アスモデウスの悪戯

ミナト碧依

文字の大きさ
28 / 45

28.アスモデウスの開発者

しおりを挟む
 ――んっ、リチャード。……もっと来て、リック……!
 はっと目を覚ますと、全身が汗で濡れていた。呼吸が荒い。
 もう何度目だろう。彼女を犯す夢を見て目を覚ますのは。夢の中の彼女は次第にリアルさを増していく。今回はやけに煽情的でまるで妖婦だった。
 崚介りょうすけは自分の下肢を見た。夢精はしていないが、十分に熱を持っている。
「くそっ」
 あさましい自分の妄想とそれに直結する下半身が、嫌悪感を増幅させる。昨夜はセックスをしなかった。謹慎という名の潜伏中、貪るように何度も抱いた。ついには娘へかその父親へかの嫉妬で抱き潰してしまった。さすがに反省し、この数日はなるべく回数を抑えている。昨夜も隣で眠るだけにとどめたのだが、淫夢を見たのは欲求不満のせいか。
「崚介? 起きたの?」
 寝室のドアをノックされる。悪態をついた声が聞こえてしまったのかもしれない。応じると沙羅さらが顔をのぞかせた。
「すごい汗だな。寝苦しかった?」
 ジーンズにオーバーサイズのブラウスを合わせた姿は、家で過ごすためのラフな格好だ。キッチンからベーコンの焼ける香ばしい匂いがして、まるで新婚のような光景に、沈んでいた気分が浮ついてくる。
「ちょっと、夢見が悪くて」
「どんな夢?」
 ベッドの縁に腰かけて崚介を覗き込む沙羅を、素早く抱きしめて唇を塞ぐ。沙羅は驚いたようだったが、そのまま崚介に身を委ねた。
「君の顔を見たら悪い夢なんて忘れた」
 低く囁きながら沙羅をベッドに引きずり込む。熱を持った下半身を擦り付けながら唇を貪った。
「んっ……もしかしてするの?」
 キスに応えながら、沙羅が戸惑ったように言う。
「駄目か? 時間ならたっぷりある」
 沙羅は早起きだ。彼女に合わせて崚介も早起きの習慣が身につきつつある。そのため出勤時間にはまだ余裕がある。
「駄目だよ」
「どうして?」
「やかんがコンロにかかったままだ。それにベーコンエッグも冷めてしまう」
 漂うベーコンの香りに交じって、指先からほのかにコーヒーの匂いがする。豆を挽いていたところだったのだろう。
 そんなものは後でいいと喉元まで出かかったが、せっかく沙羅が用意してくれた朝食だ。崚介は理性を総動員して体を離した。
「それは味わわないと罰が当たるな。仕方ない、起きるか」
「そうしてくれ」
 崚介がまさぐった髪や服を直しながら、沙羅が体を起こす。心なしか残念そうに見えたのは、崚介に都合のいい錯覚か。
「デザートは食後に食べるべきだしな」
 崚介の言葉にきょとんとしたあと、遅れてその意味に気づいたのか沙羅は顔を真っ赤にした。その様子に満足して、崚介はTシャツを着るとリビングに向かった。

 しっかりとデザートを堪能した崚介とともに、沙羅はFBIに向かった。
 行きの車中で崚介の横顔を盗み見る。端正な横顔が物憂げに見えるのは、沙羅の錯覚だろうか。
 謹慎が明けてから、崚介は何か考え込んでいることがある。今朝も夢見が悪いと言っていたが、きちんと話せなかった。遠回しに話を探っているうちに食べ終わり、そのまま『デザート』に食いつかれてしまったからだ。
 つい先ほどの行為を思い出して、頬が熱くなる。こういう行為には淡白な方だと思っていたのに、今やこれだ。崚介に触れられると昼も夜もなく欲情のスイッチを入れられてしまう。流され過ぎだろうか。
 沙羅はこうやって易々と官能に流されてしまうのに、仕掛けた本人はすでに冷静。それどころか別のことを考えているように見える。もしかして飽きられているんだろうか。そんな不安が首をもたげた。
「俺はそんなにいい男か?」
 盗み見るどころかしっかり見つめてしまっていたことに気づき、慌てて視線を逸らした。
「ごめん、不躾だった」
「そこは『ええもちろんよ』って言うところだろ」
「今更そんな言葉が必要とは思わなかったな」
 軽口に軽口で返す。
「そんなに元気なら、心配して損した」
「心配?」
「最近なにか悩んでいるように見えたから」
 セックスが激しくなるのも、何も考えられないように敢えてそうしているように見えることがある。
「君が魅力的過ぎて、理性が仕事をしてないんじゃないかと不安なんだよ」
「崚介、私は真面目に」
「俺だって真面目に言ってる」
 信号待ちで停車した際、崚介がサングラスを外して沙羅を見据えた。思いの外真剣な表情に戸惑う。
「なんでそんな不安を? 私、気になるような振る舞いをしたかな」
「君じゃなくて俺の問題だ。君の側にいるとどうにも……触れたくてたまらなくなる。ベッドでぐったりしている君を見ると、無茶をさせてしまったと反省するんだ。レイプ犯になった気分だよ」
 レイプ犯。思いがけず強い言葉が出て、咄嗟に返事ができなかった。沙羅の予想以上に、崚介は深刻に悩んでいるんじゃないだろうか。一体どうして。
 崚介が正面に視線を戻す。信号が変わって、車を発進させた。
「すまん、通勤途中にする話じゃなかったな」
「私こそ」
 悩みの内容を知らなかったとはいえ、最初に切り出したのは沙羅だ。
 車内に微妙な空気が流れる。その後はFBIに到着するまで二人とも無言だった。これは一度きちんと話をした方がいいかもしれない、と沙羅は思った。

 徹夜明けのカレンに呼び出され、沙羅と崚介はカレンのオフィスに向かった。オフィスには上役であるウィルも来ていた。ということはなにか重要なことがわかったのだろう。沙羅は気を引き締めた。
 カレンはモニターにいくつかの研究データを出した。
「こっちがアスモデウスの分析データ。DEAから提供してもらったものよ。これを見ると、アスモデウスはあらゆる中和剤を分解してしまう。だから摂取後の治療が難しいとわかるわ」
 沙羅は少なからず驚いた。アメリカの多くの捜査機関とFBIは良好な関係とは言い難い。お互いの捜査領分を侵すライバルのような存在だからだ。それが大事な分析データを開示したということは、FBIがなにかしらの圧力をかけた可能性が高い。
 もしかして潜入しているルイスの件を取引材料にしたのだろうか。自分が入れ知恵したこととはいえ、古巣であるDEAには申し訳ない気持ちになった。
「そしてこっちがサオリの研究資料からアズモスについてまとめたものよ。アスモデウスは強い興奮作用を除けば、サオリの研究資料にあるアズモスの効能にも似ているの。これが実際の効能なのか期待値なのかは、明記されていないからわからない」
 カレンが言いながらPCを操作し、とあるデータをモニターに出した。
「ドクター・アマヤが研究していたサラの血液データとも比較してみたわ。ここ。この部分がアスモデウスととてもよく似ているの。つまりアスモデウスから強い興奮作用を取り除くことができれば、アズモスは完成したも同然だわ。サオリがサラの血液データに着想を得て研究していたとしたら、私と同じ結論にたどり着いていた可能性は高い。だからアスモデウスとアズモスは原材料が同じか、近い植物を原材料にしているんじゃないかしら」
「それどころか、サオリ・ハヤサカがアスモデウスの開発者である可能性が出てくる」
 ウィルの言葉に、沙羅と崚介は顔色を変える。
「そんな馬鹿な」
 沙羅の言葉を、カレンは申し訳なさそうに否定した。
「ここまで酷似しているとなると、アズモスの研究過程で生まれたのがアスモデウスっていう可能性は高いと思う。発明が開発者の望み通りに使われるとは限らないことは、歴史が証明しているわ」
「もしかしてそのせいで殺されたと?」
「ああ」
 ウィルが頷く。確かにこのドラッグなら、命を狙われる原因になり得る。
「そんな、じゃあ両親を殺したのはナーヴェだってことか?」
「それはまだわからないが、可能性は高いと思う」
「でもそんなに前に開発されたのなら、二十年以上流通しなかった理由が……」
 言いかけて、沙羅ははっとした。全身から血の気が引いていく。
「やはり君もそう考えるか。私も同じ意見だ」
 ウィルの言葉に、崚介もはっとした。そして悔しそうに、沙羅を慰めるように肩を抱いた。
「どうしたの」
 カレンだけが不思議そうに三人を見つめる。項垂れる沙羅の代わりに崚介が答えた。
「さおりとあきらは……沙羅の両親は守り切ったんだ。自分たちの研究資料を。だから殺された」
「ああ。それを私が世に出してしまった」
「どういうこと?」
「私がラボに研究資料を寄贈したのは六年前だ。時期が合う」
「待って。ラボにはその資料はなかったわ!」
「誰かが盗んだと考えるのが妥当だろう。私は研究者じゃないし、ましてや中身を見ていないから、一部が紛失していても気づけない。……待って。まさか研究のコアの部分も一緒に盗まれたんじゃ」
 最悪を口にするが、それはウィルが否定してくれた。
「それなら一部を研究所に残しておく理由がない」
「ええ、そうね。それに五年もアスモデウスが改良されていないところを見ると、組織にアズモスのデータが渡っているとは思えないわ。サオリはアズモスのコアの部分とそれ以外を意図的に分けて資料を残している。きっと元から別で保管されていたのよ。もしかしたらサラのデータも一緒にあるのかもしれない」
「研究資料に触れたのは沙羅、弁護士、研究所員か。……ラボに渡ってから誰かが盗みだしたとしか考えられないな」
「弁護士は?」
「彼はその気になればいつでも暴けたはずだ。中身を知っていた可能性も高いし、タイミングから見ても研究所に寄贈された後に盗み出されている」
「でもどうして一部だけ残したの? せっかくドラッグを流通させても無効にされちゃう薬なんて、組織にとっては邪魔でしょう?」
「もし独占できるなら、組織にとってこれまでにない利益を生む。生かさず殺さずを実行できるんだからね」
 沙羅の推測にウィルも同意する。
「アスモデウスはかなり強烈なドラッグだ。一回の服用で死者が出かねないほどの。もし中和剤がその危険性のみを取り除くなら、同時に摂取することでセックスドラッグとしての真価を発揮する。それに」
「それに?」
「それぞれを別で使えば、暗殺にも使えるだろう。例えば自分は中和剤とともに摂取して無事を証明してみせて、ターゲットに飲ませる。マーケットが変わるぞ。その利益も」
 ウィルの言葉に沙羅はぞっとした。アスモデウスは強い薬だ。毒薬として使われてもおかしくない。媚薬と名を変えれば手軽に手を出す者が多いのがセックスドラッグの厄介なところだ。警戒心をやわらげられる。
「だが薬は未完成だった。だから敢えてラボに残したんだ。誰かが研究を引き継ぎ、完成させることを狙って」
「だとしたら、やっぱり鍵を握っているのはサラなんじゃないかしら」
「研究のコアの部分を私が持っているかもしれない、ということか」
 だが沙羅が両親から受け継いだものは多くない。これ以上は当時引き取ってくれた神崎の両親に聞かないとわからないだろうか。
 そのときふと気づいた。
「崚介。最初日本で私の……『シズカ』の誘拐命令は、誰が出した?」
「状況から見てザックだな。レヴィアタンボスの命令じゃない筈だ」
「カレン。両親の事件の際、犯人のDNAが採取されていたよな」
「ええ」
「ザックのものと照合できるか」
「どうやって?」
「奴が死んだとき、私が着ていた服から採取しているだろう」
 沙羅の言葉にカレンがはっとした。
「すぐ調べる」
 カレンがPCを操作すると、いくらもかからずに結果が出た。
「一致したわ。どうしてわかったの」
「ザックがどうして私に執着するかわからなかった。奴は私の両親の事件の実行犯、あるいは偽装工作を行った構成員だったのかもしれない。そのとき母に会っている。私と母の血縁を疑っていたんじゃないだろうか。当然調べさせたはずだが、五年前はDEAが私の情報を完璧に消し去っていた。FBIでさえ見つけられなかったほどだ。ザックは確信が持てず、だから私をまず愛人にしようとした。すぐに囲い込まれなかったのは、不確定要素が多すぎて重要視されていなかったんだ」
「そして直前で君は失踪した」
「五年も探し続けたのは、アスモデウスの改良が難航したからだろうね。もしかしたら、だからこそザックは殺されたのかもしれない。私を見つけたから。中和剤を成功させれば、ザックの組織での地位は跳ね上がる。レヴィアタンに成り代われるほどに」
「てことは今はレヴィアタンが君を狙っているのか。あの狙撃事件、ナーヴェがやるには派手過ぎると思っていたが……アズモスの価値を考えると大袈裟じゃない気がしてくる」
 崚介の言葉に、場がしんとなる。沙羅の重要性が想像以上だったことになる。
 ウィルが厳しい視線を沙羅に向けた。
「サラ・カンザキ。君の護衛体制を見直す」
「それより、研究のコアを探すことが先決では。それが見つかれば組織との取引材料になります」
 それはつまり、逮捕のチャンスを作れるということだ。
「ああ。ハヤサカ夫妻の弁護士にもう一度連絡を取ってみよう。何か知っているかもしれない」
 一気に緊張感が高まる。一番の当事者である沙羅はため息をついた。崚介がそれを労わるように髪を撫でる。
「不安だよな」
「私がアスモデウスを世に放ったなんて、自己嫌悪でつぶれそうだよ」
「君は両親の研究を役立てようとしただけだ。悪いのはそれを盗んで悪用した奴らだ」
「その通りだ。今は捜査の進展を喜ぼう」
「……そうですね。やっと私がここにいる意味ができた。どうして狙われるのかもわかったし。まだ娘の安全が確保されたとは言い難いけれど、あくまでも私が持っているかもしれない情報が狙いなのだというなら、少しは安心できる」
 体質そのものが狙いでないのなら、れいがナーヴェの目的ではなくなる。沙羅に対する人質としての有用性は変わらなないが、直接の目的でないのなら日本にいる怜が狙われる可能性は低くなる。
「なあみんな、コーヒー飲みたくないか?」
 そのとき、唐突にウィルが提案した。
「そうね。一息つきましょう」
 ふーっと息を吐きながらカレンが同意する。ウィルが沙羅を見て笑みを浮かべた。
「サラ、悪いが人数分頼めないか」
「お安いご用だ」
「一緒に行くわ」
「いいよ、トレイを使うし。それに、気持ちを落ち着けるのにちょっと、何かしたい」
「そう? じゃあお願いするわ」
 FBIの内部なら一人で行動することも許可されている。沙羅は休憩室にコーヒーを取りに行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる

九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。 ※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。

処理中です...