こがねこう

綿入しずる

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後日談 こうこうきみのこえをこう

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 ――ススキが風邪を引いた。他の金の尾コノオも何人か病んでいる。
 丈夫だ頑丈だとよく言っているのを聞いていたし実際そのようなのを見ていたので、朝の連絡には慌てた。悪い病ではないかと案じたが、どうやら町や宮中で流行っているものらしい。寒い時期には毎年どこかで聞く類、今年は喉を痛めて咳き込んだりするが熱は出さずにそのうち快癒するのがほとんどだそうだ。
 そう聞いても心配は心配だが。町の中、またその辺で仕事をしている者も確かに咳などしているのがちらほらと見受けられ、見舞いの品を求めた店もそういう用命が多いと言っていた。貴族や王族――姫宮二人も声嗄れをしているそうだとは、噂が早い城の門番が耳打ちし教えてくれた。荷物を抱えたイタドリと共にもう慣れた道を進んでいくのも、天気のよい昼間だというのにどことなく浮かない雰囲気だ。
 と、誰か話している声がする。元気そうな大声で聞こえてくるのも、件の流行り風邪についてのようだった。仕事ではなく世間話の調子で、何処の誰某もらしい、大したことはないらしい、と俺も他から聞いたようなことを言っていたが。
「しかし出所は尾の宮だそうじゃないかね。何かよからぬことを口にしていた為ではないのか」
 ……聞こえて、立ち止まる。声の主を探す。書類を保管する蔵の日陰に立つ文官の背が見えた。
 近づけば声はさらに大きくなる。立ち話をする三人の男。
「そうさな、これも天意やも知れませぬ。懲りればいいですが。金の尾は近頃調子に乗っておる。祝言などさせて……やはり処遇を今一度引き締めるべきではと思います」
「ただでも国で食わせているのにここ数年は……お優しい方が、施しておられるからな。いっそ声など出せないままのほうがらしくて、、、、釣り合いがとれるのではないですかねぇ」
 一言も許しがたいが、誰も窘めず続いて聞こえてくるので据えかねた。気が立つのを抑えて拳を握り、歩み寄る。
 隠さぬ足音にこっちを見たのは知らぬ顔だったが、相手はそうでもなかろう。全員、俺を見て真っ青になった。
「風邪は他の部署でも流行っていると聞いたが、その者たちの口も疑るのだろうか」
 低く、言っても誰一人応じない。首を振りもしない。
「世嗣も患っているというのも聞いたがな、今の話をどなたかに報告差し上げようか! 不埒な噂を立てている暇があるなら弱っている者の分も働かんか!」
 先程までの盛り上がりが無かったかのように竦む、そんな様子を見るのも癪で、咆えた後踵はすぐに返した。殴りこそしなかったものの道行く者たちの目も向いて、辺りは静まり返り先よりもっと空気が悪い。
 それは名高い金の尾だ。多くのことがあったから決めて宮に入れられている。かつては口を縫われた、綴じられたという話は誰もが知っている。その時代に戻すだけだとあの輩は軽く言ったのだろうが――咎無き金の尾たちがどれほどの苦労をして宮で語らうだけの自由を取り戻したのか、それを守って次に繋いでいこうとしているのか、ほんの一二年を共に過ごしただけでも感じられるものがある。聞き捨てならなかった。
 俺がススキと契り、またもう一人、シュユ殿もという話が出ている為に今は一層に注目されているのだ。そうなるとああして家族と共に、不自由なく憩い遊ぶ暮らしをしているのも目について妬む者だっているに違いなかった。だがその暮らしとて金の尾が望んで得たものではない。あれは彼らの一生についた値だ。
 否、そもそも、そもそもだ。何がどうという以前に言ってはならぬことがあるだろう。敵ならばまだしも同じく仕える身でありながら、よくもあんな大声で恥知らずに。
 ――誰かが、俺の腕を掴む。イタドリの手だ。見下ろすと一瞬だけ臆し、しかしはっきり言った。
「アオギリ様、怒りはご尤もです! お気持ちは分かりますが――顔に出ています。皆驚くかと……」
「……ああ、すまん。――すまんな、助かる」
 年若い従士の諫めにすっと、一つ落ちた。苛立ちが治まったとは言いきれないが、自らの立場を思い出す。彼に示しをつけねば。己を買って便宜を図ってくださる姫宮にも、あれ以上何か言われる隙を与えてはならない。大股になっていた歩みを宥めながら言われた顔に触れて、食いしばった口元を揉んだ。
「いえ……俺も、腹が立ちました。ただアオギリ様が珍しくすぐ怒ったので、驚いて引っ込んでしまいましたが」
「さすがに血が上ったな」
「当然です。……ああいうのは、病気なんかよりもっと質が悪いと思います」
 羞じて口端を上げ笑って見せると、イタドリは怒りなおすように呟いた。まったく言うとおりだ。あんな話が流行る前に、風邪にはさっさと退いてもらわねばならない。
 そうして――多少顔を緩めて行ったつもりが、やはり垂穂宮たりほのみやの門番には怯まれた。伴侶を心配し過ぎだとでも思われたかも知れない。
 病んでいるのだから出てこなくてもよい、誰か働いている者に取り次いでくれれば物だけ預けていくと告げたが、丁度水を汲みに出ていたイナに見つけられ引き留められた。絶対、顔を見るだけでも元気になるだろうからと言われればやはり少しと欲が出る。彼女は元気そうでヒサギも無事、しかしフヨウ殿とエニシダ殿、ウイキョウ殿、そしてススキがなかなか酷いらしい。
 客間で待っているとぱたぱたと急いだ足音が近づいてくる。見えた顔色はそれなり、さっき怒鳴りつけた奴のように蒼褪めてもいなければ、妙に赤くなってもいない。ひとまずほっとした。
「流行り風邪に当たったと聞いたが」
「だから、長居はさせられません……」
 しかしとても細く、がらがらに擦れた、聞き慣れぬ声に眉が寄る。
「酷い声だな。熱はないのか」
「んん……大体喉だけなんですけど、痛くて、しんどい……」
「ああ悪い、無理に喋るな」
 細い喉を擦り、くたびれた雰囲気で向かいに座り肩を落とす。物凄く悄気ている。
「せっかく貴方が来たのに」
「見舞いで悪化されては敵わん。喋らんで聞いていろ」
 苦笑いすれば黙って頷いた。俺のほうが声を出すことにし、手短に家の近況を伝えた。
 喉だけとは言うが、やはり怠いのだろう。食事を飲み込むのもつらいとぼやく。どことなくやつれたようにも感じられ、いつもとはまた違う、憂いを帯びて儚い美人になっていた。
 そうして静かにしている様は――正直、元々金の尾という存在に抱いていた印象には近い。だが、ススキらしくはない。らしくなどない。
「……うん、調子が狂う」
 示せばイタドリが手土産の包みを差し出し解く。
「お前の美しい声がそうなって、話を聞けないのはなんともつらく寂しいな。それを食って早く治すといい。――重いから誰かに運んでもらえよ。膠飴こういだ」
 大振りの甕は奮発して買ってきた、上等の飴だ。相好を崩したススキが手を当てると甕はより大きく見えた。
「こんなに。こんなにかわなら口を綴じられるのも悪くないですね」
 ……またそんな言い方をする。先程の騒々しい声を思い出して眉が寄り、横でイタドリが緊張したのも見えたが、注意するより先に。
「やった、梨も沢山。皆で食べます……ありがとうございます、アオギリ。イタドリ君も、っんん。――重かったでしょう」
 隣の籠に入った包みも解けて中身が見えたのに、より表情を明るくして浮かれるので言い逃した。甘い物は大体喜ぶが、果物は特に好物だ。咳払いを挟んで労うのにイタドリは笑って首を振った。
「いいえ……これ、特に甘いそうです。どうか養生なさってください」
「美味い物を食って寝るのが一番だ。治ったらまた来るから、早く治せ」
「はい。お見舞いありがとうございます」
 金の尾よりもっと丈夫な自信はあったが、まさか兵に号令を出す俺が声を嗄らすわけにはいかない。居るとススキも落ち着いて休めないだろうと、見送りも辞してすぐ出た。
 ……垂穂宮はこんなに静かだっただろうか。考えてしまうのは、そんな気になっているというだけなのかも知れぬが。人前に出る際に私語を慎むことはあるにしても、会えば話してばかりいたのであれは本当に久々の様子だった。
 しかしあの飴は金の尾への土産には不吉でよくなかったやも知れぬ――……
 なんて懸念は他所に、翌々日に手紙が来たのを急いで開いてみると、あの後皆と集まって飴を舐めた、味も本当に美味いし喉も体も元気になってきた、あれだけ持ってきてもらったのにすぐ無くなってしまいそうだ、普段でも食べたいと笑って話している……等々と喜びが記されていた。
 風邪が治りつつあるのも勿論、そんな雰囲気にほっとした。
 膠飴は口を綴じるのではなく開かせる為の薬だ。手紙でこれなら実際会えればもっと機嫌よく喋るだろう。もう治るだろうか、いつ頃会えそうか。早く声が聞きたいものだ。
 読んでいくと、今日は二枚目がある。
 ――悪口か何か言われていたのを、貴方が叱ってくれたのも耳に入っています。私たちは怒れないのですっとするし嬉しいです。けれど、将軍の一喝は腰が抜けますので、ほどほどにしてあげてください。
 ――あと、この紙は梨のようなのを選びました。梨も本当に美味しかった。今度は一緒に食べましょう。イタドリ君にもどうぞよろしくお伝えください。
 笑って言うのが思い浮かぶ。悪口のほうの中身まで耳に入っていないといいが……すっとしたなら少しはよかった。
 もしかすれば、ああして常々軽口にしてしまうのは金の尾が怒りや憤りを逃す為の身のこなしでもあるのだろうかとも考える。ならばこれからは俺が代わりに怒ろう。程々に。心中言い聞かせて一人で頷く。
 そうして見てみれば、確かに梨の実の切り口のような風合いの少し透ける上等の紙である。
 窓辺に透かして、撫で、落ち着いてもう一度読み直した。……きっとすぐ会える。
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