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第五章 読者の罪
しおりを挟む一之瀬美咲の声は、静かだった。
だがその静けさは、嵐の前の無音のような緊張感を伴っていた。
「……原稿が、まだ残っていたとは。西園寺さんは、本当に死ぬつもりだったのね」
「どういう意味ですか?」
真琴が問いかけると、美咲はそっとサロンの壁にもたれた。
「彼は、十年前からあの原稿の存在を追っていた。最初は葉山怜司のファンを装って。
でも……私にはわかっていた。あの原稿は“証拠”だった。誰かが盗作し、それで名声を手に入れたことの、ね」
「その“誰か”とは――あなた?」
その問いに、美咲は即答しなかった。
ただ、ゆっくりと視線を床へ落とした。
「……ええ。私よ。私が盗んだ。葉山の死も、見ていた。
“事故だった”と自分に言い聞かせてきたけど、本当は――私は知っていた。
あのとき、私はただ黙って見ていた。誰かが彼を、湖に突き落とすのを」
場が凍りつく。
朝倉が口を開こうとしたが、美咲の言葉がそれを制した。
「西園寺は、その事実を突き止めた。原稿の最後には、私が犯人であるという“告発”が書かれていた。
あれが世に出れば、私は終わる。……だから」
美咲は、両手を前に出す。
指先は、かすかに震えていた。
「私は彼の部屋に入り、原稿を探した。でも、あったのは“複製”だった。
本物は別の場所に保管されていたのね。あの夜、彼と争って……彼は、浴室に逃げ込んだ。
そして私は……密室を作った。髪留めで鍵を回して。中に彼がいたと知りながら」
誰もが息を呑むなか、美咲の瞳には涙が浮かんでいた。
「私は作家として、何一つ本物じゃなかった。葉山の才能を盗み、彼の死にも背を向けた。
でもそれより何より、最も卑怯だったのは――
“読者”である自分を、免罪符にしたこと」
読者の罪。
その言葉に、真琴は息を飲んだ。
「私はただ“面白い物語”が欲しかった。
誰かの死も、誰かの嘘も、全部“作品”の中なら消化できると思った。
西園寺は、それを私に突きつけたのよ。“お前はただの読者じゃない”って」
沈黙が、重く降りる。
誰も、言葉を発せなかった。
それは、自分にも向けられた言葉のように響いたからだ。
警察が呼ばれ、美咲は黙って連行されていった。
最後まで、彼女は自分の罪を否定しなかった。
その夜、真琴は湖のほとりに立っていた。
月は水面に映り、まるで“嘘の影”のようにゆれていた。
「……葉山怜司は、本当に“死”だけが望んでいたことだったのか。
それとも、彼は“物語の中で生きる”ことを望んだのか」
原稿の最後のページに、こんな一文があった。
「僕が死んでも、この物語は誰かが読む。
そのとき、僕は“嘘の中で本当になる”」
真琴は原稿を閉じた。
湖の波紋は、やがて静かに消えていった。
そして――物語は終わらない。
なぜなら、“第二の読者”が、そのページをめくろうとしているからだ。
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