ウェーレイキオルは微笑んでいる

綿入しずる

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六 昼と夜の肖像*

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 ほお、と画家の男は感嘆の声を上げた。
 日当たりよく明るい部屋で待つウェーレイキオルは今日は翼を広げていた。大きく、深く黒いそれは存在感を放ち彼の目を惹いた。
 クラウス家は懇意の老画家に後継と守護天使の肖像画を依頼していた。職務が済み連日の祝福が終わり、身の空いた日の午後に招いた。
「お久しぶりですエドアルド様。この度は、おめでとうございます」
「ありがとう。今回もよろしく頼む」
「お任せください。……美しい色ですね、これを表現するのは、腕が鳴るな――ああ、髪も同じ色なのですね、金を含んでいる」
 画家はにこやかに挨拶した後も、ウェーレイキオルの翼や髪を褒めた。
 エドアルドは嬉しく思った。この画家が美しさに関して世辞を言わないのを知っている。自身の目と心を信じて物言う芸術家だった。彼も心から、ウェーレイキオルを美しいと思ったのだ。
 ――そうだろう。そうだろうとも。
 エドアルドだって美しいと思っていたし――自分の天使を褒められたかった。下手な気遣いなどではなくて、純粋に、ウェーレイキオルを認めてほしいと思っていた。
 しかし言われてみれば、自分もウェーレイキオルの見目をしっかりと褒めたことがないなと気づく。黒くても気にしない、などと言っただけだ。他の者に世辞など言われても意に介した様子のない天使で、今も相変わらず笑んだような顔でいるだけだが、だからと伝えないのはまた違う気がした。
 隣で見てきたこれまでと同じ反応を予期しながらも。エドアルドは頷き、自分の中で丁寧に言葉を選んでから口を開いた。
「そう……お前は色は変わっているが……美しい黒だ。俺もそう思う。瞳も、美しいし――」
 言う間に、その瞳は光を多く取り込んで明るく輝いた。言っていたよりもっと美しくなる。そしてその顔が、表情が、この上なくやわらかに見えるのに、エドアルドは呆気にとられた。
「ありがとうございます、嬉しゅうございます」
 言葉は端的、しかし喜びが伝わる甘い声音だった。それもエドアルドの胸を打った。
 ウェーレイキオルはにこにことして、見るからに、喜んでいた。さっきまで想像していたのとはまるで違う。
 主の言葉は天使にとって特別なのだ。そして、ウェーレイキオルは非常に素直だった。
「い、つも、そういう顔をしたらどうなんだ、褒められたら」
「そういう顔」
 エドアルドはどうにか次の言葉を絞り出した。ウェーレイキオルは首を傾いで己の顔に触れた。
 ――可愛い……可愛いじゃないか?
 エドアルドは胸に呟く。目の前の画家にも訊ねて確かめたいのを堪えた。
 自分の天使は、美しく、強く――愛らしい。他の天使に劣らず。そう、ずっと思っていたのが強くなる。
 ウェーレイキオルの、特に容姿について、思うところはある。他者の評価も常に気になる。しかし自分の天使というだけで一等特別に見えているのも確かなのだった。
 老画家が穏やかな面持ちで、しかし待っているのに気づき、エドアルドは顔を作って椅子に腰かけた。ウェーレイキオルはその後ろに寄り添う。
 彼らより間を持ってゆっくりと弟子が支度した画布へと向かった画家は、目を細めた。
「貴方様の御髪も相変わらず、母君に似てお美しいが――やはり最近お顔立ちは父君に似てきましたね。ずっと描いていると分かりますよ」
「……うん」
 一言で、エドアルドの顔が和らいだ。不貞の子の疑惑は晴れたし、元々疑ってもいなかったが、愛する両親に似ていると言われるのは素直に嬉しかった。
 親しい画家は、そうしたことも知っている。エドアルドの機嫌が見るからによいこと、天使が来て家族が昔のように穏やかな関係に戻りつつあるらしいことを、彼も心の底から喜んでいた。今日は楽しく描けるだろうと思う。そうしてこれから記録する人の緊張を解してから、慣れた調子で木炭を構えた。
「さあ、では描かせて頂きますね」
 珍しい黒色の守護天使が無意識に翼を広げて――主を翼の内に入れようとする様を、彼は丁寧に移しとった。美しく、穏やかな午後の肖像だった。

 休日もそのようにやることがあり暇とは言えなかったが、夜には時間が出来て寛いだ。父母が出かけているのでエドアルドは一人――ではなくウェーレイキオルと共に食事を済ませて部屋に戻り、窓辺のテーブルで茶を飲んだ。
 ティーセットを扱うウェーレイキオルの所作は執事ほどには洗練されていないが、茶会などではないのだから十分に許容範囲だ。そもそも、自身の天使がそうしているというだけでエドアルドは嬉しいのであった。
 彼は向かいで、揃いのカップを使い紅茶を飲むウェーレイキオルを眺めた。何度見ても黒く、いわゆる美貌ではなく。ただ、天使の装束は窓から差す星明かりに光を纏うように白かった。
 エドアルドが見れば、すぐに目が合う。目が合うと笑う。エドアルドは誤魔化すように一口茶を飲んだ。
「……」
 生まれたときから、エドアルドの近くにはリベルヨルンが居た。親戚も六氏族も、交流ある人々も、多くが天使を連れていた。守護天使という存在は、彼にとって身近だった。
 いつか自分も天使を連れるのだと思うのは自然なことで、六氏族の後継である彼の将来を皆が肯定した。きっとそうなるからまだ待っていなさいと、年端もいかぬ頃には宥められたものだった。
 守られて、愛されて、仲良くなって、愛して、共に歩んでいく。自分の天使と共に、生きていく。そんな人生を、エドアルドはずっと待ち望んでいた。
 天使は来た。待って、待って、成人からも十年待って、ようやく。
 ――思っていたのと全然違う。
 天使と言えば皆美しいのが当たり前ではあったが――自分の中で築かれた理想もあったことを、エドアルドは認めざるを得なかった。誰より美しく優れた天使が来るのだと思い描いていた。十年、以上に前から、エドアルドはずっと夢見ていたのだ。重なった思いが多すぎる。
 それと、ウェーレイキオルはあまりにも違った。金髪でも銀髪でもなく、誰もが見惚れるような美しさは持ち合わせていない。エドアルドのほうが余程華があるくらいだ。よく見ればやけに均整のとれた顔はしているが。
 ――思っていたのとは全然違う。
 ――けれど、俺の天使だ……
 不満と、上回る喜びが混じりあって、苛立ちを生む。
 エドアルドは自分の守護天使を可愛がりたかった。
 幼い頃からずっとそう願っていて、大人になっても望んでいて、やっと会えた天使は、そうしづらい。腹立たしかった。そんな天使も、そう思わせる周りも、不満を抱く自分自身も。
 ウェーレイキオルが他の天使のようだったなら。リベルヨルンやクローティルダー、一族、六氏族の他の天使たち。そのようだったなら素直に愛せたのに、もっと自然に笑って話せたのにと、思う。のに、だのに、このよう、、、、だから、エドアルドは今他人の目ばかりが気になる。お前はどうしてそんな変わった見目で来てしまったのだと、問い詰めたくなる。――そのように思う己が嫌になる。
 ――自分の天使を誇りに思って何が恥ずかしい?
 また顔を顰めかけ、エドアルドはそっと息を吐く。
 如何に不満に思っても、違う天使に来てほしいわけではない。エドアルドが愛したいのは、自らの元に降り立った無二の存在、黒くて奇妙なウェーレイキオルなのだった。
 ――こんなにも愛しい。
 他人にどう思われていようが、愛しづらい見た目だろうが、エドアルドはウェーレイキオルが来て嬉しい。ずっと焦がれてきた存在は見目や性格など関係なしに愛らしくも思えた。否、昼間にも言ったように、見目とて美しくも可愛らしくも見えるときがある。黒い髪は艶めいて長く、エドアルドを見つめる瞳は甘い蜜色をし、ずっと嬉しそうで、付き従う姿は心を満たす……
 エドアルドに合わせるようにして紅茶を飲む、口元を見る。温まり湿った唇が血色よく見えた。
 エドアルドは別の思いも抱いた。
 美しい人型をして従順な存在に、愛や欲を抱く主人は多い。実際に奉仕させる者も少なくない。
 ――十五の頃、親戚の入れ知恵でそれを知ってしまったエドアルドはそれはもう凄まじい衝撃を受けた。下世話な話だと振り切れなかった。あまりにも、降臨を願う彼の欲求と近すぎたのだ。
 天使に焦がれる気持ちが欲と結びつくのは容易かった。とてつもない大きな感情となって、少年の身は翻弄された。
 まだ見ぬ自分の天使に想いを寄せると、同時に。
 エドアルドの中で、リベルヨルンへの思慕が恋の名を得て膨れ上がった。エドアルドは美しく優しい少年を愛していた。彼とずっと一緒に居たかった。
 しかしどれほど、甘いほどに優しかろうと、リベルヨルンは父オリヴァーの守護天使である。自分が彼の一番になれないことなど、エドアルドはとっくの昔に理解していた。オリヴァーが許すのでリベルヨルンが幼いエドアルドと過ごす時間は多かったが、どれほどおしゃべりや遊びが盛り上がっていても、彼はオリヴァーの為ならば離れていってしまったし、何をするにも一にはオリヴァーのことからだった。
 エドアルドは、恋を自覚した直後には失恋もしたのである。ただどうしても焦がれて、持て余す若く青い情動を秘密裡に処理しては、気落ちした。微笑む彼を汚した気がして顔も見れない日もあった。
 ――しかし、父は、父も彼にそのようなことを?
 考えれば、当然真実を確かめられもしないが、抑え込む欲望がまた歪に膨らむのだった。
 天使が来ない十年間。そのような欲も共にあった。
 いずれ自分の――自分だけの天使がやってきたならば。その天使は自分を一番に愛するはずだ。きっと、こうした思いや欲もすべて受け入れてもらえるのだと考えたことは、勿論ある。そんな願望を抱いていた。
 今、それを思った。
 目が合う。すべて見透かすような力を持つ黄金色の瞳はエドアルドをじっと見つめていた。
「エドアルド様」
 静かにカップが置かれる。
 エドアルドが言葉を失っているうちに、呼ばずとも、ウェーレイキオルは跪いた。膝に寄り添って見上げる。
「ひとは、ここで快楽を得るのだと知っております。私にそれをお望みですか?」
 手が、控えめに腿から股座を撫でた。
 英雄たる主の魂に紐づいた加護として生まれる守護天使は、言葉なくとも主の意図を悟ることがある。出会って数日ながら、ウェーレイキオルの言動の折々にその節はあった。彼はいつもよく察して働いた。今もそのようにして、エドアルドの欲を言い当てた。
 それはもう、彼らの知識として備わっていた。かつてエドアルドが知ったように主と天使の間にはよくあることだったので、より上手く仕えるべく、一般常識のように、与えられたのだ。
 色気の足りない直截な問いかけは、しかし十分にエドアルドの衝動を揺さぶった。
「お前たちは違うのか」
「いいえ恐らく、この体は人を模しておりますので、ある程度同様に働くはずです。酔うように――」
 食事も要らない、睡眠も要らない、しかし人に似せて作られた、人の為の体。
「如何様にでも、エドアルド様。私は貴方様の為に此処に居るのです」
 濡れた唇が囁く。熱の籠る声で言った。白く長い指が想像したとおりに着衣を解くのを、エドアルドは止められなかった。
 ウェーレイキオルは喜びを持ってエドアルドに触れた。主に触れられること、必要とされ使われることは、彼らの存在理由に直結する幸福である。興奮に勃ち上がった陰茎に臆さず、恭しく触れ――寄せられる唇に、エドアルドの体には力が籠もる。目が、離せなかった。
 掌の柔らかさ、まして柔い、唇の感触。そして、初めて触れる他者の内側、濡れた熱はどこまでもエドアルドに優しかった。
 エドアルドの欲していたものがそこにあった。肉を伴って触れた。
 守護天使は顔を伏せて咥えこむ。まるでぬかづくように、エドアルドに奉仕した。
 すべて捧げられている心地がした。委ねて、何の不安もなかった。エドアルドの望みは叶った。
「は、」
 気づけば息が上がっていた。エドアルドの体は興奮に火照り、血の流れる音まで聞こえるようだった。
 ごくりと、ウェーレイキオルの喉が動く。放たれたものすべて飲み干して、呆けたような顔をする。彼の息も上がっていた。肩を揺らして、その中でもエドアルドを窺う。エドアルドだけを見る。一途な視線に、エドアルドは嬉しすぎて苦しくなった。
 ――ああ、俺の、俺のものだ。
 押しつけられる陰茎に、ウェーレイキオルはもう一度吸いついた。残滓を啜って一心に舐め上げる。エドアルドはすぐ、再び兆した。
 二度目はエドアルドも手が伸びた。黒髪のかかる頬を擦り、髪をよけるように耳を撫でると性器を支え持つ指先がぴくりと跳ねた。試しにもう一度、薄い耳の縁を辿ってみると縋るように身が寄り添う。黒髪はどこまでも指どおりよく、さらりと流れては金の艶が溶ける。
「ん――」
 主の意を伺う瞳は蕩けた蜜色をしていた。気持ちよいのは自分だけではないのだと、エドアルドは知った。この天使も主に尽くして恍惚の中にある。
「んぐ」
 衝動のままに、エドアルドはその口に突き入れた。小さく呻いても応えるように舌は動き、エドアルドの陰茎を受け止めた。
 初めての奉仕は巧みとは言えずとも、これほどに尽くされるのは至上の快楽だった。奥まで呑み込み、突き上げるのを受け入れて、ウェーレイキオルはエドアルドの股に顔を埋めた。
 再び、濃い白濁がウェーレイキオルの口腔を打つ。
 吸い上げ、飲んで、それからまた丁寧に舐めとった。はしたなく濡れた音が立つのも気にせず。
 ――際限がない。
 また血の巡る予感に、エドアルドはウェーレイキオルの顔を引き離した。濡れた舌が名残惜しむようにして引っ込められるのがまた艶めかしかったが、一呼吸で息を整え、宣言するように言った。
「もういい」
 溺れそうになる。こんなにも尽くされて、全部許されて。
 彼は天使に対する強い欲求を、より強い理性で押し留めた。続けてはならないと思った。婚約者ともまだなのに、それは許されない。
 ウェーレイキオルはエドアルドの股から顔を見上げていたが、そう聞けばすぐに動いた。欲を吐き出したものを丁寧に拭い、下着に収めて元どおり身繕いした。そうして、また視線を上げて訊ねる。
「ご満足いただけましたか」
 一段と潤ったように見える唇を見つめて、エドアルドはやや鈍る意識で言葉を探し当てた。
「……悪くなかった」
 些かの虚勢を張って答えたのに、それで安心して笑うのがまた可愛らしくて、唇を引き結ぶ。
 堪えきれず最中のように頬を撫でてみると、ウェーレイキオルは掌に擦り寄った。
 ――この顔が一番可愛い。
 エドアルドは胸に呟いた。このときばかりは他者の評価など、客観的な視点など、無いも同然だった。天使が手に入った喜びに満たされて堪らなかった。
「ウェール……ウェーレイキオル」
 その名を呼ぶと視線が通う。ウェーレイキオルは何かとは聞き返さない。ただ次の言葉を待っている。暫らく、そうしていた。
 窓を開ければ夜風が薫る。紅茶はすっかり冷めてしまったが、誰も文句など言わなかった。
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