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第1話 売れ残りの「怪物」
むせ返るような熱気と、乾いた土の匂い。
王都の外れにある奴隷市場は、欲望と絶望が入り混じった独特の空気が澱んでいた。
「……高いな」
俺、カイは、並べられた「商品」たちの値札を見て、思わずため息をついた。
日本で過労死し、この世界に農家の三男として転生して二十五年。実家の口減らしのために与えられたのは、誰も寄り付かない辺境の荒れ地と、わずかな手切れ金だけだった。
一人であの荒野を開墾するのは不可能だ。どうしても、労働力が要る。
けれど、健康で従順な農耕用奴隷は、俺の全財産をはたいても手が届かない。
「おい若いの、冷やかしなら帰んな。ここは貧乏人の来るところじゃねえぞ」
小太りの商人が、俺の擦り切れた服を見てハエを追うように手を振る。
俺は愛想笑いでそれをかわし、市場の奥――誰も見向きもしない「処分品」のコーナーへと足を向けた。
そこで、俺は出会ってしまったのだ。
運命というにはあまりに巨大で、あまりに不憫な「彼」に。
「……なんだ、これ」
檻の中ではない。彼はあまりに大きすぎて、檻に入らなかったのだろう。
市場の最奥、湿った石壁に、極太の鉄鎖で直接繋がれていたのは、人の形をした「岩山」だった。
座り込んでいるのに、俺の視線の高さに彼の肩がある。
立ち上がれば優に二メートル……いや、二百十センチは超えるだろうか。
薄汚れた腰布一枚の姿は、まさに褐色の彫像だ。
泥と垢にまみれてはいるが、その下に隠された筋肉の隆起は、芸術的なまでに完成されていた。
「おいおい、そいつに近づくなよ! 人食いの巨人族の混血だ!」
商人が慌てて駆け寄ってくる。
「凶暴すぎて手がつけられん。飯ばかり食う穀潰しだ。じきに処分する予定でな」
穀潰し? 凶暴?
俺の目には、そうは映らなかった。
乱雑な長髪の隙間から覗く金色の瞳は、威嚇ではなく、怯えに揺れている。
口には厳重な猿轡(さるぐつわ)を噛まされ、手足には皮膚に食い込むほどの枷。
虐げられ、否定され続けた生き物特有の、諦めの色。
(……すごい)
俺の胸の奥で、農家としての打算とは別の、もっと本能的な何かが疼いた。
怖い、とは思わなかった。
むしろ、その圧倒的な質量に押し潰されたいような、奇妙な高揚感が背筋を駆け上がる。
「……商品なら、触ってもいいだろう?」
「あぁ? 噛みつかれても知らねえぞ」
俺は商人の忠告を無視し、ゆっくりと彼に歩み寄った。
近づくにつれ、彼から発せられる熱気が肌を打つ。生きている炉のような熱さだ。
俺が手を伸ばすと、巨躯がビクリと震え、鎖がジャラリと重い音を立てた。
殴られると思ったのだろう。彼は反射的に身を竦め、けれど逃げ場もなく、ただ目を瞑った。
俺の手のひらが、彼の二の腕に触れる。
「っ……!」
硬い。
岩のようだ、と思ったが、違う。
指先が沈み込む弾力がありながら、鋼鉄のような芯が押し返してくる。
皮膚の下で脈打つ血管のドクドクという奔流が、指先を通して俺の体内にまで響いてくるようだ。
(いい筋肉だ……)
俺は無意識に、指を這わせた。
二の腕から、盛り上がった肩の三角筋へ。そして、広大な胸板へ。
汗ばんだ褐色の肌は、指に吸い付くように滑らかだ。
俺の指先が乳房のふくらみをなぞると、彼の喉の奥から「くぅ……」という、くぐもった獣のような声が漏れた。
猿轡から垂れる唾液が、太い首筋を伝って鎖骨の窪みに溜まっている。
その光景があまりに淫靡で、俺の喉がごくりと鳴った。
彼の胸板の前に立つと、俺の顔はちょうど彼の乳首の位置にくる。
視界いっぱいに広がるのは、圧倒的な「男」の肉体。
見上げなければ顔も見えないほどの体格差。
もし彼がその気になれば、俺の首など片手でへし折れるだろう。
その「暴力的なまでの強さ」が、今は俺の指先一つで震えている。
「熱いな……」
汗と埃、そして濃密な雄の匂い。
俺は彼の腹筋の溝に指を滑り込ませた。
硬直した腹直筋が、俺の指の動きに合わせてピクピクと波打つ。
ただの点検だ。商品としての確認だ。
そう自分に言い聞かせながらも、俺の手つきはいやらしく粘り気を帯びていたかもしれない。
太ももは、俺の胴回りほどもありそうだ。
ふくらはぎの筋肉は、はちきれんばかりに膨れ上がっている。
これだけの肉体、これだけのエンジンを持った男が、ただ怯えて震えているなんて。
「なあ」
俺は彼の鎖骨に手を置き、爪先立ってその顔を覗き込んだ。
金色の瞳が、不安げに俺を見下ろしている。
その瞳に映る俺は、あまりに小さく、無力に見えた。
「俺と一緒に来るか?」
問いかけると、彼は驚いたように目を見開いた。
言葉が通じているのかは分からない。
けれど、俺が彼の頬に触れ、乱れた髪を耳にかけてやると、彼は瞬きを繰り返し、その目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「おい商人。こいつをもらう」
「はあ!? 本気か!? 返品は利かねえぞ!」
「ああ、構わない」
俺は革袋に入ったなけなしの金貨を放り投げた。
商人は慌てて金貨を拾い集め、鍵束をよこす。
カチャリ、と重い音がして、彼を岩壁に繋ぎ止めていた鎖が外れた。
それでも彼は動こうとしない。
長い間繋がれすぎて、自由になることを忘れてしまったかのようだ。
俺は彼の手首に残された枷の鎖を握った。
俺の手には余るほどの、太く冷たい鉄鎖。
「行こう。……名前は?」
猿轡を外してやると、彼は激しく咳き込み、掠れた低い声で呟いた。
「……ギルバート……です……」
地面を揺らすような重低音。
それが、俺の新しい「相棒」の最初の言葉だった。
「そうか。俺はカイだ。よろしくな、ギル」
俺が鎖を引くと、巨人はのっそりと立ち上がった。
その影が俺を完全に覆い隠す。
俺は背中に感じる圧倒的な気配と熱量に、一抹の恐怖と――それを上回る興奮を覚えながら、出口へと歩き出した。
さあ、これから忙しくなるぞ。
まずはこの、泥だらけの素晴らしい体を、すみずみまで洗ってやらなくてはならないのだから。
むせ返るような熱気と、乾いた土の匂い。
王都の外れにある奴隷市場は、欲望と絶望が入り混じった独特の空気が澱んでいた。
「……高いな」
俺、カイは、並べられた「商品」たちの値札を見て、思わずため息をついた。
日本で過労死し、この世界に農家の三男として転生して二十五年。実家の口減らしのために与えられたのは、誰も寄り付かない辺境の荒れ地と、わずかな手切れ金だけだった。
一人であの荒野を開墾するのは不可能だ。どうしても、労働力が要る。
けれど、健康で従順な農耕用奴隷は、俺の全財産をはたいても手が届かない。
「おい若いの、冷やかしなら帰んな。ここは貧乏人の来るところじゃねえぞ」
小太りの商人が、俺の擦り切れた服を見てハエを追うように手を振る。
俺は愛想笑いでそれをかわし、市場の奥――誰も見向きもしない「処分品」のコーナーへと足を向けた。
そこで、俺は出会ってしまったのだ。
運命というにはあまりに巨大で、あまりに不憫な「彼」に。
「……なんだ、これ」
檻の中ではない。彼はあまりに大きすぎて、檻に入らなかったのだろう。
市場の最奥、湿った石壁に、極太の鉄鎖で直接繋がれていたのは、人の形をした「岩山」だった。
座り込んでいるのに、俺の視線の高さに彼の肩がある。
立ち上がれば優に二メートル……いや、二百十センチは超えるだろうか。
薄汚れた腰布一枚の姿は、まさに褐色の彫像だ。
泥と垢にまみれてはいるが、その下に隠された筋肉の隆起は、芸術的なまでに完成されていた。
「おいおい、そいつに近づくなよ! 人食いの巨人族の混血だ!」
商人が慌てて駆け寄ってくる。
「凶暴すぎて手がつけられん。飯ばかり食う穀潰しだ。じきに処分する予定でな」
穀潰し? 凶暴?
俺の目には、そうは映らなかった。
乱雑な長髪の隙間から覗く金色の瞳は、威嚇ではなく、怯えに揺れている。
口には厳重な猿轡(さるぐつわ)を噛まされ、手足には皮膚に食い込むほどの枷。
虐げられ、否定され続けた生き物特有の、諦めの色。
(……すごい)
俺の胸の奥で、農家としての打算とは別の、もっと本能的な何かが疼いた。
怖い、とは思わなかった。
むしろ、その圧倒的な質量に押し潰されたいような、奇妙な高揚感が背筋を駆け上がる。
「……商品なら、触ってもいいだろう?」
「あぁ? 噛みつかれても知らねえぞ」
俺は商人の忠告を無視し、ゆっくりと彼に歩み寄った。
近づくにつれ、彼から発せられる熱気が肌を打つ。生きている炉のような熱さだ。
俺が手を伸ばすと、巨躯がビクリと震え、鎖がジャラリと重い音を立てた。
殴られると思ったのだろう。彼は反射的に身を竦め、けれど逃げ場もなく、ただ目を瞑った。
俺の手のひらが、彼の二の腕に触れる。
「っ……!」
硬い。
岩のようだ、と思ったが、違う。
指先が沈み込む弾力がありながら、鋼鉄のような芯が押し返してくる。
皮膚の下で脈打つ血管のドクドクという奔流が、指先を通して俺の体内にまで響いてくるようだ。
(いい筋肉だ……)
俺は無意識に、指を這わせた。
二の腕から、盛り上がった肩の三角筋へ。そして、広大な胸板へ。
汗ばんだ褐色の肌は、指に吸い付くように滑らかだ。
俺の指先が乳房のふくらみをなぞると、彼の喉の奥から「くぅ……」という、くぐもった獣のような声が漏れた。
猿轡から垂れる唾液が、太い首筋を伝って鎖骨の窪みに溜まっている。
その光景があまりに淫靡で、俺の喉がごくりと鳴った。
彼の胸板の前に立つと、俺の顔はちょうど彼の乳首の位置にくる。
視界いっぱいに広がるのは、圧倒的な「男」の肉体。
見上げなければ顔も見えないほどの体格差。
もし彼がその気になれば、俺の首など片手でへし折れるだろう。
その「暴力的なまでの強さ」が、今は俺の指先一つで震えている。
「熱いな……」
汗と埃、そして濃密な雄の匂い。
俺は彼の腹筋の溝に指を滑り込ませた。
硬直した腹直筋が、俺の指の動きに合わせてピクピクと波打つ。
ただの点検だ。商品としての確認だ。
そう自分に言い聞かせながらも、俺の手つきはいやらしく粘り気を帯びていたかもしれない。
太ももは、俺の胴回りほどもありそうだ。
ふくらはぎの筋肉は、はちきれんばかりに膨れ上がっている。
これだけの肉体、これだけのエンジンを持った男が、ただ怯えて震えているなんて。
「なあ」
俺は彼の鎖骨に手を置き、爪先立ってその顔を覗き込んだ。
金色の瞳が、不安げに俺を見下ろしている。
その瞳に映る俺は、あまりに小さく、無力に見えた。
「俺と一緒に来るか?」
問いかけると、彼は驚いたように目を見開いた。
言葉が通じているのかは分からない。
けれど、俺が彼の頬に触れ、乱れた髪を耳にかけてやると、彼は瞬きを繰り返し、その目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「おい商人。こいつをもらう」
「はあ!? 本気か!? 返品は利かねえぞ!」
「ああ、構わない」
俺は革袋に入ったなけなしの金貨を放り投げた。
商人は慌てて金貨を拾い集め、鍵束をよこす。
カチャリ、と重い音がして、彼を岩壁に繋ぎ止めていた鎖が外れた。
それでも彼は動こうとしない。
長い間繋がれすぎて、自由になることを忘れてしまったかのようだ。
俺は彼の手首に残された枷の鎖を握った。
俺の手には余るほどの、太く冷たい鉄鎖。
「行こう。……名前は?」
猿轡を外してやると、彼は激しく咳き込み、掠れた低い声で呟いた。
「……ギルバート……です……」
地面を揺らすような重低音。
それが、俺の新しい「相棒」の最初の言葉だった。
「そうか。俺はカイだ。よろしくな、ギル」
俺が鎖を引くと、巨人はのっそりと立ち上がった。
その影が俺を完全に覆い隠す。
俺は背中に感じる圧倒的な気配と熱量に、一抹の恐怖と――それを上回る興奮を覚えながら、出口へと歩き出した。
さあ、これから忙しくなるぞ。
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