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19.束の間の休息
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長い時間をかけて研究資料に目を通し、沙羅と崚介は研究所を後にした。
去り際、目を潤ませたパターソン所長に握手を求められた。
「君は本当にサオリに似ているね。あの頃に戻ったようだ」
目を潤ませてしみじみと言われたのがなんだが落ち着かなかった。沙羅は自分と母のさおりが似ていると思ったことはない。それは主に性格的な理由だったが、似ていると言われたこともほとんどなかったため、なんとなくしっくりこなかった。
沙羅の目元はまだ少し赤い。このままFBIに戻るのは少し嫌だなと思っていると、崚介は車に戻らずに沙羅をコーヒーに誘った。
「何がいい?」
なんとなく甘いものを口にしたくなった。が、ここはアメリカだ。甘いというととんでもなく甘い。少し迷って、ブラックコーヒーとドーナツを頼んだ。
テイクアウトにすると思い込んでいたら、崚介は店内に席を取った。沙羅が戸惑っていると、崚介は「少しくらいいいだろ」と笑った。安全のためとはいえ行動を制限されていて、正直塞いだ気持ちになることもある。そんな沙羅を気遣ってくれたのだ。
平日午後の店内は人がまばらだ。このカフェにはテラス席もあって、穏やかな日差しに包まれている。あちらも気持ちよかっただろうなと眺めていると、崚介が「ここで我慢してくれ」と言った。「わかっている」と頷き、ドーナツにかぶりついた。
テラス席に面した往来はそれなりに人通りがある。店内より障害物も減るので狙撃の危険も伴う。今の沙羅の立場では、こうしてここで食事するのもかなり譲歩してくれている。
ドーナツはやはり甘かった。美味しいのだが、コーヒーと一緒でも丸々一個は多い気がしてくる。
「半分食べない?」
「君が頼んだんだろ」
崚介がコーヒーを飲みながら顔をしかめる。甘いものが嫌いというわけではないが、好んで食べる方でもないようだ。
「そうなんだけど。ちょっと甘すぎた。アメリカってなんでこう味が濃いんだろう」
美味しいんだけどと付け加えると、崚介が笑った。
「何?」
「いや。前にも同じことがあったなと思って」
「同じことって、私?」
「うん。君が組織に入ったばかりの頃、一緒にバーガー食べに行ったろ。あのときも君は『なんでアメリカってこう量が多いんだ』って文句を言っていた」
「そういえば。でも実際に多かったじゃないか」
「俺は『何年住んでいるんだ?』ってからかったっけ」
「言っておくけど、日本じゃよく食べる部類の女性だぞ、私は」
「本当か?」
女性にしては上背もあるし、元々武道を嗜んでいたので食事量は多い方だ。それでもアメリカの規格外に多い食べ物の量は胃に苦しい。濃い味付けに日本人の味覚が馴染まないせいもあるかもしれないが。何年住んでも慣れなかったことのひとつだ。
「四分の一なら手伝おう」
そう言って崚介はフォークを取った。四分の一でも結構大きいが、それを二口で口の中に収めてしまう。リスのように頬を膨らませながら「結構いけるな」と話すので、今度は沙羅が笑ってしまった。
「なんだよ」
「いや、娘もたまにやるんだ。頬にいっぱい食べ物を詰め込んで」
「俺が子どもっぽいって言いたいのか?」
「さあ、どうだろう」
笑いながら答えをはぐらかすと、崚介は面白くなさそうに口の中のものを飲み込んだ。
席からはバスロータリーが見え、たくさんの人が流れていく。子どもの声もして、のどかな時間だった。誘拐という名目でアメリカに来てから、初めて一息つけた気がする。
「平気そうだな」
沙羅がドーナツを食べ終わると、崚介が微笑みかける。少し安心したように見えた。両親の事件調書を読んだときは食欲を感じなくなっていたからだろう。
「しおらしく今も泣いている方がよかったかな」
「まさか。メシが食えないと人間力が出ないからな。こっちの方が断然いい」
「心配をかけたな。すまない」
「それは気に食わない」
「それ? どれ?」
「日本人はなにかっていうとすぐ謝る。うちの両親もだ」
「うん?」
崚介が何に気分を害したのかイマイチよくわからない。
「心配するのは君が好きだからだ。大事だからだ。謝られるとなんかこう、悪いことをした気分になる。相手を大事に思う気持ちまで否定された気分だ」
「そうか。それは悪いことを……」
また謝りかけてしまい口を噤む。崚介も目をすがめた。
「他人に迷惑をかけまいとするのは日本人の美徳だが、俺からするとちょっとそっけないぞ」
「そうだね。ありがとう、崚介。……これで合ってる?」
「まあまあ、だな」
満足そうに口角を上げた。コーヒーを飲み終わり、崚介が立ち上がる。沙羅もそれを追いかけた。ローターリーを横切り、二人で駐車場方面へ向かう。
そのときだった。
「沙羅!」
何かに気付いた崚介が、切羽詰まった声で沙羅を呼ぶ。隣にいた崚介が覆いかぶさるように沙羅を庇う。同時に崚介の腕を銃弾が掠めた。それは沙羅の頭の高さで、沙羅はぞっとした。
去り際、目を潤ませたパターソン所長に握手を求められた。
「君は本当にサオリに似ているね。あの頃に戻ったようだ」
目を潤ませてしみじみと言われたのがなんだが落ち着かなかった。沙羅は自分と母のさおりが似ていると思ったことはない。それは主に性格的な理由だったが、似ていると言われたこともほとんどなかったため、なんとなくしっくりこなかった。
沙羅の目元はまだ少し赤い。このままFBIに戻るのは少し嫌だなと思っていると、崚介は車に戻らずに沙羅をコーヒーに誘った。
「何がいい?」
なんとなく甘いものを口にしたくなった。が、ここはアメリカだ。甘いというととんでもなく甘い。少し迷って、ブラックコーヒーとドーナツを頼んだ。
テイクアウトにすると思い込んでいたら、崚介は店内に席を取った。沙羅が戸惑っていると、崚介は「少しくらいいいだろ」と笑った。安全のためとはいえ行動を制限されていて、正直塞いだ気持ちになることもある。そんな沙羅を気遣ってくれたのだ。
平日午後の店内は人がまばらだ。このカフェにはテラス席もあって、穏やかな日差しに包まれている。あちらも気持ちよかっただろうなと眺めていると、崚介が「ここで我慢してくれ」と言った。「わかっている」と頷き、ドーナツにかぶりついた。
テラス席に面した往来はそれなりに人通りがある。店内より障害物も減るので狙撃の危険も伴う。今の沙羅の立場では、こうしてここで食事するのもかなり譲歩してくれている。
ドーナツはやはり甘かった。美味しいのだが、コーヒーと一緒でも丸々一個は多い気がしてくる。
「半分食べない?」
「君が頼んだんだろ」
崚介がコーヒーを飲みながら顔をしかめる。甘いものが嫌いというわけではないが、好んで食べる方でもないようだ。
「そうなんだけど。ちょっと甘すぎた。アメリカってなんでこう味が濃いんだろう」
美味しいんだけどと付け加えると、崚介が笑った。
「何?」
「いや。前にも同じことがあったなと思って」
「同じことって、私?」
「うん。君が組織に入ったばかりの頃、一緒にバーガー食べに行ったろ。あのときも君は『なんでアメリカってこう量が多いんだ』って文句を言っていた」
「そういえば。でも実際に多かったじゃないか」
「俺は『何年住んでいるんだ?』ってからかったっけ」
「言っておくけど、日本じゃよく食べる部類の女性だぞ、私は」
「本当か?」
女性にしては上背もあるし、元々武道を嗜んでいたので食事量は多い方だ。それでもアメリカの規格外に多い食べ物の量は胃に苦しい。濃い味付けに日本人の味覚が馴染まないせいもあるかもしれないが。何年住んでも慣れなかったことのひとつだ。
「四分の一なら手伝おう」
そう言って崚介はフォークを取った。四分の一でも結構大きいが、それを二口で口の中に収めてしまう。リスのように頬を膨らませながら「結構いけるな」と話すので、今度は沙羅が笑ってしまった。
「なんだよ」
「いや、娘もたまにやるんだ。頬にいっぱい食べ物を詰め込んで」
「俺が子どもっぽいって言いたいのか?」
「さあ、どうだろう」
笑いながら答えをはぐらかすと、崚介は面白くなさそうに口の中のものを飲み込んだ。
席からはバスロータリーが見え、たくさんの人が流れていく。子どもの声もして、のどかな時間だった。誘拐という名目でアメリカに来てから、初めて一息つけた気がする。
「平気そうだな」
沙羅がドーナツを食べ終わると、崚介が微笑みかける。少し安心したように見えた。両親の事件調書を読んだときは食欲を感じなくなっていたからだろう。
「しおらしく今も泣いている方がよかったかな」
「まさか。メシが食えないと人間力が出ないからな。こっちの方が断然いい」
「心配をかけたな。すまない」
「それは気に食わない」
「それ? どれ?」
「日本人はなにかっていうとすぐ謝る。うちの両親もだ」
「うん?」
崚介が何に気分を害したのかイマイチよくわからない。
「心配するのは君が好きだからだ。大事だからだ。謝られるとなんかこう、悪いことをした気分になる。相手を大事に思う気持ちまで否定された気分だ」
「そうか。それは悪いことを……」
また謝りかけてしまい口を噤む。崚介も目をすがめた。
「他人に迷惑をかけまいとするのは日本人の美徳だが、俺からするとちょっとそっけないぞ」
「そうだね。ありがとう、崚介。……これで合ってる?」
「まあまあ、だな」
満足そうに口角を上げた。コーヒーを飲み終わり、崚介が立ち上がる。沙羅もそれを追いかけた。ローターリーを横切り、二人で駐車場方面へ向かう。
そのときだった。
「沙羅!」
何かに気付いた崚介が、切羽詰まった声で沙羅を呼ぶ。隣にいた崚介が覆いかぶさるように沙羅を庇う。同時に崚介の腕を銃弾が掠めた。それは沙羅の頭の高さで、沙羅はぞっとした。
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