記憶の中に僕は居ますか

遭綺

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続・右利きの神様が左手で書いたお話

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勇緋が呼吸を整えていると、制服を着た男性が歩み寄って来た。
「神塚さん、ですよね。ちょっとお話、良いですか?」
「…は、はい」
それから二人はその場を離れると、人目のない所で向き合って話を始める。

「私、柊の上司の三輪みつわと言います。神塚さん、今日は本当に申し訳ございませんでした」
「それで、何があったのか、詳しく教えて頂けますか?」
「はい。今日の午前中に、新しいフェアの準備として店舗入り口の装飾作業をしていまして…」
それから三輪から、事の顛末を聴くことになった勇緋。

<夬皇の職場。店舗入り口近くでの一幕>

「三輪先輩! この辺で良いですか?」
夬皇は大きな脚立に跨り、今回の目玉である天井から吊り下げるマネキンの設置をしていた。
「そうだな。こっちも固定出来たし、あとはゴンドラのPOPをやれば、一段落か」
三輪も彼と同じように脚立に跨り、作業していた。
「了解です」
すると、
「三輪さん! 内線入ってますけど、取れますかー?」
下の方から女性店員の声が聴こえた。
「わかった、今行く。柊も作業終えたらすぐに降りろよ?」
「わかりました!」
それから三輪は脚立を降り、慌ただしく事務所へと消えて行った。

「さてと、俺も降りないとな。あ、マネキンの顔が曲がってる。直さないと」
脚立の上部で中腰になれば手の届く範囲にマネキンがあるので、グッと腕を伸ばして修正に取り掛かる。
その際に、頭を下げたせいか、安全の為着用していたヘルメットがずれて彼の視界を塞いでしまった。
「おっと。紐が緩かったかな」
一度ヘルメットを脱ぎ、その場で紐の調整をする。

そんな時であった。
入口から元気よく双子の子供が店内に駆け込んで来たのだ。
(作業中の為か、自動ドアが解放されたままだった)
「こら、走ったら危ないでしょ!」
双子の母親が遅れて店内にやってくる。
「大丈夫だもん! うわあ!」
双子のうちの一人が近くの装飾品に足を取られ、勢いそのままに脚立にぶつかってしまったのだ。
グラリと揺れる脚立。
子供と言えど、ぶつかる力はかなりのものだった。
バランスを崩した夬皇は脚立から身体が離れてしまった。
ヘルメットが彼の手から離れて宙を舞う。

それからゴンドラの縁の部分に彼の頭がぶつかり、そのまま地に落下した。
鈍く嫌な音が二回程響いた。

全ては偶然が重なって起きた出来事だった。
未然に防ぐ事が出来たかも知れない。
でも、今となってはそれもただの結果論に過ぎない。

勇緋は誰を責めて良いのか分からなかった。
ただ、心の奥底から湧き出る怒りに似た感情を抑えるだけで精一杯だった。

三輪から聞いた話を聞き終わる頃には、勇緋の顔は真顔のまま、掌を血が滲む程強く握り締めていた。
「全ては私の注意不足でした。柊がこんな事になったのは私のせい…」
「それ以上は言わなくて大丈夫です」
勇緋は彼の言葉を遮る。
「今回の件は、偶然が重なっただけ。それだけなんですよ。とりあえず、今は彼の無事を祈りましょう」
「神塚さん…」
勇緋はそう言い残し、再び手術室前へと戻って行った。

それからしばらくして、手術室の扉がゆっくりと開いた。
じっと待っていた三人はすぐさま立ち上がる。
ストレッチャーが静かに出て来た。
そこには眠ったままの夬皇の姿があった。
頭部には痛々しく包帯が巻かれており、そのまま何処かへ運ばれて行ってしまった。
担当医と思われる男性が一人、後からそこから出て来ると、
「夬皇は大丈夫なんですか!」
と、勇緋は医師に食い気味で尋ねる。
「手術は無事成功しました。それで、今後についてお話がありますので、ご家族の方だけ、残られて下さい」
ご家族の方だけ。
この時に勇緋は思い知る。
自分と夬皇は大切なヒトではあるが、家族ではない事を。

「三輪さん、今日はもうお帰り頂いて大丈夫ですよ。お疲れでしょう」
夬皇の母親は彼にそう伝える。
「し、しかし!」
「それに、面会時間も終わりですから。また、明日以降、改めてお時間頂けますか?」
淑やかに話す彼女に三輪は何も言い返せなかった。
「わかりました…。また、明日。お電話差し上げます」
「勇ちゃんは、先に夬皇の元へ行っていて頂戴」
「えっ?」
「目が覚めた時に勇ちゃんが居たら、あの子も安心するでしょう。先生、よろしいでしょうか」
「お母様がそうおっしゃるのなら、良いですよ」
医師の言葉を聞いた夬皇の母親は、笑みを浮かべながら勇緋を見つめる。
彼女の言葉と思いを汲んだ勇緋は、涙を浮かべつつも、すぐに駆け出した。

勇緋は暗い病室の前に辿り着く。
静かに扉を開くと、ベッドで横たわる夬皇を見つけた。
枕元のランプだけがぼんやりと点いているだけで、彼の眠る顔が映る。
右頬には痛々しい傷が目立っていた。彼の美しい顔には似つかない程大きな傷だった。
気持ちを落ち着かせながら、丸椅子を置いて、勇緋は彼の隣に座り込む。

「夬皇、お前の誕生日なのに。とんでもない事になったな」
彼に語り掛ける様にそう囁く。

時刻は20時を過ぎようとしている。

勇緋がぼんやりとしていると、
「…」
静かに夬皇の目が開いた。首を動かさず、目だけがキョロキョロと動く。
「夬皇! 気が付いたか!」
椅子から立ち上がり、彼をのぞき込む。
「……」
まだぼんやりとしているのか、まだ夬皇の口から声は発せられていない。
とりあえず、目を開けて生きているのが分かっただけで勇緋は安堵した。
「ホント、良かった。このまま目が覚めないと思ったら、俺…」
少し目に涙を浮かべながら話す勇緋。
しかし、それを横目で見ていても彼は言葉を発さなかった。
少し様子がおかしい。
「夬皇、お前。まさか…」
狼狽える彼であったが、ゆっくりと夬皇の口が動き出す。
「ココ、は?」
あまりにもか細い声に、胸が締め付けられる思いがしたが、静かに諭すように 
病院だよ、とだけ伝えた。
なんとか声は出たので再び安堵。
「病院?」
「ああ。お前は仕事中に高い所から落ちたんだ。皆、滅茶苦茶心配したんだぞ?」
「そっか」
これだけの怪我をしたのに、その一言だけで彼は黙り込んでしまった。
それからしばらくして、
「あの、一つ聞いても良い?」
「んっ? 何?」
「部屋が暗いせいか、まだピントが合ってなくてよく見えないんだけどさ」
そう言ってから続けた言葉。

「君は誰?」

その瞬間、勇緋の周りの時間が凍り付いたかのような感覚に陥った。
「誰って…」
そんなドラマみたいな展開、現実で起こってたまるかよ。
勇緋は嘘だと思いながら、夬皇の行動を見守る。
「ねぇ、もっと近くで顔見せて」
何を思ったのか、戸惑う勇緋の腕をガッと掴むと、そのまま力任せに引っ張ったのだ。
この怪我人、何処からそんな力が出るんだ。
ベッドに勇緋の上半身が倒れ込む。
「あっ…」
見上げるとそこにはライトに照らされた傷だらけの夬皇の顔があった。

「やっとはっきり見えた」
「え、えっ?」

「お疲れ様、タツミ」

聴きなれない言葉にさらに戸惑いが深まる勇緋。
タツミ? 辰巳? 干支の事?

「タツミって、何?」
「えっ? 何、言ってるのさ。自分の事じゃんか!」
そう言いながら、夬皇は勇緋の髪を触る。
いつもなら撫でられるだけで嬉しい気持ちになるのに、こんなに不安に駆られるのはなんだ。
ココに居るのは自分が知っている夬皇なのか。

「お、俺はタツミじゃない。俺は勇緋。神塚 勇緋だ!」
手を弾きながら彼は起き上がり、少し睨むような顔で夬皇を見つめた。
「ゆう、ひ? かみ、つか?」
いつもの俺に仕掛ける悪戯であってくれよ。
何度も心の中で願う勇緋。
だが、
「ハハッ。何、それ? 全く、たつみってホント変わってるよね」
夬皇は全く、自分の本当の名を話そうとはしない。
意図的ではなく、本心のままに話をしている。
どうやら、本当に今の彼の中に 神塚 勇緋 と言う概念は存在しないらしい。

神様は彼の記憶の上書きを間違えたのでしょうか。
だとしたら、おっちょこちょいで済まされる話ではない。

「こんな事、あって良いのかよ。何で…何でなんだよッ!」

勇緋は声を荒げながら、彼の元から離れ、病室を飛び出して行った。
とっさに夬皇の手が彼の腕を掴もうとしたが、その手は空を切った。

あまりにも状況が変わり過ぎてしまった。
絶望の気持ちのまま、勇緋は暗い病院内の廊下をただ駆けていく。
早く外に出たい。
思いっきり叫びまくって、現実逃避がしたかった。
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