ウェーレイキオルは微笑んでいる

綿入しずる

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二 六氏族議会

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 しかしそうした――些か無理をしての喜びやはり、長続きはしないものだった。
 誕生日の特別礼拝の中でエドアルドの機嫌は静かに下降した。絵硝子の窓から差す光の美しい教会は静謐だったが、周囲の視線は今日、不快に纏わりついていた。
 エドアルドに付き従う黒い天使に人々の目は向けられていた。一度は新しい従者かと窺った司祭も、広げられた翼に瞠目する。
「……これは誠に、よき日になりましたな。重ねて祝福致します、エドアルド様――」
 誰もが守護天使の降臨を口で祝いながらもその見目に当惑しているのが、エドアルドには分かった。
 黒くて、美しくもない。それがしかも、六氏族の待望の天使……
 そういった侮蔑を汲みとった。
 ようやく天使が来て素晴らしい日になるはずだったのに。これからは一層堂々とできるはずだったのに。エドアルドは歯噛みした。
 喜びに水を差された。のみならず、周りの反応に刺激されて彼の内にある不満も確かにもたげていた。それを往なす。エドアルドは非常に辛抱強い。これくらいで表情を変えるような失態はしなかった。元々少しきつい顔立ちだというのは置いて、だが。
 いつもどおりに淀みなく文言を述べ、手を組み、白き星に感謝の祈りを捧げた。天には常に星があるが、天井を飾る白銀製の吊り灯、星の似姿も目を引いた。母譲りの澄んだ青灰色の瞳はじっと、その光を見据えた。
 ――何故、
 十年間、投げかけてきた問いが若干色を変えて胸中に垂れ滴るのを、押し込めた。
 振り返ると、同じように星を仰いでいた蜜色の瞳とかち合う。
 また、笑う。
 ウェーレイキオルはやはり、周りの雰囲気を気にした様子も、気後れしている様子もなかった。人の感情に疎いのだと思われて、世俗に慣れていない天使はそういうこともある――無神経なわけではないと、エドアルドは自身に言い聞かせた。
 同伴したオリヴァーとリベルヨルンは傍らですべてを察していたが、エドアルドが黙して堪えている以上下手なことも言えなかった。それとなくウェーレイキオルの振る舞いを補いながら、なるべく平然と、家での明るさを保って会話し続けた。エドアルドもまたそれに応じた。

 その後がまた、問題だった。
 礼拝を終えた彼らはその足で城へと赴いた。クラウス家の代表として、父子で議会に出席する為である。大熊の紋章がついた馬車は門を素通りする。
 かつて白き星の軍勢を先導し、竜や巨人を打ち倒した英雄たち。その末裔――六氏族が、現在盟主国ログラの実権を握っている。
 アレクシウス、トラウゴット、ハーヴィー、シャノン、グードルーン――そしてクラウス。英雄の名と武具を受け継いだ勇士の家々は絶大な権力を持ち、対して、父母の急逝で玉座に座った王は幼く、王権の形骸化は進んでいる。
 議場に足を踏み入れるのは、礼拝に赴くより一層の緊張をエドアルドに齎した。
 円卓を囲む、既にクラウス家に守護天使降臨の一報を受けていた面々は、父子の到着に一斉に顔を向けた。そうして、リベルヨルンは彼らも見知っている為に間違いなくウェーレイキオルを確かめた。
「これはこれは、クラウスの。此度は誠に……」
 まずよく響く声を発したのは、射手トラウゴットの後継ベリウスだった。
 オリヴァーより年嵩の五十がらみ、しかし大柄で張りのある、衰えは生え際ばかりの男である。片眉を上げた彼はそこで言葉を切った。
「……本当に天使か? そのような色をして、前例があったか」
「黒いものは世に幾らでもある」
「そうだ、黒くとも天使なのだ」
 エドアルドとオリヴァーの眉が寄るも、奥から、青い髪を結いまとめた女がすぐ言った。彼女は鏡の円盾ミルトラウを所持する当代のシャノンである。名をグリゼルダ。横に座る十七歳の長男ノルベルトと二人の娘を育て上げた母ながらなお現役を貫く女傑だった。上座の席に座し黙して成り行きを見守る幼い王、その黒髪を意識して言うのに、一度言い損ねたオリヴァーも声を張った。
 世界が二つに割れて以後、白と黒は象徴的な色となったが――言うとおり、白いものも黒いものも、元々ありふれてもいた。
 ベリウスは王を謗ったわけではないと鼻白む。
「しかし天使というのは大抵このような色をしているのも確かだ」
「前例も覚えがありませんなぁ」
 グードルーンの代表者、メルコルフも追従した。大粒の宝石の指輪が幾つも並んだ手で髭を撫でて、一同を見渡す。
「ウェーレイキオルはエドアルド様の守護天使です。黒かろうと」
 さざめく中ではっきりとウェーレイキオルの声が通った。悲しみも怒りもない、事実を述べただけの声だった。見れば最初と変わらず笑みを携えてエドアルドの傍らに立っている。あまりの無垢さに議場は一時静まり返った。
「発言をお許しいただけますか」
 囁いたのはベリウスの守護天使ネシファラスだった。短く整えられた金の髪に碧い瞳の、優しげな風貌の美男子である。
「よい」
「彼は天使です。間違いありません。我々が見ても、確かなことです。敵ではありえません。どうかご安心を」
 彼は周囲にも聞こえるように言いきった。
 場に居合わせた天使五名、全員が同意した。黙って見つめるウェーレイキオルの代わりにエドアルドが目礼する。
「我が家の――父の天使もそう断定しました。それで先んじてもお伝えした次第です。珍しい見目をしてはいるが、確かに翼もある。怪しむならば広げさせましょう。――もうよろしいか。俺を祝ってくださるのは大変ありがたいが、重要な議題もある」
 苛立ちを伏して、呼びかける。
 目配せ、頷き、その中で、エドアルドと同じ年頃の青年が大きく声を発した。
「何も問題はなかったな。目立って羨ましいだけで。――言い遅れた。改めて、おめでとう、エドアルド卿」
 ラルス・アレクシウス。剣士アレクシウスの後継者は親しげに言って、エドアルドと目が合うと片目を閉じて合図した。
「そうだな、これは私が悪かった。そも、怪しい者など此処に通るわけがないのだな。失礼をした。天使降臨、言祝ぎ申し上げる」
 ベリウスが居直り殊更丁寧に述べる。シャノン親子も、メルコルフも続いた。
 おめでとう、祝い申し上げる、と方々で挨拶の声が上がった。エドアルドは澄ました顔でそれを受けて礼を言った。オリヴァーと揃って決まった席に着く。その後ろにウェーレイキオルとリベルヨルンが立った。
 その後毎度のことながら遅刻寸前の時間にやってきた騎士ハーヴィーの末裔ニクラスがウェーレイキオルを見て物言いたげにしたが、誰もがもう黙っているので大人しく口を閉ざした後、思い出してエドアルドへの祝福を述べた。乱れた髪を天使に撫でつけられて、呆れ顔のグリゼルダの横に座る。
 円卓に座し、背後に天使を従えて六氏族が向き合う。
「では、始める」
 幼い女王の言葉に、書記官がペンを握った。
 仕切り屋のメルコルフが文書を捲りながら言う。
「――今日大きな議題は二つあるな。いつもの、輝く鎧エレイアと呪術師の派兵問題。……スヴィエー砦の件」
 彼は呪術師グードルーンの血筋の者だが――呪術師たちは基本的に、研鑽以外には興味が薄いものだ。力ある者たちは南のログラとは対の土地、勝利の火を守る北端灯台ゼーズを見据える地ケルカンドラに築いた拠点に住まい、術を鍛えながら護りを担っている。政治に関心を抱き此処に座る時点で二流である。後継者ではなく代表者に過ぎず、守護天使もついていない。それで周囲には軽んじられているのだが、家でもこういう場でも適当におだてておけば仕事をするので、上手く使われているのだった。
「砦に関しては今日決まったも同然ですな?」
 受けて空かさずニクラスが言い、エドアルドとオリヴァーを見遣った。グリゼルダも横で頷いた。
「エドアルド卿が独り立ちするのだ。もう任せるしかあるまい」
「まだ家のことがある。すぐには応じられん」
 オリヴァーは重々しく言う。
 星が別れた以後、四百年。諸国は結束しおよその平和は保たれていたが、戦いの名残は未だ見え、完全なる安寧には至っていない。各地で現れる黒の兵の掃討は今も続いており、竜もその配下も完全に滅びたわけではなく、生き残りへの警戒は怠れなかった。
 北端灯台の他にも、要所がある。竜族の逃れた山脈の奥へと睨みを利かせる三つの砦。湖畔のスヴィエー、石編みのトルクト、森都マヌ・カナン。いずれも六氏族の末裔たちが交代で総督として身を置いている。中でも近頃議会で取り沙汰されるのはもっとも北に位置するスヴィエーで、現在はハーヴィーの後継、ニクラスの父が総督を担っているが、もう着任して十年経つ。故郷を離れての長い任期にハーヴィー家は不満を抱いていた。
 トラウゴット家は現在ベリウスの娘がトルクト砦に。シャノン家はグリゼルダ当人が一昨年までマヌ・カナン砦に赴任しており、今はアレクシウス家、ラルスの叔父が代わった。スヴィエー総督は、順番としてはクラウス家――オリヴァーかエドアルドが就くべき職務だった。オリヴァーは昔にも総督の経験があるが、もう十五年も前だ。
 つまるところ、エドアルドの番なのだ。それが今まで、保留されていた。それも守護天使の不在ゆえである。
 別に今までだって不足はなかったとエドアルドは思うが。戦績は足りても、星から認められた証なき者を総督にするわけにはいかないというのが、議会のおよその結論だった。オリヴァーもまたそのようなエドアルドと妻を置いてはいけず、長らく交代を先延ばしにしてきたのだ。ハーヴィー家を宥めに宥め、今に至る。
「いっそ奥方と共に向かう手もある。要所とはいえ、静かなものだ。皆平穏に暮らしているのであろう」
 ベリウスも、誰も、これには同じ意見だった。クラウス家がやるべきで、今日、エドアルドの問題点はなくなった。家のこと――次代への継承が課題だとしても、その辺りの解決策は幾らかある。
「我が家が上手く治めているからね。……でも交代は話が別だ。好い加減、どなたかに代わってもらわないと困りますな。別にどなたでもいいんですよ、オリヴァー卿のほうでも、他のクラウスでも」
「身辺が落ち着けば応えたく思います」
 父が何か言う前に、はっきりと、エドアルドは言った。
「いつだ?」
 すぐにでも、と答えたかったがそうもいかない。オリヴァーが身を乗り出した。
「約束はする。今日こそ約束をしに来たのだ。だが期限は待ってくれ。それを話し合おう。万全で臨むべきだろう」
「……まあ、上手くやった仕事の始末を適当にするのはどうにも格好が悪い。きっちりやって、後の規範となろうじゃありませんか」
「遅くとも来年には動くだろうな」
「いいや、もっと早く。春には父に戻っていただくのです」
 一旦は落ち着けたところにベリウスが呟くのでまた勢いがつく。オリヴァーは眉を寄せて首を振った。拒否ではない。ただ、まだ決められはしない、という姿勢だった。
 エドアルドは正直、申し訳なくも思った。この件に関してはいつもそうだった。重要な務めゆえとはいえ、家族を離れ離れにしてしまっている責任が自分にもあるように思えるのだ。
 ――それも、今日から変わる。
「急ぎます。その一言で今はお許しいただきたい、ニクラス卿。六氏族の末裔すえとして、血脈の継承も当然無視できません。きっと、春までに」
「……それはそうだ」
 結局誠意を見せるしか、今できることはないのだが。ニクラスもさすがに六氏族の血を絶やすようなことは言えず、真っ向からでは収まるしかなかった。彼はエドアルド自身は真剣なのも知っていて、これまでの事情には同情もしている。肩を竦める。
 またメルコルフが髭を撫でて、さも大仰に呟いた。
「来年こそ、エドアルド隊はスヴィエー砦への配属で決まりだな。となると他に使える駒は……」
 そのまま議題は牽引され、輝く鎧エレイア――軍隊と呪術師の人員確保についても話し合われた。ログラ近隣の守護は当然、諸国への派兵も常時行われている。どの国も自国でそれなりにやってはいるが、かつて敵の王を討った英雄の末裔たちへの期待と依存は大きく、またログラ側としても盟主国としての権威を保つ為に、なかなか規模を縮小できないでいるのだった。特に精鋭、特別製の鎧を実際に身に着け戦う戦士たちの配置には気を遣った。
 その後には民議会ネーフから上がってきた諸々の議題、税の配分や祭祀のことまで話し合われ、可否が問われた。幼い王の疲労を見計らって途中休憩も設けられ、場は荒れることなく収まった。長く平和であるゆえにそれぞれの思惑が生じて必ずしも一丸とは言えないところもあるが、概ねこうして上手く回っている。
 天使たちは話し合いを見守り、時に補佐をした。ウェーレイキオルはただ立っているだけ、エドアルドが振り向くと微笑むばかりだったが、それでもこれまで一人で座ってむっつりと前を向いているしかなかった時期を思えば、エドアルドにとっては居るだけでも十分意味があった。砦の総督の件にしても、今日こそこの場の一員として、六氏族の次代として認められた感触が確かにしていた。
 視界に入る他の天使たち。その美貌とウェーレイキオルの顔の差は、考えないようにした。
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