夢幻怪浪

三塚 章

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聞こえた声

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 その声を聞いたのは、さびれた商店街を歩いていた時だった。
 久しぶりに連休を利用して、大学の寮から地元に帰ってきた俺は、友人の家に遊びに行く所だった。別に自転車でもバイクでもよかったのだけれど、散歩がてら懐かしい町を歩いてみたかった。
 この商店街は、俺が家を出るときもあまり流行っていなかったが、今はもっとさびれていて、シャッターを下ろしている店も何件かあった
 スピーカーからは歌声が抜かれアレンジされた一昔前の曲の間に、『肉を買うならこの店へ』とか『髪を切るならここへ』なんて雑音混りの宣伝が流れている。
(なにか寂しいことになってるな……)
 俺はつぶれたラーメン屋をなんとなく横目で眺めた。確かここは、おばさん一人でがんばっていたはずだが……
 気分を変えようと思い、俺はスマホに繋がったイヤホンを耳に押し込んだ。
 ノリのいい歌が流れ始めても、沈んだ気持ちは元に戻らなかった。
 目を伏せて歌に意識を集中する。その時ギターの音にかぶさるように、女の悲鳴が聞こえた。断末魔としかいいようのない、こちらまで鳥肌が立つような叫びだった。
 慌ててイヤホンを外す。相当素早い動きだったのだろう、通りすがりのおばさんが怪訝(けげん)そうな顔をしていた。
「なんだ、なんだったんだ、一体……」
 心臓がえらい速さで打っていた。一刻も早くその場所に離れたくて、足速に友人のもとに急ぐ。
 友人宅につくと、あいさつもそこそこに、俺は今あったことを友人に話し始めた。
「あの歌、ひょっとして呪いの歌とか……よくあるじゃん、CDに変な声が入っているのが」
「落ち着けよ。この歌、初めて聴いたのか?」
「いや、前にも聴いたことがある。そのときはこんな悲鳴入ってなかった」
 俺はイヤホンごとスマホを友人に渡した。
 黙って聞き終わると、友人は首をかしげる。
「いや、別になにも変な声は聞こえなかったけど……」
「そんなはずは……」
 あの悲鳴は、『耳を澄まさなければわからない』と言ったレベルではない。聞き逃すはずは絶対にないのだ。
 友人は「う~ん」としばらく考え込んでいた。
「もう聞えないってことは、この歌自体じゃなくて、他の原因があるのかなあ……なあ、大体商店街のどのあたりで聞こえたんだ?」
「え? つぶれたラーメン屋の所だけど」
 そういった途端、友人の顔色が変わった。
「マジか……知ってるか、あそこの女将さん、自殺したんだよ」
「え、本当か?」
「ああ。儲からなくなってって話だったな。ひょっとして、その女将さんの苦しみのうめき声が何かの拍子に混ざったんじゃねえの?」
 そう言われて背中がぞくぞくとした。
「なあ、一度、そのラーメン屋に行って見ねえ?」
 友人は何やらイタズラっぽい笑みを浮かべている。
「え? ヤだってそんなの」
「大丈夫だって。どうせ何もねえって。行ってみて、幽霊が出なかったらお前も安心するだろ?」
 じゃあ仮に幽霊が出たらどうするんだ、と思ったけれど、結局俺は押し切られる形でそのラーメン屋に行くはめになった。

 シャッターの閉まった入り口はスキがなかったが、後ろのガラス戸を揺さぶると鍵が外れた。
 中は油とニンニクと埃の臭いがした。気のせいか、少し空気がひんやり感じられる。
 客用のスペースからはイスもテーブルも運び出されガランとしていた。奥の厨房には、鍋の一つもなく、備え付けの戸棚とシンクが残っているだけだった。
「何もないな」
 さすがの友人も少し気味が悪そうにしている。
 俺はまるでお化け屋敷にでも入ったように、背を丸めて友人の後にくっついていった。
「どれ」
 友人は俺からスマホを受け取ると、例の歌を確認する。
 イヤホンを耳に突っ込んだまま、あちこちと厨房を歩き回った。やがてそれにも飽きたのか、立ち止まって指先で乾いたシンクを叩いた。トントンと音が響く。
 そしてイヤホンを外した。
「うん、やっぱり変な声は入ってないなあ」
「なあ、本当にここで自殺があったのか?」
 僕は首を吊るロープを引っかける所を探して天井を眺めた。けれど壁にお玉や鍋のフタをかけるだめだろう小さなフックがあるだけだ。
「いや、間違いないはずだぞ。ちょっと待ってろ」
 そういうと、友人は僕のスマホで何やら調べ始めた。しばらくして、少しバツが悪そうに口を開く。
「あ、すまん、勘違いしてたわ」
「へ?」
「自殺騒ぎがあったの、このラーメン屋じゃなかった。ほれ」
 友人が見せたスマホの画面には、古いニュースの記事が映し出されていた。
 確かに『ラーメン屋の店主が自殺』とある。しかしそのラーメン屋があったのはこの店ではなく、近くの別の店だった。
「はあ! なんだよそれ!」
 一気に気が抜けてへなへなと座り込みそうになった。
「じゃあ、ここって本当にただの空き家じゃな――」
 その言葉は、不気味な唸り声にかき消された。
 スピーカーがひどい雑音を放っている。
 思わず僕は「うわっ」と声を上げた。
「ひょっとして、これが歌に混ざった悲鳴?」
 友人が窓から外を見る。建物のすぐ近くにある街灯に、肌色のスピーカーがついていた。
「何だかなあ……」
 やり場のない怒りと脱力感が僕の中に込み上げて来た。結局、唸り声の正体は分からないまま僕たちは引き上げた。

 友人から連絡があったのは、僕が寮に帰ってから数日後のことだった。わざわざメールもラインでもなく電話をかけてきたところをみると、相当焦っているらしい。
『おい、大変だぞ! あの声のことだけど』
「なんだよ、またくだらないオチだったらお断りだぞ」
『違えよ! 俺達が入り込んだ店!』
 ただごとでない友人の口調に嫌な予感を感じる。
『あそこから、死体が出たんだ!』
「え?」
『変な臭いがするって通報があったらしくてな。警察が調べたら女の死体が出てきたんだって! シンクの下の戸棚から。殺されたのは、連休が始まる前だってよ』
 ドキンと心臓が高鳴った。
 トントンと、友人がシンクを叩く音が頭の中に蘇る。
「待てよ、じゃあ、俺達が入ったとき、あそこの戸棚には……」
 死体が納められていたのか。体を折り曲げられ、窮屈な姿勢で。
「じゃあ、やっぱり僕が聞いたのは、スピーカーの雑音じゃなくて、押しこめられてた死体の――」
 僕たちは、しばらくの間声もなく黙っていた。
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