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第8章
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しおりを挟む「そ、そんな・・・」
「気付かなかった? そんなはずないよね?」
確かに、時折覗かせる男の表情に違和感を感じていた。それでもこのままでいたくて、その疑問を頭に隅に追いやってきた。そうやって逃げてきた。
「僕は、貴兄よりもずっとさや姉を愛してるし、幸せにするよ」
真剣な眼差しに息が詰まりそうだった。暗黙のルールで、あの日から”貴臣”の事は一切話すことは無かった。時折出てくる司くんの名前にも暗い顔をしてしまうから、司くんが大学を卒業して海外支社に行ってしまった事までしか知らない。
「僕は___、そんな顔させないよ」
両頬に当てられた匠くんの手が、顔を上げるように促してくる。こんな顔見せたら、匠くんを不安にさせてしまう。出来る限りの笑顔を作って顔を上げた。”ありがとう”と気持ちを込めて。
「・・・っ」
顔を上げた瞬間、匠くんが苦悶に歪む表情に変わった。こんなに私を救ってくれてきたこの人に、どんな思いをさせてしまっているのだろう。
「くそっ、そんな目で見ないでよ、さや姉・・・。僕は、泣いてばかりの貴女を笑顔にしたいんだ。僕の為に泣いてくれた貴女を(ピンポーン)
突然のチャイム音に肩を揺らす。匠くんはドアの方向を見てから唇を噛みしめてこちらを見た。酷く焦っている様子で。
「さや姉、僕の事好き?」
「え、もちろん。でも「じゃあ」
頬に当たる匠の手の平がじっとりと汗ばんでいる。何が匠をこんなに追い詰めているのか、沙也加には見当もつかない。
ピンポーン
再度チャイムが鳴った。宅配便が来る予定など無かったはずだが・・・
「じゃあ、僕にキスして」
「え?」
「まだ間に合う。僕と逃げよう___お願いだから」
匠くんの言っていることがわからない。何から逃げようと言うのか。一体何に追われているのか。戸惑いを隠せない表情のまま、沙也加は匠を見つめ返した。
ピンポーン、ピンポーン
今日の宅配業者はしつこいようだ。どうするべきかわからない。ただ、匠くんにキスをする事は出来ないと思っていた。匠くんの好きと、自分の好きは違うのだとわかっていたから。
「匠くん、ごめんなさい。私っ、出なきゃ」
頬に添えられた手の平に、自分の手を重ねて優しく下ろした。力なく下ろされた手は震えていた。匠くんを気にしつつ扉に向かい、ドアスコープから来訪者を確認した。
・・・嘘。
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