1 / 1
私の夫を愛する男
しおりを挟む
私はベッドの上で大きく脚を開いて、夫に見せつけるように自慰をする。
「ああ、濡れてきたね。すごくいやらしくて綺麗だ」
両腕を寄せて胸の谷間を強調しながら、クリトリスをこね回す。
「君はそこが好きだね。中は僕が弄ってあげよう」
夫の節の目立つ指がゆっくりとひだをかき分けて中に入ってくる。
「あっ……」
恍惚とそれを受け入れると、夫が「だめだよ」と意地悪く微笑んだ。
「手を止めないで。続けなさい」
「ねえ、私もあなたに触りたいわ」
「いいんだ。君は気持ちよくなって」
彼は私のいいところを知り尽くしている。私はあっという間に彼の指で果ててしまった。
夫は勃起しない。結婚して二年。これが私たちのセックス。
夫がEDだと診断されたのは一年ほど前のことだ。原因ははっきりしない。おそらく心因性、つまりストレスだろうと言われた。
そのときすでに一年のセックスレス。私としては夫に求められない理由に診断がついたことでむしろ安心する気持ちがあった。他に好きな人がいるんじゃないかとか、もう女として見てもらえないんじゃないかとか悩んでいたから。
けれど夫は逆だったようで、離婚を切り出された。
「僕のような男が、若い君の人生をこれ以上縛ってはいけない」
夫とは二十歳の歳の差婚。夫はそれを、ずっと引け目に感じているらしい。
「何言ってるの。私はあなただから一緒に生きたいの」
「でも、子どもだって欲しいだろう」
「あなたの子なら欲しいわ。でも、あなたと二人きりの人生だって素敵じゃない」
「君を満足させてあげられない」
「そりゃああなたに触れたいけれど、挿入だけがセックスじゃないもの。色々楽しみましょう。それともあなたはそれじゃあ満足できない?」
「……わかった。せめてお金の不自由だけはさせないよ」
「そこは疑っていなわ」
私はいたずらっぽく笑ってみせた。
私はいわゆる港区女子というやつだった。パパ活女子ともいうだろうか。だから夫は、私が夫とお金のために結婚したのだと思っている。
間違いではない。お金がないのは本当に惨めだ。年商が億を超える企業を経営する彼のことを尊敬している。私には到底できなかったことだから。
それでも私は彼を愛している。彼が信じなくても。
ある日の夕方、インターホンが鳴った。エントランスではなく玄関のインターホンが直接鳴らされ、リビングを出ると丁度玄関の鍵が外から開けられて夫が入ってくるところだった。夫は帰宅を知らせるため、敢えてインターホンを押してから鍵を開ける。
「ただいま」
「おかえりなさい。今日は早いのね」
夫の鞄を受け取ろうと歩み寄ると、後ろから夫より少し背の高い生真面目そうな青年が入ってきた。夫の秘書の五十嵐さんは、フレームの細い眼鏡越しに私を見て愛想笑いを浮かべた。夫の鞄を大事そうに抱えたまま、私に寄越そうとしない。
「急な会食が入ってね。着替えに寄っただけなんだ」
夫はややカジュアルめとはいえスーツを着ていた。わざわざ着替えが必要とは、よほど大事な商談が絡んでいるんだろうか。私は少し焦る。
「連絡をくれれば準備したのに」
「君はいつもきちんと準備してくれているから、大丈夫だよ。淳、書斎で待っていて」
「かしこまりました」
夫に指示された五十嵐さんは綺麗すぎる動作で頭を下げた。
五十嵐さんは私の少し年上で夫とは年が離れているが、夫との付き合いは長い。夫が会社を立ち上げる直前に勤めていた会社の若手社員で、夫が独立するときに自分から売り込んで立ち上げメンバーに加わったと聞いている。夫に心酔していて、夫の会社の社員だが私設秘書のようなことまでしている。とにかく夫に対して献身的だ。
そんな彼は夫の独身時代この家の合鍵を持っていたほどだから、勝手知ったるといった様子だ。五十嵐さんは夫の指示通り、書斎に脚を向けた。案内など必要ないと知っているので、私は夫の着替えを手伝うため、夫に続いて寝室に入った。
まるで鴨の親子のようにくっついてきた私を見て、夫が苦笑する。
「着替えくらい一人でできるよ。淳にお茶でも出してやってくれないか。少し打合せをしてから出るから」
そう言って私に背を向けた夫のジャケットに手をかける。意地でも手伝おうとする私に、夫は呆れたような優しいため息をついた。
「ねえあなた」
「なんだい……っ」
振り向きざまの夫にしがみついてキスをする。夫は少し驚いたようだったけれど、すぐさま腰に腕を回してキスに応えてくれた。支えるためだとわかっているのに、体をなぞった手に感じてしまう。もっと欲しくなって、舌を差し入れた。
夫が「待った」と言って唇を離す。
「悪い子だな。君、僕をその気にさせて引き留める気だろう」
「本当に、そうしてくれたらいいのに」
「どうしたの」
「別に。あなたとキスならいつだってしたいわ」
「やっぱり満足させられていないんだね」
「そうじゃないわ」
冷静に話なんてしたくない。もっと背伸びをして強引に唇を押し付けると、勢い余って夫がバランスを崩し、ベッドに倒れこんでしまった。押し倒すというとり二人してベッドに転んでしまったのだけれど、私を守るように抱きしめてくれたのが嬉しくて、私はそのまま夫に覆いかぶさってキスをした。
「ん、駄目だよ。淳を待たせているんだから」
「あの人ならずっと待つわ」
夫はまた優しく笑って、今度は自分からキスをしてくれた。舌をいれて欲しくて薄く開いたけれど、夫の舌は私の唇をなぞるだけだった。唇が離れて、頬と耳に何度かキスが落とされる。そして夫は小さな子どもをあやすようにぽんぽんと頭を叩いた。
「さ、これまでだ。また改めてちゃんと可愛がってあげるから」
本当に子どもをあやすようだ。私は不服だったけれど、夫の仕事の邪魔をしたいわけじゃない。今は引き下がるしかなかった。
夫の上からどこうすると、直前で夫に腕を引かれた。夫が私の首に噛みつく。甘嚙みされ、ぬるりとした舌がなぞった。
「あっ」
私はそれだけで単純に感じてしまう。
夫はそのままキスを下ろしていき、胸元のほくろの横に音を立てて吸いついた。夫が唇を離すとそこには赤い痕がついていた。夫がいたずらっ子のようにはにかむ。
「日付が変わる前には帰るよ。少し遅くなるけれど、待っていてくれるかい?」
夫のこういうところがずるい。私は簡単に手の上で転がされるんだから。
気持ちが浮ついて、私は「一人でいいから」という夫の言葉に従って寝室を出た。お茶の準備をしようとキッチンに向かうと、そこには五十嵐さんがいた。
「ああ、奥様。お借りしています」
借りていると言いながら我が物顔でそこに立つ五十嵐さんに、浮ついていた気持ちが一気にまた下がる。
「五十嵐さん。キッチンに入るときは一声かけてください」
「それは申し訳ございません」
五十嵐さんは悪びれる様子もなくそう言った。合鍵を持っていたほどなのだから、五十嵐さんは私よりもこの家に慣れていた。とはいえ結婚し、私がこのキッチンの主になって三年近い。結婚時に当然合鍵は返してもらったし、結婚後しばらくして夫に強請りキッチンをリフォームした。
「ですが、声をおかけしてよろしかったのですか?」
私は答えられなかった。きっとこの人は、寝室の外で聞き耳を立てていたのだ。
紅茶のいい香りがした。その手際に感心すると同時に素直に褒められない嫉妬心が生まれる。
「夫の好きなコーヒーがあったと思いますけど」
「コーヒー豆、少し酸化していました。お届けするよう手配しておきます」
責めてはいないんだろうけれど、小姑の嫌味のようだ。
「後は私がやりますから」
「いえ。もう終わりますので、奥様は休んでいらしてください」
子どもじみた嫉妬心で代わろうとすると、止めようとした五十嵐さんに手を握られた。
まずい、と思ったときには遅かった。
「んっ……」
握られた手を引かれ、キスをされる。抵抗しようとしても腰を抑えられ、男の人の力にはかなわなくて逃げられない。顔を背けると作業台との間で体を固定され、顎を持って顔を上げさせられた。顎クイなんて言葉が昔流行ったけれど、そんないいものじゃない。どうして顎を持たれると容易く顔を上げてしまうのか。人体の構造を呪った。
五十嵐さんに最初に誘惑されたのは、結婚してすぐの頃だった。それ以来、時折こうして触れてくる。
大声を出すこともせずにいるのは、最初に言われたからだ。
「もし社長に知れたら、私は奥様と不倫関係だと言います。社長は長年の腹心である私と、お金目当てに結婚された元娼婦と、どちらの言葉を信じるでしょうね?」
馬鹿げている。心の底からそう思う。それなのに否定しきれなかった。
夫が長年信頼している人だから言えずにいるけれど、この人に会うたび怖くて仕方ない。夫がついに離婚する理由を見つけてしまわないかと。
その夜、夫は帰ってこなかった。「どうしても外せない用ができた。先に寝ていて」とメッセージひとつで私は約束を破られた。
その日からは夫は私に触れることをしなくなった。家にいる時間も意図的に減らしているようだった。
それは私にとっては突然のようで、恐れていたことがとうとう来た、という気持ちでもあった。ただきっかけがわからないのは本当で、昼間夫がいないリビングで呆然と過ごすことが増えていった。
もし捨てられたら、財産分与くらいはしてもらえるのか、もらえなかったら生活に困るななどということをぼんやり考えた。クレジットカードもキャッシュカードも取り上げられてはいないから、今のうちに資産になるものを買っておくべきだろうかと空想した。
それよりも。
私は両腕を抱いた。ニットのVネック部分から見えるほど谷間を寄せてみる。割と綺麗な形になったと思うけれど、夫はもうこれに興味はないのか。
「専業主婦なのに、家事のひとつもやらないのですか」
突然かけられた声に、私は文字通り飛び上がりそうなほど驚いた。
「五十嵐さん⁉」
振り返ると、夫の姿はなく夫の秘書だけが立っていた。
「どうやって」
「社長に鍵をお借りしました。必要な書類をご自宅にお忘れになったとのことでしたので」
嘘だと思った。私が家にいるのを知っているのだから、鍵を渡す必要はない。まさか合鍵を作っていたのか。
少し前までならこの人が近くにいるのも怖かったけれど、無気力になっている今は考えることが億劫だった。
数秒置いてようやく危機感を思い出した頃には、私はソファに押し倒されていた。
「なにをするの」
「男が女性を押し倒した。何をしたいかなど、明白では?」
冷たい笑みを浮かべる五十嵐さんに、やっと恐怖が襲ってくる。
「あなたはどうして」
「『どうして』? おや、今まで私は何度も奥様を誘惑していたと記憶していますが」
「その理由がわからない。私のことなんて軽蔑してると思ってた」
五十嵐さんは私の過去を知っている。夫と出逢ったとき、秘書としてこの人も当然のように隣にいたのだから。
「軽蔑はしていませんよ。ただ、私もお相手いただこうかと」
五十嵐さんが私の胸に手を這わせる。ぞくりと背筋を悪寒が走った。
「いや、やめて! あなた、あなた!」
腕を振りほどこうとし、足をばたつかせて覆いかぶさる男をどかせようとしたけれど、五十嵐さんはびくともしなかった。逃げられないことを悟り、私は子どものように泣きじゃくってしまった。
五十嵐さんが呆れたように深いため息をつく。
「――社長。やはり無理があるかと」
「え……?」
五十嵐さんが言うと、リビングの扉が動いた。締まっているように見えて少し開いていたようだ。その陰から夫が姿を見せる。
「ああ、ごめんよ。怖い思いをさせてしまったね」
夫は申し訳なさそうに言った。
五十嵐さんが私を解放し、体を離す。もしかして、夫に鍵を借りたというのは本当だったのか。
「どういう、こと?」
「すまない」
謝罪しか口にしない夫に、まさかと思った。
「もしかして、今までのことも全部あなたの指示だったの? そうまでして私と別れたかったの?」
「それは違います」
否定したのは五十嵐さんだった。
「俺があなたを誘惑したのは、あなたを試すためです。お金目当ての、それもほかの男の手垢がついた女性を社長の奥様として認めたくなかったので」
試す、とは言ったが、五十嵐さんは私を追い出したかったんだとやっと気づいた。この人の私を見る目に熱を感じたことなんて一度もなかった。だから違和感が強くて怖かった。けれどやっとわかった。この人は私が嫌いだったんだ。夫の妻になった私が。
「彼女のような若く美しい女性が私の妻でいてくれるんだ。お金目当てのなにが悪いんだ」
「酷い! 私は本当にあなたのことを愛しているのに」
「ええ。そのようですね。あなたは何をしてもなびかなかった。だからこれはもう諦めるべきかと、思い直そうとしていたのです。あなたは社長に本気なのだと。最近のことは、もうほとんど惰性で続けていた嫌がらせでした」
嫌がらせだと、五十嵐さんは悪びれる様子もなくさらりと言い放った。
「けれど先日のキスを、社長に見られてしまいました」
夫が約束を破った日だ。
「そのとき、僕でなくてもいいんだと気づいた。淳ならば君を喜ばせてあげられると思ったんだ」
「そんな。私はあなただから抱かれたいのに。夜だって、私はあのままでも幸せなのに」
夫はいたずらをしでかした子どもがそうするように、口を引き結んで押し黙った。
「社長。本当のことをお話した方が」
「何?」
「それは、いややはり言えない」
「教えて」
私は夫ではなく五十嵐さんに向かって言った。
「『寝取られ』という言葉をご存じですか」
「淳!」
「そのまま自分のパートナーを第三者に性的に奪われることを意味しますが、最近ではそういう性癖のことも差すんですよ。ああ、奥様は私よりお詳しいかもしれませんね」
五十嵐さんの嫌味なんてこたえない。そういう性癖があることは私も知っていた。自分のパートナーが第三者とセックスすることに興奮を覚えるということだ。
「社長はおそらく寝取られ性癖をお持ちです」
五十嵐さんは「失礼します」と言って夫のスラックスの前を開いた。そう言えばベルトを着けていない。
「ああ、やはり……今は萎えているようですが、精液の匂いがします。我慢汁かな。先ほど俺に襲われる奥様の姿を見ただけで勃起なさったんですね」
五十嵐さんは恍惚とした表情を浮かべた。ああやっぱり、この人は。私もきっと同じ顔をしている。
「あなた、興奮したの? 五十嵐さんにレイプされそうになる私に?」
「違う! 君が本気で嫌がっている姿には、興奮しなかった。君を傷つけることはしたくないんだ」
「でも私が五十嵐さんに触れられることには、興奮したのね」
すべてが腑に落ちた。そう思ったら、乾いた笑みが漏れた。
「そう、あなた、他の男に抱かれる私を愛していたのね」
独り言のように吐き捨てると、夫が困ったように視線を泳がせた。
私は元パパ活女子――いや、娼婦だった。
よくある話だ。東京に憧れて「大学」と呼ぶのもおこがましい三流大学に進学して、夢見たキラキラした人間にはなれなくて、生活費と奨学金に押しつぶされた。
大学は除籍になり、それでも東京にしがみついてしまって、お金のために港区女子になった。最初はギャラ飲み、それからラウンジ嬢。パパ活という名の援助交際に落ちるまであっという間だった。芯がなければ教養もない女が売れるのは体だけだった。
夫に知り合ったのは、私がすっかり娼婦になり下がった後だった。ラウンジでお茶を引いている私を指名してくれた。その頃私の指名客といえば、私が股を開くとわかっている人だけだったから、私はいつものように彼をホテルに誘った。
いつものお客と違ったのは、夫は私と関係を持つことに消極的だった。知っていて私を指名した様子だったのに、だ。私が誘ったから私を抱いた。そんな印象だった。
夫は私の境遇を知ると私の力になりたいと言ってくれ、私に数万円を渡すために私を抱いた。私はこの人以外に抱かれたくないと思うようになっていった。正直にその気持ちを話すと、彼は私と結婚して私の奨学金や借金のすべてを肩代わりしてくれた。若さ以外夫の琴線に触れるものがあったのか、わからないままだった。
それでも私は夫を愛した。自分でも驚くほど。夫じゃなくてもよかったと人は言うかもしれない。お金に救われたことも否定しない。それでも助けてくれたのはほかでもない夫だ。私にはそれだけで十分だった。
けれど今、やっとわかった。この人は娼婦だった私を愛したのだ。
「……っすまない」
夫は否定しなかった。経営者として成功していつも自信たっぷりな彼がこんな風に頼りなく言葉を発するところなんて初めて見た。
「自分でも異常だってわかってる。やっぱり別れてくれ。僕は君に相応しくない」
夫が異常者だというなら、私も異常者だ。襲われかけたのに、本当に今のままでも幸せだったのに、夫が私に二年ぶりに勃起したことを知って喜んでいる。
「五十嵐さん」
「はい」
「避妊具、持っていますか。なければ夫のが寝室にあります」
夫の子どもが欲しかったので、挿入できていたころは避妊していなかった。本当は玩具用だ。
「ああやっぱり、奥様は俺と同類なんですね」
五十嵐さんは嬉しそうな笑みを浮かべた。この人の屈託ない笑みを見たのは初めてじゃないだろうか。
「ご安心ください。持参してきましたから」
覚悟を決めた私たちに、夫だけが困惑していた。
「君……本気か?」
「ええ。あなたに欲情されるためなら、できるわ」
私たちは三人で寝室に移動した。
夫と過ごすためのキングサイズのベッド。その前に五十嵐さんと二人で立つ。夫は私のドレッサー用の小さな椅子に腰を下ろした。
「後ろからにしましょう。その方が社長に奥様の体がよく見えます」
夫に向き合って立つ私に、後ろから五十嵐さんが触れる。大きな手が服の上からねっとりと私の体をなぞった。体のラインが強調されるように。夫は最初こそいたたまれない表情をしていたけれど、やがてその視線に期待や熱がこもるようになったのを私は肌で感じていた。その熱が、逃げそうになる体を何とか留めさせた。
かつて娼婦だったというのに、夫以外の唇が、指が肌に触れる不快感は想像以上だった。同時に少し安心した。私は夫にだけ抱かれたいのだと。夫以外に抱かれても、娼婦に戻ったりなんてしないと。
「緊張、ではありませんね。私ではご不満なのでしょう」
五十嵐さんが私の耳を甘嚙みしながら囁いた。意外にも労わるような響きで、警戒心が薄まる。
「俺のことはアダルトグッズかなにかだと思ってください。これは俺と奥様のセックスではなく、奥様のオナニーです」
それは私たち夫婦にとって優しい口実だった。初めてこの人に好感を持った。
「ねえ、あなたも脱いで。私、あなたに抱かれることを想像したら気持ちよくなれるかもしれない」
夫に懇願すると、五十嵐さんもその提案に同意した。
「それはいいですね。オナニーにはオカズが必要ですから」
夫は自分でシャツを脱いだ。上半身裸になると、もうすぐ五十歳になるとは思えないほどには鍛えられた体が現れる。下は脱がなかった。
「社長はいつもどのようにあなたを愛するんですか? 特別に再現して差し上げますよ」
知りたいだけだろう、とは口には出さなかった。
「あなたは、私の胸が好きよね? ほら、ここにほくろがあるの。ここを舐めるのが好きだわ」
ニットをたくし上げて胸元を見せると、五十嵐さんは薄く笑った。
「俺を煽るのがお上手だ」
そう言って前から私の腰を持つと、立ったまま胸のほくろを舐める。私には片腕だけ首に回させてもう片腕は下ろしたまま、夫にちゃんと私の体が見えるように計算しているようだった。AV男優の経験があるんだろうかと思うほどの気遣い。この人はとことん夫のためにやっているのだと実感する。
ブラジャーの肩ひもを落とし、ずり下げる。綺麗に脱がせようとしないのは、寝取られの演出なんだろうか。露出した左の乳首を舐められて、小さく肌が震えた。少しずつだが体がセックスの準備を始めている。
「ああ、社長。勃起してらっしゃるんですね」
不意に五十嵐さんが言った。つられて視線をやると、確かに夫はスラックスの前を腫らしていた。それを見るのは何年振りだろう。無意識に唇を舐めた。
「もしかして、社長のあれを舐めたいですか?」
五十嵐さんの言葉に、夫は少し戸惑いの表情を浮かべた。多分、私が触れたら夫は萎えてしまうのだろう。
五十嵐さんが耳に口を寄せて、私にだけ聞こえるように囁く。
「気持ちはすごくわかりますよ」
その言葉に救われる。今まで恐怖の対象だった五十嵐さんを、急に身近に感じた。
「舐めてもいいですか? 夫にするみたいに」
「構いませんか? 社長」
「あ、ああ。やってくれ」
五十嵐さんは丁度夫の正面の位置でベッドに腰かけた。私は足の間にしゃがみ、スラックスの前を寛げる。
五十嵐さんも少し勃起していた。私は下着の上からそれを丁寧に撫でる。夫は私の姿を見て、自分がされているところを想像して興奮してくれるだろうか。
「あ……お上手ですね、奥様。これは社長がお教えになったんですか?」
「いや……」
夫が視線を外す。その返事だけで五十嵐さんは納得したようで、けれどそれ以上無粋なことは言わないでいてくれた。
私はもっと夫に見ていて欲しくて、下着からペニスを取り出して口に含んだ。五十嵐さんが「ああ」と声を漏らす。
「社長はここがお好きなんですね。いいですよ奥様。素敵です」
私の髪を撫でながら五十嵐さんが嬉しそうに言う。夫がごくりと喉を鳴らした。
五十嵐さんも私のことを夫が使ったオナニーグッズかなにかだと思っている。五十嵐さんは私に触れているのではなく、間接的に夫に触れて興奮しているのだ。
「太ももをこすり合わせて……もしかして濡れていますか? 俺のを舐めて?」
「んはっ……私は夫のを舐めてるの」
「そうでした。じゃあ俺もオナニーグッズとして奥様を喜ばせてさしあげないと。ベッドに上がって、こちらにお尻を向けてください。社長はどちらをご覧になりたいですか? フェラチオをする奥様と、クンニリングスをされる奥様」
「僕は妻とシックスナインはしたことがない」
「おや、そうでしたか。ではやめますか?」
「いや、やってくれ。僕は妻の感じている顔が見たい」
夫が初めてこの行為に「指示」をした。願望を口にされたことが嬉しい。
「わかりました。奥様、横向きでしましょう。上に乗っていただくより顔が見えやすいでしょうし、俺も社長に尻の穴を見せるのはまだ恥ずかしいので」
五十嵐さんは私の衣服をゆっくりとすべて脱がせる。自分で脱ごうとしたけれど、それは寝取り男の役目だと譲らなかった。
二人でベッドに逆さ向きで横になった。私は下側の足を延ばし、上側の片足を曲げて股を開かされている。言わずもがな夫によく見せるためだ。五十嵐さんは私の陰部を両手で開き、まじまじと眺めた。
「はぁ……ここに社長がペニスを……」
嫌われていると思っていた男が、ためらいもなく私の陰部に口をつける。まるで夫の痕跡を探すかのような勢いづいた愛撫に、声が出てしまう。負けじと目の前のペニスを握り、舌を這わせた。
「妻は最初はクリトリスが好きなんだ。中は手前をじっくり攻めてやる。十分に濡れてきたら奥の方が気持ちいいみたいだね」
ノッてきた夫が五十嵐さんに指示を出し、五十嵐さんがその通りに舌や指を動かす。本当に夫に愛撫されている気分になって、奥がひくついてしまう。
夫の股間が下着を押し上げている。二年ぶりに見るそれにひどく興奮した。
「ねえ、あなたも下を見せて」
夫はパンツを下げてくれた。ウエストのゴムに引っかかって、勃起した男性器がぶるんと弾む。私は唾液が滲み出るのを感じた。夫の亀頭は少し濡れていて、舐めとってあげたくなったのを口の中のペニスで我慢した。
「奥様の感度が良くなりました。さすがです社長。奥様も健気に俺の……いえ、社長のものにご奉仕してくださってますよ。そろそろ挿入したくなりませんか、社長?」
「ああ、ああ……!」
こくこくと頷いた夫の目が興奮でぎらついている。夜はちゃんと愛してくれていたけれど、こんなに雄みたいな目を見たのはいつぶりだろう。付き合っていたときのセックスでさえ、夫はどこか冷静だった。
五十嵐さんが一旦体を離し、コンドームをペニスに被せる。
「背面座位にしましょう。入るところと奥様の体が社長によく見えます」
ペニスが膣口に触れた瞬間、忘れていた不快感が蘇った。
「いやっ」
思わず拒絶が口から漏れて、夫が固い顔をした。
「やめますか?」
それは蔑むような響きだった。
抱かれたいのは夫だけ。急に怖くなってしまった。それでも。
「やってください。夫に興奮されたいの」
肩越しに振り返ってそう言うと、五十嵐さんがふわりと笑った。
「社長。奥様に触れて差し上げてください」
「だが」
「奥様は不安なようです。キスして差し上げるのはいかがですか? 俺の我慢汁の味がするかもしれませんが」
「……っ」
五十嵐さんの言葉を聞くや否や、夫がベッドに乗って私にキスをする。口の中をすべて味わうみたいに、唾液も飲み干すみたいに吸われた。こんなに荒々しくキスされたことなんてあっただろうか。この人はずっと、私に対して優しい大人の顔を崩さなかった。
「はっ……あなた、愛してる」
「ああ、僕もだ」
「妬けますねぇ。社長、挿れます。奥様、もう大丈夫ですね?」
私と夫がそれぞれ頷くと、五十嵐さんは私に入ってきた。
「あっ……」
五十嵐さんの若い体は、夫よりずっと猛々しかった。久しぶりに受け入れた夫以外の体。挿入だって二年ぶりだ。十分に慣らされたはずなのに少し苦しい。知らないペニスの感触に不安が戻ってきて、夫に縋った。
夫は口で呼吸をしながら、瞬きもせずに私の痴態を凝視している。股間は萎えていなくて、そのことに少し安心した。
「社長もなさったらいかがですか?」
「え?」
「奥様は社長に『挿入だけがセックスじゃない』と仰ったそうですが」
夫がEDと診断されたときのことだ。夫は彼にこんなことまで話すのか。
「素敵な言葉ですよねぇ、社長? これはもう奥様のオナニーでもなく、俺を使ったあなた方のセックスですよ。ほら、もうそれが苦しいのでしょう? 社長も気持ちよくなってください。それとも俺がお手伝いしましょうか?」
どさくさに紛れて夫に触れようとしていると気づいて、私が否を唱えた。
「やだ。五十嵐さんがするくらいなら自分でしごいて」
「君は淳に抱かれて気持ちよくなってるのに?」
夫はやっと余裕が出てきたのか、敢えて意地悪なことを言った。
「あなたに見られないと気持ちよくないわ」
「そうかい? 淳は若いし、僕のものより大きいだろう?」
「あなたがいいの。あなたを愛してるの。お願い。あなたが気持ちよくなってるところを見せて。五十嵐さんに抱かれる私に興奮してるんでしょう?」
懇願が通じたのか、夫はベッドの上に立ち、私の顔の前で自らをしごき始めた。五十嵐さんもつばを飲み込んだ音が聞こえる。
「あっ、締まる……っ。やはり社長でないと、奥様を興奮させられないんですね」
五十嵐さんが動きを強くする。夫の手の動きに合わせているのだと気づいて、私は中にいるのが夫だと錯覚した。
「くっ、出る……」
「わかりました、社長。ほら奥様。社長と一緒にイッてください?」
「あ、あ、あ、あーっ」
例えるなら膣から背骨を通って脳天まで電撃が走るような感覚だった。夫も精を吐き出し、私の顔や胸元を濡らす。五十嵐さんも体を震わせながら小さく呻いて、私の中で果てたのだと知る。
五十嵐さんがペニスを引き抜き、私はそのまま前に倒れるように夫の脚にかじりついた。ティッシュを取るためにベッドから降りようとしていた夫を引き留める。
「私にさせて? あなたのためにほかの男性のを受けいれたんだから」
私は夫が了承するのも待たず、夫のペニスに吸い付いた。久しぶりに味わう夫の精液。本当に夫に抱かれた気分になった。夫は少し戸惑っていたけれど好きにさせ、私を褒めるように髪を撫でてくれた。
「君、そんなに大胆だったんだね」
「嫌だった?」
夫は当初から、やんわりと私に奉仕させないようにしていた。だから元娼婦なのに夫とのセックスでは受け身になることが多かったのだ。
「君が嫌なんじゃないかと思っていたんだ。結婚前の仕事も好きでやっていたわけではないようだし」
「あなたのならいくらでもしたいわ」
綺麗に舐め取って口を離すと、今度は五十嵐さんが私に絡みついてきた。もう終わったのにと驚いていると「今度は奥様の番です」と言った。そして「俺もご褒美をいただきますよ」と私にだけ聞こえるように囁くと、五十嵐さんは私の胸を舐め始めた。正確には私の胸に散った夫の精液を。今日一番の念入りな仕草だった。
その後も私は「ご褒美」を強請った。夫に体を洗ってもらいたいと願うと、なんと五十嵐さんまでついてきた。
お風呂場では夫だけでなく五十嵐さんにも体を洗われ、それを見ていた夫は再び勃起に成功した。私は五十嵐さんに挿入してもらい、そのことに興奮し続ける夫のペニスを口に収めた。今度は萎えなくて、私は悦びの中で夫を貪った。
二度目のセックスが終わった後、私たちは三人で食事した。夫と結婚してから私が料理教室でせっせと習った料理を振舞った。五十嵐さんはもうキッチンには入ってこなかった。その日の赤ワインは飛び切り美味しかった。
食事が終わり、私と夫は二人で五十嵐さんを見送った。
「淳。今日は色々とすまなかったね」
夫は私の肩を抱きながら五十嵐さんに声をかけた。私は幸福感に浸りながら、夫に寄り添った。
「いえ。社長の望みを叶えるのが秘書の仕事と自負しておりますので。お喜びいただけましたか?」
「ああ。こんなことを思ってはいけないのかもしれないが、最高だった」
「五十嵐さん。ありがとう」
「奥様も素敵でした。――またお呼びいただけますか?」
夫が少し迷うような視線を私に送った。私は頷いた。
「淳のことが気に入った?」
二人きりになったあと、夫は私に問うた。その目に嫉妬が宿っている。私は今日二回もセックスした後だというのにまた興奮しそうだった。私は余裕ぶって笑みを浮かべた。
「ええ、そうね。あなたのセックスを再現してくれるところが素敵」
「それは僕への嫌味かな?」
「本心よ」
そう言って夫にキスをした。夫が私を抱きしめる腕にもう迷いはない。歪んだ性癖だろうと世間から理解されなかろうと、夫に愛されるならそれでいい。
ああ私、幸せだわ。
「ああ、濡れてきたね。すごくいやらしくて綺麗だ」
両腕を寄せて胸の谷間を強調しながら、クリトリスをこね回す。
「君はそこが好きだね。中は僕が弄ってあげよう」
夫の節の目立つ指がゆっくりとひだをかき分けて中に入ってくる。
「あっ……」
恍惚とそれを受け入れると、夫が「だめだよ」と意地悪く微笑んだ。
「手を止めないで。続けなさい」
「ねえ、私もあなたに触りたいわ」
「いいんだ。君は気持ちよくなって」
彼は私のいいところを知り尽くしている。私はあっという間に彼の指で果ててしまった。
夫は勃起しない。結婚して二年。これが私たちのセックス。
夫がEDだと診断されたのは一年ほど前のことだ。原因ははっきりしない。おそらく心因性、つまりストレスだろうと言われた。
そのときすでに一年のセックスレス。私としては夫に求められない理由に診断がついたことでむしろ安心する気持ちがあった。他に好きな人がいるんじゃないかとか、もう女として見てもらえないんじゃないかとか悩んでいたから。
けれど夫は逆だったようで、離婚を切り出された。
「僕のような男が、若い君の人生をこれ以上縛ってはいけない」
夫とは二十歳の歳の差婚。夫はそれを、ずっと引け目に感じているらしい。
「何言ってるの。私はあなただから一緒に生きたいの」
「でも、子どもだって欲しいだろう」
「あなたの子なら欲しいわ。でも、あなたと二人きりの人生だって素敵じゃない」
「君を満足させてあげられない」
「そりゃああなたに触れたいけれど、挿入だけがセックスじゃないもの。色々楽しみましょう。それともあなたはそれじゃあ満足できない?」
「……わかった。せめてお金の不自由だけはさせないよ」
「そこは疑っていなわ」
私はいたずらっぽく笑ってみせた。
私はいわゆる港区女子というやつだった。パパ活女子ともいうだろうか。だから夫は、私が夫とお金のために結婚したのだと思っている。
間違いではない。お金がないのは本当に惨めだ。年商が億を超える企業を経営する彼のことを尊敬している。私には到底できなかったことだから。
それでも私は彼を愛している。彼が信じなくても。
ある日の夕方、インターホンが鳴った。エントランスではなく玄関のインターホンが直接鳴らされ、リビングを出ると丁度玄関の鍵が外から開けられて夫が入ってくるところだった。夫は帰宅を知らせるため、敢えてインターホンを押してから鍵を開ける。
「ただいま」
「おかえりなさい。今日は早いのね」
夫の鞄を受け取ろうと歩み寄ると、後ろから夫より少し背の高い生真面目そうな青年が入ってきた。夫の秘書の五十嵐さんは、フレームの細い眼鏡越しに私を見て愛想笑いを浮かべた。夫の鞄を大事そうに抱えたまま、私に寄越そうとしない。
「急な会食が入ってね。着替えに寄っただけなんだ」
夫はややカジュアルめとはいえスーツを着ていた。わざわざ着替えが必要とは、よほど大事な商談が絡んでいるんだろうか。私は少し焦る。
「連絡をくれれば準備したのに」
「君はいつもきちんと準備してくれているから、大丈夫だよ。淳、書斎で待っていて」
「かしこまりました」
夫に指示された五十嵐さんは綺麗すぎる動作で頭を下げた。
五十嵐さんは私の少し年上で夫とは年が離れているが、夫との付き合いは長い。夫が会社を立ち上げる直前に勤めていた会社の若手社員で、夫が独立するときに自分から売り込んで立ち上げメンバーに加わったと聞いている。夫に心酔していて、夫の会社の社員だが私設秘書のようなことまでしている。とにかく夫に対して献身的だ。
そんな彼は夫の独身時代この家の合鍵を持っていたほどだから、勝手知ったるといった様子だ。五十嵐さんは夫の指示通り、書斎に脚を向けた。案内など必要ないと知っているので、私は夫の着替えを手伝うため、夫に続いて寝室に入った。
まるで鴨の親子のようにくっついてきた私を見て、夫が苦笑する。
「着替えくらい一人でできるよ。淳にお茶でも出してやってくれないか。少し打合せをしてから出るから」
そう言って私に背を向けた夫のジャケットに手をかける。意地でも手伝おうとする私に、夫は呆れたような優しいため息をついた。
「ねえあなた」
「なんだい……っ」
振り向きざまの夫にしがみついてキスをする。夫は少し驚いたようだったけれど、すぐさま腰に腕を回してキスに応えてくれた。支えるためだとわかっているのに、体をなぞった手に感じてしまう。もっと欲しくなって、舌を差し入れた。
夫が「待った」と言って唇を離す。
「悪い子だな。君、僕をその気にさせて引き留める気だろう」
「本当に、そうしてくれたらいいのに」
「どうしたの」
「別に。あなたとキスならいつだってしたいわ」
「やっぱり満足させられていないんだね」
「そうじゃないわ」
冷静に話なんてしたくない。もっと背伸びをして強引に唇を押し付けると、勢い余って夫がバランスを崩し、ベッドに倒れこんでしまった。押し倒すというとり二人してベッドに転んでしまったのだけれど、私を守るように抱きしめてくれたのが嬉しくて、私はそのまま夫に覆いかぶさってキスをした。
「ん、駄目だよ。淳を待たせているんだから」
「あの人ならずっと待つわ」
夫はまた優しく笑って、今度は自分からキスをしてくれた。舌をいれて欲しくて薄く開いたけれど、夫の舌は私の唇をなぞるだけだった。唇が離れて、頬と耳に何度かキスが落とされる。そして夫は小さな子どもをあやすようにぽんぽんと頭を叩いた。
「さ、これまでだ。また改めてちゃんと可愛がってあげるから」
本当に子どもをあやすようだ。私は不服だったけれど、夫の仕事の邪魔をしたいわけじゃない。今は引き下がるしかなかった。
夫の上からどこうすると、直前で夫に腕を引かれた。夫が私の首に噛みつく。甘嚙みされ、ぬるりとした舌がなぞった。
「あっ」
私はそれだけで単純に感じてしまう。
夫はそのままキスを下ろしていき、胸元のほくろの横に音を立てて吸いついた。夫が唇を離すとそこには赤い痕がついていた。夫がいたずらっ子のようにはにかむ。
「日付が変わる前には帰るよ。少し遅くなるけれど、待っていてくれるかい?」
夫のこういうところがずるい。私は簡単に手の上で転がされるんだから。
気持ちが浮ついて、私は「一人でいいから」という夫の言葉に従って寝室を出た。お茶の準備をしようとキッチンに向かうと、そこには五十嵐さんがいた。
「ああ、奥様。お借りしています」
借りていると言いながら我が物顔でそこに立つ五十嵐さんに、浮ついていた気持ちが一気にまた下がる。
「五十嵐さん。キッチンに入るときは一声かけてください」
「それは申し訳ございません」
五十嵐さんは悪びれる様子もなくそう言った。合鍵を持っていたほどなのだから、五十嵐さんは私よりもこの家に慣れていた。とはいえ結婚し、私がこのキッチンの主になって三年近い。結婚時に当然合鍵は返してもらったし、結婚後しばらくして夫に強請りキッチンをリフォームした。
「ですが、声をおかけしてよろしかったのですか?」
私は答えられなかった。きっとこの人は、寝室の外で聞き耳を立てていたのだ。
紅茶のいい香りがした。その手際に感心すると同時に素直に褒められない嫉妬心が生まれる。
「夫の好きなコーヒーがあったと思いますけど」
「コーヒー豆、少し酸化していました。お届けするよう手配しておきます」
責めてはいないんだろうけれど、小姑の嫌味のようだ。
「後は私がやりますから」
「いえ。もう終わりますので、奥様は休んでいらしてください」
子どもじみた嫉妬心で代わろうとすると、止めようとした五十嵐さんに手を握られた。
まずい、と思ったときには遅かった。
「んっ……」
握られた手を引かれ、キスをされる。抵抗しようとしても腰を抑えられ、男の人の力にはかなわなくて逃げられない。顔を背けると作業台との間で体を固定され、顎を持って顔を上げさせられた。顎クイなんて言葉が昔流行ったけれど、そんないいものじゃない。どうして顎を持たれると容易く顔を上げてしまうのか。人体の構造を呪った。
五十嵐さんに最初に誘惑されたのは、結婚してすぐの頃だった。それ以来、時折こうして触れてくる。
大声を出すこともせずにいるのは、最初に言われたからだ。
「もし社長に知れたら、私は奥様と不倫関係だと言います。社長は長年の腹心である私と、お金目当てに結婚された元娼婦と、どちらの言葉を信じるでしょうね?」
馬鹿げている。心の底からそう思う。それなのに否定しきれなかった。
夫が長年信頼している人だから言えずにいるけれど、この人に会うたび怖くて仕方ない。夫がついに離婚する理由を見つけてしまわないかと。
その夜、夫は帰ってこなかった。「どうしても外せない用ができた。先に寝ていて」とメッセージひとつで私は約束を破られた。
その日からは夫は私に触れることをしなくなった。家にいる時間も意図的に減らしているようだった。
それは私にとっては突然のようで、恐れていたことがとうとう来た、という気持ちでもあった。ただきっかけがわからないのは本当で、昼間夫がいないリビングで呆然と過ごすことが増えていった。
もし捨てられたら、財産分与くらいはしてもらえるのか、もらえなかったら生活に困るななどということをぼんやり考えた。クレジットカードもキャッシュカードも取り上げられてはいないから、今のうちに資産になるものを買っておくべきだろうかと空想した。
それよりも。
私は両腕を抱いた。ニットのVネック部分から見えるほど谷間を寄せてみる。割と綺麗な形になったと思うけれど、夫はもうこれに興味はないのか。
「専業主婦なのに、家事のひとつもやらないのですか」
突然かけられた声に、私は文字通り飛び上がりそうなほど驚いた。
「五十嵐さん⁉」
振り返ると、夫の姿はなく夫の秘書だけが立っていた。
「どうやって」
「社長に鍵をお借りしました。必要な書類をご自宅にお忘れになったとのことでしたので」
嘘だと思った。私が家にいるのを知っているのだから、鍵を渡す必要はない。まさか合鍵を作っていたのか。
少し前までならこの人が近くにいるのも怖かったけれど、無気力になっている今は考えることが億劫だった。
数秒置いてようやく危機感を思い出した頃には、私はソファに押し倒されていた。
「なにをするの」
「男が女性を押し倒した。何をしたいかなど、明白では?」
冷たい笑みを浮かべる五十嵐さんに、やっと恐怖が襲ってくる。
「あなたはどうして」
「『どうして』? おや、今まで私は何度も奥様を誘惑していたと記憶していますが」
「その理由がわからない。私のことなんて軽蔑してると思ってた」
五十嵐さんは私の過去を知っている。夫と出逢ったとき、秘書としてこの人も当然のように隣にいたのだから。
「軽蔑はしていませんよ。ただ、私もお相手いただこうかと」
五十嵐さんが私の胸に手を這わせる。ぞくりと背筋を悪寒が走った。
「いや、やめて! あなた、あなた!」
腕を振りほどこうとし、足をばたつかせて覆いかぶさる男をどかせようとしたけれど、五十嵐さんはびくともしなかった。逃げられないことを悟り、私は子どものように泣きじゃくってしまった。
五十嵐さんが呆れたように深いため息をつく。
「――社長。やはり無理があるかと」
「え……?」
五十嵐さんが言うと、リビングの扉が動いた。締まっているように見えて少し開いていたようだ。その陰から夫が姿を見せる。
「ああ、ごめんよ。怖い思いをさせてしまったね」
夫は申し訳なさそうに言った。
五十嵐さんが私を解放し、体を離す。もしかして、夫に鍵を借りたというのは本当だったのか。
「どういう、こと?」
「すまない」
謝罪しか口にしない夫に、まさかと思った。
「もしかして、今までのことも全部あなたの指示だったの? そうまでして私と別れたかったの?」
「それは違います」
否定したのは五十嵐さんだった。
「俺があなたを誘惑したのは、あなたを試すためです。お金目当ての、それもほかの男の手垢がついた女性を社長の奥様として認めたくなかったので」
試す、とは言ったが、五十嵐さんは私を追い出したかったんだとやっと気づいた。この人の私を見る目に熱を感じたことなんて一度もなかった。だから違和感が強くて怖かった。けれどやっとわかった。この人は私が嫌いだったんだ。夫の妻になった私が。
「彼女のような若く美しい女性が私の妻でいてくれるんだ。お金目当てのなにが悪いんだ」
「酷い! 私は本当にあなたのことを愛しているのに」
「ええ。そのようですね。あなたは何をしてもなびかなかった。だからこれはもう諦めるべきかと、思い直そうとしていたのです。あなたは社長に本気なのだと。最近のことは、もうほとんど惰性で続けていた嫌がらせでした」
嫌がらせだと、五十嵐さんは悪びれる様子もなくさらりと言い放った。
「けれど先日のキスを、社長に見られてしまいました」
夫が約束を破った日だ。
「そのとき、僕でなくてもいいんだと気づいた。淳ならば君を喜ばせてあげられると思ったんだ」
「そんな。私はあなただから抱かれたいのに。夜だって、私はあのままでも幸せなのに」
夫はいたずらをしでかした子どもがそうするように、口を引き結んで押し黙った。
「社長。本当のことをお話した方が」
「何?」
「それは、いややはり言えない」
「教えて」
私は夫ではなく五十嵐さんに向かって言った。
「『寝取られ』という言葉をご存じですか」
「淳!」
「そのまま自分のパートナーを第三者に性的に奪われることを意味しますが、最近ではそういう性癖のことも差すんですよ。ああ、奥様は私よりお詳しいかもしれませんね」
五十嵐さんの嫌味なんてこたえない。そういう性癖があることは私も知っていた。自分のパートナーが第三者とセックスすることに興奮を覚えるということだ。
「社長はおそらく寝取られ性癖をお持ちです」
五十嵐さんは「失礼します」と言って夫のスラックスの前を開いた。そう言えばベルトを着けていない。
「ああ、やはり……今は萎えているようですが、精液の匂いがします。我慢汁かな。先ほど俺に襲われる奥様の姿を見ただけで勃起なさったんですね」
五十嵐さんは恍惚とした表情を浮かべた。ああやっぱり、この人は。私もきっと同じ顔をしている。
「あなた、興奮したの? 五十嵐さんにレイプされそうになる私に?」
「違う! 君が本気で嫌がっている姿には、興奮しなかった。君を傷つけることはしたくないんだ」
「でも私が五十嵐さんに触れられることには、興奮したのね」
すべてが腑に落ちた。そう思ったら、乾いた笑みが漏れた。
「そう、あなた、他の男に抱かれる私を愛していたのね」
独り言のように吐き捨てると、夫が困ったように視線を泳がせた。
私は元パパ活女子――いや、娼婦だった。
よくある話だ。東京に憧れて「大学」と呼ぶのもおこがましい三流大学に進学して、夢見たキラキラした人間にはなれなくて、生活費と奨学金に押しつぶされた。
大学は除籍になり、それでも東京にしがみついてしまって、お金のために港区女子になった。最初はギャラ飲み、それからラウンジ嬢。パパ活という名の援助交際に落ちるまであっという間だった。芯がなければ教養もない女が売れるのは体だけだった。
夫に知り合ったのは、私がすっかり娼婦になり下がった後だった。ラウンジでお茶を引いている私を指名してくれた。その頃私の指名客といえば、私が股を開くとわかっている人だけだったから、私はいつものように彼をホテルに誘った。
いつものお客と違ったのは、夫は私と関係を持つことに消極的だった。知っていて私を指名した様子だったのに、だ。私が誘ったから私を抱いた。そんな印象だった。
夫は私の境遇を知ると私の力になりたいと言ってくれ、私に数万円を渡すために私を抱いた。私はこの人以外に抱かれたくないと思うようになっていった。正直にその気持ちを話すと、彼は私と結婚して私の奨学金や借金のすべてを肩代わりしてくれた。若さ以外夫の琴線に触れるものがあったのか、わからないままだった。
それでも私は夫を愛した。自分でも驚くほど。夫じゃなくてもよかったと人は言うかもしれない。お金に救われたことも否定しない。それでも助けてくれたのはほかでもない夫だ。私にはそれだけで十分だった。
けれど今、やっとわかった。この人は娼婦だった私を愛したのだ。
「……っすまない」
夫は否定しなかった。経営者として成功していつも自信たっぷりな彼がこんな風に頼りなく言葉を発するところなんて初めて見た。
「自分でも異常だってわかってる。やっぱり別れてくれ。僕は君に相応しくない」
夫が異常者だというなら、私も異常者だ。襲われかけたのに、本当に今のままでも幸せだったのに、夫が私に二年ぶりに勃起したことを知って喜んでいる。
「五十嵐さん」
「はい」
「避妊具、持っていますか。なければ夫のが寝室にあります」
夫の子どもが欲しかったので、挿入できていたころは避妊していなかった。本当は玩具用だ。
「ああやっぱり、奥様は俺と同類なんですね」
五十嵐さんは嬉しそうな笑みを浮かべた。この人の屈託ない笑みを見たのは初めてじゃないだろうか。
「ご安心ください。持参してきましたから」
覚悟を決めた私たちに、夫だけが困惑していた。
「君……本気か?」
「ええ。あなたに欲情されるためなら、できるわ」
私たちは三人で寝室に移動した。
夫と過ごすためのキングサイズのベッド。その前に五十嵐さんと二人で立つ。夫は私のドレッサー用の小さな椅子に腰を下ろした。
「後ろからにしましょう。その方が社長に奥様の体がよく見えます」
夫に向き合って立つ私に、後ろから五十嵐さんが触れる。大きな手が服の上からねっとりと私の体をなぞった。体のラインが強調されるように。夫は最初こそいたたまれない表情をしていたけれど、やがてその視線に期待や熱がこもるようになったのを私は肌で感じていた。その熱が、逃げそうになる体を何とか留めさせた。
かつて娼婦だったというのに、夫以外の唇が、指が肌に触れる不快感は想像以上だった。同時に少し安心した。私は夫にだけ抱かれたいのだと。夫以外に抱かれても、娼婦に戻ったりなんてしないと。
「緊張、ではありませんね。私ではご不満なのでしょう」
五十嵐さんが私の耳を甘嚙みしながら囁いた。意外にも労わるような響きで、警戒心が薄まる。
「俺のことはアダルトグッズかなにかだと思ってください。これは俺と奥様のセックスではなく、奥様のオナニーです」
それは私たち夫婦にとって優しい口実だった。初めてこの人に好感を持った。
「ねえ、あなたも脱いで。私、あなたに抱かれることを想像したら気持ちよくなれるかもしれない」
夫に懇願すると、五十嵐さんもその提案に同意した。
「それはいいですね。オナニーにはオカズが必要ですから」
夫は自分でシャツを脱いだ。上半身裸になると、もうすぐ五十歳になるとは思えないほどには鍛えられた体が現れる。下は脱がなかった。
「社長はいつもどのようにあなたを愛するんですか? 特別に再現して差し上げますよ」
知りたいだけだろう、とは口には出さなかった。
「あなたは、私の胸が好きよね? ほら、ここにほくろがあるの。ここを舐めるのが好きだわ」
ニットをたくし上げて胸元を見せると、五十嵐さんは薄く笑った。
「俺を煽るのがお上手だ」
そう言って前から私の腰を持つと、立ったまま胸のほくろを舐める。私には片腕だけ首に回させてもう片腕は下ろしたまま、夫にちゃんと私の体が見えるように計算しているようだった。AV男優の経験があるんだろうかと思うほどの気遣い。この人はとことん夫のためにやっているのだと実感する。
ブラジャーの肩ひもを落とし、ずり下げる。綺麗に脱がせようとしないのは、寝取られの演出なんだろうか。露出した左の乳首を舐められて、小さく肌が震えた。少しずつだが体がセックスの準備を始めている。
「ああ、社長。勃起してらっしゃるんですね」
不意に五十嵐さんが言った。つられて視線をやると、確かに夫はスラックスの前を腫らしていた。それを見るのは何年振りだろう。無意識に唇を舐めた。
「もしかして、社長のあれを舐めたいですか?」
五十嵐さんの言葉に、夫は少し戸惑いの表情を浮かべた。多分、私が触れたら夫は萎えてしまうのだろう。
五十嵐さんが耳に口を寄せて、私にだけ聞こえるように囁く。
「気持ちはすごくわかりますよ」
その言葉に救われる。今まで恐怖の対象だった五十嵐さんを、急に身近に感じた。
「舐めてもいいですか? 夫にするみたいに」
「構いませんか? 社長」
「あ、ああ。やってくれ」
五十嵐さんは丁度夫の正面の位置でベッドに腰かけた。私は足の間にしゃがみ、スラックスの前を寛げる。
五十嵐さんも少し勃起していた。私は下着の上からそれを丁寧に撫でる。夫は私の姿を見て、自分がされているところを想像して興奮してくれるだろうか。
「あ……お上手ですね、奥様。これは社長がお教えになったんですか?」
「いや……」
夫が視線を外す。その返事だけで五十嵐さんは納得したようで、けれどそれ以上無粋なことは言わないでいてくれた。
私はもっと夫に見ていて欲しくて、下着からペニスを取り出して口に含んだ。五十嵐さんが「ああ」と声を漏らす。
「社長はここがお好きなんですね。いいですよ奥様。素敵です」
私の髪を撫でながら五十嵐さんが嬉しそうに言う。夫がごくりと喉を鳴らした。
五十嵐さんも私のことを夫が使ったオナニーグッズかなにかだと思っている。五十嵐さんは私に触れているのではなく、間接的に夫に触れて興奮しているのだ。
「太ももをこすり合わせて……もしかして濡れていますか? 俺のを舐めて?」
「んはっ……私は夫のを舐めてるの」
「そうでした。じゃあ俺もオナニーグッズとして奥様を喜ばせてさしあげないと。ベッドに上がって、こちらにお尻を向けてください。社長はどちらをご覧になりたいですか? フェラチオをする奥様と、クンニリングスをされる奥様」
「僕は妻とシックスナインはしたことがない」
「おや、そうでしたか。ではやめますか?」
「いや、やってくれ。僕は妻の感じている顔が見たい」
夫が初めてこの行為に「指示」をした。願望を口にされたことが嬉しい。
「わかりました。奥様、横向きでしましょう。上に乗っていただくより顔が見えやすいでしょうし、俺も社長に尻の穴を見せるのはまだ恥ずかしいので」
五十嵐さんは私の衣服をゆっくりとすべて脱がせる。自分で脱ごうとしたけれど、それは寝取り男の役目だと譲らなかった。
二人でベッドに逆さ向きで横になった。私は下側の足を延ばし、上側の片足を曲げて股を開かされている。言わずもがな夫によく見せるためだ。五十嵐さんは私の陰部を両手で開き、まじまじと眺めた。
「はぁ……ここに社長がペニスを……」
嫌われていると思っていた男が、ためらいもなく私の陰部に口をつける。まるで夫の痕跡を探すかのような勢いづいた愛撫に、声が出てしまう。負けじと目の前のペニスを握り、舌を這わせた。
「妻は最初はクリトリスが好きなんだ。中は手前をじっくり攻めてやる。十分に濡れてきたら奥の方が気持ちいいみたいだね」
ノッてきた夫が五十嵐さんに指示を出し、五十嵐さんがその通りに舌や指を動かす。本当に夫に愛撫されている気分になって、奥がひくついてしまう。
夫の股間が下着を押し上げている。二年ぶりに見るそれにひどく興奮した。
「ねえ、あなたも下を見せて」
夫はパンツを下げてくれた。ウエストのゴムに引っかかって、勃起した男性器がぶるんと弾む。私は唾液が滲み出るのを感じた。夫の亀頭は少し濡れていて、舐めとってあげたくなったのを口の中のペニスで我慢した。
「奥様の感度が良くなりました。さすがです社長。奥様も健気に俺の……いえ、社長のものにご奉仕してくださってますよ。そろそろ挿入したくなりませんか、社長?」
「ああ、ああ……!」
こくこくと頷いた夫の目が興奮でぎらついている。夜はちゃんと愛してくれていたけれど、こんなに雄みたいな目を見たのはいつぶりだろう。付き合っていたときのセックスでさえ、夫はどこか冷静だった。
五十嵐さんが一旦体を離し、コンドームをペニスに被せる。
「背面座位にしましょう。入るところと奥様の体が社長によく見えます」
ペニスが膣口に触れた瞬間、忘れていた不快感が蘇った。
「いやっ」
思わず拒絶が口から漏れて、夫が固い顔をした。
「やめますか?」
それは蔑むような響きだった。
抱かれたいのは夫だけ。急に怖くなってしまった。それでも。
「やってください。夫に興奮されたいの」
肩越しに振り返ってそう言うと、五十嵐さんがふわりと笑った。
「社長。奥様に触れて差し上げてください」
「だが」
「奥様は不安なようです。キスして差し上げるのはいかがですか? 俺の我慢汁の味がするかもしれませんが」
「……っ」
五十嵐さんの言葉を聞くや否や、夫がベッドに乗って私にキスをする。口の中をすべて味わうみたいに、唾液も飲み干すみたいに吸われた。こんなに荒々しくキスされたことなんてあっただろうか。この人はずっと、私に対して優しい大人の顔を崩さなかった。
「はっ……あなた、愛してる」
「ああ、僕もだ」
「妬けますねぇ。社長、挿れます。奥様、もう大丈夫ですね?」
私と夫がそれぞれ頷くと、五十嵐さんは私に入ってきた。
「あっ……」
五十嵐さんの若い体は、夫よりずっと猛々しかった。久しぶりに受け入れた夫以外の体。挿入だって二年ぶりだ。十分に慣らされたはずなのに少し苦しい。知らないペニスの感触に不安が戻ってきて、夫に縋った。
夫は口で呼吸をしながら、瞬きもせずに私の痴態を凝視している。股間は萎えていなくて、そのことに少し安心した。
「社長もなさったらいかがですか?」
「え?」
「奥様は社長に『挿入だけがセックスじゃない』と仰ったそうですが」
夫がEDと診断されたときのことだ。夫は彼にこんなことまで話すのか。
「素敵な言葉ですよねぇ、社長? これはもう奥様のオナニーでもなく、俺を使ったあなた方のセックスですよ。ほら、もうそれが苦しいのでしょう? 社長も気持ちよくなってください。それとも俺がお手伝いしましょうか?」
どさくさに紛れて夫に触れようとしていると気づいて、私が否を唱えた。
「やだ。五十嵐さんがするくらいなら自分でしごいて」
「君は淳に抱かれて気持ちよくなってるのに?」
夫はやっと余裕が出てきたのか、敢えて意地悪なことを言った。
「あなたに見られないと気持ちよくないわ」
「そうかい? 淳は若いし、僕のものより大きいだろう?」
「あなたがいいの。あなたを愛してるの。お願い。あなたが気持ちよくなってるところを見せて。五十嵐さんに抱かれる私に興奮してるんでしょう?」
懇願が通じたのか、夫はベッドの上に立ち、私の顔の前で自らをしごき始めた。五十嵐さんもつばを飲み込んだ音が聞こえる。
「あっ、締まる……っ。やはり社長でないと、奥様を興奮させられないんですね」
五十嵐さんが動きを強くする。夫の手の動きに合わせているのだと気づいて、私は中にいるのが夫だと錯覚した。
「くっ、出る……」
「わかりました、社長。ほら奥様。社長と一緒にイッてください?」
「あ、あ、あ、あーっ」
例えるなら膣から背骨を通って脳天まで電撃が走るような感覚だった。夫も精を吐き出し、私の顔や胸元を濡らす。五十嵐さんも体を震わせながら小さく呻いて、私の中で果てたのだと知る。
五十嵐さんがペニスを引き抜き、私はそのまま前に倒れるように夫の脚にかじりついた。ティッシュを取るためにベッドから降りようとしていた夫を引き留める。
「私にさせて? あなたのためにほかの男性のを受けいれたんだから」
私は夫が了承するのも待たず、夫のペニスに吸い付いた。久しぶりに味わう夫の精液。本当に夫に抱かれた気分になった。夫は少し戸惑っていたけれど好きにさせ、私を褒めるように髪を撫でてくれた。
「君、そんなに大胆だったんだね」
「嫌だった?」
夫は当初から、やんわりと私に奉仕させないようにしていた。だから元娼婦なのに夫とのセックスでは受け身になることが多かったのだ。
「君が嫌なんじゃないかと思っていたんだ。結婚前の仕事も好きでやっていたわけではないようだし」
「あなたのならいくらでもしたいわ」
綺麗に舐め取って口を離すと、今度は五十嵐さんが私に絡みついてきた。もう終わったのにと驚いていると「今度は奥様の番です」と言った。そして「俺もご褒美をいただきますよ」と私にだけ聞こえるように囁くと、五十嵐さんは私の胸を舐め始めた。正確には私の胸に散った夫の精液を。今日一番の念入りな仕草だった。
その後も私は「ご褒美」を強請った。夫に体を洗ってもらいたいと願うと、なんと五十嵐さんまでついてきた。
お風呂場では夫だけでなく五十嵐さんにも体を洗われ、それを見ていた夫は再び勃起に成功した。私は五十嵐さんに挿入してもらい、そのことに興奮し続ける夫のペニスを口に収めた。今度は萎えなくて、私は悦びの中で夫を貪った。
二度目のセックスが終わった後、私たちは三人で食事した。夫と結婚してから私が料理教室でせっせと習った料理を振舞った。五十嵐さんはもうキッチンには入ってこなかった。その日の赤ワインは飛び切り美味しかった。
食事が終わり、私と夫は二人で五十嵐さんを見送った。
「淳。今日は色々とすまなかったね」
夫は私の肩を抱きながら五十嵐さんに声をかけた。私は幸福感に浸りながら、夫に寄り添った。
「いえ。社長の望みを叶えるのが秘書の仕事と自負しておりますので。お喜びいただけましたか?」
「ああ。こんなことを思ってはいけないのかもしれないが、最高だった」
「五十嵐さん。ありがとう」
「奥様も素敵でした。――またお呼びいただけますか?」
夫が少し迷うような視線を私に送った。私は頷いた。
「淳のことが気に入った?」
二人きりになったあと、夫は私に問うた。その目に嫉妬が宿っている。私は今日二回もセックスした後だというのにまた興奮しそうだった。私は余裕ぶって笑みを浮かべた。
「ええ、そうね。あなたのセックスを再現してくれるところが素敵」
「それは僕への嫌味かな?」
「本心よ」
そう言って夫にキスをした。夫が私を抱きしめる腕にもう迷いはない。歪んだ性癖だろうと世間から理解されなかろうと、夫に愛されるならそれでいい。
ああ私、幸せだわ。
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
甘い束縛
はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。
※小説家なろうサイト様にも載せています。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる