アスモデウスの悪戯

ミナト碧依

文字の大きさ
21 / 45

21.懺悔

しおりを挟む
 騒ぎに乗じて、崚介りょうすけ沙羅さらは現場を離脱した。本来なら事情聴取を受けなければならないが、沙羅は狙われる身だ。崚介がFBIを通じて後で報告すると言った。
 二人とも無言のまま、崚介のアパートに戻る。
「シャワーを浴びた方がいい。それとも湯をためるか? 日本人は好きだろ、風呂」
 明るく振舞ってくれる崚介に微笑みかけようとして失敗した。たぶん、互いに。
「あなたの手当を」
「俺は服に穴が空いた程度だ。先に温まってくると良い」
 頭ひとつ分高いところから、優しさとも憐れみともつかない視線が向けられる。違う。後悔と安堵だ。
 崚介は正しかった。あのまま沙羅の駄々を受け入れていたら沙羅は死んでいた。そうならなかったのは崚介が理性的に行動したから。けれど少年を見殺しにしたことへの後悔は拭えない。本当にああするしかなかったのか、もっと早くミハイルが目覚めたことに気づいていたらあるいは。
 沙羅は崚介の視線から逃れるようにバスルームに入った。シャワーを浴びて血や煤を洗い流すと、いくらか温まる。
 裸のまま鏡の前に立つ。そういえば着替えは部屋の中だ。汚れた服や下着はところどころ焦げてもいて、もう身に着ける気にならない。とりあえずバスローブを身に着けた。
 バスローブ姿とはいえ下着もつけず異性の待つ部屋に戻るのは抵抗があったが、仕方ない。崚介は気にしないだろうし、彼がシャワーを浴びている間に着替えることにする。
 とりあえず服を持って戻ろうと手を伸ばしたそのとき、急に現場の光景がフラッシュバックした。
「……っ」
 温まったはずの体が強張る。足がもつれて転倒してしまった。その拍子にドアに体をぶつける。
「沙羅⁉」
 音を聞きつけたのだろう。焦ったような声が、どこか遠くに聞こえる。己の鼓動の方がよほど耳に響いた。火にのまれる少年の顔が、娘の顔に見えて――。
「沙羅‼」
「りょ……すけ」
 崚介の蒼い瞳が、沙羅を覗き込んでいる。気づけば崚介がバスルームの中にいて、両腕が痛いほど掴まれていた。大きな手から熱が伝わる。
「どうした。どこか怪我を?」
「いや、大丈夫だ」
「大丈夫って顔色じゃないだろう」
「そう、か。そうだな……。でも、怪我がないのは本当だ」
「やっぱりまだショックが大きかったか。立てるか?」
 沙羅は頷いたが、ほとんど崚介に抱えられる形で部屋に戻った。ソファに座らされ、崚介も隣に座った。
「話したいことがあれば聞く」
 アメリカの知人や同僚たちは、何かあると「話を聞こうか?」と申し出てくれる。最初は何故特別親しいわけでもない人に話さなくてはならないのかと思っていたけれど、この人たちは辛いことは一人で抱え込めないことを知っているのだ。だから積極的にカウンセラーも利用するし、近しい人にもそうあろうとする。
「たす、たすけた、かった」
 声が震えた。
「わかってる。あなたは正しかった。あなたのお陰で私はまだ生きている。でも火に飲まれたあの子の姿が、目に焼きついたみたいに忘れられない」
 崚介が慰めるように沙羅の肩を抱き、さする。温もりに触れるうち、隠したかった本音を吐露したい気持ちになった。
「安心、したんだ」
 崚介が少し戸惑うのがわかった。自分の身勝手さが嫌になる。沙羅は続けて告白した。
「今日巻き込まれたのが娘じゃなくてよかったと思ってしまったんだ。ミハイルだってなんの罪もない子どもなのに。私のせいなのに」
「君のせいじゃない。娘の無事を喜ぶのは親として当然のことだ。巻き込まれた少年は気の毒だが、悪いのはあの事件を引き起こした連中だ。君は狙われた被害者なんだ」
「日本でもあなたが気づいてくれなかったら私と誠也せいやは死んでいたかもしれない。もしあのとき娘が一緒だったらと思うと怖くなる。私はいい。でも娘だけは」
「自分はいいなんて言わないでくれ。君は娘のために俺に協力してついてきてくれた。俺はそれに絶対報いる」
「崚介」
 膝に置いた手が、温かな手に包まれる。大きな手が片手で沙羅の両手を温めた。自分の手が思いの外冷えていたことを実感した。反対の手はまだ沙羅の肩をさすって必死に温めようとしている。
「冷えてしまったな。酒でも……って、もうないんだった。やはり湯をためるか」
 風呂を気に入っているのは崚介のほうではないだろうか。やっと少し笑えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる

九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。 ※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

処理中です...