水面に浮かぶ嘘

taki

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第六章 虚構の証人

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 事件から三日が経ち、湖畔の館には静けさが戻っていた。

 だが、真琴の心は穏やかではなかった。

 一之瀬美咲は罪を認め、送検された。
 西園寺彰人の死は、美咲の“動機”と“手段”の両面で裏付けられ、事件は“解決”したはずだった。

 ――だが。

 真琴の頭から離れない疑問が、ひとつだけあった。

 「西園寺は、本当に“告発”のためだけにあの原稿を書いたのか?」

 

 その疑念の答えを求め、真琴は再び東京の編集部を訪れた。
 『月刊文藝センタ』の編集長・田淵雅人は、顔をしかめて真琴を迎えた。

 「……また来たのか。何が不満なんだ、君の活躍で雑誌の売上は伸びそうだよ」

 「それは結構なことですが、僕が知りたいのは“もう一つの原稿”についてです」

 田淵の眉がぴくりと動いた。

 「“虚構の夜”……知ってるんだな」

 

 田淵は机の引き出しから一冊の原稿を取り出した。
 それは西園寺彰人が『湖畔の夜に』と並行して執筆していたとされる、幻の原稿だった。

 「彼は、二つの物語を書いていた。一つは“暴露”、もう一つは――“赦し”だ」

 「赦し……?」

 「ああ。『湖畔の夜に』は、真実をなぞって犯人を暴く“トリック”としての小説。
 だがこの『虚構の夜』は、まるで真逆だ。犯人の心情に寄り添い、なぜ彼女が罪を選んだのかを描いている。
 しかも、この中では“彼女は犯人ではない”」

 

 真琴は息を飲み、ページをめくった。

 そこには、美咲を思わせる女性作家と、葉山怜司に似た若き天才の交流が丁寧に綴られていた。
 二人の間に流れる、複雑な感情――憧れ、嫉妬、共鳴、そして罪悪感。

 やがて若き作家は死ぬ。だが、女性作家は犯していない。
 むしろ、彼を死に追いやったのは別の誰かだと示唆されていた。

 そして最後のページに、こう書かれていた。

「物語とは、誰かの死を無かったことにするための装置だ。
その中で、彼は生き続ける。
それが、彼に贈れる唯一の贖罪だと思った」

 

 真琴は、混乱した。

 「――じゃあ、美咲さんは……」

 「本当に犯人なのか? わからんよ。彼女は罪を認めたが、それが“真実”とは限らない」

 田淵は淡々と言った。

 「人は、自分の記憶すら信じられないときがある。ましてや、物語の中の“罪”ならなおさらだ」

 

 真琴の頭に、ひとつの可能性が浮かんだ。

 美咲は、“物語の犯人”として生きようとしたのではないか。

 “真実の自分”を消すことで、すべての嘘を終わらせようとしたのでは――。

 

 その夜、真琴は帰宅してから、警察に連絡を入れた。
 面会を申し込み、数日後、美咲と再び会うことが許された。

 

 面会室のガラス越し、美咲は少しやつれたように見えた。

 「来たのね。……まだ何か、聞きたいことがあるの?」

 「あります。一つだけ。――“あなたは、本当に殺したのですか?”」

 美咲は、わずかに笑った。

 「あなたも、彼みたいね。
 “物語の中にある真実”を信じない。
 だけど、私はもう決めたの。
 私は“犯人”として記憶されるべき人間だと」

 「でも、もう一つの原稿があるんです。
 西園寺さんが書いていた『虚構の夜』。
 そこでは、あなたは――犯人じゃない」

 美咲の目が見開かれた。

 「……あれ、残ってたの?」

 「ええ。編集部が保管していました。
 西園寺さんはあなたを赦そうとしていた。
 少なくとも、“真実”と“虚構”の間で、あなたを生かそうとしていたんです」

 

 しばらくの沈黙の後、美咲はぽつりとつぶやいた。

 「彼はね、本当に優しすぎたのよ。
 あんな原稿、誰にも読ませずに処分すべきだったのに。
 彼が私を“赦そう”とするたびに、私はますます、自分が許せなくなった」

 「それならなおさら、あなたの口で“真実”を語ってください。
 それが、彼の遺した物語に対する“読者の責任”だと、僕は思います」

 

 美咲はゆっくりと目を閉じた。
 長い、深い呼吸を一度してから――

 「……なら、全部話すわ。
 でも、それは“私の物語”としてじゃなく――“読者”として語るわ」

 

 そして美咲は語り出す。

 二十年前の、あの夜。
 本当の“犯人”の名前。
 そして、なぜ西園寺が自ら“殺される役”を選んだのか。

 物語は、最終幕へと向かっていく。
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