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二章 恋愛編
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しおりを挟む社員旅行から帰った数日後、私はリビングのソファーに座りスマホで地図を見てはため息をついていた。
( だめだ、全然わからない……)
スマホだと画面が小さくて全体的な地図が見にくい。
一旦スマホで見るのは諦めて、テーブルの上に置いてあった七緒さんのタブレットを起動させ、地図アプリで再び検索をする事にした。
「……うーん?」
画面が大きい方が分かりやすいかと思ったけれど、あまり意味は無かった。……うすうす感じていたけど、私は地図が読めないタイプらしい。東西南北はわかるけど、だから何だという状態だった。
今、私が探しているのは、前世で生まれ育った場所だ。
地名検索で前世の地名にヒットする場所はない。それっぽい山や川の位置で探すけれど、ここだという場所が見当たらない。日本には山も川も沢山あるのを忘れていた。
(もっと簡単に見つかると思ったんだけど)
道雄は私たちが生まれ育った場所、あの村に行ったと言っていた。
だから簡単に探せると思っていたのに、まさか探している村の名前も地名もこの世にないなんて思いもしなかった───やはりここは似ていて非なる世界なのだと思い知る。
(お父さんとお母さんに、結婚の報告したかったんだけどな……)
現世の父母には(順序が逆だけど)今日これから結婚の報告に行く。
だから、前世の父母にも結婚の報告をしたかった。
前世の父母がこちらの世界にはいないだろう事は理解してる。それでも家族がいた場所に出向いて、一言報告をしておきたかった。今までの事、そしてこれからの事を───
「何を見てるの?」
いつの間にか隣に座った七緒さんが、私の手元のタブレットを覗き込む。
これから私の両親に挨拶に行く為、七緒さんはスーツ姿だ。
ワイシャツは白で、スーツとネクタイを含め全体的に色彩が地味な気がする。
私の両親に会うために地味めに見えるチョイスなんだと思うけれど……なんというか、地味だとただ素材の良さを引き立てるだけで、あまり意味が無い気がする。顔がやたらと整っているとか、手足が長くて身体のバランスが綺麗な上に鍛えている感じとか、むしろそういったところに目がいってしまう。地味なのに逆に目立つ。個人的な好みだけで言えば地味なスーツに眼鏡姿も大変よろしい。私と同じ嗜好の女性の視線を集めてしまいそうだし、むしろ同士には是非に見て頂きたい。
そんな事を考えていると、私の首の後ろに七緒さんの長い指が触れた。
「ひゃ……っ、ぁ……」
頭から爪先までをゾクゾクした感覚が行ったり来たりして、変な声が出てしまう。
七緒さんに噛まれてから、どうしたって首の後ろは弱い。そしてそれを知っている元凶は、最近はなぜか常にそこを確認するように触るので大変困る。
「……ぁ、も、……もう! くすぐったい……っ、や……っ」
「くすぐったいだけ?」
涼しい顔して聞く七緒さんは、本当に修正しようがない鬼畜野郎だと思う。これから挨拶に行くところでなかったら、七緒さんの首に噛み付いてやるところだ。
「佐保は山にでも行きたいの?」
ふいに七緒さんは悪戯をしていた私の首の後ろから手を引くと、私の膝の上に置かれたタブレットを取る。
「………ぁ」
首をもっと触って欲しいと、噛んで欲しいと身体が震えそうになるのを、私は耐えた。
七緒さんは絶対にわかってやっている(気がする)。口元が笑っている(ように見える)。……帰ってから噛む事にしよう。
そう思う事で気持ちを落ち着かせた私は、乱れた息を無理矢理整えた。
───七緒さんが持つタブレットの画面には、都市でも観光地でも無い、ただの山間部の地図が表示されている。
ええ、タケノコ狩りに行こうと思って───ちょっと違うか。今はまだタケノコの時期じゃないから誤魔化すには弱い。
鍋の季節だから、キノコ狩りに行こうと思っていて───山で採れる食べて大丈夫なキノコと食べてはいけない毒キノコについて詳しかったりするのは、ものすごく怪しい気がする。
というか大昔ならともかく、今は山とはいえ他人の土地なのだから勝手に侵入はまずい。あぶない、思わず田舎育ちの八重の感覚で田舎を語るところだった。
「……む、むかしの文通相手に、結婚の報告したいなぁって思って探してたんですけど、その、覚えてるのが古い住所だったみたいで住所が出てこなくて~」
無理矢理捻り出した嘘は文通でした。
嘘としてギリギリセーフ、ではないだろうか。
ちなみに現世では私の世代で文通してる人は周りにはいない。
文通の文化自体、この世界では私よりずっと上の、インターネットが一般的になる前の世代の話だ。だからといって文通人口はゼロではない……と思う。
「文通? SNSじゃなく?」
「SNSのはちょっと苦手で」
実際、私は数年前に登録したSNSをずっと放っていて、ログインすらしていない。
七緒さんなら私がSNSを使っていない事くらい把握してそうな気がするけれど、そこまでは調べていないのだろうか。
「ひょっとして三国とも文通? SNSでは交流の形跡は無かったね」
「……ミッチーとは、そういうのじゃなくてオンラインゲームで知り合ったって言ったじゃないですか」
「そうだったかな。忘れてたよ」
やはり七緒さんはSNSを調べていた。忘れていたなんてのも絶対に嘘。今のは間違いなく私にカマをかけたのだ。
七緒さんのように油断出来ない相手に、私のような迂闊な人間が対抗するのは不可能だと思う。
思えばマンションでカードを拾った時も、何もしなければ良かったのだ。迂闊な人間は余計な事はすればするほどボロが出る───経験者は語るじゃないけど、私は経験してようやく学んだ。私は余計な事はしない方がいいし何も言わない方がいい。知らぬ存ぜぬでやり過ごすのが一番だ。
そんな風に考えている私を、七緒さんは目を細めて見ていた。
視線が何か言いたげだ。蛇の生殺しってほどではないものの、後でいたぶられる予感しかしない……。けれど今は私は知らんぷりに徹する。なぜなら弟を守るのはお姉ちゃんの役目ですからね!
「───そういえば三国が、来日してからこの地方に何度か行っていると聞いたな。彼は山が好きなんだそうだよ」
タブレットの画面に七緒さんの指が乗せられ、その場所を表示する。
……七緒さんがいつの間にか、道雄の事を三国と呼び捨てにしている事に今更気付いた。
先日もマンションに道雄を呼んでたみたいだし、なんだかんだ言いながら仲良くしているのだろうか? 私も人の事は言えないけど、友達は選んだ方がいいと思うな道雄……。
「ふーん。ハイキング……かな?」
そう言いながら、画面に表示された地図を私は食い入るように見つめた。
たぶんそれこそが、私たちの村があった位置なのだろう。地図上だと村があるのかどうかの判断出来ないけれど。
「行ってみる?」
「行ってみる……って?」
七緒さんが画面を指して言う。
「三国がハイキングに行ってたこの辺りは、芹沢の本家が昔あった場所の近くなんだ。今も建物や土地を芹沢の親戚が管理をしていて、うちの代々の墓もある。しばらく行っていなかったから良い機会だ、一緒に行こうか」
「そう……芹沢の……?」
私の家があった村に、芹沢家の本家があったなんて、なんて偶然───とは、さすがに思わなかった。
呑気な私ですら、そのピンポイントの接点には何かあると感じた。
こういう事は誰に確認したらいいのだろう。道雄なら聞けば何かわかるかもしれない。あの子はいつも周りの事を良く見ていたし物知りで───でも、道雄はだめだと、私は心の中で首を振った。
私が町中佐保という小説の登場人物なだけでなく、主要登場人物の七緒さんが近くにいる。
すでに道雄を普通の日常でない事に巻き込んでしまったけれど、道雄にはこれからもずっと普通の日常を送って欲しい。
それが前世と今世での、私の共通の思いだから。
「佐保、顔色が悪い」
七緒さんがそう言って私の頰を撫でた。
「あ……、今その……生理中、だからかな?」
「お腹が痛いなら薬飲む? 痛み止めは強いも弱いのも沢山あるよ」
もごもご言う私に、七緒さんが優しく言う。
本気で気を使ってくれて言ってるのはわかるのだけど、痛み止をなぜ沢山持っているのか聞いたら負けな気がする。
「ありがとう、でもお腹が痛いわけじゃなくって……ほら私偏食だから、たぶんそれで貧血気味で」
そう説明すると、七緒さんはすぐに私の両目の下瞼に触れた。下瞼の裏の色で私の貧血具合を確認しているのだろう。
「君の体調面の事を考えれば、これからはもう少し色々な食べ物を食べる事が出来た方がいいね。葉酸と鉄は妊娠する前からしっかり摂っておかないといけないし、カルシウムも必要だ」
「葉酸と鉄? 妊娠って……?」
「妊娠について考えた事はない?」
「……それは、一応ありますけど……」
先日、ゴム無しで七緒さんといたした時はもちろん考えた。
でもその後に生理が来たので、一旦妊娠の事は横に置いておこうと(自分の中で)なったわけで。
「今のまま食材の好き嫌いがあると、妊娠中の君の身体が心配だ」
「そ、そう……?」
まだ妊娠してないし生理中だしちょっと落ちついて欲しい。色々心配するにはまだ早いと思う。
「今はまだ若いからいいけれど、今の食事の傾向だと今後の健康が心配だよ。……だから篤さんは、君に色々食べさせようと苦労したんだね」
七緒さんの口調は完全に『親御さんは苦労なさいましたね』に近い。
確かに篤のおかげで、私が食べる事が出来る食材は増えた。兄は私の食育に関して両親よりも熱心だった。
ただ、私は苦手な食材を克服したのではない。それは篤は早々に諦めた。
パンが無ければケーキを食べればいいじゃない───つまり篤は私が食べられる食材を、世界中から集める事に方向転換したのだ。兄は御曹司になる前から、発想はまるで金持ちのそれだった。おかげで、私は健康的に成長する事が出来た……のかもしれない。
「君がここに住む事になった時に、篤さんからはファイル3冊分の君の偏食記録を貰ったんだ。離乳食開始から最近までの大作だ」
「…………それは確かに、大作ですね…………」
兄がド級のシスコンだという事を私はすっかり忘れておりました。
兄を上回る変態が現れたのでなんとなく影が薄くなっていたけど、兄は兄で十分変人なままだった。
普通、妹の偏食記録ファイルなんてものを作りますか? 幼児の頃ならまだしも最近までという必要性を全く感じない記録を取るあたり、篤の普通じゃないシスコンぶりがおわかりになるだろうか……。
「篤さんのファイルを元に家政婦に食事を用意してもらってるから、とても助かっているよ」
そう言う七緒さんは嘘をついている様子は無い。心底助かってると思っているようだ。
うちのシスコン兄と七緒さんは、最初は似た者同士で敵対するのかと思っていた。けれどそうではなかった。
似た者同士───まさにそれだ。
仕事に対する真面目さとか自分自身に対してのストイックさとか、外ヅラが異様に良いところは良く似ている。けれどそれだけではなく、私を管理する事を当たり前みたいに思っている部分も共通していた。
さらにお互いの変質者っぽいところもわかり合っているようだ。意味が分からない。
「田舎の親戚の家は趣味で野菜畑を作っていてね、新鮮な野菜を食べたら佐保も少しは好みも変わるかもしれないよ。丁度いい機会だから行ってみようか。野菜を食べる事に挑戦してみればいい」
「やだ」
私は即答した。すると七緒さんは続けてこう言った。
「『お粥を食べない佐保が可愛くて俺がつらい』『妹はバナナとみかんは食べられる事を信じない』『佐保、豆腐にかけた醤油しか食べない件』」
「……な、なに? 突然?」
「円乗寺さんが作った君の偏食記録の見出しの一部。記録をつけるたびに見出しを書いていたみたいだね。君が生まれてからずっと溺愛していたのが一目でわかる」
それを聞いて私は、ひっと喉を鳴らした。
ライトノベル的な見出しにもびっくりだけど、私の離乳食を始めてから記録をしているならば、当時その見出しを書いた篤は七、八歳くらいのはずだ。
確かに篤は小学生の頃から作文で賞を何回も取っていた。文章作成に関しては得意らしかったけれど、その能力を完全に間違った方向に注いでいた事が今判明したし、そもそもなんでライトノベルなんですか兄さん?
「佐保の偏食記録は続けて欲しいと篤さんに頼まれているんだ。だから佐保が田舎に行って食材の克服を少しもしたくない、というならしかたない。俺も君の偏食記録をつけないといけないな。見出しは何にしようか? 俺は篤さんみたいな才能はないけど……」
「い……行く、田舎行く! 野菜、食べに行きます! すごく食べたい気分かも! だからそれ以上変な見出しを増やさないで……?」
思わず私は七緒さんの腕に抱きついて懇願した。
この歳までうやむやにしてきた食材の好き嫌いで、夫になった人に脅される日が来るとは思わなかった。ライトノベル風の見出しをつける七緒さんは見たくない。
「……食べられる食材、増えるといいね」
そう言いながら微笑む七緒さんに渋々頷いた私は、偏食記録のファイルは見つけ次第、即燃やそうと心に決めたのだった。
応援ありがとうございます!
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