空の心臓

四季秋葉

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微笑む観覧者ー2

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「……ですから、このビルの空いている場所を賃貸の住居地として、家賃収入を一緒に得たほうが、経済的に良いのではないでしょうか?」

 笑顔を崩さないようにして、取引をする。

(はぁ、何で俺がこんな事……)

 男は、心の内を出さないようにしながら取引相手と会話を続ける。

「はい……分かりました。そのようにしましょう」

「有難うございます。では、また後日改めて伺ったときに書類を一式持って来ますね」

 お互い、好ましい笑顔を顔に貼り付けたまま会話をする。これが社会人なのかと思うと、恐ろしいような、気色悪いような感覚に至る。

「あ、そうだ、森《もり》さん」

「はい? 何でしょう」

「実は、ここでは話しづらい事がありまして……後日、一度二人で話しませんか。私が車を出すので」

 来たな。

 瞬発的に思った。この絶好の機会を逃す訳にはいかない。

「えぇ、勿論。構いませんよ。では、詳しい日程は?」

「それは、私の方から森さんに連絡しますよ」

「分かりました。お待ちしていますね。あっ、そうそう、これからも宜しくお願いします」

 そう言って、右手を差し出すと相手も快く右手を出してきた。

「それでは、私はこれで失礼します」

 最後まで笑顔を絶やさず、物腰よく答えたつもりだ。

 森と呼ばれた男は、直ぐに近くの有料駐車場に停めていた車に乗り込んだ。

「あっつ……付かれた……」

 嘆きながら、ネクタイと黒い髪の毛を

 そうすると、グレーに染めてあるさらさらした髪が姿を現した。

 この男は、森なんていう名前じゃない。雅《みやび》だった。

 何故、雅がこんな事をしているのかというと、央斗《ひろと》からのメールが原因だった。

 メールには、『沢田ビルについて調べた。被害者達ははビルの中でビルオーナーの沢田和弘《さわだかずひろ》に接触したらしい。その後、儲けられる仕事があると被害者達を誘い出しているらしい。最近、沢田和弘の元から逃げてきたという男が居た。その男によると、他の被害者達は死んでる可能性が高いとの事だ。雅、お前は不動産かなんかの営業マンにでも成りすまして、無理矢理沢田との接触を図れ。ポストに名刺は入れといたから、それで宜しく』との事だった。

 このメールを読んだとき、「はあ!?」なんて、怒りと驚きが混じった声を出してしまったがために、弟の光琉《ひかる》には「お兄ちゃん……?だいじょうぶなの?」なんて心配を掛けてしまった。

 大きな溜息をつきながら、央斗に電話をかける。

 これは、途中経過を報告するために毎回行っていることだった。
 
 電話をかけてから、直ぐに央斗は出た。

『何だ?』

「どうもっす、雅です。沢田と接触しましたよ。後日二人で話したいらしいっす」

『そうか、上手く接触できたみたいで安心したよ』

「それにしても、野郎二人で話し合うとか……俺あんな奴何かと二人きりになりたくねぇわ。どうせだったら、きれーなお姉様方に会いてぇ……央斗さーん、変わってくれないっすか?」

『諦めろ』

 電話越しに、冷たい声であしらわれてしまった。

「分かりましたよ……幸運を祈っててください」

 何の返事もせず、ブツッと切られてしまった。

 相変わらずな対応だと思いながら苦笑していると、仕事用の携帯にメールが届いた。沢田からのメールだろう。

「何だ?……☓☓駅前の喫茶店に10時? しかも明日かよ!」

 どんだけ暇してんだよ。悪態を付きながらも雅は承諾のメールを送る。



「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」

 ここの店主だろうか。初老に入ったぐらいの男性が笑顔を向けて訪ねてくる。

「いえ、人と待ち合わせているんですが……まだ居ないのか……」

「では、お名前をお伺いしても?」

「あ、森と申します」

「分かりました、では窓側のお席へどうぞ」

「有難うございます。あと、コーヒーを一杯お願いします」

「かしこまりました」

 軽くお辞儀をし、言われた席に座る。

 中々良い場所じゃないか。雅は満足していた。でも、ここが彼奴|《あいつ》にと、心の中で付け足した。

 横目で店主の様子を見ながら待つ。

 不意に、店主がスティックシュガーの様な物を取り出し、コーヒーの中に入れた。

 嗚呼、やったな。雅は少し残念そうに眉を下げた。

「お待たせ致しました」

 にこやかに微笑みながらコーヒーを運んでくる。

 こんなに人が良さそうな人なら、きっと皆騙されてしまうだろう。

「有難うございます」

 あ、そうそう。と呟きながら店主が付け加える。

「お待ちの方は、沢田様ではないですか?」

「あ、そうです」

 少し驚いたような表情を向けてみる。

「沢田様は、もう数分でこちらに来るようですよ」

「そうですか。では、コーヒーをもう一杯頼んでもいいですか? 沢田さんの分も私がお支払するので」

「ええ、かしこまりました」

 店主は、また微笑みながらカウンターの方へと向かって行った。

(ここが、沢田と関係なければまた来たかったな)

 外の景色を眺めながら、静かに思いふける。

「お待たせ致しました」

 いつの間にか、コーヒーが運ばれてきた。

 有難うございますと、軽く頭を下げれば向こうも笑って返してくれた。そのまま静かにカウンターに戻っていく後ろ姿を見ながら、音を立てないようにコーヒーを入れ替える。

 カラン

 それと同時に店の扉が開いた。沢田が来たのだ。

 店主に挨拶をして、こっちに近づいてくる。

「すみません、お待たせして」

「いえ、そんなに待ってないですよ」

 お互いに笑いながら答える。この男は別の意味でも笑っているのかもしれないが。

「こんな時間に呼び出してしまって申し訳ない」

  あんまり申し訳無さそうに見えないな、と思いながら笑顔で受け答える。

「いえ、良いんですよ。今仕事は落ち着いているので」

 ここで一口、コーヒーに口を付けた。

 ちらっと沢田の方を見ると、一瞬だったが笑ったのが見えた。ここで、予測が確信となった。

 沢田も続くようにコーヒーに口を付けた。此奴はまだ何も知らないのだろう。次の獲物を手に入れられたという幸福感で一杯なのだろうから。

 何かを話しているが、雅にその声は届いていなかった。

 段々ゆっくりと、沢田の瞳が閉じていく。



「な、何だこれ……!?」

 焦りと怒りが混じった声が辺りに響く。

 沢田は、手足を結束バンドで縛られ無造作に床に転がされていた。

 この状況は一体何なのか。沢田和弘はまだ自分がどういう状況に居るのか理解していなかった。

 細かく今日の事を振り返る。

(そうだ。今日は、森を喫茶店に呼んでからをさせようとしてたんだ)

 ふと、周囲を見てみる。暗くてよく分からなかったが暗闇に目が慣れると、随分と見覚えがある場所だという事に気が付いた。ここは、何時もの倉庫だ。目の前には誰も立っていないリングがある。

 この場所は、誰にも教えていないはず。なのに、どうして俺はここに居るんだ。

 段々、焦りと恐怖が沢田を襲ってきた。考えてみても、考えがまとまらない。

 ふと、誰かの視線があることに気が付いた。

 頭だけを動かし辺りを探していると、足音が近付いてくるのが分かった。

 カツ……カツ……

 そんな音でさえも、沢田を怖がらせるものとしては十分だった。

 急に、足音が止まった。

 それと同時に、手足が自由になった。

 誰かが、助けに来てくれた。そんな希望が沢田を唯一安心させた。

 立ち上がろうとしたが、ふらふらとよろめいてしまい、上手く立ち上がれない。

 そこに、手が差し伸べられた。一体、その手を差し出したのは誰なのか。そんな事、沢田にはどうでも良かった。沢田は喜んでその手を取り、そして感謝の言葉を伝えようとした。

 その瞬間、沢田は宙を舞った。

 背中に雷のような衝撃が走る。

 何が起こったのか、分からなかった。

「おいおい、そんなんじゃこの先どうするんだよ」

 呆れたような声が聞こえた。

 声が聞こえる方を向く。

「も、森さん……?」

「あ? 森? 嗚呼……」

 暗闇の中で、今日新たな獲物にする予定の森が居た。だが、相手は森が一体誰なのか知らないみたいだった。が、何か可笑しいのか急に笑いだした。

 この男は、森じゃない。直感的に分かった。そうすると、この男は、一体誰だったのか。底知れない恐怖が再び沢田を襲った。

「お前は……一体誰なんだ……」

 震える声で、尋ねる。沢田自身、自分からこんな声が出るなんて知らなかった。

「俺? そうだな……お前の事を罰しに来た、悪魔とでも思ってくれ」

 光が当たらない暗い倉庫の中、その悪魔は微笑んでいた。



「お前、試合が好きなんだろ? なんでも、デスマッチを見てからそういう試合が好きになったとか」

 雅は、目を細めて沢田のことを見る。

 沢田は、何でそんなことを知っているんだ。とでも言いたそうな顔をしながら恐怖に震えているようだった。

「こっちは調べてるんだよ。お前の事。お前の個人情報から、どれだけその試合とやらをするために人を騙して殺したのかも。書類見るか? 情報は全部確かなはずだぜ。なんせ、有能な情報屋が調べたんだからな」

 調べたことの書類を沢田の目の前でちらつかせてみる。所々読んだのか、顔が血の気のない青い顔になっていく。

「……が……したんじゃない……」

「は? なんて?」

「俺が殺したんじゃない!!」

 震えた声で強くそう叫んだ。だが、雅はそれに対して何も想うことはない。こういった事は何度も有るからだ。唯一想った事は、沢田は生命力が強そうだ。そんな事だけだった。

「あのねぇ、そんなこと言ったってどうにもなんねぇよ? 実際、お前が直接殺したんじゃなくても、殺すを作り出したのはあんただ。そして、死にかけの奴を無慈悲に突き放した。それがつい数日前の話だな? そいつが依頼に来たんだ。お前にを与えたい、ってな。心当たり有るだろ? 無いとは言わせねぇぜ」

「はっ……そんなはずない、俺はそんなの知らない! 第一、そんなことをしたらお前も罰せられるぞ!? なぁ、俺と手を組もう。俺を死んだことにしてくれたら、俺はお前に金を渡す。いくらでも良いぞ! だから命だけは!!」

 嗚呼、やっぱり皆そうなんだ。一度こういう事を始めてしまうと、もしかしたら違う人が居るんじゃないか。そんな淡い期待をしても、やっぱり人間というのは自分が最優先なんだ。と毎回自分を傷付けるように考えてしまう。

 沢田のことを見る。沢田は必死に訴えかけ死にたくないと言っている。そんな沢田に近付いて行く。

 そして、予め服の中に忍ばせていたナイフを見られないように手に握り、沢田の耳元で囁く。

「大罪人には天罰を」

 首にナイフを突き刺す。

 許してくれるとでも思っていたんだろうか、さっきまで安堵の表情をしていたのに、今は苦痛と絶望の表情になり床に転がっている。

「あ……あ゛ぁあ!!」

 大分浅く刺したのだが、ここまで大袈裟に叫ぶなんて、今までどうやって生きてきたんだろうか。

「……騒々しいな。でも、やっぱり生命力は強そうだ、まだ死にそうにない……うん。次はその騒々しい声が出ないように口を塞いじゃおっか!」

 足で沢田を仰向けにさせて、喉にナイフを振り下ろす。その瞬間、血飛沫が雅の顔と服を汚した。だが、彼はそんなのお構い無しといった様子だった。この上なく楽しいといった笑顔でいたからだ。そのまま横腹を目掛けてナイフを刺す。

 沢田は、言葉になりきらなかった声の様な音を出している。その度喉から血が吹き出し続けていている。

 もう少ししたら死ぬだろう。こいつも、大分苦しんだのではないか。被害者達の全ての苦しみ。とまではいかなかったかもしれないが、少しでも報われれば幸いだ。

 血濡れになった顔を何処で洗おうか考えながら予備の服に着替える。そういえば、央斗さんによく言われる「チャラ男みたいな服」しか持ってきていないことに気が付いた。後でまた言われそうだな。なんて苦笑しながらも着替える。

 ふと沢田の方を見ると、もう呼吸をしていなかった。辺りを随分と血塗れにして死んだみたいだ。最後までどうしようもないクズだ。まぁ、こんなんだったから下に着いた奴等もクズだったんだろうな。と改めて感じる。沢田の部下(と言うより死体処理係)は沢田が目覚める前に片付けておいた。ただの駒としか見てなかったんだろう。力はあったが、かなり弱い奴らだった。あの喫茶店の店主は、最初から仲間ではなかったらしく、半ば脅されて仕方なく付き合っていたらしい。しかも、沢田が殺しをしていたことを知らなかったようだった。だが、依頼は依頼なので少し痛めつけたが、雅はあの喫茶店がかなり気に入ったようだった。そこで、これからも喫茶店を続ける。という条件で殺さないようにした。依頼でも、沢田と沢田の部下を殺してほしい。といった内容であり、あの店主は沢田の部下とは言えない。だから、生かしても良いだろう。と雅が勝手に判断したのだ。

 沢田のことは、知り合いの警官に任せることにしていた。

 着替え終わり、倉庫から立ち去る。もう、悪夢のデスマッチは終わったのだ。少しでも、被害者達が報われることを祈った。それしか、出来なかった。

 服は着替えたが顔はまだ血濡れだったので、急いで近くの公園に駆け込み、公衆トイレで顔を洗う。幸いだったのは、周りに人が居なかったことだ。また、人気のない場所にトイレがあった為助かった。

 そのまま、何食わぬ顔で帰路に着く。今日は光琉が一人でスーパーに買い物に行っている。現在の時刻は15時38分。15時にはスーパーに行く。と言っていたので、早くスーパーに行かないと光琉が先に帰ってしまう。

「ちょっと走るか」

 勝手に出てしまった独り言を無視して、軽く走る。

 何時もの見慣れた風景。見慣れた小学校。何時もと同じ立ち並ぶ家。ここを過ぎれば、見慣れたスーパー。丁度出口に見慣れた茶色のふわふわした髪の男の子が居た。

「光琉!」

 そう声を掛ければ、笑顔で振り向いてくれる俺の弟。

「おにいちゃん」

「光琉、一人で買い物出来たのか! 偉いな、お兄ちゃんと一緒に帰るか!」

「うん、おにいちゃんお帰り! おにいちゃん、今日の夜ごはん何?」

「今日はそうだな……ハンバーグ!」

「やった! 楽しみー」

 買い物袋は俺が持ち、空いている手で光琉の手を握って帰る。

 神様なんて、雅は信じていない。でも、もし、もし本当に神様が居て、俺等を見守っていてくれているんだったら、どうか、この些細な幸せをこれ以上ない奪わないで。そう、柄にもなく願っていた。
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