空の心臓

四季秋葉

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微笑む観覧者-1

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 倉庫のような建物の中心に、小さなリングがある。周りには何も無く、10メートル程離れた場所に一つだけベンチがあるだけだ。

 そのリングの中で男が二人、殴り合っている。一人は、会社員なのかスーツを着ている20代半ばぐらいの男。もう一人は、黒のシャツに黒のスラックスという地味な格好をしている男。こっちは大学生ぐらいだろうか。

 両方とも顔は血だらけで、口から血を流していた。足に力が入らないのか、数秒ごとに膝を付きながらも相手を殴っている。きっと二人共、もう数分もしたら倒れてそのまま死ぬのではないだろうか。

 そんな二人を、ベンチで微笑みながら見ている男が居た。

 男は何かを話すわけでもなく、只々リング上の二人を見て微笑んでいるのだ。

 バシィッ

 嫌な音がしたと同時に、二人は膝から崩れ落ちるように倒れた。

 大学生ぐらいの男は前に崩れたと同時に、ゴッッ、という鈍い音をたてた。頭を強く打ち付けたようだ。あれだけ衰弱していたんだ、ほぼ即死だっただろう。

 会社員らしき男は、崩れた時に膝がクッションになったらしく、まだ息をしていた。

 その様子を、男は変わらず微笑んでみていたが、急に立ち上がりリングに向かってゆっくりと歩いて行く。

 リングに登り、男の様子を見始めた。

「……うーん、こっちは駄目だな……息が無い。それに出血も酷いな……頭でも打ったのか」

 少し心配になりつつ、もう一方の男の様子を見に、会社員らしき男に近づいた時、この男は何かを呟くような声を拾った。

「……ゆ……るして……くれ」

 掠れた、本当に小さな声だったが、その男にはきちんと耳に届いた。

「許して欲しいの? はぁ……そんなこと言われると萎えるなぁ。君にはがっかりだよ。こんなにが続いたのなんて珍しかったからね」

 まぁ、他のおもちゃまた探せばいいけど。と男は笑いながら言い、その場から離れようとした。

「ま……て、せ、めて……ころして、くれ……」

 少し声を大きくして、男に聞こえるように言った。が、男はこれまでにない程冷たい目をしながら振り返った。

「さっきも言っただろ。がっかりだって。許しを請わなければ、多少後殺して上げたけど、君は罰を受けなければならい。死ぬまで苦しむんだ」

 そう言うと、男はまた笑いながら倉庫を出て行った。新しいおもちゃを探しに行くのだ。さっきの男などもう知らない。どうせ違う奴等が片付ける。

 男は軽い足取りで、倉庫を去った。


 ◆

 
 CLOSEという看板が掛かっているカフェ、Artemis|《アルテミス》。近所の人しか来ないような静かな住宅街の中にある、こぢんまりとしたカフェだ。レンガ造りの建物で、内装にはヴィンテージウッドを使用し、家具や食器も、殆ど木製で統一している。

 そのカフェのカウンター席に座りながら、大きな溜息をついている男が居る。この店の店主、関口央斗《せきぐちひろと》だ。

 央斗は、ずっと頭を抱え悩んでいた。

 この店がどうしたらもっと繁盛するか。そんな悩みではない。何なら、この店を経営しなくても生活は出来る。この店は、副業みたいなものだ。

 悩みは本業の方だった。央斗は、ある男の事で頭を抱えている。

 仕事に対しては申し分無いのだが、問題は態度だ。派手な服装で仕事するわ、央斗に対しての対応も雑だわ、一番困っているのは、依頼を好き嫌いで分けて受けたり受けなかったりする事だ。

 溜息を吐いたと同時に、チリンチリンという音と、明るい声が入ってきた。

「こんにちはーっす」

 この声を聞く度に溜息が出てしまう。

「何回言えばわかるんだ……仕事の時は目立たない服装で……」

 声の持ち主の方に視線を向けると、何時もと服装がかなり違う、いや、全くの別人と言っていい程、央斗の記憶には居ない男が立っていた。

 驚き過ぎて、言葉が上手く出てこない。

 何時もだったら、ヘアセットをした上に前髪にはヘアピンを付け、メイクもバッチリして、耳にはピアスをじゃらじゃら付けて、服装もシャツのボタンをほとんど止めずに着て、その上、チョーカーと少し色の付いた眼鏡を掛けている、いかにもチャラい兄ちゃん。といった風貌だった。

 そんな男が今日は、ヘアセットもメイクもアクセサリーもせず、服装も、黒のジーンズと、半袖の白いシャツを着崩すことなく着ているのにも関わらず、暑さを全く感じさせないような爽やかな好青年が立っていた。

「央斗さん、酷いじゃないっすか! 今日は真面目にやったって言ったでしょう!?」

 だが、『央斗さん』と親しげに呼ぶこの男こそが、央斗の悩みの元凶なのだ。

 橋本雅《はしもとみやび》。23歳。男。職業、殺し屋。

 何故、殺し屋のこの男がカフェなんかに足を運ぶのか。

 それは、関口央斗の本業が仲介屋だからだ。

 勿論、顧客は雅だけではないが、他の殺し屋達と比べても、圧倒的に仕事が早く、失敗が無いのが雅だった。それに、雅も稼がなくてはいけない理由が有るので、出来るだけ沢山仕事が欲しい。との事で、雅には出来るだけ多く仕事を依頼している。ただ、それなのに気分によって、引き受けるだの、引き受けないだの、我が儘が激しいのが本当に困る。

 一息ついてから、央斗は依頼について話す。

「ある夫婦からの依頼だ。『息子がある場所に行ってから連絡が取れない』だと」

「はあ? 俺は探偵じゃないんだけど」

 不機嫌になりつつ、椅子にドカッと座る雅を見ながら央斗は話を続ける。

「まあ、聞け。だかな、妙な事に同じ依頼が他にも来てるんだ。因みに、被害者同士に面識は無く、勿論のこと依頼者同士も互いに面識は無い」

 少し興味を持ったのか、雅は央斗の隣の席に移動してきた。

「確かに、それは妙だな……依頼者は皆、被害者の親なのか?」

「いや、そうでもない。中には恋人からの依頼だったり、友人からの依頼もある。そして、依頼者達は決まって『ある場所に行ってから連絡が取れなくなった』と言ってる」

 央斗と雅は二人して怪訝そうに眉をひそめる。雅は足を組んで状況を整理していた。

「被害者達に面識は無い……被害者達の年齢層は?」

「あ、ああ、20代から30代前半ぐらいで、居なくなったのは全員男そうだ」

 こんなに真面目な雅の姿がめずらしかったため、少し驚きながらも答える。

「年齢層にバラつきはなく、大体決まってんのか……じゃあ、『ある場所』ってのは?」

「『沢田ビル』だと」

 その名前を聞いたとき、央斗も同じ様な顔をしていたのだろうか。

 雅は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら央斗にもう一度聞いてくる。

「『沢田ビル』? あの、何も変哲も無い普通のビルだろ? しかも、あそこには特に変わったテナントも入ってないし……」

「そう、そこが不思議なところなんだよ。怪しいテナントは特に無いし、何ならビルが建ってるのは人通りがかなり多い場所だ」

「音楽スタジオとかも入ってないしな……」

 音楽スタジオなら、防音対策をしてあるところが多い。そういったところなら納得がいくが、例のビルには音楽スタジオなんて入っていないし、その他にそれっぽいテナントも入っていないのだ。それが余計に頭を混乱させている。

 雅もお手上げなのか、静かに首を横に振る。

「駄目だ。俺は頭を使うのは苦手だから……ただ、今回は面倒くさそうな依頼だな」

「嗚呼……俺も引き受けたときに、『時間がかかると思う』とは言ったんだか、『犯人を殺せるならどれだけ時間がかかっても構わない』って言われたよ」

「成る程……じゃあ、最初はあのビルの事を調べてからでも余裕はあるな……」

 今日の雅は、服装もあってかかなり真面目に見える。(何時もこうだったら……)と央斗も思ってしまう。ただ、今回はすんなり仕事を受けてくれそうだ。

「じゃあ、早速明日にでもビルの事を調べて……」

「あっ、俺明日はパス」

「……は?」

 今度は央斗が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていただろう。

(今日はすんなり受けてくれそうだと思ってたら結局これか……)

 やっぱり、こいつの言うことにすんなり希望をもたないほうが良いと改めて感じた依頼だった。

「なんで?」

 少し苦笑しながら聞いてみる。

「明日は光琉《ひかる》遊びに連れてくから」

「嗚呼、成る程……」

 央斗はこの答えで納得してしまった。

 橋本光琉《はしもとひかる》。雅の実の弟だ。親がいないから、雅が面倒を見てるらしい。詳しい事を聞こうとしても、全て違う話にすり替えられてしまうので、余り分かっていない。ただ、雅は弟の事に関しては真面目で「親が居ない分苦労させるけど、親が居なくても良かったって思えるようにしてあげたい」とずっと言ってるので、今回は央斗が折れることにした。

「じゃあ、俺がある程度ビルの事に関しては調べて、そしたらメールしとくから。雅は明日以降から仕事お願いな」

 流石にこんな仕事をしている以上、家族との関係がいつ壊れるかわからない。だから、今の内にきちんと家族との時間をとって欲しいというのが央斗の考えだった。

「マジか! 有難うございます、央斗さん! お土産買ってくっから!」

「仕事の時はあんまり巫山戯た格好で行くなよ!」

 央斗が言い終わると同時に、チリンチリンと言う音が鳴った。

 最後まで雅に伝わったのか分からないが、あんなに嬉しそうな雅は久々に見た。

「まぁ、たまには良いかな」

 そんな独り言を残し、央斗はカフェを開けるために席を立った。
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