アスモデウスの悪戯

ミナト碧依

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25.謹慎

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 狙撃事件の報告に行くと、やはり崚介りょうすけの正体は組織にばれてしまったことを知らされた。リチャード名義で借りている部屋が組織の襲撃を受けたのだそうだ。
 公衆の面前でFBIと名乗ってしまったのだから当然といえば当然だった。崚介は潜入捜査官の任を解かれた。
「その様子じゃ、こってり絞られたみたいね」
 カレンの指摘に、崚介は肩をすくめた。
「まあな。でも事件から外されることは免れた。まあ、三日間の謹慎付きだが」
「そうなの? ウィルにしちゃ優しいわね」
 ウィルことウィリアム・バーンズは崚介の上司だ。この捜査の指揮官でもある。
沙羅さらの情報のおかげだ」
「どういうこと?」
 首を傾げるカレンに、沙羅が答える。
「私の体調管理のために呼ばれた研究員に見覚えがあったんだ。たぶん彼も私に気づいた」
「誰なの?」
「ルイス・バッカスという優秀な研究員だ。DEAにいた頃の同僚だよ。潜入捜査中か、あるいは攫われて研究を強要されているのかもしれない。どちらにせよDEAに対するカードになる」
「そう。謹慎中、サラの送迎は誰が?」
「沙羅も一緒に自宅待機だ。その間は護衛の数も増やすらしい。今のところ引っ越せとは言われてないが、どうなるかな」
「それ、謹慎っていう名目の休暇なんじゃないの?」
 カレンがからかい、崚介は曖昧に笑う。カレンがどれほど理解しているのかはわからないが、沙羅はこれが潜伏の意味を持つのだろうと思った。
 潜入捜査官だとばれてしまった今、ナーヴェはリチャードを探している。しかも沙羅と一緒にいることも知れてしまった可能性がある。敵の動きを見極めるために、そして危険を回避するために一時的に行動を制限されるということだ。状況によっては三日では済まないかもしれない。
 そのとき、カレンのPCから通知音がした。モニターを覗き込んだカレンが目を輝かせる。
「撮ってきてもらった画像の文字起こしが終わったわ」
 研究所では資料の写しが認められなかった。権利は沙羅にもあるから持ち出すことも不可能ではなかったかもしれないが、研究所としても簡単には渡せないだろう。余計な揉め事は避けるため、身に着けた小型カメラでスキャンするという方法を取った。写真のままでは読みにくいため、スキャンした画像をAIによってデータに起こしていた。
「内容はどうだ?」
「焦らないでリョウ。AIに識別させる前にざっくり概要に目を通しただけだけれど、二十年以上前の研究としてはかなり進んでいたと思う。実用化されれば莫大な利益になるわ。だから信託財産として遺したのかも。あなたがもし病気にでもなったら、きっと人より治療費がかかるもの」
 母の気遣いを二十年越しに知って胸が熱くなる。それなのに沙羅はろくに読みもせず手放してしまった。
 カレンはそのまま資料を読みふけった。難しいものなのか眉間にしわを寄せながら、だんだん没頭していく。
「カレン、コーヒーでも持ってこようか?」
 沙羅が尋ねると、カレンは「ええ」とどこか生返事だ。とりあえず休憩室からコーヒーを持ってきてデスクに置いたが、珍しく顔も上げない。
「ここに置いておくよ」
 紙カップに蓋がついているとはいえ、倒せば零してしまう。少し離したところに置いて念のため声をかけるが、返事はなかった。それを見ていた崚介が呆れたように声を上げる。
「あー、多分もう何言っても聞こえないだろうな。興味のそそられるものを見るとたまにああなる」
「へえ」
 論文はやっぱり沙羅にはチンプンカンプンだったが、なにか手掛かりになるといい。
「解読はカレンに任せて、俺たちは帰るか」
 そう言って崚介は何気なく沙羅の頬に触れた。そのまま指が髪を耳にかけさせる。沙羅の顔をみて崚介はどこか満足げに笑った。
 昨日までにはなかった親密な仕草。少なくとも人前で肌に触れるようなことはなかったのに。恋人のような甘い空気にどうしていいかわからなくなる。昨夜崚介に抱かれたことがここにいる全員にばれてしまうのではないかと落ち着かなかった。

 雨が窓を叩く。久方ぶりの雨に窓の外の景色が滲んでいる。
 監視や狙撃を警戒して窓辺には立たないようにしている。今なら少しくらい構わないだろうかとぼんやり思った。けれど体は怠惰で、起きあがろうとしない。
 ベッドの上で乱れた寝具にくるまって、窓を流れていく滴を眺める。振り返ると、開け放たれたドアから崚介の姿が見えた。キッチンに立って冷蔵庫を開けている。暗い室内で、庫内灯の灯りに輪郭が浮かび上がった。ボトムだけを身に着けて、上半身は美しい筋肉を惜しげもなく晒している。セックスの余韻を振り切るように視線を窓に戻した。
 日本で再会してからこれまで、一つ屋根の下に泊まっても何日も触れ合うことなどなかった。なのに一度肌を許してしまうと、もう触れ合わなかったときの距離感が保てない。
 崚介とともに自宅待機を命じられたのは昨日のことだ。それから丸一日近く服を着ていない。
昨日も帰宅した途端に抱きすくめられて、絶え間ないキスが降ってきた。思えば謹慎を命じられたのに、崚介はどこか楽しそうだった。カレンのオフィスで指先が触れたあのときから、もうセックスが始まっていたのかもしれない。
 かろうじてシャワーを浴びたいと頼み聞き入れられたが、そのままバスルームで睦み合うことになった。体を洗い終えるとベッドに運ばれ、休むことなく体を繋げた。
 ――なんか、どんどん激しくなるような……。
 喘ぎ過ぎた喉は少し枯れているし、何度も極められた体は倦怠感に包まれている。
 狙撃事件の夜、崚介はひたすらに沙羅のことを気遣って優しかった。けれど昨夜からは崚介の番だとでもいうように、貪るように抱かれている。そんな気がする。
 セックス後の疲労感が増していくばかりなのに、嬉しいと感じている自分に沙羅は戸惑っていた。崚介に溺れていくようで、正常な判断ができていないのではとすごく不安になる。杞憂なのだろうと自分に言い聞かせるが、彼とのセックスが幸福であればあるほど罪悪感が思い出される。
 ぺたぺたと裸足の足音がして、ベッドの片側が沈んだ。肩から腕が撫でられてこめかみに軽くキスをされ、振り向くと唇が軽く触れ合った。崚介がペットボトルの水を煽る。口に含んだままもう一度キスをして、少しずつ開かれた唇からゆっくりと水が移された。絶え間なく喘いで疲労した喉を、人肌の水が優しく湿らせる。何度か繰り返されて「もういい」と首を振ると、崚介は額にキスをしてから沙羅の隣でベッドにもたれた。
「疲れさせたか」
「身に覚えがあるだろう?」
 否定せずに軽く睨むと、崚介が目元を和ませる。
「君が魅力的なのがいけない」
「私のせい?」
 沙羅は薄く笑みを浮かべる。それを言うなら崚介こそ、常に沙羅を誘惑しているというのに。
「もしかして、君の小さなお姫様のことを考えていたのか?」
 顔を上げると、青い瞳と視線が交わる。
「昨夜からずっと何かを考えているようだから。俺とのセックスが退屈、という訳ではないんだろう? さっきも凄く綺麗だった」
 そう言って崚介は覆い被さってきた。首筋に吸い付き、舌を這わせる。話を続ける気があるのかないのか。
 沙羅は崚介の愛撫を受け入れながら正直に打ち明けた。
「娘のためと、いろいろな覚悟をして渡米した。その『いろいろ』は果たせていないのに、私はこうして幸せな時間を過ごしてる。それが少し、心苦しい。あの子は母親に誕生日の約束を破られて置き去りにされて、今この瞬間だって泣いているかもしれないのに。私のために手を尽くしてくれた母とは大違いだ」
 迷いがあるのは、これが母親として正しいことをしていると自信を持てないからだ。雨垂れが娘の涙を連想させる。
 崚介が愛撫を止める。
「君は俺を煽る天才だな」
「崚介。私は真面目に」
「幸せを感じてくれているんだろう?」
 咄嗟に口を噤む。崚介もまた真面目な表情で沙羅を見ていた。頬が熱を帯び、羞恥心に視線を逸らした。
 すると崚介は沙羅の頬を包むように触れ、自分の方を向かせる。キスの気配を感じて、沙羅は再び顔を背けようとした。今流されてはいけない気がする。じたばたと逃れようとする沙羅に、崚介は額を合わせた。キスではなかったので抵抗をやめる。
「君は俺に誘拐されたんだ」
「それは私が決めたことだ」
 誘拐しろと、FBIの協力者にしろと迫ったのは沙羅の方だ。
「ああ。その勇気を称えたいよ。組織で実験体にされるかもしれない、望まぬ相手に犯されるかもしれない。命の危険だって当然ある。そんな環境に勇気を持って飛び込んでくれた。計画通りじゃなかったのは君の落ち度じゃない。俺の見通しが甘かった」
「あなたはずっと私を守ってくれている」
「君がそうやって俺を悪者にしないように、君だって悪者じゃないと俺は断言する。君は娘のために勇気を出してくれた。その娘とも離れて、それもこんな状況で、不安じゃない筈がない。押しつぶされたって不思議じゃないのに、ずっと気丈に振舞ってる。そんな君が少しくらい男に寄りかかって何が悪いんだ」
「あなたは私を甘やかしすぎる」
「そうやって全部俺のせいにすればいい。俺としては、まだ甘やかし足りないくらいだ」
 顔の両側に手をついて、崚介が沙羅を見下ろす。
「君のその勇気と気高さが、俺には何よりも眩しい」
 崚介は本当に眩しそうに目を細めた。青い瞳が静かに欲情を称えている。肉欲以外のものを感じるのは、沙羅に都合の良い妄想だろうか。
「今だけでいい。俺のこと以外考えるな」
 開いた唇がまた塞がれて、言葉が封じられる。もう何も言うなとでも言うように。大きな手が肌を這い、体がまた開かれていく。快楽に思考が呑まれていく。
 今だけは、崚介の腕の中だけは、弱い自分でもいいだろうか。
 否、と。沙羅は自問自答する。不安を崚介に打ち明けた時点で、彼に弱さを見せている。崚介もきっと気づいているから、こうして自分を理由にさせようとしている。
「じゃあ」
 自分に触れていた手を顔の近くまで持ってこさせ、甘えるように、強請るように。その武骨な掌に口づけた。
「考えられなく、して」
 今だけだというのなら、いっそ愛情と錯覚するほどの快楽を。
 沙羅の懇願に、崚介はすぐさま応えた。手早く避妊具をつけると性急に沙羅の中に入ってくる。つい先ほどまで繋がっていた沙羅の体は、難なく崚介を受け入れた。考えられなくしてという願いを叶えるためか、そのまま激しく揺さぶられる。
 最初は痛みに近いものを感じることすらあったのに、たった二日ですっかり崚介のセックスに馴染んでしまった。それでも余裕なんて全然なくて、むしろ馴染むほどに快感が強くなる。崚介に抱かれるとすぐにわけがわからなくなってしまうから、彼はちゃんと気持ちいいだろうかと少しだけ不安になる。
「まだ何か考えてる?」
 揺さぶりながら、崚介が熱っぽい声で囁く。
「さすがに退屈になってきたのかな」
「んっ、違う……あっ。私、ばっかり……気持ちいい、から」
「なんだって?」
 崚介は目を丸くして、動きを止めた。
「あなたが、私の体に飽きてしまうんじゃないかと思って」
 沙羅がこの瞬間崚介のことしか考えられないように、崚介もまた沙羅のことだけを求めてくれていたらいいのに。
「君はときどき、とんでもなく魔性だよな」
「え? ……あっ」
 一度引き抜かれて戸惑っていると、体をひっくり返された。ベッドにうつ伏せになると、すぐさま後ろから崚介が入ってくる。
「ぅんんっ」
 呻くような嬌声を上げて与えられる刺激に耐えた。枕に縋りついて呼吸を整えていると、大きな手が沙羅の肌をなぞり、熱い唇が耳やうなじ、背中にキスを落とす。
 やがてその手がシーツとの間に滑り込んできて、沙羅の胸やその先を刺激した。背中はぴったりと崚介の胸にくっついていて温かい。いつのまにか彼の重みで動けなくなっていて、快感を逃がせなくなっていた。
 そして崚介の手はへそを通って下腹部を撫で始めた。沙羅の中にある己の形をなぞるように、やけにねっとりとした手つきだった。
 崚介の形を意識させられる。自分の膣が彼の形に変わっていくような気がした。否応なしに興奮が高められて、動いていないのに感じてしまう。そのくせいい所をついてもらえなくてもどかしい。中が誘うように彼を締め付けるのが自分でわかる。
「こんなになるまで俺を誘惑してるのに、まだ足りないか?」
 沙羅が焦れていることに気づいているだろうに、崚介はそのまま動こうとせず沙羅の下腹部を撫で続けた。外からの緩い刺激にも体がどんどん反応してしまう。やはり一人だけ高められていくのが寂しい。
「どうやったら伝わる? 君の中にいる俺はこんなに熱く滾って、もう何回も出してるのにまだこんなになってる。俺にこれ以上君に溺れろって? 君は酷い女(ヒト)だ」
「りょ……すけ?」
「でもそれも悪くないと思っているあたり、俺も大概だよな」
 もう崚介の言葉がほとんど頭に入っていなかった。動いてくれないことが切なくて、生理的な涙が浮かぶ。
「も、動いてぇ……」
 肩越しに振り返りか細い声で強請ると、崚介がふっと口元を緩めてその涙を吸い取った。沙羅の涙で湿った唇を耳元に寄せて、騎士のように囁く。
「仰せのままに」
 言葉の礼儀正しさとは裏腹に、激しい律動が再開する。思わず乱れたシーツを掴むと、シーツごと手を握られた。押さえつけられるような格好に少しだけ不安になって、手を開こうとする。するとそれを察した崚介もまた一度手を開き、指を絡めてきた。沙羅が縋るよりも強い力で握りこまれる。
 沙羅はその熱を頼りに、与えられる快楽に耐えるばかりだった。
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