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14.娘の写真
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夕方沙羅を迎えに行くと約束をして、崚介は一度ラボを出た。オフィスでの事務処理がある。
そのあとをカレンが追ってきて、呼び止められた。
「ねえリョウ。待って」
「どうした?」
カレンは周囲を気にして沙羅が近くにいないことを確認すると、声のトーンを落として打ち明けた。
「サラの両親のこと、事故って言ってたけど確か……」
告げられた内容に、崚介は目を見開いた。
夕方、崚介がカレンのオフィスまで迎えに来てくれた。沙羅は体質の検査以外の時間はラボの雑務を手伝っている。することがなくなったときは、買ってきてもらったペーパーバックの小説を読んでいた。英語の長文を読むのは久しぶりで、なかなか時間がかかる。使わないと意外と忘れるものだなと反省した。
崚介は今夜こちらに泊まっていくと言った。沙羅の護衛役も交代したのだそうだ。途中でデリを買って二人で帰宅することにした。
車の中でスマホを眺めていると、崚介に横目で尋ねられた。
「何を見てるんだ?」
「娘の写真。朔人がカルテと一緒にデータを送ってくれたのを、カレンが私に送ってくれて」
つい口元がほころぶ。運転中じゃなかったら崚介にも見せびらかしたいくらい可愛い。
それは沙羅が出られなかった誕生日パーティの写真だった。たくさんのプレゼントに囲まれて、娘の怜は楽しそうに笑っている。けれどその目元は少し赤い。直前まで泣いていたんじゃないだろうか。
娘が恋しい。抱きしめてあげたい。
思わずため息をつくと、崚介が「たまにはビールでも飲むか」と優しく言った。
帰宅後ビールを片手に中華デリを食べて、他愛ない話をする。
「君が酒を飲むところを初めて見た気がするな。昔は飲めないと言っていなかったか?」
「『好きじゃない』と言っていたね」
「実際は違うのか?」
「嗜む程度には好きだよ。ただ酔わないから『酒が抜ける』という感覚もわからなくてね。うっかり飲酒運転しかけたことがあるんだ。それで潜入捜査中は控えていたな。そのまま妊娠したから、飲む習慣はなくなった。今は年に何回か誘われて飲むくらいだよ」
何気なく「妊娠」と口にすると、崚介はずっと引き出しの手前にしまっていたようにその問いを口にした。
「妊娠したときのこと、聞いてもいいか」
きっかけを得たと思ったのだろう。いつか聞かれると思っていた。沙羅も用意していた言葉を返した。
「答えないかもしれないけれど」
崚介は「それでいい」と前置きして続けた。
「君が望んだ結果だったのか」
「半分は『YES』で、半分は『No』だ」
「半分?」
崚介が少し緊張した表情を見せる。
「正直に言うと、妊娠は想定外だった。もちろん後悔なんてしていない。けれど、捜査官としては失態だった」
「じゃあ君は、その」
崚介が言いよどむ。なかなか言い出さない様子に、もしかしてと思った。
「レイプされたかという意味なら、答えは『No』だ」
先回りして言うと、崚介がほっとした顔をした。
「すまない、こんなことを聞いて。その……心配になって」
「いや。当時の環境を思えば、確かにその可能性は考えるよね。前に『彼をまだ愛しているか』と聞かれたから、あなたには気づかれていると思っていた」
組織を逃げ出したあの夜のことだ。そのときのことを思い出したのか、崚介は気まずそうにビール瓶を煽った。
「愛していたよ。彼のこと」
まっすぐにそう言うと、崚介は少し迷うように続きを言った。
「君に付き合っている男がいたとは、気付かなかった。どんな男だったんだ?」
それには答えなかった。
「この事件が解決したら、すべて話すよ」
「え?」
「ナーヴェから身を隠す必要がなくなったら、もう彼のことを隠す必要もないだろう。娘も四歳だ。まだまだ幼いけれど、大人が思うよりはいろんなことを理解している。彼のことをなんて話すのか、私もそろそろ腹をくくらないといけない」
青い瞳が、じっと沙羅を見つめる。言葉に迷っている様子の崚介に、沙羅は微笑みかけた。崚介の手から空になったビール瓶を取り上げる。
「そろそろ寝ようか。私がソファを使うよ」
沙羅が瓶をキッチンに持っていくと、崚介はテーブルの上を片付けながら言った。
「女性をソファに寝かせられない。君がベッドを使え」
「家主はあなただ」
「俺は慣れてる」
「潜入捜査は神経をすり減らす。私よりずっと長く潜入しているんだから確かに慣れているんだろうけれど。自宅でくらい、あなたにはゆっくり眠ってほしい」
頑なな沙羅に、折れたのは崚介の方だった。
「わかった。その方が君の気が済むならそうする。――ありがとう」
「そうしてくれ。こっちのソファも、私は結構気に入ってるんだ」
互いに寝支度を済ませて「おやすみ」を言った。沙羅はソファに横たわり、静かな寝室の扉を見た。怜の父親の話を、崚介はどう思っただろう。
そのあとをカレンが追ってきて、呼び止められた。
「ねえリョウ。待って」
「どうした?」
カレンは周囲を気にして沙羅が近くにいないことを確認すると、声のトーンを落として打ち明けた。
「サラの両親のこと、事故って言ってたけど確か……」
告げられた内容に、崚介は目を見開いた。
夕方、崚介がカレンのオフィスまで迎えに来てくれた。沙羅は体質の検査以外の時間はラボの雑務を手伝っている。することがなくなったときは、買ってきてもらったペーパーバックの小説を読んでいた。英語の長文を読むのは久しぶりで、なかなか時間がかかる。使わないと意外と忘れるものだなと反省した。
崚介は今夜こちらに泊まっていくと言った。沙羅の護衛役も交代したのだそうだ。途中でデリを買って二人で帰宅することにした。
車の中でスマホを眺めていると、崚介に横目で尋ねられた。
「何を見てるんだ?」
「娘の写真。朔人がカルテと一緒にデータを送ってくれたのを、カレンが私に送ってくれて」
つい口元がほころぶ。運転中じゃなかったら崚介にも見せびらかしたいくらい可愛い。
それは沙羅が出られなかった誕生日パーティの写真だった。たくさんのプレゼントに囲まれて、娘の怜は楽しそうに笑っている。けれどその目元は少し赤い。直前まで泣いていたんじゃないだろうか。
娘が恋しい。抱きしめてあげたい。
思わずため息をつくと、崚介が「たまにはビールでも飲むか」と優しく言った。
帰宅後ビールを片手に中華デリを食べて、他愛ない話をする。
「君が酒を飲むところを初めて見た気がするな。昔は飲めないと言っていなかったか?」
「『好きじゃない』と言っていたね」
「実際は違うのか?」
「嗜む程度には好きだよ。ただ酔わないから『酒が抜ける』という感覚もわからなくてね。うっかり飲酒運転しかけたことがあるんだ。それで潜入捜査中は控えていたな。そのまま妊娠したから、飲む習慣はなくなった。今は年に何回か誘われて飲むくらいだよ」
何気なく「妊娠」と口にすると、崚介はずっと引き出しの手前にしまっていたようにその問いを口にした。
「妊娠したときのこと、聞いてもいいか」
きっかけを得たと思ったのだろう。いつか聞かれると思っていた。沙羅も用意していた言葉を返した。
「答えないかもしれないけれど」
崚介は「それでいい」と前置きして続けた。
「君が望んだ結果だったのか」
「半分は『YES』で、半分は『No』だ」
「半分?」
崚介が少し緊張した表情を見せる。
「正直に言うと、妊娠は想定外だった。もちろん後悔なんてしていない。けれど、捜査官としては失態だった」
「じゃあ君は、その」
崚介が言いよどむ。なかなか言い出さない様子に、もしかしてと思った。
「レイプされたかという意味なら、答えは『No』だ」
先回りして言うと、崚介がほっとした顔をした。
「すまない、こんなことを聞いて。その……心配になって」
「いや。当時の環境を思えば、確かにその可能性は考えるよね。前に『彼をまだ愛しているか』と聞かれたから、あなたには気づかれていると思っていた」
組織を逃げ出したあの夜のことだ。そのときのことを思い出したのか、崚介は気まずそうにビール瓶を煽った。
「愛していたよ。彼のこと」
まっすぐにそう言うと、崚介は少し迷うように続きを言った。
「君に付き合っている男がいたとは、気付かなかった。どんな男だったんだ?」
それには答えなかった。
「この事件が解決したら、すべて話すよ」
「え?」
「ナーヴェから身を隠す必要がなくなったら、もう彼のことを隠す必要もないだろう。娘も四歳だ。まだまだ幼いけれど、大人が思うよりはいろんなことを理解している。彼のことをなんて話すのか、私もそろそろ腹をくくらないといけない」
青い瞳が、じっと沙羅を見つめる。言葉に迷っている様子の崚介に、沙羅は微笑みかけた。崚介の手から空になったビール瓶を取り上げる。
「そろそろ寝ようか。私がソファを使うよ」
沙羅が瓶をキッチンに持っていくと、崚介はテーブルの上を片付けながら言った。
「女性をソファに寝かせられない。君がベッドを使え」
「家主はあなただ」
「俺は慣れてる」
「潜入捜査は神経をすり減らす。私よりずっと長く潜入しているんだから確かに慣れているんだろうけれど。自宅でくらい、あなたにはゆっくり眠ってほしい」
頑なな沙羅に、折れたのは崚介の方だった。
「わかった。その方が君の気が済むならそうする。――ありがとう」
「そうしてくれ。こっちのソファも、私は結構気に入ってるんだ」
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