アスモデウスの悪戯

ミナト碧依

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32.ルイス・バッカス

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「まったく、君は相変わらず真面目だね」
 男性の声がして振り返ると、ウィルとともに白人男性が戸口に立っていた。見覚えのあるミルクティーベージュの髪。意外な人物の登場に沙羅さらは目を疑った。
「ルイス? ルイス・バッカス⁉」
 沙羅が呼んだ名にカレンも彼の正体に気づいた。
「ルイスって確か、サラの元同僚だっていう?」
「どうしてここに」
 それに答えたのはウィルだった。
「本件は合同捜査となる。DEAからはルイス・バッカス捜査官が参加する」
「君が僕のことをFBIにバラしてくれたおかげで、非常に不本意だが協力することになったよ」
 ルイスは不機嫌さを隠そうとせずそう言った。
「ごめん、ルイス。あなたがここにいるということは、やっぱり潜入捜査中だったんだな」
 謝った沙羅に、ルイスは子どものようにむくれた。
「ほかになんだと思ってたんだよ。僕がDEAを裏切ったとでも?」
「まさか。でもあなたは優秀な研究者だから、拉致されて研究を強要されているんじゃないかとは心配していた」
 沙羅が慌てて否定すると、ルイスは虚を突かれたような顔をした。
「君ってそういうところ、ほんと紳士だよね」
「ん?」
 およそ女性には使われない単語が聞こえて首を傾げる。ルイスはそれに答える気はないようで、肩をすくめた。
「研究員が潜入捜査ってDEAじゃ普通なの?」
 カレンの疑問に沙羅が答える。
「いいや。ルイスは元々捜査官志望だったんだよ。でも五年前はまだ若すぎて、研究者として働いていたんだ。そちらの能力が高かったしね。捜査官になるの、反対されたんじゃないか?」
「まあね」
 最後はルイスに振ると、ルイスはどこか誇らし気に胸を張った。愛想がない割に表情が豊かなのは昔からだが、捜査官としてはどうなのだろう。少し心配になったが、口には出さなかった。
「アスモデウスは謎が多いドラッグだ。ザックは改良のために研究者を探していたから、それで僕が潜入するお許しが出たってわけ」
「潜入してどのくらい?」
「三カ月くらいだよ」
 その期間で沙羅はピンときた。
「まさかあの錠剤を作ったのは」
「僕だよ」
「DEAがそれを許可したのか⁉」
 沙羅が問い詰めると、ウィルも厳しい表情をした。
「あの錠剤が開発されて、奴らはアスモデウスの市場流通を進めている。君は、いやDEAは、それを手助けしたというのか⁉」
 二人の非難に、ルイスは毅然と顔を上げる。少年の面影を残しているが、それは真摯な捜査官の顔だった。
「ナーヴェは……ザックは無茶な人体実験を繰り返していたんだ。この五年で何人死んだと思うの」
「二十人近いのは知っているが」
 沙羅は曖昧に答えた。原因がアスモデウスであると断定できないケースもあるし、そもそも関連を疑われていないものもあるだろう。FBIとて正確な数は把握するのは難しいはずだ。
「そんなの表層の表層だよ。僕もナーヴェに潜入して知ったことだけど、百人はゆうに超えてる」
「ひゃっ……く⁉」
 予想をはるかに超えた数字に、沙羅もウィルも絶句した。
「ホームレスとか密入国者とか、表に出ない人間を使って実験を繰り返してたみたい。小遣い稼ぎに流通させてたブローカーもいたみたいだし、百ってのは死亡者の最低数だ。ジャンキーやレイプ被害者、ナーヴェが知らないところで死んだ人間も含めたら、その倍の被害者がいてもおかしくないんだよ」
 沙羅は改めて罪悪感に押しつぶされそうになった。六年前、沙羅が母の研究資料を手放さなければ。五年前、沙羅がナーヴェ摘発のための証拠を掴めていたら。
 狙撃事件の際、バスの炎上で亡くなった少年の顔を思い出す。日本で安全にいるはずの娘の顔も。
「だから実験で死ぬ人間が減るように遅効性の錠剤を開発した。長らく改良できていないドラッグだからね。僕が敢えて効き目を抑えたものを作ってもばれなかったよ。これで組織はアスモデウスの取引を開始する。そこを叩く予定だったんだ」
 薬が流通してしまうリスクより、元を断つ方を取ったということか。これはルイスにしかできない捜査だ。
 驚きと尊敬の眼差しを向ける。カレンはそれにいくばくかの嫉妬めいたものを感じたようだ。
「ルイス、あなたいくつなの?」
 尋ねる声がやや硬い。ルイスは慣れているのか、さらりと答える。
「二十三」
 弟の誠也せいやが二十四歳だから、あまり変わらない。それでここまで優秀とは。
「大学は? いつ卒業したのよ?」
「十五のときだったかな」
 事もなげに答えたルイスに、カレンがあ然とした。
ルイスに初めて会ったとき、沙羅もおおむね同じ反応をした。実はDEAではルイスの方が先輩にあたる。沙羅が入局したとき、ルイスはすでに天才科学者として有名だった。本人は捜査官になりたがっていたから、後輩である沙羅が捜査官になったのは面白くなかったらしい。会うたび睨まれた。
そんなことを思い出していると、ルイスと目が合った。五年経って少しは大人の振る舞いを身に着けたのか、それとももう沙羅が捜査官じゃないからか、睨まれることはなかった。とはいえ好感を持たれていないのか、にこりともしない。
「君こそ組織に殺されたんじゃないかと思ったけど、FBIにいたとはね」
「おかげさまで、五体満足だよ」
「まさかリチャードがFBI捜査官だとは思わなかった。君がFBIに協力してるなんて知らないから、本気で拉致されたんだと思ったのに」
「心配してくれたのか?」
 嫌われているかもしれないが根はいい人なんだよなと思う。
「本当は君の救出作戦も動いてたんだよ」
 それを聞いて沙羅は一つの可能性に思い立った。
「まさかザックの襲撃は」
 フルフェイスマスクの男たち。状況から沙羅も狙われていると感じて抵抗したが、彼らは本当に沙羅を殺そうとしていたか。
 同時にザックに触れられた記憶がセットで引き出されてしまい、不快感が蘇る。沙羅は無意識に両腕を抱いた。
 ルイスはまた首を横に振った。
「それは完全に別。DEAでもあれの正体は掴めてない。でも君の拉致監禁を理由にザックの逮捕状を請求していて、あの日逮捕状が出次第突入する手はずだった。拠点は包囲させてたんだよ? なのに襲撃は起きるし君は逃走するしでもう大混乱。てゆーか君、なんで逃げ切れちゃうのさ。ちゃんと保護しようとしたのに撒いちゃうってどういうこと」
 不機嫌そうに唇をとがらせたルイスに、沙羅は少し和んだ。気づかれないように小さくため息をついて、申し訳なさそうな表情を作る。
「ごめん。追われてるのがわかったから、組織か刺客の追手だと思って全力で逃げてしまった」
「それはサラ・カンザキに非はないだろう。彼女に計画を伝えていなかったのは君の落ち度だ」
 やりとりを聞いていたウィルが沙羅を擁護する。
「仕方ないだろ。僕は組織に潜入してまだ日が浅い。ザックに信用されていなかった」
 三カ月の潜入捜査というのは長い方だが、組織内ではまだまだ新参者の域を出ない。相手が疑い深いザックならばなおさらだ。
「彼女の見張りが僕のことも見張っていた。僕にできたのは、せいぜい彼女のデータを改ざんしたり、レイプされないように目を光らせるくらいだよ」
 ルイスの言葉で、沙羅は自分がしかけたハニートラップが絶妙のタイミングで阻止されたことを思い出した。あのときルイスは沙羅のために邪魔をしてくれたのだ。
「そういえば、あのときのお礼を言っていなかった。助けてくれてありがとう」
「君がFBIの協力者だったってことは、なにか目的があったんだろう? 邪魔したんじゃないか」
「ザックが動くきっかけを作りたかっただけだ。覚悟していても、避けられるならその方がいい。君の助けは私にとってベストなタイミングだったよ」
「ならいいけど」
 不機嫌を装っているが、少し嬉しそうだ。ルイスは存外、いい捜査官になるかもしれない。彼の才能を考えると科学捜査に注力した方がと思わなくもないが、科学知識のある者が現場にいるのは他の捜査官も心強いはずだ。
 とはいえ。
「ナーヴェに信用されていないということは、今ここにいることもかなり危険なんじゃないか」
「ナーヴェというよりザックに、だったからね。彼が死んだあとはそうでもないよ。錠剤開発の件で信頼は稼いだし。君のデータも消しておいた。どさくさで破壊されたことにしてある」
 ルイスの説明に納得し、同時に感謝した。もう同僚でもないのに、沙羅のために危険を冒してくれた。
「ありがとう、ルイス」
「でも君にドラッグの耐性があることは少なからずボスの耳に入っているようだ。じゃなきゃ生け捕りの命令なんて出ないよ」
 ルイスの言葉に空気がピンと張り詰める。FBIも予想していたことだったが、それでも潜入中の捜査官から情報がもたらされるとより現実味を帯びてくる。
 ウィルが神妙な面持ちで沙羅に向き合った。
「サラ・カンザキ。昨日も話したが、君の護衛体制を見直すことになった。しばらくはこの庁舎内の仮眠室に泊まってもらう。不自由をかけるが、理解してほしい」
「ああ。わかっている」
 崚介りょうすけと離れる口実ができたのは、お互いにとっていいことなのかもしれない。そんなことを考えていたら、ちょうど崚介が顔を出した。
「ウィル。少しいいか」
「リョウ、どうした」
相原あいはら弁護士にアポが取れた。これからD.C.に行ってくる」
「今からか?」
 相原氏は両親の顧問弁護士をしていた人物だ。沙羅も信託財産の相続の際に一度会っている。
「ああ」
「崚介、私も」
「いや、君は連れていけない」
 そう言うと崚介はウィルに視線をやった。ウィルを見ると、重々しく頷いた。
「今、君の外出は許可できない。君を守るためだ」
「沙羅のことを頼む」
「そのことだが、彼女は今日からここに泊まってもらうことにした。お前の腕を信用しないわけじゃないが、移動中はどうしても狙われやすい」
「そうか。俺もその方が安全だと思う。それに今日は戻れるかわからないし」
 崚介が沙羅に視線をやる。やはりまだどこかぎこちない。それでも崚介は沙羅の頬に触れた。
「気を付けて」
「私のセリフだろう、それは」
「狙われているのは君だ。君のことはFBIが絶対守る」
 反対の頬に触れるかどうかのキスをして、崚介は足早にオフィスを出ていった。
「今の、リチャード?」
 ルイスが意外なものを見たような顔をする。
「ああ。本名はリョースケ・J・コールマン。俺たちは『リョウ』って呼んでる」
「随分雰囲気が違うからわからなかった。もしかして君たち、そういう?」
「色々と複雑なのよ」
 答えたのはカレンだった。
「それって五年前から?」
 合同捜査をするということは、五年前から今までのことを共有した方がいい。崚介や怜のことまで伝える義務はなかったが、ルイスはDEAの人間でかつての同僚だ。そして今、沙羅が解決できなかった事件を担当している。
 沙羅は正直に伝えておくことにした。
「彼は私の娘の父親なんだ」
 ルイスは何度か瞬いたが、どこか安心したように「そう」と短く言った。
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