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一章

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 王の妹であるシェリルは、15年前に父王をしいしたかどで後宮深くに幽閉された。その時にはすでに心を深く病み壊し、日常生活もままならなかったのである。処刑されなかったのは、ひとえに現王が末妹を深く哀れんだからだ。
  シェリルは15歳でラウルを産んでいる。ラウルは現在27だからシェリルは42歳ということになる。いくら心を病んでいると言ってもまだまだ死ぬには早すぎるし、重い病があったとは聞いていない。
 シェリルの夫でラウルの父は、シェリルより20も年の離れた穏やかな人で、シェリルがラウルを産んで2年後に事故であっけなく死んでいる。王の正妃の遠縁にあたる伯爵だった。クロウはこの父の家に長く使えた侍従の一族だ。
 ラウルがクロウと慌てて王宮に駆けつけると、早々に後宮から出された母は、宮廷の片隅の日当たりの悪い部屋の寝台で、白い布をかけられて眠っていた。母のそばにいるのは初老の侍女ただひとりだけだった。
 やるせない思いでラウルがそっと白い布を取ると、母はまるで少女のようにあどけない顔で冷たくなっていた。

「いくら亡くなったとはいえ、後宮から早々にこのような粗末な部屋にお遷しするなど、いくら何でも心がないではないか……!」

 クロウが青くなって侍女に低く叱責すると、侍女は畏まってオロオロと言い訳をした。

「で、ですが、後宮では男子禁制ですからラウル殿下が……」
「黙れ黙れ! お前は……」
「よせ、クロウ。この侍女に罪はない。それに、後宮に棺を据えられれば俺は会いに行けん」
「ですが、実のお子ではないですかっ……」

 クロウが悔しそうに肩を震わせている。

「ええい、棺はまだか!」

 半ば八つ当たり気味にクロウが侍女に言った。

「は、はい、もう間もなく……」
「いいんだ、クロウ。母上はこれで楽になられたのだ」
「殿下………」

 侍女に向かって母の最期の様子を聞こうとして、ラウルはふと言葉を失った。母のドレスの胸元から、白い包帯が見えていたのである。不審に思ってきっちり巻かれたコルセットの紐を解くと、包帯は胸元に分厚くぐるりと巻かれ、わずかに血を滲ませていた。

「これは……一体どういうことだ……!?」

 さすがのラウルも顔色を変えた。
 おそらく、正面から胸に向かってひとつきされた傷が致命傷になっている。

「ああ、お許しください、殿下! 姫様は、姫様は私が少し目を離したすきに……!」
「そのような話はどうでも良い! 母上は誰に斬られたのだ!?」
「――私だ」

  物々しい従者を大勢引き連れ、そこへ入ってきたのは王だった。王のそばにピタリと武将のアベリがついている。失った左耳の傷はなんとかふさがり、穴だけがぽっかりと開いている有様だ。
 そして、ラウルが何か口を挟む前に冷ややかな口調で言った。

「捕らえよ」

 その一言で従者が一斉に剣を抜いてラウルを囲んだ。

「王よ!! これは一体どういうことなのか!?」
「やめろ、クロウ!」

 不穏な陰謀を感じて用心深く構えたラウルを押しのけるように、怒りに目が眩んだクロウが止めるのも聞かずに前に出た。

「とくと説明されよ!!」
「ラウルは先の遠征で戦利品を横領し、予定にない村で人を集め、この私に対する謀反を企てた。その咎により捕縛するものである」
「な、何をおおせか! あれは村を襲った土砂崩れの復旧工事で、一時的に借り受けたものの、ラウル様の私財ですでに返済されている! ……アベリ殿、貴殿、さては殿下を逆恨みしてて……!!」

 さらに前に踏み出したクロウに、剣を抜いたアベリがいきなり斬りつけた。

「がっ………!!」
「クロウ!!!」

 胸からぼたぼたと血を流し、クロウが胸を押さえながら片膝をついた。そのクロウにアベリがさらに剣を振りかぶった。

「王子付きの侍従の分際で、王に刃向かうとは何事か、無礼者めが!!」
「やめろぉ――!!!!」

 斬ッ!!

 ドッとクロウが冷たい床に昏倒した。
 ラウルが駆け寄って抱き起こした。

「じいっ! じいや!」
「で、殿下、これは何かの間違いです。す、すぐに疑いは晴れて……ゴフッ……」
「もういい、喋るな、じい!」

 ラウルが己のシャツを引き破り、クロウの傷口から流れる血を必死で止血しようとしている。だが、血は後から後からあふれて止まらない。

「で、殿下……ラウル王子……」
「しゃ、喋るな、じい……頼む……」

 クロウがラウルの胸の中で口から血を流しながら、ラウルを見上げた。骨ばった血まみれの手でラウルの頬を撫でた。その手はざらつきすでに冷たくなり始めている。

「……で、殿下、泣きなさるな……どうか、笑ってくだされ……」
「ク、クロウ……じい、死ぬな……」
「じいがきっと、ケリ……様…を見つけて…差し上げます……」

 こみ上げる咳をするたびに、クロウの口からどす黒い血が溢れる。

「じい、もういいんだ。お前が生きていればそれで……」
「殿下……あぁ、おいたわしい……」

 クロウの手が床に落ちた。

「――……」

 今まさに命の灯火を喪ったクロウの体を、ラウルがそっと横たえた。
 そのラウルを剣を構えた従士が数人取り囲んでいる。
 ラウルは俯いたままゆらりと立ち上がると、黙って王に対峙した。その禍々しい雰囲気に、みなが圧倒されて一歩二歩と退がった。

「何をしておる! と、捕らえよ!」

 最初に動いたのは王の口だった。その声に押されるように一人の従士が動いた。

 その剣を紙一重でかわし、ラウルが三歩で王の目の前に立った。そして、とっさのことに怯えて動けない王の腰から剣を抜いた。そのまま振り向きざまにアベリを一刀両断した。
 悲鳴すら上げられずに首から夥しい血を吹き出し倒れたアベリを跨ぎ、ラウルは次の従士を狙った。腰が引けて怯える従士を袈裟懸けに斬り殺し、三人目の従士の両腕を払った。

「がああああっ」

 腕を失って転がる従士の悲鳴で、王がようやく声をあげた。

「な、何しておる!!! ラ、ラ、ラウルを捕らえよ!!! 捕らえんかぁぁあ!!!」

 狭い部屋に次々に剣を構えた従士がなだれ込み、ラウルの前で構えている。部屋に充満する血の匂いを思い切り嗅いだ。次の獲物を狙うラウルは、ふと、母の寝台の足元で蹲って震えている初老の侍女に気づいた。寝台の白い布が、飛び散る血で赤く汚れている。クロウのまだ温かい亡骸が兵たちの足の間に転がっている。全身から殺気を漲らせるラウルと違って、二人の死顔は驚くほど穏やかだった。

「―――……」

 従士たちがジリジリとラウルに迫ってくる。
 ラウルは唐突に、持っていた剣を投げ捨てた。

 ガランッ―――

「殺せ……」

 そう言って一切の力を抜いた。

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