屋敷で魔法の研究に没頭できるという点は私にとって大いに魅力的でした。
そう、これはまさに夢のような提案。
けれど念のため確認せずにはいられません。
「……ひとつだけ、確かめてもよろしいでしょうか」
「なにかね?」
「私の異名……そのもう一つの意味をご存じでしょうか?」
問いかけると、公爵様は一瞬目を細め、そして豪快に笑いました。
「ハハッ、もちろんだとも! 必要ならあのわがままな小僧の頭上に容赦なく雷を落としてやってくれ!」
なるほど、つまり手加減無用ということですね。
それはよかったです。私はそういうのができない性格なので。
「承知いたしました。であればこのセレイナ・ロズバーン、ご子息様の教育係の任、謹んでおお引き受けいたします」
「おお、やってくれるか!」
次の瞬間、公爵様は私の手をぐっと握り、大きく振りました。その笑顔は救われたようで、私もつい胸の奥が熱くなるのを感じました。
こうして、私はヴァレフ様と出会いました。
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