水面に浮かぶ嘘

taki

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第八章 最後の読者

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 真実に手が届きそうになったときこそ、最も危うい。
 それはミステリの法則であり、探偵の試練でもある。

 

 美咲の証言により、“犯人”と目されていた彼女の疑いは揺らぎ、
 新たに浮上したのは、文芸評論家・雨宮敬一という名。
 西園寺彰人の死、そして葉山怜司の悲劇の影には、常にこの男がいた。

 

 真琴は西園寺が信頼していたもう一人の人物――
 若手編集者・香坂絵梨に接触を試みた。
 彼女は西園寺の最後の連載担当をしていた人物であり、
 西園寺が「自分に何かあったら託す」と言い残していたという。

 

 日比谷の静かな喫茶店で、香坂は落ち着いた口調で語った。

 「“第三の原稿”ですか? ――あります。
 私、西園寺先生から預かっていました。封を開けてはならないと命じられて。
 “ある読者”が現れるまでは、と」

 「……読者?」

 「ええ。彼は、“最後の読者”と呼んでました。
 誰かに伝えるべきではない。けれど、誰か一人には必ず届けたい、と。
 それが、“真実を書く者”だと、彼は信じていた」

 

 香坂は鞄から一冊の手稿を取り出した。
 茶封筒に入れられたその原稿には、タイトルがなかった。

 ただ、背表紙にペンでこう書かれていた。

 『水面に浮かぶ嘘(最終稿)』

 

 真琴は震える指で封筒を開き、原稿をめくった。

 そこには――誰も知らない、あの夜の真相が、
 一人称の語りで克明に記されていた。

 

 私は知っていた。
 美咲は私を殺さない。
 彼女は過去の罪を悔いていたが、その手を汚すほど愚かではなかった。

 だが、彼は違った。
 雨宮敬一――この文壇の欺瞞の象徴こそが、本当の“犯人”だ。

 葉山怜司が遺した原稿を葬り去り、美咲の未来を奪い、
 今また私の口を封じようとしている。

 私は抵抗した。録音機も、原稿も隠した。
 だが、浴室で揉み合ったとき、足を滑らせ、背中を打ちつけた。

 意識が遠のく中、私は“水の中の真実”を思い出していた。

 雨宮の手が私を沈めるのが見えた。
 でも、私の遺した“嘘”の中に、本当の彼を埋めてやるつもりだった。

 

 原稿の最後には、録音の文字起こしも添えられていた。
 それは、西園寺が雨宮と最後に交わした会話。

「まだ証拠を持ってると思ってるのか?」 「証拠がなくても、言葉は残る。物語にしてやる」 「それは“嘘”だろう」 「いや、“嘘”にこそ真実が滲む。読者は見抜く。
 だからこそ、お前の名は、やがて水面に浮かぶ」

 

 原稿を閉じたとき、真琴は深い呼吸を一つした。
 これはもう“推測”ではない。告発の記録だ。
 文芸という武器を使って紡がれた、静かな、だが確実な“復讐”だった。

 

 「香坂さん、これを公にします。覚悟はありますか?」

 「……ええ。先生はそう望んでいたと思います。
 “誰かが真実を書くことで、嘘は浮かぶ”って。
 私もその最後の一人になります」

 

 真琴は原稿を文藝誌の新編集長へ提出した。
 数日後――『月刊文藝センタ』は、緊急号外として特集記事を組むことを決定。

 

 タイトルは『水面に浮かぶ嘘――西園寺彰人、最後の手稿』

 

 発売日、文壇は騒然とした。

 中でも衝撃を受けたのは、雨宮敬一本人だった。
 記者会見で彼はただ、震える声で言った。

 「これは、……虚構だ。捏造された物語だ」

 

 だが、世論は違った。

 原稿に記された細かな描写と録音記録、時系列の整合性――
 それらが“虚構”の覆いを少しずつ剥がし、
 雨宮という名前はついに“水面”に浮かび上がった。

 

 のちに、彼はすべての職を辞し、表舞台から姿を消した。

 告発は、法的には届かなかった。
 だが、文芸界の“読者”たちは、その嘘をもう許さなかった。

 

 物語の終わりは、始まりでもある。

 

 数週間後、真琴は再び面会室に座っていた。
 そこには、美咲の穏やかな顔があった。

 「あなた、読んだのね。あの原稿」

 「ええ。すべて、読みました。
 あなたが“犯人”をかばった理由も」

 「もう、私には何も残らないわ」

 「そうでしょうか?
 “真実の物語”が、あなたを赦したと思います。
 西園寺さんも、きっと同じことを思っていたはずです」

 

 美咲は静かに涙を流した。

 それは“罪の告白”ではなく、“罪からの解放”の涙だった。

 

 そして真琴はペンを取り、原稿用紙に新たな一行を記す。

「沈んだ名前は、必ず浮かび上がる。
 嘘の水面の上に」 

 

 ――終章は、読者が読むたびに始まる。
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