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二章 恋愛編

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 日曜日の朝になぜか火薬臭い道雄がリビングにいたと思ったら、同じように火薬臭い一賀課長もリビングにいた。

 男二人で朝っぱらから花火でもしたのだろうか。想像するとちょっと面白いんだけど、なんで二人が一緒にいるんだろう。

 そんな疑問を私が口にする前に、職質されそうなほど火薬臭い二人はそのまま外出し、一賀課長がマンションに戻ったのは日曜日の深夜だった。
 一賀課長は帰ってきてからも電話したり書類を見たりと忙しそうにしていたので、私は先に休ませてもらったくらいだ。


 そして月曜日の朝、一日ぶりにゆっくりと顔を見たなんて思っていると、課長は恐ろしい事を言い出した。



「今日は一緒に会社に行こうか」



 この人、意味分かって言っているのだろうか。
 一緒に出社したらどうなるか。間違いなく大騒ぎだ。というか、土曜日に会社の人に見られたのを忘れているのだろうか。もしかしたら、噂になっているのかもしれないというのに。

 そういえば初めてここに泊まった日も、早出がなければ一緒に出社したかった的な事を言っていたと思い出す。もしやあれは冗談ではなく本気だった……? え? なんで?

 私の断固反対で、結局一賀課長が先に出て五分差で私が出る事になった。






 そしてなぜか今、囲まれている。




「それで、課長と付き合ってるの? 付き合ってないの?」


 更衣室のロッカーで、月曜日の朝から囲まれてそんな事を尋ねられる私は、始業時間を気にして壁の掛け時計を見た。
 けれど皆さん始業十分前ですよ、と言いだせる雰囲気ではない。

 私は十名ほどの女性社員に囲まれていた。更衣室はそのせいでぎゅうぎゅうである。
 別にイビられているわけではない。
 一賀課長と付き合っているのか、と問われている。

 土曜日に私と一賀課長が食事していた、という話は女性社員にしっかり回っていたらしく、出社したら更衣室で早速取り囲まれた。……なぜか取り囲む女性社員の中に何人か既婚者もいる。

 それにしても食事をしていただけで付き合ってるかも、なんて判断は早計ではないでしょうか皆さん……。

「えー、あの、そのですね……」

 私は何と言っていいのかわからず、とりあえず窮地に陥った政治家みたいな答弁をする。


 そもそも『付き合っている』という定義ってなんだろう。

 大学時代は共学であったものの、人によって付き合うという基準がそれぞれだった。
 女子では一度性交渉をしただけで『付き合っている』という子もいれば、男子で二番手三番手がいながら一番手の女の子だけが『付き合っている』という人もいた。つまり人によって様々、なのだと思う。

 一般的な『付き合っている』の基準は、告白してお付き合いを申し込んでそれがOKされてから、を指すのだろうか? 
 それだと思い返しても思い返しても、そんなイベントは発生してない。

 お互いーーーというかほぼ私の都合で寝たはずが、いつの間にか婚約の契約を交わした事になってるし、一賀課長の家には居候してるし、普通に受け入れているこの状態は……良く考えるとかなり不思議だ。

 正直、付き合っているのかと聞かれると、返事にものすごく困る。
 私が一方的にそうだと言っていいものかどうか。実は違ったらどうしよう。

 道雄が一賀課長に付き合ってるのか聞いた時は、課長は付き合ってるとは言ってたけど、あれは絶対その場しのぎで言ったんだと思う。道雄くん、なんか怒り出しそうでしたからね。
 昔、勝手に道雄のお菓子を食べた時に、私もその場しのぎでよく嘘をついた。お父さんが食べちゃったみたいだよーとか、犬が勝手に食べたとか。一賀課長もきっとそれと同じだろう。その場しのぎの嘘。


 そう考えたら、チクンと胸が痛くなった。



「休日に食事するなんて、町中さんと一賀課長はどんな関係?」

 なかなか答えない私に焦れた女性社員が言葉を変えて言った。
 その言葉に私は顔を上げた。
 どんな関係ーーーそう、それ。

 だから。

 すごい、この単語で関係性が理解出来る。つがいだから一緒に食事をするんですよ、って。

 ………………だめだ、説明がファンタジーすぎる。完全に頭おかしい人に思われる。

 しかも掘り下げて考えると私もよく分からなくなってくる。なんなんでしょうね、つがいって。もう少し聞いておけば良かった。とりあえず首が噛みたいしか覚えてない。


「ねえ、町中さんいるかしら。部長が呼んでるんだけど……」

 更衣室のドアが開き、一人の女性社員が顔を出した。人でぎゅうぎゅうの更衣室を見てギョッとしてる。

「あ、はいっ、います! ここに! 今行きます!」

(助かった……!)

 私は取り囲む女性社員たちのあいだを抜けて、更衣室から抜け出た。

「あの、呼んでるのはどこの部長ですか?」

 今日から営業事業部に異動だからそっちの部長だろうか。面識はないけど。
 それとも総務部の部長だろうか。何か書類渡し忘れた、なんてありそうだ。
 私を呼びにきた女性社員に聞くと、彼女は笑いながら答えた。

「嘘よ」
「嘘?」
「取り囲まれて、困っていたみたいだったから」
「あ……す、すみません。ありがとうございます」

 よくよく見ればーーー彼女はイタリアンで一賀課長に顔を撫でられたのを見られた、品質管理部の人だった……。

 私と目を合わせて彼女は言った。

「……言っておくけど、私は言ってないわ」
「……は、はい。すみません、ありがとうございます」

 この場合、ありがとうございますで正しいかどうか微妙だけど。
 でも、もし周りに吹聴されていたら「なぜ顔を撫でられてたの?」なんて質問を衆人環視の中されたかもしれない。なんというひどい羞恥プレイ。
 良かった……! 言わないでいてくれて良かった……!


「でも、私の他にも見てた人がいたみたいね」
「……ですね」

 確かにあの店の立地だと、休日出勤組が私と一賀課長を見かけている可能性はある。一賀課長は道路側が見える位置に座っていたのに、気付かなかったのだろうか。そういうのに気が付きやすそうな人だけど。

 ……それに、その課長の下に今日から異動だ。
 課内に女性社員はいないものの、男性社員でも噂として知ってる人はいそう。今から気まずい。

「なんだか大変ね。困った事があれば相談にのるからがんばってね」

 私の様子に見かねたのか、品質管理部の彼女は苦笑しながら私にそう言ってくれた。













 営業事業部の人たちとは木曜日の歓送迎会で会って挨拶もしているので、朝のミーティングで簡単な挨拶をしただけで終わった。
 けれど木曜日の歓送迎会とはあきらかに違う、生ぬるい視線を感じる。

 言いたい事があるなら言って欲しい。遠慮しないで言って。出来ればそこで平気な顔をして澄ましてる態度の一賀課長に言ってやって。ーーーけれど、一賀課長に冗談ごかしてすら何かを言い出す人はいなかった。なぜ……。






「聞いたよ。朝、更衣室で囲まれたんだって?」


 給湯室で就業時間終了後、自分用のマグカップを洗っているといきなり背後からそう声がかけられた。

「気配消して背後に立たないで下さい。びっくりするじゃないですか」
「君が気が付かなさすぎるだけだよ」

 
 一賀課長は、朝のミーティング後はずっと外出中で席にはいなかったし今日一日私たちは話す機会もなかった。おかげで周りにチラチラ見られる事はなかった……と思う。

 もっとも就業時間後に戻ってきたようで今まさに話かけられているけど、ここまで追いかけて私たちを見にくる人もいないだろう。
 それにこの給湯室は営業事業部の奥にあるので、他の課外の人が来る事もない。


「一緒にいるところを見てないから、わざわざ聞かれるんだよ。だから一緒に出社するのを見せてやれば良かったのに」

 一賀課長は事もなげに言う。見せてやればいい、ってあなたどんだけメンタル強いの。

「男性ならそれでいいかもしれませんけど。女性はそれじゃ納得しませんよ」
「納得?」

 社内で半ばタレント的な人気の様子の一賀課長の『相手』は、誰であってもたぶん皆さん嫌だと思う。
 納得なんて出来ない。それがファン心理なのだと、何かの折に篤が言っていた。

 それに一賀課長を本気で好きな人は絶対いる。この顔ならいる。

 そういう人はきっと納得しないどころか、私の事も噂も全否定だ。
 篤を好きな人たちに私は全否定されてきているので、そういうのは身をもって知っている。そして、そういう人たちは刺激しないのが一番なのだ。
 私はそれを一賀課長に懇切丁寧に説明してあげた。
 
「ですから、恋心とはそういうものなんです」
「……恋がどんなものか知りもしないで、よく言う」

 一賀課長は鼻で笑う。ついでとばかりに深いため息をついた。

 ……む、むかつく……!

「女心がわかってない人に、そんな事言われたくありませんね」
「君だって男心はわからないくせに?」



 どうやら私達の間には越えられない壁があるようです。
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