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34.相原弁護士
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崚介は早坂夫妻――沙羅の両親の顧問弁護士に会いにきた。彼も日系アメリカ人で、日系人や移民の手続きを手助けしたり、差別問題をよく扱ったりしているという。
彼は早坂夫妻のことも一人娘の沙羅のことも覚えていた。
「あの日、私は早坂家を訪れる予定でした。ですが悪天候で飛行機が遅れ、約束の時間を大幅に過ぎてしまった。事件はその間に起こったのです」
そのことは調書にも書いてあった。相原弁護士が到着したとき、すでに警察の捜査も始まり周囲は騒然としていたという。
「移民であったため、早坂夫妻の事件は真剣に捜査されなかったように思います。私は当時警察に捜査のずさんさを訴えましたが、聞き入れてもらえませんでした」
「先生はあの事件になにか疑問をお持ちなのですか?」
「調書を読んだところによると、早坂家の裏口の鍵が開いていました」
崚介もそれを読んだ。警察はそこから犯人が侵入したのだろうと結論づけていた。
「日本は平和な国だから、防犯意識が低かったために強盗の侵入を許したのだろうと。けれど早坂夫妻はそのあたりはすごく気を遣っておられました。沙羅さんがいたからです」
「先生は彼女の体質のことを?」
「ええ。病院を紹介してほしいと頼まれましたから。けれどいい医師に巡り合えず、さおりさんが自分の研究の傍ら、沙羅さんのことも調べるようになったのです。薬の効かない彼女は、少しの怪我でも命取りになりかねない。さおりさんは一見して破天荒な人でしたが、その実、沙羅さんの安全にはかなり気を遣っていました。毎年研究成果を貸金庫に預けていたのも、万が一の際に誰かが研究を引き継げるようにです」
「沙羅についての研究資料は、貸金庫にはありませんでしたよね?」
「元々は、それも貸金庫に保管されていました。けれどあの事件の直前に、夫妻は沙羅さんに関する資料だけ別で保管することを決めました。私も場所を知らないのです」
「沙羅は自分の体質についてご両親が研究していたことを知らなかった」
「なんですって? では、神崎氏も彼女の体質のことを知らないのですか?」
「少なくとも当時は。だから沙羅も長い間自分の体質を知らなかったそうです。気づいたのは中学のころだったと」
「なんてことだ」
「神崎茂氏は夫妻の遺体と沙羅を引き取るために来米していますよね? 先生はお会いになっていないのですか?」
「お会いしました。けれど夫妻が信頼していた神崎氏がそのことを知らないとは思わず。でもそうか……やはり」
「『やはり』?」
「夫妻は沙羅さんが生まれて十年、日本へは帰国していません。お兄さんがいることは伺っていましたが、話題にしてもそれとなく逸らされている気がしました。私の目には日本の神崎家と交流があるように思えなかったのです。それなのに夫妻が沙羅さんの後見人に神崎氏を指名する遺言書を作成するというので、私は困惑しました。けれどそのときは、私に見えていないだけで本当は交流があったのだろうと思ってしまったのです」
信頼しているけれど疎遠だった。それはナーヴェに潜入してきた沙羅と初めて会った頃、崚介が彼女に感じていたものに近い。五年前の沙羅もまた日本を愛しているのに、遠ざけているようだった。
「遺言書? お二人は若く健康的だった。なぜ遺言書を?」
「わかりません。研究資料を貸金庫に預けるほど周到なご夫婦でしたから、遺言書もその一環だろうと」
そう言って微笑んだ相原の様子に違和感があった。崚介はそれを見逃さず尋ねる。
「ほかにもなにか?」
指摘された相原は迷うように視線を彷徨わせた。この情報は引き出さなければならないと、崚介の捜査官の勘が告げた。
「俺は、沙羅を愛しています」
突然の告白に、相原がいぶかしむ。
「俺はFBI捜査官としてここに来ました。けれど彼女を守りたいのは俺個人の感情です。俺と彼女の間には娘もいます。FBIよりもDEAよりも、俺は彼女の味方です」
相原は少し考えたあと、崚介を信頼できると判断したのか重い口を開いた。
「ご家族は、日本に帰国する予定だったのです」
崚介は驚いた。それでは本当に、早坂夫妻は身の危険を感じていたのではないか。だから日本へ。そしてその直前に殺害された。
「何年も経ってから思ったことですが、もしかしたらあれは、亡命の準備だったのではと」
「なぜそう思ったのですか」
「あの年、例年のように貸金庫の更新を行いました。けれど例年とは違って、夫妻にとって最重要ともいえるデータだけは夫妻が直接管理することになった。遺言書の作成も同時に行いました。そのとき言われたのです。永住権の取得手続きを一旦止めて欲しいと」
「永住権?」
「当時夫妻は就労ビザで滞在していて、その延長期限が迫っていました。それで永住権取得に動いていたのですが、日本に一時帰国する予定だと、さおりさんの兄である神崎茂氏の連絡先を渡されたのです。当時携帯電話は一般に普及していたものの、国際電話をかけるとなると今ほど簡単ではありませんでしたから。そしてあの事件の日、私は一時帰国中のご自宅の管理の件で相談があると呼ばれていたのです」
けれど相原は約束の時間に遅れ、その間に事件が起こった。
「事件の前後、なにか変わったことはありませんでしたか」
「いえ、特には……」
「どんな些細なことでも構いません。お二人の職場のこととか」
「職場? うーん、出世をなさったということでお祝いを言ったくらいです」
「出世?」
「ええ。所長直属の研究室が新設されて、その研究員に抜擢されたと。研究所の所長が代替わりして、その所長がさおりさんをえらく評価しているという話じゃなかったかな」
「それはいつ頃のことですか?」
「確か、事件の一月ほど前だったかと」
これは偶然なのか。崚介は嫌な予感が止まらなかった。
彼は早坂夫妻のことも一人娘の沙羅のことも覚えていた。
「あの日、私は早坂家を訪れる予定でした。ですが悪天候で飛行機が遅れ、約束の時間を大幅に過ぎてしまった。事件はその間に起こったのです」
そのことは調書にも書いてあった。相原弁護士が到着したとき、すでに警察の捜査も始まり周囲は騒然としていたという。
「移民であったため、早坂夫妻の事件は真剣に捜査されなかったように思います。私は当時警察に捜査のずさんさを訴えましたが、聞き入れてもらえませんでした」
「先生はあの事件になにか疑問をお持ちなのですか?」
「調書を読んだところによると、早坂家の裏口の鍵が開いていました」
崚介もそれを読んだ。警察はそこから犯人が侵入したのだろうと結論づけていた。
「日本は平和な国だから、防犯意識が低かったために強盗の侵入を許したのだろうと。けれど早坂夫妻はそのあたりはすごく気を遣っておられました。沙羅さんがいたからです」
「先生は彼女の体質のことを?」
「ええ。病院を紹介してほしいと頼まれましたから。けれどいい医師に巡り合えず、さおりさんが自分の研究の傍ら、沙羅さんのことも調べるようになったのです。薬の効かない彼女は、少しの怪我でも命取りになりかねない。さおりさんは一見して破天荒な人でしたが、その実、沙羅さんの安全にはかなり気を遣っていました。毎年研究成果を貸金庫に預けていたのも、万が一の際に誰かが研究を引き継げるようにです」
「沙羅についての研究資料は、貸金庫にはありませんでしたよね?」
「元々は、それも貸金庫に保管されていました。けれどあの事件の直前に、夫妻は沙羅さんに関する資料だけ別で保管することを決めました。私も場所を知らないのです」
「沙羅は自分の体質についてご両親が研究していたことを知らなかった」
「なんですって? では、神崎氏も彼女の体質のことを知らないのですか?」
「少なくとも当時は。だから沙羅も長い間自分の体質を知らなかったそうです。気づいたのは中学のころだったと」
「なんてことだ」
「神崎茂氏は夫妻の遺体と沙羅を引き取るために来米していますよね? 先生はお会いになっていないのですか?」
「お会いしました。けれど夫妻が信頼していた神崎氏がそのことを知らないとは思わず。でもそうか……やはり」
「『やはり』?」
「夫妻は沙羅さんが生まれて十年、日本へは帰国していません。お兄さんがいることは伺っていましたが、話題にしてもそれとなく逸らされている気がしました。私の目には日本の神崎家と交流があるように思えなかったのです。それなのに夫妻が沙羅さんの後見人に神崎氏を指名する遺言書を作成するというので、私は困惑しました。けれどそのときは、私に見えていないだけで本当は交流があったのだろうと思ってしまったのです」
信頼しているけれど疎遠だった。それはナーヴェに潜入してきた沙羅と初めて会った頃、崚介が彼女に感じていたものに近い。五年前の沙羅もまた日本を愛しているのに、遠ざけているようだった。
「遺言書? お二人は若く健康的だった。なぜ遺言書を?」
「わかりません。研究資料を貸金庫に預けるほど周到なご夫婦でしたから、遺言書もその一環だろうと」
そう言って微笑んだ相原の様子に違和感があった。崚介はそれを見逃さず尋ねる。
「ほかにもなにか?」
指摘された相原は迷うように視線を彷徨わせた。この情報は引き出さなければならないと、崚介の捜査官の勘が告げた。
「俺は、沙羅を愛しています」
突然の告白に、相原がいぶかしむ。
「俺はFBI捜査官としてここに来ました。けれど彼女を守りたいのは俺個人の感情です。俺と彼女の間には娘もいます。FBIよりもDEAよりも、俺は彼女の味方です」
相原は少し考えたあと、崚介を信頼できると判断したのか重い口を開いた。
「ご家族は、日本に帰国する予定だったのです」
崚介は驚いた。それでは本当に、早坂夫妻は身の危険を感じていたのではないか。だから日本へ。そしてその直前に殺害された。
「何年も経ってから思ったことですが、もしかしたらあれは、亡命の準備だったのではと」
「なぜそう思ったのですか」
「あの年、例年のように貸金庫の更新を行いました。けれど例年とは違って、夫妻にとって最重要ともいえるデータだけは夫妻が直接管理することになった。遺言書の作成も同時に行いました。そのとき言われたのです。永住権の取得手続きを一旦止めて欲しいと」
「永住権?」
「当時夫妻は就労ビザで滞在していて、その延長期限が迫っていました。それで永住権取得に動いていたのですが、日本に一時帰国する予定だと、さおりさんの兄である神崎茂氏の連絡先を渡されたのです。当時携帯電話は一般に普及していたものの、国際電話をかけるとなると今ほど簡単ではありませんでしたから。そしてあの事件の日、私は一時帰国中のご自宅の管理の件で相談があると呼ばれていたのです」
けれど相原は約束の時間に遅れ、その間に事件が起こった。
「事件の前後、なにか変わったことはありませんでしたか」
「いえ、特には……」
「どんな些細なことでも構いません。お二人の職場のこととか」
「職場? うーん、出世をなさったということでお祝いを言ったくらいです」
「出世?」
「ええ。所長直属の研究室が新設されて、その研究員に抜擢されたと。研究所の所長が代替わりして、その所長がさおりさんをえらく評価しているという話じゃなかったかな」
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