拝啓、秘密の後継者さま。普通の私が、普通の中の普通をお教えいたします。【完結済】

キミノ

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第二章

2-7 理人さんとQOL

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 今日は大型ショッピングモールに来ている。田村さんの運転でここまで来たが、田村夫妻は別行動をするらしい。美恵子さんは小柄で柔らかい雰囲気の女性で、田村さんと並べばまさに理想の老夫婦という感じだ。

 入口付近で田村夫妻と別れてから、理人さんとゆっくり一階から順番に回っている。初めて散歩に出た日を思い出せば、すごく成長したと思う。ただ興味の惹かれるままに走りまわる子どものようだった彼が、今は静かに「普通の大人の男性」のように私と談笑を楽しみながら歩いているのだ。信じられる?
 カフェに行った日を境に、理人さんは一層落ち着きを増した気がする。私の教えに従い『見てないですけど』って雰囲気で辺りを伺い、容易に人と視線を交わらせることもなくなった。すれ違う女性たちの視線は突き刺さるが、勘違いをさせることはもうなくなった様子。知らないものを見て突進することもなくなり、私と一緒に調理家電を見ながらすごいねって笑えるようになった。

 子どもの成長は早いと言うが、無垢な大人の成長はもっと早いようだ

 何を買うというわけではなく、ただ色んなものを見て回る。まさにカップルの休日のよう。私と理人さんの関係に名前はない。おそらく普通じゃない関係の私たちを枠にはめるのはナンセンスだと思う。私が手に入れた『普通じゃないもの』は繊細で壊れやすいものだ。

「見てください。このガラスのコップ。この形可愛い」

 立ち寄ったインテリアショップに置かれた、流行りのガラスのコップ。SNSでもよく見かけるし、素敵だなって思っていたもの。水滴は付くし保温性もない、見た目だけのガラスを綺麗だなと思いつつ羨んでいた自分がいたのだ。

「こっちの保温・保冷タイプの方がたくさん入るし季節問わず使えると思う」

 理人さんが持ち上げたステンレスのタンブラーに大げさに溜息をついて見せる。

「理人さん。わかってないです。機能性はなくても見た目が素敵であればQOL爆上がりってもんです。寒くてもお洒落の為にミニスカートを履く。それと同じです」

「QOL・・・」

「クオリティ・オブ・ライフ。幸福感や充実感、満足度という概念みたいなものです。自分にとってそれが幸せならそれでいいんです」

「ふぅん。さくらはそれを使うとQOLが爆上がりするのか?」

 私のSNSを完コピしたようなセリフを真剣に考えている理人さんが愛おしい。先日までは生活にゆとりもなく生きることに精一杯だった私。理人さんと出会って『人生の蛇足』を楽しめるようになった。新しく買ったメイク道具たちは、最近の流行メイクを勉強して少しずつ似合うようになっている。三十二年間生きてきて、今が一番生き生きしている気さえするの。

「えぇ。毎日気に入ったコップで飲むコーヒーはきっと幸せだと思います」

 そう言って理人さんを見上げるとなるほどと小刻みに動く理人さんの首。動き始めた腕は流れるように小脇に抱えた鞄へ。そこから出てきた札束とクレジットカード。

「えっ?!ちょっ、何しているんですか!!」

 慌てて出てきたものを鞄の中へ押し戻す。こんな公衆の面前で大金を出すなんて、ここがいくら日本という安全な国であっても、用心するに越したことはない。

「さくらにプレゼントしたいと思って」

「プレ・・・、いや、私買って欲しいっておねだりしていたわけではありませんよ!」

「これまでさくらに色々買ってもらってばかりだったから、僕もさくらに何か買いたくて」

 あぁごめんなさい。目の前の優しい大型犬が明らかにシュンとしてしまっている。きっとしっぽも床についてしまっているだろう。

「待ってください。いつも私たちが外に行くときの費用はちゃんと田村さんからいただいていたんです。だから私が出していたわけではなく、経費というかなんかそんな感じで気に追う必要はまったく無いんです。ごめんなさい。私が説明してなかったから気を使わせてしまって」

「わかった。けれど僕がさくらに何かをしたいという気持ちは変わらないんだ。そこで相談なんだけれど、これを二つ僕が買う。うちに来たときは必ずこれで美恵子さんのコーヒーやお茶を飲もう。だめ?」

「だめ・・・なんかじゃないです。いいんですか?」

「もちろん。初めてなんだ。お金を使うの。だから勉強も兼ねて。ね?」

 理人さんの唇が奏でる音は全て優しさと気遣いに溢れている。なんと素敵な人なんだろうと改めて理人さんの完璧さを痛感してしまう。この人から弱さが消えてしまいませんようにと、身勝手な考えは押さえつけておかなきゃ。暴れちゃう。

「わかりました。でも、これはだめです。見てください。五千円です。しかも一つ五千円です。庶民が気軽に買えるものではありません。私は普通を教える講師として、理人さんにお得な買い物というものも教えなければならないようですね。あと普通の金銭感覚を」

 店員さんには聞こえないように小声で告げてからオシャレなショップを後にする。
 理人さんにお願いしたらきっとブランドバックも買ってくれるのだろうが、私はそんなもの求めていやしない。きっとこれから理人さんは『未来総合商事』の後継者として、目をギランギランにさせた人たちに取り囲まれるのだろう。それでも正しき道を見定められるように、本当の思いやりとは何かちゃんとわかるように。お金では買えないものを私は理人さんにあげたいの。

 それから私と理人さんはホーム・家電コーナーで先ほどのものとは瓜二つの、セットで千二百円のガラスのカップを買った。スーパーコーナーでは卵が二百円で高くなっただとか、私が若いころは牛乳は百円だったとかそんなくだらない話をして。
 そんなことでさえ理人さんは嫌な顔ひとつせず、楽しいそうに話を聞いてくれる。普通の私が普通のオチもないことを言っているだけなのに。こんな日々がずっと続いたら良かったのに。
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