上 下
16 / 152
Part1 My Boyhood

Chapter_09.コンプレックスからの脱却(1)勉、フィッシュと知り合う〜外科手術

しおりを挟む
At Nishihara Town and Naha City, Okinawa; from August to September, 1992.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.

1-1.勉、フィッシュと知り合う

そいつに出会ったのは、夏の終わりだった。
僕は、クランチに遊びに来ていた女の子達を駐車場へ送るため深夜の松山の街を歩いていた。とてもじゃないけど、夜の松山で女の子の一人歩きなんて、できるものじゃない。僕は彼女たちを笑顔で送り出し、ほっとして思わずつぶやいた。
「ふう、これで一仕事おわりか」
その時、後ろから声がした。
「お前、何、時化しけた顔しとん?」
「え?」
僕は思わず声のするほうを向いた。そこには、僕と同じくらいの背丈でがりがりに痩せ細った奴が、スーツ姿にくわえタバコで僕を見ていた。
「お前、新米やな? ホストか?」
「あ、ああ。トミーってんだ。そこのクランチにいる」
「クランチね。あそこ、これやで?」
そういうと、そいつは右手の人差し指で右の頬をつーっとなぞった。
「早いとこ、足洗ったほうがええんちゃうか?」

僕は驚き、声を落として尋ねた。
「あんた、詳しいのかい?」
「まあな」
そいつは鼻先で笑うと、くわえていたタバコをうまそうに吸った。
「この辺りでフィッシュと言えば、知らん奴はおらへんで」
フィッシュはタバコを吸い終わると、路上に捨てて踏み潰した。
「あたい、そこのスー・ド・ラズにいるんよ。わかるでしょ?」
僕は驚いた。スー・ド・ラズって、ゲイバーじゃん。しかも、かなりマニアック路線の。じゃあ、こいつはゲイか?
フィッシュは驚く僕を見て、また鼻先で笑い、鼻先に掛けた甘ったるい声でこう切り出した。
「あたいは、あそこで経理やってんの。俗にいう、オ・ナ・ベ」
「あ、そう、そうなんだ」
正直、僕の表情は多少、引きつっていた。オナベという人種に会ったのは初めてで、僕はどう接していいかわからなかったのだ。フィッシュは相変わらず甘い声で僕に囁いた。
「トミー、良かったら今度、店にいらっしゃい。裏側から案内してあ・げ・る」
そういうと、彼女は店の名刺を僕に渡して、さっさと立ち去っていった。

それから僕はすぐにホストを辞めた。クランチが未成年と知りながら僕にホストをさせたのは、そういう店だったからなのだろう。命あってのモノダネだ。折角医者として順調なスタートを切った人生を、わざわざおじゃんにする必要はなかった。
僕は、稼いだ金をさっさと使ってしまうことに決めた。
と言っても、二百万のうち既に百七十万は使い終わっていた。
まず長助師匠にはさっさと五十万返済しておいたし、そして、僕自身への投資として、中古の軽自動車を購入・登録手続きいろいろを含め三十五万ちょっと、パソコン購入等にこれまた三十万ちょっと、医学書の購入にも二十万くらい費やしていた。ファッションの方でも、大好きなBOBSONのジーンズを三着ほどあつらえ、シャツを買いまくって十万近く支出した。あとの二十五万は女の子たちへのプレゼント代へとっくの昔に消えていた。

1-2.外科手術

さて、残りの三十万だが、僕は一つの決意を固めていた。前々から気になっていた僕自身のコンプレックスを、一つ消去してやろうと。

それは中学の頃から始まっていた。思春期を迎えた男にはいろいろと苦労がつきまとう。人一倍カッコよくありたいとおもう時期なのに、まったく外見が追いついてくれない。いくつかの物事が揃って成長してくれるならともかく、大抵はてんでバラバラなスタートを切り、まったく違うスピードで進行していくから、たまったものではない。
僕を一番困らせたのは、僕自身の臭いだ。
中坊は鼻が曲がりそうな臭いを発生させる。普通の日本人の男でさえむさ苦しい時期、まして僕は混血児だ。はっきり言って、自分で自分がいやになるくらいひどかった。デオドラントスプレーを何種類か試してみたが、ごまかしが効くのは数時間だけ。体育の後は速攻で家へ帰りたくなった。銭湯に毎日通うくらいでは収まらなかった。医薬品の塗り薬を試して心持ちマシになったが、それでもひどい部類に属しているのは明白だ。
ホストを辞めた今、ブルガリの香水を使い続けるかどうか、僕は迷った。価格が高いと言うのもあったが、このまま医者になった後も果たして香水を使えるのかどうか。
僕の予想ではNOだった。どちらかというと、医者の匂いは香水というよりエタノールだもんな?

大学が秋休みに入った直後、僕はとある形成外科で腋臭わきがのオペを受けた。女性客が多いことは確実だったから、好奇の視線を避けるため、僕は野球帽を目深に被り、サングラスを掛けてその医院へ向かった。
カウンセリングを始めた担当者は僕を診るなりすぐ
「これは切開ですね」
と言った。腋皮下にあるアポクリン腺やエクリン腺を除去するということだ。局所麻酔で片腋一時間ずつ、約二時間掛かると言われた。
僕はすぐに現金で三十万払い、五日後にオペを受けた。大学では解剖学など専門は二年次からだったが、医者の卵だった僕にとっては良い学習の機会でもあった。仰向けだったから患部を見ることはできなかったけど、執刀者と介助者の会話で、何をしているかはたいてい把握できた。

痛いかって? そりゃ、まあ、痛いよ。体切ってるんだから、当たり前だろ?
局所麻酔は、効くのに30秒くらい時間が掛かる。腋の皮膚は柔らかく、細い注射の針を感じやすい。そして、僕のアポクリン腺は普通の人より広範囲にわたっていたらしく、かなり切られた。
脅すわけじゃないけど、術中より術後のほうが痛いですよ、あれは。でもこれで一生あの臭いとおさらばだとおもうと、我慢できた。

手術後はもちろん帰宅できたが、約一週間は安静が必要だった。正確に言うと、止血のため三日間は、手術した両腋にテニスボールくらいのガーゼの固まりが当てられ、包帯でぐるぐる巻きにされた。
肩が中途半端に上がりっぱなしの状態で固定されていたので肩こりがひどかったし、トイレで用を足すのも一苦労。沖縄の厳しい残暑の中、僕はボロアパートの一室の壁に寄りかかって、海老のように体を丸くしてひたすら痛みとだるさに耐え、ヒマな時間を医学用語の暗記に費やした。食事はずっとカップ麺だった。
四日目からはガーゼが二周りほど小さくなり、肩は少し楽になったが、安静であることにはかわりなかった。僕は東風平こちんだ家に電話を入れ、サンシンの稽古を休んだ。理由なんか言えなかった。ただ、体の調子が悪い、とだけ伝えたのだ。((2)へつづく)
しおりを挟む

処理中です...