伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン

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第24話

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​「……あ、あ……」
男たちは、動けなかった。
目の前に立つのは、痩せこけ、ボロボロの衣服を纏った男。
だが、そこから放たれるプレッシャーは、巨大なドラゴンの口の中に放り込まれたような絶望感を与えていた。
​「……臭い」
​ガルドはうわ言のように呟いた。
​「……どいつもこいつも……腐った脂の臭いがしやがる……」
虫を払うように腕を振った。
​ドォォォンッ!!

不可視の衝撃波が、刺客たちを襲い、悲鳴を上げる間もなく、彼らの体は木の葉のように吹き飛び、壁を突き破り、遥か彼方の夜空へと消えていった。
​「ひぃぃぃッ!?」
​その時、破壊された壁の向こう――庭園の茂みから、甲高い悲鳴が上がった。
セラフィナだ。
安全圏から高みの見物を決め込んでいた彼女が、腰を抜かして震えているのが見えた。
​「な、なによアレ……! 人間じゃないわ……! 私の雇った精鋭たちが、一瞬で……!」
​セラフィナはガタガタと震え、ガルド様と目が合った瞬間、顔を引きつらせた。
​「み、見ないで! 近寄らないで!!」
​彼女はドレスの裾を乱暴に捲り上げ、片方のヒールが脱げるのも構わず、無様に走り出した。
​「お父様ぁぁぁッ!! 助けてぇぇぇッ!!」
​以前の優雅さは見る影もない。ただの泣き叫ぶ子供のように、彼女は闇夜へと逃げ去っていった。
ガルド様はそれを追おうともしなかった。
彼にとって彼女は、道端の小石以下の存在でしかなかったからだ。
​部屋には、静寂だけが残った。
壊れた壁から吹き込む夜風が、ガルド様の乱れた髪を揺らす。
​「……はぁ……ッ……」
​ガルド様の肩が大きく上下する。
邪魔者は消えた。
残るは――「メインディッシュ」だけだ。
​ギラリ。
充血した赤い瞳が、俺を捉えた。
​「……薫……」
​涎を垂らさんばかりの飢餓感。
そこには、かつての理性的な英雄の面影はない。
​「旦那様! おやめください!」
​セバスチャンが俺の前に立ちはだかった。
​「今の旦那様は制御が利きません! 近づけば、薫様の魂ごと吸い尽くしてしまいます!」
「どいてください、セバスチャンさん」
​俺はセバスチャンさんの肩を優しく押し、前へと出た。
​「薫様!?」
「大丈夫です。……このために、死ぬほど食って、死ぬほど鍛えたんですから」
​俺は手に持っていたダンベルを床に置いた。
ゴトン、と重い音が響く。

​「……来いよ、ガルド」
​俺は両手を広げた。
ガルド様の喉が、ゴクリと鳴る音が聞こえた。
​「腹、減ってんだろ? ……遠慮するな」
​俺はニヤリと笑ってみせた。
​「俺は今、カロリーの塊だ。……残さず食ってみろよ」
​「……アァァァァァァァッ!!!」
​ガルド様が咆哮した。
人間のものではない。飢えた獣の叫びだ。
次の瞬間、視界が黒く塗りつぶされた。
​ドンッ!!
​強烈な衝撃。
俺の体は後方へ吹き飛ばされ、そのままベッドに叩きつけられた。
上に乗るのは、巨大な質量。
​「……薫ッ……! 薫……! 薫……ッ!!」
​「ぐっ……!」
​痛い。
ガルド様の指が、俺の腕に食い込む。
そして、顔が――俺の首筋に突き刺さった。
​「ジュルッ……! スゥゥゥゥゥッッッ!!!!!」
​「あ……がぁ……ッ!?」
​凄まじい吸引力だった。
皮膚の毛穴という毛穴から、俺の中にある「何か」が無理やり引きずり出されていく感覚。
掃除機なんてもんじゃない。台風の目の前にいるようだ。
​体温が奪われる。
血の気が引いていく。
視界がチカチカと明滅する。
​(……すごい……)
​俺は薄れゆく意識の中で、恐怖よりも感嘆を覚えていた。
これが、ガルドの渇き。
彼が抱えていた空虚の深さ。
俺がいなければ、彼はこの渇きに溺れて死んでいたのだ。
​「……はぁ……ッ! もっと……! 足りない……ッ!」
​ガルド様が俺のシャツを引き裂く。
首筋から胸元へ、そして腹部へ。
顔を擦り付け、舐め回し、貪るように呼吸を繰り返す。
​「……持ってけ……馬鹿犬……」
​俺は朦朧とする頭で、ガルド様の汗ばんだ髪に指を通した。
​「……今の俺は……タンクがでかいんだよ……!」
​俺は歯を食いしばった。
落ちてたまるか。
今日の昼、ステーキを何枚食ったと思ってる。
プロテインを何杯飲んだと思ってる。
俺の体には今、一般人の倍のエネルギーが詰まっているんだ。
​「……吸え……! 俺の命で……お前の空っぽを満たしてやる……!」
​一分。五分。十分。
永遠にも思える捕食の時間が過ぎた。
​「……んッ……ぷはぁ……ッ」
​ガルド様の動きが、不意に止まった。
荒い息遣いが、少しずつ整っていく。
体から発していた黒い霧が晴れ、代わりに黄金色の魔力が満ちていくのが見えた。
​「……か……おる……?」
​ガルド様が顔を上げた。
赤い光は消えていた。
そこにあるのは、澄み渡るような碧色の瞳。
そして、自分が何をしているのか気づいた瞬間の、絶望的な表情。
​「……俺は……また……」
​ガルド様が、弾かれたように俺から離れようとした。
自分の手が俺を傷つけていることに気づき、恐怖に顔を歪める。
​「……離すかよ」
​俺は、逃げようとするガルド様の背中に腕を回し、全力で抱きしめた。
​「か、薫!? 離せ! 俺は君を……!」
「うるさい。…ちゃんと見ろ」
​俺はガルド様の顔を、無理やり俺の方に向けさせた。
​「……ピンピンしてるでしょ?」
​俺は笑った。
正直、膝は笑っているし、貧血で世界が回っている。
でも、生きている。
意識はある。
​「……あ……」
「 鍛えたんですよ。……あんた一人くらい養えるように」
​俺はガルド様の頬についた俺の汗を、親指で拭った。
​「だから……もう勝手に逃げないでください。一人で飢え死にしようなんて思わないで」
「……薫……」
「俺はガルド様の『酸素』なんでしょ ……だったら、責任持って最後まで吸い尽くせ」
​ガルド様の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは俺の頬を伝い、首筋へと落ちていく。
​「……ああ……。……ああ……!」
​ガルド様は俺の胸に顔を埋め、子供のように泣き出した。
今度の涙は、絶望の涙じゃない。
安堵と、再生の涙だ。
​「……ただいま、薫……」
「……おかえり、馬鹿犬」
​俺はガルド様の背中をポンポンと叩いた。
部屋は半壊しているし、俺の服はボロボロだし、体は鉛のように重い。
でも、俺の胸の中で鼓動するこの熱い命を感じられるなら、安いもんだ。
​こうして、俺たちの長くて過酷な「別居生活」は、濃厚すぎる「補給」と共に幕を閉じたのだった。
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