アスモデウスの悪戯

ミナト碧依

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5.ナーヴェへの帰還

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 崚介りょうすけ――リチャードの宿泊するホテルに軟禁され、二日後沙羅さらは飛行機に乗せられた。偽造パスポートなどの用意を考えれば早いほうだ。
「まさかのビジネスクラスとはな」
 隣に座る崚介に言うと、彼は「はっ」と嘲笑を浮かべた。
「VIP待遇だな。こうまでして連れ戻されるなんて、一体何したんだ? まあ、あんたが海の向こうまで追いかけたいくらいのいい女だってことは同意するが」
 崚介はリチャードとして振舞っている。沙羅には明かされていないが、乗客や乗務員にナーヴェの人間もしくは息のかかった協力者がいるということだろう。つまりすでに敵の術中なのだ。長いフライトなのにもう気が抜けない。沙羅は隠さずため息をついた。誘拐された側なのだから不自然でもない。
 昨日は娘の誕生日だった。それなのに側にいられなかった。母親も、懐いている叔父もいない誕生会。あの子は泣いていないだろうか。
「気分でも悪いのか」
「最悪だ。誘拐されてどうやって気分よくいろと?」
「せっかくのビジネスクラスだぜ。俺もおこぼれを楽しむことにするよ。――ああ、シャンパンを頼む」
 演技とわかっていても、能天気な振る舞いが癇に障る。こんな男じゃなかったと思うが、結局彼の本当のところを沙羅は知らないままなのだろう。

 ニューヨークに着くと、入国審査の前にトイレに入った。一番奥の個室が閉まっている。その隣に入ると、四回壁をノックされた。沙羅も同じように返し、個室の鍵を開ける。すると女性が入ってきた。打合せ通りだ。
 入ってきたのは金髪の美女だった。タイトなドレスが豊満な体のラインを惜しげもなく魅せている。
「サラね。私はカレン。時間がないから手短に説明するわ」
 そう言ってカレンは慣れた手つきで沙羅にGPSを仕込んだ。そして盗聴器がついているというペンダントに交換させられる。沙羅が今つけているカメオとそっくり同じデザインだ。
「すごいな。短時間でよく準備できたものだ」
「優秀でしょ?」
 自ら言って、カレンがウインクする。欧米人の美人がやるとため息が出そうなほど決まっている。
「カレンが作ったの?」
「ええ。私はFBIの監察医だけど、こういった『工作』も得意なの」
「多才なんだな」
「――さあ行って。同行者がリョウとはいえ、あまり時間がかかるとほかの人間に怪しまれる」
 飛行機の機内同様、どこにナーヴェの人間がいるかわからない。
 トイレを出て崚介と合流する。崚介は沙羅が逃げ出さないように恋人を装う誘拐犯を装い、手を繋いだ。日本でも移動中はずっとそうしていたから、沙羅も予想していた。
 沙羅の手の中に何かがあることに気づき、崚介は訝しむような視線を寄越した。沙羅は目を合わせず、あまり唇を動かさないように言った。
「預かってくれ。二つも持っていると怪しまれる」
「昔から身に着けていたな。大事な物なのか?」
「うん。母から譲り受けたものだ。この件が終わったら返して」
「わかった」
 崚介はさりげなく受け取って、それをポケットに入れた。
なんとか入国審査を通過して空港を出ると組織の車が待ち構えていた。ここでもう崚介と引き離されるかと思ったが、彼らは崚介と沙羅を同じ車に乗せた。
 車に乗せられ人の目が無くなると、手錠をかけられた。ご丁寧に目隠しまでされる。視界のない中で車の振動は少し不快だった。
 目隠しまでされたのだからどこに連れていかれるかと思ったが、それはナーヴェの拠点のひとつで、かつてシズカとして沙羅が在籍していた場所だった。硬い椅子に座らされ目隠しを外されてみれば、見覚えのあるレンガ造りの壁が目に入る。組織の拷問部屋だとすぐに分かった。これからされることを思うと緊張が高まる。
 正面に置かれた革張りのソファに、目力の強い壮年男性が座っていた。ザック・ブラウンその人だ。五、六人の側近を従えていて、自分の両脇に立たせていた。彼らから一歩引いた位置に崚介の姿もある。
「久しいな、シズカ。いや、サラといったか?」
 にこやかに告げたザックを沙羅は睨みつけた。
「二度と見たくなかった顔だ」
「言ってくれる。どれがお前の本当の名だ? どうやって五年前、俺に隠れて日本へ渡った?」
「元々ナーヴェに入ったのは、日本に帰る資金を稼ぐためだった。航空費だけじゃなく偽造パスポートやらなにやらで金がかかるからね。あんたの愛人になろうとしたのは、その方が手っ取り早く稼げると思ったからだ。まさか日本まで追いかけてくるとは思わなかったよ。私はそんなに魅力的か?」
「相変わらず度胸のある女だ。が、答えになっていないことを俺が見逃すとでも?」
 沙羅は表情を変えなかった。やはりこの程度では話を逸らせそうもない。
「もう一度聞く。どれが本当のお前だ」
「さあね」
「正直に話した方が身のためだぞ」
「嘘じゃない。本当の名は自分でもわからないのさ。日本人ということは間違いないらしいが、二十年前、気づいたら人身売買のマーケットにいた。犯罪被害孤児が集められていたから、私もその一人だったんだろう。それ以前の記憶はない。シズカもサラも偽装のために得た名だ。好きに呼んだらいい」
「金がなかったという割に、いろんな身分を買ったようだな」
「『シズカ』は身売り先から逃げたときに買ったものだ。太ったエロ爺の相手をするのに嫌気が差したんでね。爺の金を持ち逃げして買った身分でナーヴェに入った。五年前、サラの身分証を拾ったのは偶然だったよ。チャンスだと思った。だからナーヴェから、アメリカから逃げた。サラはDEAの職員だった。洒落ていただろう? おかげであんたの目をかいくぐれた」
 沙羅は挑発するように笑ってみせた。今の沙羅はナーヴェから逃げ出し、誘拐という形で不本意に連れ戻されたのだ。このくらいのふてぶてしさがかえって自然なはず。
「出来すぎているな。本当に偶然か?」
「拾ったのは例の事件の日だ」
「例の事件?」
「ラボが吹っ飛んだ『あの』事件だ」
 ザックの顔色が変わる。
「大方捜査に来て巻き込まれたんだろうさ。なんか街が騒がしいなと思ってたら、路地裏に『それ』が落ちていた。とりあえず一緒に落ちてた女は適当に捨てておいた」
 できるだけ残忍な笑みを浮かべる。今の沙羅は犯罪者だ。だがすぐに興味を無くしたように表情を消す。
「それで、私を連れてきた目的はなんだ? まさかセックスだけの相手にここまで手間をかけないだろう」
「お前は俺に恥をかかせた。目をかけて愛人にしてやろうとしたのに、直前でそれを無下にされたんだ。俺が感じた屈辱がお前にわかるか? いや、わからんからこんな愚かなことをしたんだろうな。俺は受けた屈辱は必ず返すと決めている」
「五年前の屈辱というなら、私を殺せば終わりだったはずだ」
 体質の話が出ない。本当に沙羅の体だけが目的だというのか。ただ一人の女を犯すためだけに組織の人員を動かした? 確かにそれができる力とクレイジーさを持った男ではあるが、どうにも理由としては弱く感じる。
 ザックはそれには答えず、崚介に満足げな笑みを向けた。
「リチャード。よくやってくれた。まさかこんな短期間で見つけてくるとはな」
「見つけたのはあなたの同盟相手でしょう。俺はそれに乗っかって張り込んだだけです。連れの男が怪我をしたと聞いて、それらしい病院を探しただけですから」
「お前には特別ボーナスをやらないといけないな」
「それは嬉しいですね」
「そうだ。ここで見学していくか? 気の強い女が快楽に溺れる様はきっと楽しめるぞ」
 沙羅はぎくりとした。覚悟していたが、まさかこのままここで犯されるのか。それも崚介の前で。
「快楽ということは、まさかあのドラッグを?」
「ああ。この女にはアスモデウスの実験台になってもらう」
 沙羅は驚いてみせる。
「アスモデウス……⁉ あれほど組織にも犠牲を出したというのに、まだ研究を続けていたのか」
「安心しろ、死なない程度に量は調節してやる」
 沙羅はザックの言葉に違和感を覚えた。
 ――私の体質を知っているわけじゃない?
 沙羅の薬物耐性が強い体にどの程度が適量なのか、ザックやナーヴェの研究者は知るまい。ならば一般人に対する適量くらいはわかってきた、という意味に取れる。
 崚介の話では五年経っても市場流通はしていないということだから、かなり調節が難しいのだろう。実験台ということは、完璧な適量を見つけられていないということか。ただ弄ぶための口実か。
「アスモデウスは強いドラッグだ。単純に考えれば摂取量を減らせばいい。しかしここまで市場流通を遅らせたということは、そんな単純な話じゃなかったんでしょう。改良に成功を?」
 崚介がさりげなく沙羅に情報を与えつつ、ザックから引き出そうとする。
「気になるか」
「それはもちろん。売り込むには商品の効果と安全性をプレゼンできないといけませんからね」
「いいだろう。アスモデウスはほかのドラッグに比べて吸収が異常に早いドラッグだということが判明した。その結果急激に血圧が上がりすぎて、お楽しみよりも先に死亡する可能性が高い。ならばその吸収を遅らせてやればいい。溶けにくい錠剤にしてゆっくりと吸収させればセックスドラッグとしての効果を存分に発揮する。症状が出るのが多少遅くなるのが難点だが、やっと良い配合が判明した。今年中には市場に出せるだろう。あとは、品質テストを待つのみだ」
「なるほど。それをシズカで試そうと」
「つまり混ぜものの多い粗悪品だろう。五年も経ってその程度とはな」
「相変わらず威勢のいいことだ。昔はそれが気に入っていたが、そのすまし顔がいつまで持つか見物だな」
 ザックは笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。
 ゆっくり歩み寄ってきたかと思うと、突然顎を鷲掴みにされた。抵抗しようとすると、側近の男に羽交い絞めにされる。崚介が顔色を変えたのが見えたが、目で制した。これくらい想定内だ。
 口を開けさせられ、悪趣味な色の錠剤を口に放りこまれる。それを吐き出そうとしたが、続けて水のペットボトルを押し込まれ、水とともに無理やり飲み込まされた。勢いよく流れ込んでくる水にえづいてむせてしまう。口の端から零れた水と唾液が服を汚した。
「がっ、ごほっ」
 みっともない姿をさらした女に、ザックが残忍な笑みを浮かべる
「十五分ほどで、お前は男が欲しくてたまらなくなるだろうさ」
 今度は目が笑っている。この男の嗜虐趣味は聞いたことがある。情報のためにある程度は喜ばせてやらなければならないが、沙羅は心の底からこう思った。
「……下種野郎」
 口汚く睨みつけると、ザックはますます愉快そうにした。革張りの一人掛けソファに座り直し、沙羅の様子を鑑賞する。
 さて、どうするか。敢えて吸収を阻害するための錠剤タイプが沙羅に効くとは思えない。だがザックの狙いがわからない以上はドラッグが効いたふりをするべきだ。そして今度こそ犯される。
 室内に時計はない。内心で秒数を数え、それが八百を超えたあたりで沙羅は吐息を乱した。それまで何も言わずただ眺めていたザックが、にやにやと下卑た笑みを浮かべる。
 沙羅はいかにも気まずそうに視線を逸らした。さりげなく足をずらし、股の間を気にしているのに気にしないようにして(ふりだが)座り直す。手錠をされた手で額を拭った。
 そのままたっぷり五分は待っただろうか。気を散らすように身じろぎはするものの、気丈に振舞う沙羅にザックは拍手をした。
「これは驚いた。アスモデウスを摂取してここまで自我を保っているとは。威勢のよさはただのはったりというわけでもないようだ。こうでなくてはな」
 ザックが興奮気味に笑い、部下の一人を見た。
「おい、『手伝って』やれ」
 冷酷な笑みを浮かべたまま命じる。命じられた男もにやりと下卑た笑みを浮かべた。
 ああ、ついにきた。
 沙羅はそう思った。そしてこうも考えた。なんとか崚介を退室させることはできないかと。沙羅が犯されたら、彼は心を痛めるだろう。せめて見られたくない。
「――待ってください」
 声を上げたのは崚介だった。どうするつもりだと、沙羅は背筋が冷えた。沙羅のために余計なことをしないで欲しい。崚介に疑いの目が向いてしまう。
「なんだ。同族がヤられるのは心が痛むか?」
「いいえ」
 崚介は首を振った。
「あなたはさきほど俺に特別ボーナスをくださると」
「ああ言ったな。……なるほど?」
 崚介――リチャードの提案内容に気づいたザックは愉快そうに笑みを深くした。
「一回ヤッてみたいと思ってたんですよ」
「いいだろう。ただし入れるのは許さん。俺は部下のお下がりは御免でね。それでもボーナスになるというなら存分に」
「それで手を打ちましょう」
 ザックの部下を押しのけて、崚介が沙羅の前に立つ。
「リチャード……いやだ、触るな!」
 伸びてきた手を拘束された両手で振り払って拒絶を示す。
「君はナーヴェの裏切り者だ。じゃあもう、紳士なふりをしなくてもいいよな?」
 崚介が沙羅にはめられた手錠を掴み、動きを封じられる。そのまま体を寄せて耳を舐められ、背筋が粟立つ。沙羅は混乱した。崚介は一体何故こんなことを。
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