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第3話 はて、今のは何でしょうか?
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「娘……と言いますと、それはつまり『養子にならないか』というお誘いという理解でよろしいでしょうか?」
念のためダリオン様に確認します。
正直なところたぶん他にないのですが、大事なことですので。
「その通りだ、セレイナ。君を我がヴァルケスト家に養女として迎えたい」
ああ、やっぱり。しかし、予想はしていてもやはりすぐには飲み込めませんでした。
なぜならこの申し出はハッキリ言って突拍子もないことだからです。
普通なら貴族の養子縁組というものは同格の貴族同士がやるものです。公爵家であれば、同じ公爵家や侯爵、せいぜい伯爵まででしょう。よしんばあえて身分を隠したいなどの特殊なお家事情で上位の貴族の子が下位に下ることはありましょうが、その逆は例がほとんどありません。
それなのに男爵家の末娘が栄えある公爵家にお声をかけられるなんて、夢物語を通り越し一周回って悪い冗談にしか聞こえませんでした。
「……なぜ、私なのですか」
ようやく口にした問いに、公爵はわずかに目を細めました。
「理由は二つある。一つは、君の才覚を確かに家のものとしたいからだ」
「才覚……ですか」
「魔法の指導も領地経営の知識も、君の能力は申し分ない。家庭教師の契約だけで終わらせるのは惜しすぎる。養女となれば、正式に家督の一部を担わせることもできる」
「……しかし」
思わず視線を落とします。
たしかに魔法の腕にはそれなりに自信も自負もあります。領地経営にしても男爵領では帳簿を見て助言をしたり遠征で各地を視察したりしたことはあります。
が、公爵領の規模は比べものになりません。まして“娘”となれば、ただの手伝いで済まなくなる。
「私は所詮、田舎の男爵家の娘に過ぎません。重責に耐えられるかどうか……」
「できるとも」
公爵は即座に切り返されました。
「聞いているぞ。ロズバーン領の収益は、君が経営に携わってからかなりの良化を果たしたと」
「……とんでもありません。父や兄の計画を少し補佐しただけです」
「補佐しただけであのやせ細った土地で作物の収穫高が3倍になろうものか」
低くも確かな声音でした。
私は言葉に詰まります。どうやらこの方は、私が思うよりずっと詳しく私のことを調べておられるようでした。
「領地を豊かにするには、ただ数字を扱うだけでは足りぬ。人を動かし、民の声に耳を傾け、必要な改革を断行する胆力が要る。それを君は持っている。それはヴァレフへの指導内容からもたしかだ」
なにより、とダリオン様は続けました。
「地方の出身であるがゆえ、君は派閥や血筋のしがらみに染まらぬ目を持っている。だからこそ、今の貴族社会が見落としているようなものまで見通すことができるだろう」
ダリオン様が言うには、今の中央貴族の多くは派閥争いに躍起で実利を後回しにしている方ばかりだとか。
権力闘争はいつの世も貴族社会につきものですが、近年は特に目に余るらしい。爵位や縁戚の力ばかりを誇り、領地の経営も国防の備えもおざなりにしているらしいそうです。確かにそれでは帝国の基盤そのものが揺らぎかねません。
とはいえ、そんな状況を果たして私一人などでどうにかできるでしょうか。
「なに、別に貴族社会をどうこうしてほしいなどと言うつもりはないよ。権威も血筋も、伝統を守る上では大事なものだ。私もないがしろにする気はない。ただ要するに、君のような存在がヴァレフの傍にいてくれるだけで私も安心できるのだ」
なるほど、そういうことですか。つまりダリオン様はヴァレフ様が悪い方向へと行き過ぎかけている貴族社会の波に飲み込まれぬよう、私に羅針盤や碇のような役目になってほしいと。
それならばいくぶん私の気も楽ですが……。
一方で、私の脳裏には社交界の光景が浮かびました。
煌びやかなドレスの令嬢たち。その輪に混じれず、これまで壁際に立っていた二十九歳の私。好奇の目、冷笑の囁き。
立場は変わっても、私の性格まではそんなに急には変えられません。
今更あの輪に入っていくというのも正直な気持ちとしてはあまり気が進みません。
しかも彼女たちの目に今度は「女のくせに魔法好きの変人」という評価に加え、「成り上がりの田舎者」という要素が追加されると思うと……。
「……帝都の社交界では、私は奇異の目で見られるはずです。田舎貴族の娘で、しかも魔法好きの女など」
ですが私がそう自嘲気味に口にすると、公爵はまたしてもゆっくり首を振られました。
「心配はいらぬ。エルリーゼも君を気に入っている。エルリーゼは社交界でもかなりの影響力を持っているからな。私も可能な限り手を回しておく。無闇に君を貶める者はそうそう出てこまい」
エルリーゼ様はダリオン様の奥様です。
公爵家で働く以上、もちろんご挨拶させていただきましたので私も面識があります。
エルリーゼ様の穏やかな微笑みが頭に浮かびました。
初めてお会いした時から、あの方は不思議と話しやすい空気を纏っておられました。背筋の通った立ち居振る舞いは大貴族の夫人にふさわしい気品に満ちているのに、目元には常に柔らかな笑みが宿っている素晴らしいお方です。
正確な年齢は存じませんが、ダリオン様の妻でいらっしゃることを思えばきっとそれなりのはず。
それでも若々しく、凛とした佇まいは年齢を感じさせません。……正直、女性として素直に羨ましく思うくらいに。
ただ、あいにくながらその女性であるがゆえに魔法の知識をお持ちでなかったので(むしろ持っている方が本来おかしいのですが)、これまでは傲慢であっても才能あふれるヴァレフ様の教育内容にあまり強く口出しできなかったようです。
しかし、そこはもちろん実の我が子。
その成長に関しては常に気にかけておられ、まるで母鳥が雛を守るような温かさを感じました。
だからこそ、初対面の私にさえ「くれぐれもあの子をよろしくお願いしますね。困ったことがあればいつでも遠慮なく相談してちょうだい。なんでも力になるわ」と会う度に暖かくお声がけくださっていました。
そんなエルリーゼ様が味方でいてくださるなら、心強いのは確かです……が。
「……ただ、やはりどうしても気になることがございます」
これまでの会話で、養女の話が決して冗談ではなく真剣な提案であることは痛いほど伝わってきました。
けれど一つだけ、どうしても胸の奥にしこりのように残っている懸念があったのです。
「なにかね?」
ダリオン様に促され、私はわずかにためらいながらも口にしました。
「ヴァレフ様のことです。私が義理とはいえ姉となることを、あの方が受け入れてくださるのかどうか……。私はこれまで随分と厳しく接してまいりました。反発されるのではないかと……」
そこが正直最大の懸念でした。今でこそかなり丸くなりましたが、あのヴァレフ様が素直にこの提案をお認めになるイメージが私には湧かなかったのです。
逆に、せっかくうるさい家庭教師がもうすぐでいなくなると思っていたのに!と反発する姿ならすぐ目に浮かびますが……。
しかしながら、そんな私の心配とは裏腹にダリオン様は一瞬きょとんとされたように目を瞬かれ、次いで──。
「ワハハハハ!」
大きな笑い声が部屋に響き渡りました。
あまりに豪快で、私は思わず身をすくめます。けれど公爵様の顔には嘲笑の色など一切なく、むしろ愉快そうに目尻を下げておられました。
「いやすまない。セレイナよ、その心配は杞憂というものだ」
「……どうして、そう言い切れるのですか?」
思わず聞き返した私に、ダリオン様は少しだけ考え込まれました。
「そうだな。まあそれを私の口からいくら説明したところで、君の心は晴れないだろう。それより本人に直接確かめてみるといい」
どこまでも余裕に満ちた声音でした。
いったいその自信はどこから来るのやら……。
けれど仰っていることは事実です。結局のところ、いくらダリオン様が言葉を尽くしたところで、本人の言葉以上に確かなものはありません。
私は一礼し、「わかりました。いずれ尋ねてみます」とだけ返してその日はお部屋を後にしました。
***
数日後。場所は公爵家の庭園。
訓練用の広場では、ヴァレフ様と私の魔法の稽古がひと段落したところでした。
「ふぅ……今日はここまでにしましょう。お疲れさまです」
私が告げると、ヴァレフ様は杖を下ろし、大きく息を吐かれました。金の髪が汗で額にはりつき、普段の気障な雰囲気とは違う年相応の姿に見えます。
「どうだ? 悪くなかっただろう、師匠」
「ええ、たいした成長ぶりです。この調子ならもう少しで私も追い越されそうですね」
「……また思ってもないことを」
「あら、あの自信家だったお坊ちゃまにしては殊勝なお言葉ですね」
「あれだけ毎日模擬戦で凹まされればな……」
苦笑するヴァレフ様に、思わずつられて私も笑ってしまいます。
魔法の指導の締めくくりはいつも実戦形式の模擬戦闘でした。あ、もちろん怪我をしないように防御魔法の出力を上回らない範囲でですよ。
結果はもちろん私の全戦全勝。成長目覚ましいとはいえ、まだまだ弟子に後れを取る私ではありません(ドヤァ)。
その後、私たちは庭の片隅にロズバーンチに並んで腰を下ろしました。
ヴァレフ様は水差しから注いだ冷水をコップに注ぐと、自分の分だけでなく私にも差し出してきました。
「ありがとうございます」
いやはや、こんな紳士的な気遣いまでできるようになるとは。
私はコップを受け取りながら少し口元がほころびました。
ですが、その笑みもすぐに消えます。
私はごくりと喉を鳴らしながら水を飲むヴァレフ様の横顔を見つめつつ、ずっと胸にあった疑問を切り出す決心を固めました。
「……あの、ヴァレフ様」
「ん?」
呼びかけると、彼は蒼い瞳をこちらに向けました。
相変わらず透き通るような眼差しです。
「もしも、の話ですが……私が公爵家の養女となり、あなたの義姉になることになったらどうします? 嫌だとお思いになりませんか?」
一瞬だけ、小さな沈黙が訪れました。庭を渡る風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが響きました。
私はその空気にどこか不穏なものを感じました。
けれどヴァレフ様はやがて小さく肩をすくめ、あっさりと答えられました。
「いいんじゃないか。父上が決めたことなのなら」
「……え?」
あまりに素直な返事に、私はどこか拍子抜けしてしまいました。
「意外でした。てっきり、『姉など要らぬ』と仰るかと」
私が率直な感想を述べると、彼は少しだけ口元を歪めました。
「師匠の有能さは私も充分理解している。父上が手元に置きたいと考えるのも無理からぬ話だ。だいたい当主の決定だぞ?」
「……なるほど。御父上の決定には、ヴァレフ様も逆らえないと」
「まあな。そんなところだ」
ふむ……そうか、よく考えればそれもそうですね。
指導をしていて気づきましたが、ヴァレフ様は存外ダリオン様のことを尊敬されているようです。
息子がワガママすぎて困っていると相談されたときは、もっと御父上に対しても反発しているのかと思いましたが。
むしろ、実際には「偉大な父の息子である優秀な自分」という点で傲慢に育ってしまったようです。
であればこの反応も理解できるというもの……ダリオン様のあの余裕はこういうことでしたか。
――と。
「それに、むしろ私としては──……いや、なんでもない」
「?」
ふとそっぽを向いて言葉を飲み込んだヴァレフ様に、私は首を傾げました。
はて、今のはなんでしょう?ヴァレフ様はいったい何を言おうとしたのでしょうか。
それに気のせいか、チラリと目に入ったお耳がやや赤かったような……。
ただ、私が聞き返す前にヴァレフ様はすぐに残った水を飲み干し、休憩はこれでお終いとばかりにベンチから立ち上がってしまいました。
まあ、なんにせよ思ったより素直に受け入れられてよかったです。
最大の憂いが晴れ、私の心は少しホッとしました。
念のためダリオン様に確認します。
正直なところたぶん他にないのですが、大事なことですので。
「その通りだ、セレイナ。君を我がヴァルケスト家に養女として迎えたい」
ああ、やっぱり。しかし、予想はしていてもやはりすぐには飲み込めませんでした。
なぜならこの申し出はハッキリ言って突拍子もないことだからです。
普通なら貴族の養子縁組というものは同格の貴族同士がやるものです。公爵家であれば、同じ公爵家や侯爵、せいぜい伯爵まででしょう。よしんばあえて身分を隠したいなどの特殊なお家事情で上位の貴族の子が下位に下ることはありましょうが、その逆は例がほとんどありません。
それなのに男爵家の末娘が栄えある公爵家にお声をかけられるなんて、夢物語を通り越し一周回って悪い冗談にしか聞こえませんでした。
「……なぜ、私なのですか」
ようやく口にした問いに、公爵はわずかに目を細めました。
「理由は二つある。一つは、君の才覚を確かに家のものとしたいからだ」
「才覚……ですか」
「魔法の指導も領地経営の知識も、君の能力は申し分ない。家庭教師の契約だけで終わらせるのは惜しすぎる。養女となれば、正式に家督の一部を担わせることもできる」
「……しかし」
思わず視線を落とします。
たしかに魔法の腕にはそれなりに自信も自負もあります。領地経営にしても男爵領では帳簿を見て助言をしたり遠征で各地を視察したりしたことはあります。
が、公爵領の規模は比べものになりません。まして“娘”となれば、ただの手伝いで済まなくなる。
「私は所詮、田舎の男爵家の娘に過ぎません。重責に耐えられるかどうか……」
「できるとも」
公爵は即座に切り返されました。
「聞いているぞ。ロズバーン領の収益は、君が経営に携わってからかなりの良化を果たしたと」
「……とんでもありません。父や兄の計画を少し補佐しただけです」
「補佐しただけであのやせ細った土地で作物の収穫高が3倍になろうものか」
低くも確かな声音でした。
私は言葉に詰まります。どうやらこの方は、私が思うよりずっと詳しく私のことを調べておられるようでした。
「領地を豊かにするには、ただ数字を扱うだけでは足りぬ。人を動かし、民の声に耳を傾け、必要な改革を断行する胆力が要る。それを君は持っている。それはヴァレフへの指導内容からもたしかだ」
なにより、とダリオン様は続けました。
「地方の出身であるがゆえ、君は派閥や血筋のしがらみに染まらぬ目を持っている。だからこそ、今の貴族社会が見落としているようなものまで見通すことができるだろう」
ダリオン様が言うには、今の中央貴族の多くは派閥争いに躍起で実利を後回しにしている方ばかりだとか。
権力闘争はいつの世も貴族社会につきものですが、近年は特に目に余るらしい。爵位や縁戚の力ばかりを誇り、領地の経営も国防の備えもおざなりにしているらしいそうです。確かにそれでは帝国の基盤そのものが揺らぎかねません。
とはいえ、そんな状況を果たして私一人などでどうにかできるでしょうか。
「なに、別に貴族社会をどうこうしてほしいなどと言うつもりはないよ。権威も血筋も、伝統を守る上では大事なものだ。私もないがしろにする気はない。ただ要するに、君のような存在がヴァレフの傍にいてくれるだけで私も安心できるのだ」
なるほど、そういうことですか。つまりダリオン様はヴァレフ様が悪い方向へと行き過ぎかけている貴族社会の波に飲み込まれぬよう、私に羅針盤や碇のような役目になってほしいと。
それならばいくぶん私の気も楽ですが……。
一方で、私の脳裏には社交界の光景が浮かびました。
煌びやかなドレスの令嬢たち。その輪に混じれず、これまで壁際に立っていた二十九歳の私。好奇の目、冷笑の囁き。
立場は変わっても、私の性格まではそんなに急には変えられません。
今更あの輪に入っていくというのも正直な気持ちとしてはあまり気が進みません。
しかも彼女たちの目に今度は「女のくせに魔法好きの変人」という評価に加え、「成り上がりの田舎者」という要素が追加されると思うと……。
「……帝都の社交界では、私は奇異の目で見られるはずです。田舎貴族の娘で、しかも魔法好きの女など」
ですが私がそう自嘲気味に口にすると、公爵はまたしてもゆっくり首を振られました。
「心配はいらぬ。エルリーゼも君を気に入っている。エルリーゼは社交界でもかなりの影響力を持っているからな。私も可能な限り手を回しておく。無闇に君を貶める者はそうそう出てこまい」
エルリーゼ様はダリオン様の奥様です。
公爵家で働く以上、もちろんご挨拶させていただきましたので私も面識があります。
エルリーゼ様の穏やかな微笑みが頭に浮かびました。
初めてお会いした時から、あの方は不思議と話しやすい空気を纏っておられました。背筋の通った立ち居振る舞いは大貴族の夫人にふさわしい気品に満ちているのに、目元には常に柔らかな笑みが宿っている素晴らしいお方です。
正確な年齢は存じませんが、ダリオン様の妻でいらっしゃることを思えばきっとそれなりのはず。
それでも若々しく、凛とした佇まいは年齢を感じさせません。……正直、女性として素直に羨ましく思うくらいに。
ただ、あいにくながらその女性であるがゆえに魔法の知識をお持ちでなかったので(むしろ持っている方が本来おかしいのですが)、これまでは傲慢であっても才能あふれるヴァレフ様の教育内容にあまり強く口出しできなかったようです。
しかし、そこはもちろん実の我が子。
その成長に関しては常に気にかけておられ、まるで母鳥が雛を守るような温かさを感じました。
だからこそ、初対面の私にさえ「くれぐれもあの子をよろしくお願いしますね。困ったことがあればいつでも遠慮なく相談してちょうだい。なんでも力になるわ」と会う度に暖かくお声がけくださっていました。
そんなエルリーゼ様が味方でいてくださるなら、心強いのは確かです……が。
「……ただ、やはりどうしても気になることがございます」
これまでの会話で、養女の話が決して冗談ではなく真剣な提案であることは痛いほど伝わってきました。
けれど一つだけ、どうしても胸の奥にしこりのように残っている懸念があったのです。
「なにかね?」
ダリオン様に促され、私はわずかにためらいながらも口にしました。
「ヴァレフ様のことです。私が義理とはいえ姉となることを、あの方が受け入れてくださるのかどうか……。私はこれまで随分と厳しく接してまいりました。反発されるのではないかと……」
そこが正直最大の懸念でした。今でこそかなり丸くなりましたが、あのヴァレフ様が素直にこの提案をお認めになるイメージが私には湧かなかったのです。
逆に、せっかくうるさい家庭教師がもうすぐでいなくなると思っていたのに!と反発する姿ならすぐ目に浮かびますが……。
しかしながら、そんな私の心配とは裏腹にダリオン様は一瞬きょとんとされたように目を瞬かれ、次いで──。
「ワハハハハ!」
大きな笑い声が部屋に響き渡りました。
あまりに豪快で、私は思わず身をすくめます。けれど公爵様の顔には嘲笑の色など一切なく、むしろ愉快そうに目尻を下げておられました。
「いやすまない。セレイナよ、その心配は杞憂というものだ」
「……どうして、そう言い切れるのですか?」
思わず聞き返した私に、ダリオン様は少しだけ考え込まれました。
「そうだな。まあそれを私の口からいくら説明したところで、君の心は晴れないだろう。それより本人に直接確かめてみるといい」
どこまでも余裕に満ちた声音でした。
いったいその自信はどこから来るのやら……。
けれど仰っていることは事実です。結局のところ、いくらダリオン様が言葉を尽くしたところで、本人の言葉以上に確かなものはありません。
私は一礼し、「わかりました。いずれ尋ねてみます」とだけ返してその日はお部屋を後にしました。
***
数日後。場所は公爵家の庭園。
訓練用の広場では、ヴァレフ様と私の魔法の稽古がひと段落したところでした。
「ふぅ……今日はここまでにしましょう。お疲れさまです」
私が告げると、ヴァレフ様は杖を下ろし、大きく息を吐かれました。金の髪が汗で額にはりつき、普段の気障な雰囲気とは違う年相応の姿に見えます。
「どうだ? 悪くなかっただろう、師匠」
「ええ、たいした成長ぶりです。この調子ならもう少しで私も追い越されそうですね」
「……また思ってもないことを」
「あら、あの自信家だったお坊ちゃまにしては殊勝なお言葉ですね」
「あれだけ毎日模擬戦で凹まされればな……」
苦笑するヴァレフ様に、思わずつられて私も笑ってしまいます。
魔法の指導の締めくくりはいつも実戦形式の模擬戦闘でした。あ、もちろん怪我をしないように防御魔法の出力を上回らない範囲でですよ。
結果はもちろん私の全戦全勝。成長目覚ましいとはいえ、まだまだ弟子に後れを取る私ではありません(ドヤァ)。
その後、私たちは庭の片隅にロズバーンチに並んで腰を下ろしました。
ヴァレフ様は水差しから注いだ冷水をコップに注ぐと、自分の分だけでなく私にも差し出してきました。
「ありがとうございます」
いやはや、こんな紳士的な気遣いまでできるようになるとは。
私はコップを受け取りながら少し口元がほころびました。
ですが、その笑みもすぐに消えます。
私はごくりと喉を鳴らしながら水を飲むヴァレフ様の横顔を見つめつつ、ずっと胸にあった疑問を切り出す決心を固めました。
「……あの、ヴァレフ様」
「ん?」
呼びかけると、彼は蒼い瞳をこちらに向けました。
相変わらず透き通るような眼差しです。
「もしも、の話ですが……私が公爵家の養女となり、あなたの義姉になることになったらどうします? 嫌だとお思いになりませんか?」
一瞬だけ、小さな沈黙が訪れました。庭を渡る風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが響きました。
私はその空気にどこか不穏なものを感じました。
けれどヴァレフ様はやがて小さく肩をすくめ、あっさりと答えられました。
「いいんじゃないか。父上が決めたことなのなら」
「……え?」
あまりに素直な返事に、私はどこか拍子抜けしてしまいました。
「意外でした。てっきり、『姉など要らぬ』と仰るかと」
私が率直な感想を述べると、彼は少しだけ口元を歪めました。
「師匠の有能さは私も充分理解している。父上が手元に置きたいと考えるのも無理からぬ話だ。だいたい当主の決定だぞ?」
「……なるほど。御父上の決定には、ヴァレフ様も逆らえないと」
「まあな。そんなところだ」
ふむ……そうか、よく考えればそれもそうですね。
指導をしていて気づきましたが、ヴァレフ様は存外ダリオン様のことを尊敬されているようです。
息子がワガママすぎて困っていると相談されたときは、もっと御父上に対しても反発しているのかと思いましたが。
むしろ、実際には「偉大な父の息子である優秀な自分」という点で傲慢に育ってしまったようです。
であればこの反応も理解できるというもの……ダリオン様のあの余裕はこういうことでしたか。
――と。
「それに、むしろ私としては──……いや、なんでもない」
「?」
ふとそっぽを向いて言葉を飲み込んだヴァレフ様に、私は首を傾げました。
はて、今のはなんでしょう?ヴァレフ様はいったい何を言おうとしたのでしょうか。
それに気のせいか、チラリと目に入ったお耳がやや赤かったような……。
ただ、私が聞き返す前にヴァレフ様はすぐに残った水を飲み干し、休憩はこれでお終いとばかりにベンチから立ち上がってしまいました。
まあ、なんにせよ思ったより素直に受け入れられてよかったです。
最大の憂いが晴れ、私の心は少しホッとしました。
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