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一章
結婚式 1
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朝からすっぽりと頭を覆っていたヴェールが取られ、ラウルがようやく婚約者殿のご尊顔を拝めたのは昼過ぎだった。
結婚式は三日後の予定だ。明日からは賓客である各国王家も続々と集まってくるだろう。
今日はとりあえず、顔合わせのお披露目といったところだ。
ラウルの婚約者の第一印象は──
うん、まぁ、老婆ではなさそうだ──
というものだ。
正直、どういう容貌なのかよくわからない。年齢も不詳だ。
なぜなら、厚いヴェールの下から現れたのは、白塗りこってりの仮面のような厚化粧だったからだ。
おまけに目や眉は、筆を使って丁寧に縁取りされたり紅が指されたりしているものだから、容貌を正確に把握するにはまるで信用がおけない。
そしてこの強烈な化粧は、シン王家の特徴である見事な銀髪と神秘的なグレーの瞳を完全に台無しにしている。
いや、まぁ、これでは他の王家の特徴も台無しにするかと、ラウルは思い直した。
シン王がなぜ名指しで自分に白羽の矢を立てたのかまるでわからない。
王族なら誰でもいいということであればわからなくもないが、シンがゴダールでなくとも、どこかの王家と急遽繋がりを持たなければならない切羽詰まった理由がまるで思い当たらない。
ここへきて、改めてそれがよくわかった。
一言で言って、思っている以上に豊かなのだ。港から王宮に至るまでの道のり、民の顔は皆一様に明るかった。何よりもどの通りも清潔なのだ。それは、行政が整い更に民に自分の土地以外も綺麗にしようという余裕のある証拠だ。
この数十年、いや、下手をすれば数百年かもしれないが、シンは国交を必要としなかった。
どうでもいい国として世界中から半ば無視されているというより、それだけきちんと自立できていると見て侮るべきではなかったのだ。
それなのに、今更なぜ?
今日会ったばかりの婚約者殿を、チラッと横目で見た。ララという名前だったか。
陽気がいいからか、羽虫が一匹寄ってきて、女王の高く結い上げた見事な銀髪に留まった。
あ。
つい、手で払ってしまった。
女王がラウルの動きに気づいてこちらを見た。
笑った——。
うん、あれは笑ったと言っていいと思う。口角がわずかに上がったのだ。
そして、手を持ち上げて口元を袖で隠した。変わった衣装だ。
高価で豪奢には違いないが、幾重にも重ねた着物や帯はさぞ重かろう。そして、髪飾りをふんだんに挿して高く結い上げた髷は奇妙な紙細工みたいだ。
いや、髪が銀色なので銀細工といったほうが相応しいかもしれない。
ぷーん……
羽虫がまた寄ってきてしつこく女王の髷を目指す。
よく見ると一匹ではない。三匹もいる。
もう一度払ってやると、女王は小さく肩を震わせて笑っている。何がそんなにおかしいのか。
ドンッ、ドンッ
腹に響く空砲の音で我に返った。
バルコニーに向かって、女王と並んで歩いた。
と、女王ががくりとよろけたので慌てて支えた。
「かたじけない」
小さな声で囁いた女王に笑顔を返した。
この婚約者殿は、どこまで利用できるだろうか——
この縁談があっという間に取りまとめられる間、ラウルの頭を占めていたのはそのことばかりだった。
いずれにせよ、この縁談は政略結婚以外の何ものでもない。だとすれば、シンはラウル・トゥルース・ゴダールに国益につながるなんらかの付加価値を見ていると考えるべきだ。
そしてそれは、ラウルの思い通りになるものなのかどうか。もしそうなら、自分はシン国と対等な取引ができる。
取引が成立するなら兵を借りて、俺は必ずゴダールを──
「この衣装と化粧は、先代が苦心惨憺して編み出したあつらえなのだそうだ」
「え……?」
ラウルのそんな思いを知ってか知らずか、女王が周囲に聞こえぬようそっとラウルに囁いた。
「そ、それは、えーと……」
「ふふ、すごかろ? 色々な効能があるのだ」
女王はくすくすと笑っている。
「は、はぁ……」
「姫様! またそのようなことを申されて。殿下がお困りではないですか」
鋭い叱声が後ろから飛んだ。
歓迎式典の間中、ずっとぴったり婚約者殿に付いているレイチェルという名の女官だ。
レイチェルの叱責に女王が肩をすくめた。
薄暗い王宮の広間から、明るい光の差すバルコニーに向かってラウルと女王は粛々と進んだ。
その後ろには、ゴダール王と妃、王子である息子たちやその忠実な臣下が続く。
神秘のヴェールを脱いだシン国に興味津々と言ったところだ。
この縁談のお陰で、国交に他国より大きくリードを広げたことに満足というところだろう。権力闘争に明け暮れる彼らも、今日ばかりは機嫌がいい。
バルコニーの眩しい日差しに目を細めた途端、わあっという歓声が聞こえた。
今日のために解放された王宮の中庭には、歓迎式典に訪れた多くの人々が集っている。シンが他国から賓客を招くこと自体が珍しいのだ。
空砲が鳴り響き、楽隊が賑やかに演奏を始め、正装した近衛兵が馬上から敬礼している。
「ラウル、手を……」
女王にそう言われて、ラウルはぼうっとただ突っ立っていたことに気づいた。
慌てて右手を挙げた。
歓声がさらに大きくなった。
わああっ──。
人々の歓迎の笑顔が、まるで他人事のように思えた。
結婚式は三日後の予定だ。明日からは賓客である各国王家も続々と集まってくるだろう。
今日はとりあえず、顔合わせのお披露目といったところだ。
ラウルの婚約者の第一印象は──
うん、まぁ、老婆ではなさそうだ──
というものだ。
正直、どういう容貌なのかよくわからない。年齢も不詳だ。
なぜなら、厚いヴェールの下から現れたのは、白塗りこってりの仮面のような厚化粧だったからだ。
おまけに目や眉は、筆を使って丁寧に縁取りされたり紅が指されたりしているものだから、容貌を正確に把握するにはまるで信用がおけない。
そしてこの強烈な化粧は、シン王家の特徴である見事な銀髪と神秘的なグレーの瞳を完全に台無しにしている。
いや、まぁ、これでは他の王家の特徴も台無しにするかと、ラウルは思い直した。
シン王がなぜ名指しで自分に白羽の矢を立てたのかまるでわからない。
王族なら誰でもいいということであればわからなくもないが、シンがゴダールでなくとも、どこかの王家と急遽繋がりを持たなければならない切羽詰まった理由がまるで思い当たらない。
ここへきて、改めてそれがよくわかった。
一言で言って、思っている以上に豊かなのだ。港から王宮に至るまでの道のり、民の顔は皆一様に明るかった。何よりもどの通りも清潔なのだ。それは、行政が整い更に民に自分の土地以外も綺麗にしようという余裕のある証拠だ。
この数十年、いや、下手をすれば数百年かもしれないが、シンは国交を必要としなかった。
どうでもいい国として世界中から半ば無視されているというより、それだけきちんと自立できていると見て侮るべきではなかったのだ。
それなのに、今更なぜ?
今日会ったばかりの婚約者殿を、チラッと横目で見た。ララという名前だったか。
陽気がいいからか、羽虫が一匹寄ってきて、女王の高く結い上げた見事な銀髪に留まった。
あ。
つい、手で払ってしまった。
女王がラウルの動きに気づいてこちらを見た。
笑った——。
うん、あれは笑ったと言っていいと思う。口角がわずかに上がったのだ。
そして、手を持ち上げて口元を袖で隠した。変わった衣装だ。
高価で豪奢には違いないが、幾重にも重ねた着物や帯はさぞ重かろう。そして、髪飾りをふんだんに挿して高く結い上げた髷は奇妙な紙細工みたいだ。
いや、髪が銀色なので銀細工といったほうが相応しいかもしれない。
ぷーん……
羽虫がまた寄ってきてしつこく女王の髷を目指す。
よく見ると一匹ではない。三匹もいる。
もう一度払ってやると、女王は小さく肩を震わせて笑っている。何がそんなにおかしいのか。
ドンッ、ドンッ
腹に響く空砲の音で我に返った。
バルコニーに向かって、女王と並んで歩いた。
と、女王ががくりとよろけたので慌てて支えた。
「かたじけない」
小さな声で囁いた女王に笑顔を返した。
この婚約者殿は、どこまで利用できるだろうか——
この縁談があっという間に取りまとめられる間、ラウルの頭を占めていたのはそのことばかりだった。
いずれにせよ、この縁談は政略結婚以外の何ものでもない。だとすれば、シンはラウル・トゥルース・ゴダールに国益につながるなんらかの付加価値を見ていると考えるべきだ。
そしてそれは、ラウルの思い通りになるものなのかどうか。もしそうなら、自分はシン国と対等な取引ができる。
取引が成立するなら兵を借りて、俺は必ずゴダールを──
「この衣装と化粧は、先代が苦心惨憺して編み出したあつらえなのだそうだ」
「え……?」
ラウルのそんな思いを知ってか知らずか、女王が周囲に聞こえぬようそっとラウルに囁いた。
「そ、それは、えーと……」
「ふふ、すごかろ? 色々な効能があるのだ」
女王はくすくすと笑っている。
「は、はぁ……」
「姫様! またそのようなことを申されて。殿下がお困りではないですか」
鋭い叱声が後ろから飛んだ。
歓迎式典の間中、ずっとぴったり婚約者殿に付いているレイチェルという名の女官だ。
レイチェルの叱責に女王が肩をすくめた。
薄暗い王宮の広間から、明るい光の差すバルコニーに向かってラウルと女王は粛々と進んだ。
その後ろには、ゴダール王と妃、王子である息子たちやその忠実な臣下が続く。
神秘のヴェールを脱いだシン国に興味津々と言ったところだ。
この縁談のお陰で、国交に他国より大きくリードを広げたことに満足というところだろう。権力闘争に明け暮れる彼らも、今日ばかりは機嫌がいい。
バルコニーの眩しい日差しに目を細めた途端、わあっという歓声が聞こえた。
今日のために解放された王宮の中庭には、歓迎式典に訪れた多くの人々が集っている。シンが他国から賓客を招くこと自体が珍しいのだ。
空砲が鳴り響き、楽隊が賑やかに演奏を始め、正装した近衛兵が馬上から敬礼している。
「ラウル、手を……」
女王にそう言われて、ラウルはぼうっとただ突っ立っていたことに気づいた。
慌てて右手を挙げた。
歓声がさらに大きくなった。
わああっ──。
人々の歓迎の笑顔が、まるで他人事のように思えた。
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