アスモデウスの悪戯

ミナト碧依

文字の大きさ
23 / 45

23.二人で迎える朝

しおりを挟む
 目が覚めると崚介りょうすけの整った顔が間近にあった。体に彼の腕や足が絡みついている。昨夜のことを思い出して羞恥心で頬が熱くなった。居たたまれなくなって、寝返りを打って背を向ける。
 室内はもう明るい。昨夜はそう遅くなったわけではなかったが、腹の空き具合から考えても随分寝過ごしたようだ。瞼が熱く、鏡を見なくとも腫れているのがわかる。
「Good morning」
 掠れた声がして、露出していた肩に唇が触れた。英語なんてただの言語だ。五年ぶりのアメリカとはいえ、沙羅さらも英語には慣れていて特別なものではない。なのにどうして「おはよう」の一言がこうも色っぽく響くのか。
 顔だけ振り返ると唇がふさがれた。それは軽く触れ合ってすぐに離れ、崚介が満足そうに微笑んだ。光の中で瞳の青がより鮮やかに見える。
「昨夜の君は素晴らしかった」
 腫れた瞼にキスを落としながら、崚介がうっとりと感嘆する。
 恥ずかしげもない賛辞に、沙羅は咄嗟に返事ができなかった。顔立ちも名前も日本人然とした崚介だが、こういうところはしっかりアメリカ人だ。
 沙羅が答えられずにいると、崚介は心配そうに沙羅の頬を撫でた。
「沙羅? もしかして、嫌なことをしたか?」
「そうじゃなくて。私は日本人だから」
「うん?」
「だからっ、こういうストレートな表現に慣れてないんだ」
 人生の半分はアメリカで過ごした。十八で渡米して、正直こういうことはアメリカでしか経験してない。それなのに感性がしっかり日本人なのは我ながら不思議だ。
 沙羅の言葉に一瞬虚を突かれたような顔をして、それから崚介はくしゃりと笑った。
「つまり照れてるってことか。可愛いな」
「からかってるだろう。あなたは慣れているんだろうが、私はそうじゃないんだっ」
 思い出しても恥ずかしい。昨夜は決して激しかったわけじゃない。崚介は沙羅を労わり、優しくゆっくりと触れてくれた。そんな彼に甘えた気分になって、最後は子どものように泣きじゃくってしまった。
 そんな沙羅を崚介は優しく抱いた。特別なテクニックや激しい動きをされたわけじゃない。それなのに全身が気持ちよくて、上も下もわからなくなるような快楽に包まれた。正直どんな顔をしていたのやら。崚介は昨日の事件で傷ついた沙羅を慰めてくれただけだ。それなのにしっかりセックスに溺れてしまったのが恥ずかしい。
「君が思うほど余裕なんてない。教えてくれ。俺は君に嫌なことをしなかったか?」
 真摯に尋ねる姿に絆される。沙羅は羞恥心を振り切って素直に答えた。
「あなたも、その……素敵だった。とても。だから余計恥ずかしいんだ」
 白状すると、崚介が笑みを深くする。
「光栄だ」
 いかにも名残惜しいといった様子で額にキスをすると、崚介は体を離した。ベッド周りに脱ぎ散らかした衣服を拾い上げると、下着を身に着ける。ズボンを履きながら、崚介は思い出したように言った。
「そういえば、君にあれを返すのを忘れていた」
 そう言って崚介が沙羅に渡したのは、空港で渡したカメオネックレスだった。丁寧にハンカチに包まれていて、大切に保管してくれたのだと嬉しくなる。けれどそれを受け通るのはためらわれた。
「どうした?」
 なかなか受け取らない沙羅に、崚介が不思議そうにする。
「あのとき『この件が終わったら』と約束したから。まだ何も解決していない」
 あのときは、崚介と組織の外で再会するのは解決後だと思っていた。
「君は真面目過ぎるな。気になるならまだ預かっておくが、形見なんだろう?」
 これを預けたとき、母から譲り受けたと話した。神崎の母ではなく生母のさおりのことだと気づいたのだろう。
「それに君、不安になるとこのネックレスに触れてる」
「そうだった?」
「うん。五年前も何回か見たし、昨日は鎖骨の間あたりに触れてた。このネックレスを探すみたいに」
 完全に無意識だった。母の形見に縋るなんて、なんだか幼い子どものようだ。
「君にとってはお守りなんだろ。きっとお母さんが守ってくれてるんだ」
「そうだね、ありがとう。つけてくれる?」
 体を起こして崚介に背を向けた。首にかかる髪を申し訳程度に寄せてうなじを晒す。ネックレスが前に来て、うなじのあたりで金具を止める気配がなんだかくすぐったい。小さな金具に少し手間取ったようだが、やがて手が離れて馴染んだ重さが胸元に収まった。崚介のことは信用していたけれど、自分の元に戻ってきて安心する。
 崚介は「終わったよ」とでも言うように、うなじに軽く吸い付いた。そんなじゃれ合いが、沙羅にはなんだか面映ゆい。
「もう髪は伸ばさないのか?」
 うなじに触れたままの唇が、低く問う。唇が肌に触れたままだからか、発音が少し甘い。寝起きの低い声も相まって、朝からセクシー過ぎる。
 そのまま与えられる小さな刺激に耐えながら、沙羅は質問を返した。
「長い方が好きだった?」
 少し不安になってそう尋ねると、崚介が小さく笑う気配がした。
「どちらの君も素敵だ。ただ髪もとても美しいから、ちょっとだけ惜しくて」
「子育てをしていると自分に構っていられなくてね。髪を洗ったり乾かしたりする時間が煩わしくて切ってしまったんだ」
「君の世界はあの小さなお姫様が中心なんだな。立派な母親だ」
 褒め言葉と受け取った沙羅は笑みを深くした。
「だといいんだけど」
「…………」
「え? 何?」
 あとの言葉は聞き取れなかった。振り返って聞き返したが、崚介は微笑むだけだ。
「朝メシ……いや、もうブランチか。何か買ってくるよ。君はもう少し休んでいるといい」
 啄むようにキスをされ、崚介が立ち上がる。崚介が出かけていくのをベッドの上で見送る。姿が見えなくなると、沙羅は枕に突っ伏した。頬が熱い。
「リチャードってあんなだった……?」
 五年前はどうだっただろうと思い出すと、つい当時の呼び名で呼んでしまった。
 元々欧米人らしくストレートな物言いをすると感じてはいた。だが昨夜からひたすら甘い。褒められ慣れてない日本人としてはかなり面映ゆい。沙羅の知る彼とも違って戸惑う。それはリチャードという演技をしていたからなのか、それともセックスの相手にはああなるのか。
 ひとしきり身もだえたあと、急激に理性が戻ってくる。ごろんと寝返りを打って天井を見上げた。考えてしまった。自分のほかに何人、あの声で囁かれた女がいるだろうと。この部屋にあったスキンは誰と使うために用意されたものだったのかと。
 ベッドをともにしたからといって恋人ではないことは承知している。欧米では日本と違い「付き合ってください」と告白しないばかりか、そもそも「付き合う」ということにハードルが高い。そのくせキスもセックスもありのお試し期間のようなものが当然のように存在している。その間は複数の相手と関係しているのも普通だし、同じ相手と何度もデートを重ねているのに恋人でない場合も多い。何年住んでも、日本人の感覚では理解しがたかった。
 ましてや昨夜は事件のせいで自分が理性的でなかった自覚はあるし、崚介はそんな沙羅を慰めただけだ。
 ベッドに横になっていると、過ぎ去ったと思っていた睡魔がやってきて瞼を重くする。昨夜沙羅に欲情した崚介の顔を思い出す。恋人だなんて高望みはしない。けれどせめて帰国するまでは、沙羅だけであって欲しい。
そう願う自分が滑稽で、嘲笑が零れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる

九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。 ※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ
キャラ文芸
架空の国の後宮物語。 若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。 有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。 しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。 幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……? あまり暗くなり過ぎない後宮物語。 雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。 ※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

処理中です...