ウェーレイキオルは微笑んでいる

綿入しずる

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三 夜に降りる

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 エドアルドは砦への赴任に一切不満はない。六氏族の者として負うべき使命の一つ、名誉な仕事だ。実際箔もつく。ならばなお他の者には任せず、自分こそが行くべきだと考えていた。一族の誰かに譲る、、のはこの十年で傾きつつある家の均衡をさらに危ういものにしかねないし、ここで父に任せてしまうのはいいかげんに、頼り過ぎだ。皆が名指したように、自分が行くのが一番だと思っていた。
 確かに、結婚しても――次代を育ててもいない身では慎重になる父の気持ちも分かるし、婚約者とも相談はしなければならないと思うが。
 それについてはもう少し時間が要る。婚約者ソフィアが隣国サレイでの職務を終えログラに戻るのは十日ほど後の予定だった。
 ――相談もしたいし、早くこの喜びを分かち合いたいものだ。きっと彼女は妙な顔をせず受け入れてくれる。
 馬車に揺られながら、エドアルドは隣に座るウェーレイキオルを窺った。すぐに目が合うし、そうすると笑う。その顔を見るとエドアルドは嬉しいのと不満が綯い交ぜの、酷く複雑な心地がするのだった。
 目を逸らすと、今度は向かいのリベルヨルンと目が合った。優しく微笑まれ、もっと複雑になる。
 眉間に力を入れてはそれを緩めて、今度は景色を見た。平和に栄えた王都の街並みが続いていた。

 そうして物思いする彼を家で待っていたのは婚約者ではなく、この十年でどうにも歪な関係になった親族たちだった。一段華やかな白服の盛装にして向かえば笑顔と明るい声に迎えられた。
「やあ、エド、誕生日おめでとう。天使降臨も実にめでたい! 本当によかった!」
「ありがとうございます」
「おめでとうございます、エドアルド様」
「ありがとう」
 誕生日と守護天使降臨を祝いに来た彼らには、エドアルドはにこやかに接する必要があった。オリヴァーとパウラも笑顔で振る舞うのを横目に、主役の帰宅に一層賑わった広間エントランスで乾杯をして、言葉を交わす。
「随分珍しい見目だな。まあ――目立って見つけやすいな」
 話題はすぐ、当然、ウェーレイキオルのことになる。その容姿には誰もが言及せざるを得なかった。先に来た客にはパウラがあらかじめ説明していた分反応は穏やかだったが――彼は見るからに他とは違い過ぎた。翼を広げて見せてやっと、天使だと納得する者が居たくらいだ。
「珍しいけれど――エドアルド様が華やかでいらっしゃるから、落ち着いた色なのも品があってよろしいわ。綺麗な髪ね」
 代わる代わる。
「大人の子が来ましたのね。エドアルド様と同じくらいでしょうか。クラウスの天使はなんとなく子供のような子が多かったから、それも珍しいかも」
 挨拶に来た皆が、どうにかウェーレイキオルを褒めて、会話を繋ぐ。やんわりと、決定的なことには触れないで、なんとなく笑った。エドアルドも合わせて笑っておく。
 そのうち幾人かもまた天使を連れているのだった。エドアルドが昨日まで思い描いていたような、淡い色彩を持つ美しい少年や少女だ。エドアルドは今度こそ、比べずには居れなかった。
「大きな翼だからきっと強いでしょうね。エドアルド様にはぴったりだ」
 ただ一つ、その言葉だけはエドアルドも割と素直に受け止めることができた。天使の翼は力の証だ。大型であるほどに強く、特に戦いにおいては重要だった。ウェーレイキオルの黒い翼は閉じてなお身の丈にも近い。
「期待している」
「はい」
 流れでエドアルドが言えば、聞いたウェーレイキオルはぱっと明るい顔をした。示すように翼が少し開くのも顕著だった。実に素直に張り切った反応に、周囲は笑う。
「すっかり懐いておられる」
「それはそう、天使ですもの」
 暫らくして、声が途絶える。場の空気が少し張り詰めたのは、叔母夫婦と従兄夫婦が揃って到着したが為だった。叔母はまず兄オリヴァーの元へと向かい、従兄はエドアルドにまっすぐに歩み寄る。
「シメオン」
 笑い合う父母の声を聞きながら、二人は向かい合った。
「……おめでとう、エドアルド。クラウスは皆このときを待っていた。今此処に改めて、後継の君に力を貸していくことを誓おう」
「ありがとう。心強い」
 背格好はよく似て。クラウスの一族らしい黒髪の青年である従兄シメオンに、付き従う波打つ銀髪の天使は一際美しく人目を引いた。皆が、彼らを比べた。
 そうでなくとも、エドアルドに天使が来なければ、代わりに後継者となる可能性のあった男だ。今日のことに胸中、とても一言では言い表せない、エドアルドと同じほどに複雑な感情が渦巻いているのだった。
 互いに笑みを浮かべはするが――子供の頃より何かと競い比べられてきた関係で今ではあまり仲がよくないので、余計な口は利かなかった。ウェーレイキオルを見ても、驚きさえ秘めて何も言わない。ただ自身の天使が挨拶するのを確かめて、周りの会話が再開するのに合わせていった。エドアルドも引っかかりを覚えながらも、眉を僅かに動かすだけで終わった。
 議会のことも報告し世間話も挟みながら、一同は食事をした。結婚の話も出たが、いつするのか、という問いにこれまでと違う前向きな話ができるのは親子にとって幸いだった。しかし朝には張り切っていたパウラも昼に夕にと客を持て成し、もう空元気でいる。
 母を不安がらせることがないよう、エドアルドは平気に、明るくにこやかに振る舞って、早めに彼女を下がらせた。明日は疲れて寝込むかもしれないなと思う。
 溜息はすべて、ぐっと堪えた。
 誰も彼も社交慣れして表には出さないが、別の誰かが後継になる可能性が潰えて安堵している者もいれば、惜しく思う者もいた。そして――
 ――ようやく降臨したかと思えば、あれは一体。
 ――あのような天使は見たことがないわ。
 ――やはりエドアルド様には何か問題があるのでは?
 そう囁く声はさすがに当人の耳には入らなかったが、十分察せられた。他者に言われるより最早、エドアルド自身の内から聞こえてくるのだった。十年聞いてきた声がまた中身を変えて彼を苛む。
 ウェーレイキオルの黒い翼、冴えない容姿。それを誰もが気にしている。――エドアルドも。

 夜遅くに客は途絶えた。祝いの品が積まれている部屋には寄らず、エドアルドは私室へと戻った。寝台に腰掛け、使用人が下がっても残る――傍を離れることのない天使を見る。
「ウェーレイキオル」
「はい」
 ずっと呼んでいたが、やけに声に馴染むこの名はいつも呼ぶには長すぎるなと思った。天使の名前は大抵そうだ。だから皆、愛称をつける。
「……ウェールと呼ぼう。翼を見せてくれ」
 大きな翼が広がった。黒いが、立派で美しい。ランプの光でも金の光沢が見えた。
 向かい合い改めて眺めると、エドアルドの唇からほうと息が漏れた。
 ――やはり、美しいじゃないか。
「触っても?」
「どうぞ、この身はすべて貴方様のものです」
 返事は迷いなくすぐだ。差し出すように前へと畳まれるそこに、エドアルドはそっと、手を置いた。
 その実態は星の光――高位の力の集合体だが、形や手触りは鳥の翼に似ている。エドアルドは昔、リベルヨルンや他の天使の翼にも触れさせてもらったことがあるが、その金銀の羽とも同じ感触がした。
 ただそのとき、他の天使はこうは言わなかった。彼らはあくまで幼い子供に接する態度で、主の顔を立てていたに過ぎない。無体を働けば――無論エドアルドがそのようなことをするはずはないが――すぐにでも翼は引っ込められただろう。しかし今、この黒い翼だけは真実、エドアルドの手に委ねられている。何をされても構わないと、羽の一枚一枚が言っているようでさえあった。
 ずっと欲しかったものだと、エドアルドは思った。
 優しく撫でて、その色の深さ、金の煌めきに見入ってしまう。
 ――天使だ。天使に違いない。俺の……
「黒いのはお嫌ですか」
 ウェーレイキオルの声にはっとして、エドアルドは顔を上げた。金の瞳がエドアルドを窺っている。――少し、不安そうに。
 今日一日ずっと視線に晒され数々の指摘も受けて、何も気にしていなかったようで彼もまた思うことがあったのかと思えば、エドアルドはなお悔しかった。
 ――主が気丈で居ないでどうする。
「……誰もが気にするだろうが、……俺も、気にはなるが。嫌ではない。目立って珍しいだけだ。アレクシウスのもそう言っていただろう。誰が気にしても、お前は気にしなくていい。そのように生まれたのだから、誇ればいい」
「――はい。それならようございました」
 ウェーレイキオルは瞬きして、にこりと笑んだ。そうしてエドアルドが手を引いてしまうのを、実に惜しそうに見た。手は廊下ではない一方へ続く扉を示す。私室の隣は、天使の為の小さな居室だ。
「今日は疲れただろう、もう寝るから、お前もゆっくりと休むがいい。向こうはお前の部屋だから自由にして構わない」
「お傍にいてはなりませんか」
 エドアルドが言うと、ウェーレイキオルはすぐに言い募った。
「天使に眠りは不要です。私は常にお傍に居れます」
 勿論、エドアルドも知っていた。本当に常に横に控える天使があることも。知った上で、言う。
「……それでは休まらん」
 子供の頃は、自分の天使と一緒に眠りたかったものだが。エドアルドはもう随分前に大人になったのだ。
 それに今日は、嬉しいのに苛立って、けれど嬉しくて、疲れていた。落ち着くのにウェーレイキオルと少し離れるべきだと判断した。すぐ隣、それも扉で繋がって行き来できる部屋だ。離れると言うには近すぎるが。
「戦地に在っては常に目を開いている必要もあるだろうが。休めるときには休むべきだ。天使も。休養を覚えておけ」
 ウェーレイキオルを見つめ返して、もっともらしいことを言う。
「形だけでいいから座るなり寝るなりしていろ」
 もう少し具体的に続けるとウェーレイキオルは仕方なさそうに頷いた。
「分かりました」
「朝になったら来い」
「かしこまりました。……おやすみなさいませ」
 翼を畳み、消して、ウェーレイキオルはまだ惜しむ素振りでエドアルドのほうを見ながらも隣室へと向かった。扉を開けてみて、中を覗き――灯りが要るかと思い立ち上がりかけたエドアルドだったが、気遣いの前に部屋に入っていった。静かに扉を閉めて、その後は物音もしない。
 ――天使は闇も見通すからな……要らないか?
 眠りは不要だと主張する、先程の言葉を思う。灯りも不要なのだ。そのように天使としての特性を活かすのと、人の形をするからには人らしく過ごすのと、どちらも有りなのだった。そんなこと一つとっても主であるエドアルド次第だ。
 今のように普通の暮らしをしているならば、物には余裕がある。明日は灯りを点けてやろうと思った。ウェーレイキオルはあのようだから、もう少し人らしい振る舞いをさせたほうがよいように思えた。
 エドアルドは髪を解き、落ち着けるように一杯の水を飲み、灯りを消して寝台に横たわる。闇を見つめた。そうして今日は、隣の部屋を意識した。
 天使が来ない間、隣の部屋もずっと空き部屋だった。誰も居ない部屋にいて、やがてやってくる天使を思った日もあった。
 今、そこにいる。
 嬉しいはずなのに、もう素直に喜ぶだけではいられなくなっている自分がいて、深い溜息が出て、顔を覆う。どうしてこんな思いでいるのか。正直言って、ウェーレイキオルの容姿や言動には落胆している。――落胆する自分にも腹が立つのだ。
 ――俺は何を待っていたのだ?
 ――ウェーレイキオルではいけないのか?
 ――……そんなわけがあるか!
 胸の詰まるような思いがした。
 十年待った自分の元にやってきてくれたのは他ならぬ、ウェーレイキオルなのだ。そんな存在をそのように容易く突き放せるわけがなかった。
 エドアルドは朝の庭に降り立った、間違いない、純粋な喜びのかたちをもう一度捉えようとした。確かに嬉しかった。今も嬉しい。それなのに。
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