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20.語学の勉強大事
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ドアが消失したやたらと開放的な生徒会室で、今度は悠悟さんと二人で書記の仕事をすることになった。
前から、日本語があまり得意ではないらしい悠悟さんがなぜ書記なのかと不思議だったのだが、その疑問は早々に解決した。
このビーエル学園は創始者がスペイン人で、その血族である現在の理事長はスペインにいるらしい。理事長へは生徒会管轄内の資金の流れや各種報告を定期的にせねばならず、それは全て書記の仕事なのだそうだ。もちろん、やり取りはスペイン語だ。悠悟さんが書記なのは適任と言える。
というわけで、英語ですら平均点以下な俺は今回もまた役立たずだった。
他の役員達がそれぞれ作ったファイルを集め、悠悟さんが一つのスペイン語用資料にまとめていく。悠悟さんの隣に座りなおした俺は、その作業をただ眺め、手伝うことといえばファイルにあるやや難解な日本語の意味を時折聞かれる程度だった。
暇を持て余して眺めた窓の外は今日もいい天気だ。教室の窓から眺める景色とは全然違う。階数も方角も違うからそれは当然なんだが、景色の持つ意味が違うように感じる。俯瞰的に学園全体を見渡せるこの眺めは、ここを統べる者の見るべき景色というか。特権と共に大きな責任を担う者の景色。ぼんやりとそんなことを考えていた。
悠悟さんがパソコンを打つカタカタという音だけが静かに響く。どれくらいそうしていただろうか。悠悟さんといる時間は穏やかで、ついうとうとと船を漕ぎ遠くなる意識の端っこで、小気味良く響いていたキーボードの音が止んでいるのに気づく。はっとして目を開けると悠悟さんが手を止めてじっと俺を見つめていた。
おもむろに、悠悟さんが口を開く。
「蛍……生徒会、入る?」
俺は驚いていた。なぜなら、ここまで俺にその意思を問うてくれた人がいなかったという衝撃の事実に気づいたからだ。
はっきりとした態度を示せず流れ流され来てしまった俺も悪い。うむ、俺の処世術が全て裏目に出た結果だ。しかし、決死の覚悟で伝えた思いも無視されたり曲解されてきた。とにかくここの人達は人の話を聞かないのだ!
それが、初めてこうして直球で聞かれ、そして聞く耳を持ってもらえて感動していた。嬉しさのあまり言葉に詰まっていると、悠悟さんが続けた。
「蛍、入ってくれたら、いつも、一緒。嬉しい。……でも、心配」
悠悟さんはキーボードにおいていた手を持ち上げて俺の頬を両手の平でそっと包んだ。先ほど弄られたせいでじんじんと痺れている唇を労わるように、骨ばった親指が優しく撫でる。
「No quiero que nadie más toque tus labios o tu piel o un solo pelo de tu cabeza」
頬から手を離し、俺の大して長くない髪に指先を差し込んで、悠悟さんが滑らせる。
真摯な視線は熱を湛えているが、どこかに暗さがあった。語られた声は静かで、悠悟さんが真剣なのだと伝わってくる。
……が、何を言っているか全然わからなかった。感情が昂ぶるとスペイン語になってしまうのは悠悟さんの致命的に悪い癖だ。
うーん、困った。
え、なんて? とはとても聞ける雰囲気じゃない時だけスペイン語になるから本当に困る。
まぁでも、話の流れ的に本気で心配してくれていて、悠悟さんとしては生徒会に入るのをあまりおすすめしていないというのはわかる。さっき目の前でいじめられていたわけだし、放っておけないと思ってくれてるのかもしれない。優しい。
「あの、俺も本当は嫌なんですよ。流れでここにいますけど」
「嫌? それは……¿Quieres decir que no te gusta que te toquen otros miembros de 生徒会 aparte de mí?」
「そうです、そうです。生徒会、嫌」
「……蛍!」
「なので、悠悟さんから会長と他の役員さんに伝えてもらえますか? 俺にその気はないって」
途中少し怪しかったがなんとか意思疎通ができて、やっと味方を得たぞと喜んでいた俺だが、感極まったように声を詰まらせた悠悟さんになぜか力強く抱きしめられた。
それほど俺を心配してくれていたのかと思うと、腕を振りほどくことはできず、恥ずかしさを堪えて大人しく縮こまっていた。悠悟さんはラテンの血が流れているから感情表現もオーバーなんだなぁ、きっと。
「わかったよ。必ず伝える。蛍は sólo míaって」
「はい、お願いします」
ぎゅうぎゅうと締め付けてくる悠悟さんのテンションが嬉しくも恥ずかしく、俺は俯いたまま小さく答えた。すると悠悟さんは感情が爆発したのか、むき出しの俺のうなじに何度も口付けた。ちゅ、ちゅ、と軽いリップ音を立てられ、さすがに俺も驚いたが異文化も尊重しないといけないよな、と我慢した。しかしくすぐったさに耐えきれず少し身をよじると
「ごめん、嬉しくて。……錬に、今、言ってくる」
「え、今!?」
「うん。Te quiero, cariño」
勢いよく立ち上がったかと思うと輝く笑顔を浮かべて悠悟さんは足取り軽く部屋を出て行った。俺の胸に一抹の不安がよぎる。
生徒会に入らないと伝えただけのはずなのに、あそこまで喜ばれるなんて。
もしかして俺……悠悟さんにすごく嫌われていたのでは?
前から、日本語があまり得意ではないらしい悠悟さんがなぜ書記なのかと不思議だったのだが、その疑問は早々に解決した。
このビーエル学園は創始者がスペイン人で、その血族である現在の理事長はスペインにいるらしい。理事長へは生徒会管轄内の資金の流れや各種報告を定期的にせねばならず、それは全て書記の仕事なのだそうだ。もちろん、やり取りはスペイン語だ。悠悟さんが書記なのは適任と言える。
というわけで、英語ですら平均点以下な俺は今回もまた役立たずだった。
他の役員達がそれぞれ作ったファイルを集め、悠悟さんが一つのスペイン語用資料にまとめていく。悠悟さんの隣に座りなおした俺は、その作業をただ眺め、手伝うことといえばファイルにあるやや難解な日本語の意味を時折聞かれる程度だった。
暇を持て余して眺めた窓の外は今日もいい天気だ。教室の窓から眺める景色とは全然違う。階数も方角も違うからそれは当然なんだが、景色の持つ意味が違うように感じる。俯瞰的に学園全体を見渡せるこの眺めは、ここを統べる者の見るべき景色というか。特権と共に大きな責任を担う者の景色。ぼんやりとそんなことを考えていた。
悠悟さんがパソコンを打つカタカタという音だけが静かに響く。どれくらいそうしていただろうか。悠悟さんといる時間は穏やかで、ついうとうとと船を漕ぎ遠くなる意識の端っこで、小気味良く響いていたキーボードの音が止んでいるのに気づく。はっとして目を開けると悠悟さんが手を止めてじっと俺を見つめていた。
おもむろに、悠悟さんが口を開く。
「蛍……生徒会、入る?」
俺は驚いていた。なぜなら、ここまで俺にその意思を問うてくれた人がいなかったという衝撃の事実に気づいたからだ。
はっきりとした態度を示せず流れ流され来てしまった俺も悪い。うむ、俺の処世術が全て裏目に出た結果だ。しかし、決死の覚悟で伝えた思いも無視されたり曲解されてきた。とにかくここの人達は人の話を聞かないのだ!
それが、初めてこうして直球で聞かれ、そして聞く耳を持ってもらえて感動していた。嬉しさのあまり言葉に詰まっていると、悠悟さんが続けた。
「蛍、入ってくれたら、いつも、一緒。嬉しい。……でも、心配」
悠悟さんはキーボードにおいていた手を持ち上げて俺の頬を両手の平でそっと包んだ。先ほど弄られたせいでじんじんと痺れている唇を労わるように、骨ばった親指が優しく撫でる。
「No quiero que nadie más toque tus labios o tu piel o un solo pelo de tu cabeza」
頬から手を離し、俺の大して長くない髪に指先を差し込んで、悠悟さんが滑らせる。
真摯な視線は熱を湛えているが、どこかに暗さがあった。語られた声は静かで、悠悟さんが真剣なのだと伝わってくる。
……が、何を言っているか全然わからなかった。感情が昂ぶるとスペイン語になってしまうのは悠悟さんの致命的に悪い癖だ。
うーん、困った。
え、なんて? とはとても聞ける雰囲気じゃない時だけスペイン語になるから本当に困る。
まぁでも、話の流れ的に本気で心配してくれていて、悠悟さんとしては生徒会に入るのをあまりおすすめしていないというのはわかる。さっき目の前でいじめられていたわけだし、放っておけないと思ってくれてるのかもしれない。優しい。
「あの、俺も本当は嫌なんですよ。流れでここにいますけど」
「嫌? それは……¿Quieres decir que no te gusta que te toquen otros miembros de 生徒会 aparte de mí?」
「そうです、そうです。生徒会、嫌」
「……蛍!」
「なので、悠悟さんから会長と他の役員さんに伝えてもらえますか? 俺にその気はないって」
途中少し怪しかったがなんとか意思疎通ができて、やっと味方を得たぞと喜んでいた俺だが、感極まったように声を詰まらせた悠悟さんになぜか力強く抱きしめられた。
それほど俺を心配してくれていたのかと思うと、腕を振りほどくことはできず、恥ずかしさを堪えて大人しく縮こまっていた。悠悟さんはラテンの血が流れているから感情表現もオーバーなんだなぁ、きっと。
「わかったよ。必ず伝える。蛍は sólo míaって」
「はい、お願いします」
ぎゅうぎゅうと締め付けてくる悠悟さんのテンションが嬉しくも恥ずかしく、俺は俯いたまま小さく答えた。すると悠悟さんは感情が爆発したのか、むき出しの俺のうなじに何度も口付けた。ちゅ、ちゅ、と軽いリップ音を立てられ、さすがに俺も驚いたが異文化も尊重しないといけないよな、と我慢した。しかしくすぐったさに耐えきれず少し身をよじると
「ごめん、嬉しくて。……錬に、今、言ってくる」
「え、今!?」
「うん。Te quiero, cariño」
勢いよく立ち上がったかと思うと輝く笑顔を浮かべて悠悟さんは足取り軽く部屋を出て行った。俺の胸に一抹の不安がよぎる。
生徒会に入らないと伝えただけのはずなのに、あそこまで喜ばれるなんて。
もしかして俺……悠悟さんにすごく嫌われていたのでは?
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