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第24話 ラシーラ河畔 ルナルとリリカ
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リリカ・アルゴはラシーラ河畔のベンチに座って、夕暮れの風景を見ていた。
ラシーラ川は、バミューラ山脈を水源とする大河ラスカ川の支流だ。川幅はおよそ10メートルほどで、ラシーラ村になくてはならない川。その水は農業用水、生活用水などに利用されている。
対岸には石造の建物が建ち並んでいる。このあたりはラシーラ村の中心市街地で、人口は稠密だ。リリカが座っているベンチは村役場から徒歩で15分ほどのところにある。上流にはナダ橋があり、下流にはニア橋が架かっている。
太陽が黄色く輝き、空を赤く焼いていた。
リリカは昨日までその景色を見てもなんとも思わなかったが、今日はちがう。きれいだな、と思う。
もぐらの悪魔少女と悪魔少女狩り隊との戦いを見て、心が動いた。もぐら少女の姿は鮮烈だった。
彼女はひとりで、強そうな悪魔少女狩り小隊と戦っていた。お姉さんを殺された、と言っていた。そして私に、生きて、と伝えてくれた。
初対面だったが、あの子の言葉は不思議と心に響いた。純真そうな笑顔が眩しかった。また会いたいな、と思いながら、リリカは夕陽を眺めていた。
もぞもぞ、とベンチの横の地面が動いた。大きなもぐらが顔を出した。
等身大のもぐらの姿がぐにょりと溶けて、液体のように不定形になり、すぐに13歳の美少女に変身した。土にまみれて汚れた服を着ている。
もぐらの悪魔少女、ルナル・ファロファロ。
リリカはびっくりした。また会いたい、と考えていたちょうどそのときに会えたから。
「こんにちは~。それともそろそろ、こんばんは~かな?」
「どっちでもいいわ。こんにちは。会いたいと思っていたの」
「そうなの? うれしいな~」
ルナルはリリカの隣に座った。
「今日は悪魔少女狩りのやつらにからまれなかった?」
「うん。会ってないよ。あの人たち、怖くて嫌い」
「わたしのお姉ちゃんの仇なんだ。悪いやつらだよ」
「評判悪いよね。村の女の子たちを殺して回っているんだって。みんな、あいつらを憎んでいるんだけど、小隊長が教皇様の甥で、怖くて手出しできないらしいよ」
「わたしがダダを殺すわ」
リリカはまたびっくりした。なんて勇気のある女の子なんだろう。私よりずっと年下みたいなのに。
「どうやって殺すの?」
「わかんない。昨日は落とし穴でやっつけようと思ったけれど、失敗した。これからはむこうも警戒してくるだろうから、単純な落とし穴では倒せないかも」
「私が武器を渡そうか?」
「なにか持っているの?」
「リストカットに使っているナイフなら、いまもあるよ」
リリカが水色のワンピースのポケットから、小さなナイフを取り出した。鞘から抜き出し、シャープな刃をルナルに見せる。
「ちょうだい。もうリストカットなんてしないで」
「そうね。やめられるかどうかわからないけれど、がんばってみる。ナイフはあげるわ」
「ありがとう。地面から不意打ちして、これでダダの足首を斬ってやる」
ルナルはナイフの刃を自分の左手の親指に当て、切れ味を確かめた。さして力を入れなくても、すぐに皮膚が切れ、血がたらりと流れた。
「よいナイフだね」
「軍事用のものよ。兵士のお父さんが何本かナイフを持っているんだけど、そのうちの1本を盗んだの」
「盗んだ? 怒られないの?」
「お父さんは飲んだくれなの。ナイフの管理もできない能なしの兵士なのよ」
「あはははは、なにそれ」
「私、リリカ・アルゴ。17歳よ」
リリカが、ルナルの幼さの残る笑顔を見つめながら名乗った。
「わたしはルナル・ファロファロ、13歳」
ルナルが答える。
「お姉ちゃんが17歳だったわ。やさしくて明るい人だった。大好きだったのに、ダダたちに殺されちゃった」
「怖いね、あの人たち」
「怖いよ。お姉ちゃんは蝶の悪魔少女に毒殺されたの。神聖少女騎士なんて言っているけど、女騎士たちはみんな、悪魔少女なんだよ」
「悪魔少女が悪魔少女狩りをしているの?」
「そうなの。正義の悪魔少女なんて言って、わたしたちを悪の悪魔少女と決めつけて、狩っているんだよ」
「なにそれ。ひどいね」
「ひどいよ」
「同じ悪魔少女なのに、正義とか悪とかバカみたい」
「ダダに忠誠を誓えば、正義の悪魔少女になれるんだって。あの残忍で糞みたいな男に忠誠なんて、死んでも嫌」
「嫌だよね。あの男、人でなしだよ。目を見ればわかる。お父さんと同じよ。女を物だと思ってる」
今度はルナルが驚く番だった。彼女は目を見開いた。
「リリカのお父さんも人でなしなの?」
「そうよ。大酒飲みで、家の中では乱暴者。毎日、私やお母さんを殴るの。そのくせ小心者で、外では臆病なのよ。長年、兵士をやっているけれど、下士官にもなれないの。無能な兵士で、有害な父親よ。死ねばいいのに」
リリカが激しい口調で言う。ルナルはそんな家庭があるんだと知って、暗い気持ちになった。ステラが殺されるまで、ファロファロ家の雰囲気は温かかった。あの家に帰りたい……。
「自分の家にいると、私自身が死にたくなってくるの。それで、手首を切ってしまう」
「死なないで、リリカ」
「死なないわ。私、ルナルが好きになっちゃった。友だちになってくれる?」
ルナルは心の底からびっくりした。初等学校でいじめられるようになって以来、新しく友だちができたことなんてない。
「え? え? わたし、悪魔少女だし、もぐらが大好きな変な子だよ?」
「もぐらが好きな悪魔少女なのね。素敵な個性だわ」
「素敵? 個性? そんなふうに言われたのは初めて……」
「あなたは唯一無二だわ。心やさしい悪魔少女。ねえ、友だちになってよ」
「うん。こんなわたしでよかったら」
「私の方こそ、リストカッターの暗い女だけど、よいかしら?」
「いい! 新しくできたお姉ちゃんだと思って付き合いたい」
「あなたのお姉さんのかわりにはなれないけれど、けっして裏切ったりはしないわ」
「うれしいな。また会いにくるね」
「うん。私、よくこのベンチに座っているから、話しに来て。そのうち、家にも案内するわ。お父さんがいない時刻に」
「楽しみにしてるね!」
翌日の日中、ルナルはダダたちの行動をこっそりと観察しながら過ごした。相変わらず、ひどいことをしていた。
肉屋の娘ノンナ・コロンが羊を捌いているとき、殺し方が残酷だ、悪魔少女にちがいないと言いがかりをつけて、牢屋に連れていった。めちゃくちゃだ、とルナルは思った。
どうやってダダを殺そう?
また落とし穴をつくろうか?
落ちた瞬間にナイフで足首の腱を斬ってやる。そして、今度こそ地底に引きずり込む。
生き埋めにしてやる……。
午後3時頃、悪魔少女狩り小隊はホテルに帰っていった。
それを見届けてから、ルナルはラシーラ河畔のベンチへ行った。リリカが座って、滔々と流れる川面を見つめていた。
「こんにちは、リリカ」
「こんにちは、ルナル。また会えてうれしいわ」
「それはこちらの台詞だよ、新しいお姉ちゃん」
「うふふ。ルナルのいいお姉さんになれるかなあ?」
「なってよ!」
「努力するわね。今日はお母さんが焼いてくれたクッキーを持ってきたのよ」
「うわあ、クッキーなんて久しぶりだよ。いつもミミズや幼虫を食べているから」
「もぐらの悪魔少女はミミズを食べるのね。美味しいの?」
「美味しいよ!」
「そうなの? ふふっ、やっぱりあなたは個性的ね」
リリカは黒い肩掛け鞄から紙袋を取り出した。その中には砂糖とバターの匂いがするクッキーがたくさん入っていた。
「食べていい?」
「どうぞ」
「いただきまーす」
ルナルはクッキーをひと口サクッと噛んだ。甘くて、舌がとろけるようだった。人間の食べ物を味わうのは、姉を失った最悪の日以来のことだ。
彼女は夢中になって2枚、3枚と食べた。
「美味しいよ~。すごく美味しい~」
「全部食べてもいいわよ」
「えっ、それはさすがに悪いよ」
「私は家で食べられるから。お父さんはひどい人だけど、お母さんはやさしいのよ」
「リリカのお母さんに会いたい」
「お母さんなら、もぐらの悪魔少女だって受け入れられると思う。とっても心が広いから。あーあ、お母さんが離婚してくれたらいいのになあ」
「すればいいと思う。どうしてしないの?」
「離婚の話を切り出したことはあったのよ。でも、お父さんが暴れたの。絶対に離婚しない、2度と言うな、言ったら殺すぞ、なんてわめくの」
「ひどいね」
「どうしようもないろくでなしよ。お母さんはとてもいい人だけど、男を見る目だけはなかったのね、残念。もっとも、ふたりが結婚していなかったら、私は生まれていないけれど」
「理不尽ね」
「この世は理不尽よ」
「でもこのクッキーは最高ね」
ルナルは本当にひとりで全部食べ尽くす勢いだった。リリカは妹を見守るように、やさしいまなざしを向けている。
「世界は嫌なことで満ちている。でも、リリカとの出会いやこのクッキーのように、よいこともある」
「そうね。ルナルとの出会いのように、素敵なこともある。嫌なことの方が多いのが、やっぱり理不尽だけどね」
「ダダを殺して、この世の不正をひとつなくすわ」
「気をつけてね」
ふたりは太陽が遠くの山脈に落ちるまで、談笑しつづけていた。
河畔のベンチを建物の陰からそっと見つめている人影があった。
ホテルから再び外出したダダとその配下たち。
「あのふたり、親しくなっていたのか。これはいいぞ。罠を仕掛けよう」
「どんな罠ですか」
「おまえの異能を使おう」
ダダとシャンが小声で密談するのを、ユウユウは不安そうに聞いていた。
ルナルを殺されたくない。
しかし、いまは反対できる立場ではなかった。
この世界はどこまで行っても理不尽だ……。
翌朝、ルナルはベンチのそばの地面から顔を出した。
リリカが座っていた。朝からいるのはめずらしい。
「おはよう、リリカ」
「おはよう、ルナル」
あいさつを交わし、ルナルは大好きな友だちの隣に腰掛けた。
「昨日はクッキーをどうもありがとう。とても美味しかったよ」
「そう。では今度はこれなどいかが?」
リリカは鞄からシュークリームを取り出した。昨日とはちがう赤い鞄。
「うわあ、すごいや。シュークリームなんて、お誕生日にしか食べられなかったよ! もらっていいの?」
「いいわよ。最後のシュークリームだと思って、味わって食べなさい」
「?」
ルナルは微かな違和感を感じたが、シュークリームの誘惑には勝てなかった。すぐに食べ始めた。
「美味しいよ! もう死んでもいいくらい美味しいよ」
「では死になさい」
リリカが赤い鞄から、一昨日とは別のナイフを取り出して、ルナルの胸に刃を向けた。
「リリカ? いったい?」
ルナルが戸惑って、食べるのをやめた。シュークリームはまだ半分残っている。
リリカが躊躇なくもぐらの悪魔少女の心臓をナイフで突き刺した。
「あがっ」
ルナルはシュークリームを取り落とした。
「どうして……? 裏切らないって言ったのに……」
「この世は理不尽にできているって、知っているでしょう?」
ルナルは、最期まで信じられないという表情で死んでいった。
リリカが一瞬どろどろに溶け、すぐにシャンの姿になった。
建物の陰から、ダダ、ノナ、ユウユウ、アモンが現れた。
ユウユウはまるで自分が死んでしまったような沈鬱な顔をしていた。完全に涙目になっているが、ダダの前では泣けないと思ってかろうじて堪えていた。
「見事だ、シャン。変身の悪魔少女」
シャンの異能は、他の人間に変身できることだった。声まで完全にコピーできる。
リリカ・アルゴになりすまし、もぐらの悪魔少女ルナル・ファロファロを抹殺した。
ノナとアモンが、ルナルの死体をラシーラ川へ放り投げた。
シャンはベンチについた血をハンカチで拭き取った。
その日の午後、本物のリリカは、いつまでも来ないルナルを日が暮れても待ちつづけていた。
ラシーラ川は、バミューラ山脈を水源とする大河ラスカ川の支流だ。川幅はおよそ10メートルほどで、ラシーラ村になくてはならない川。その水は農業用水、生活用水などに利用されている。
対岸には石造の建物が建ち並んでいる。このあたりはラシーラ村の中心市街地で、人口は稠密だ。リリカが座っているベンチは村役場から徒歩で15分ほどのところにある。上流にはナダ橋があり、下流にはニア橋が架かっている。
太陽が黄色く輝き、空を赤く焼いていた。
リリカは昨日までその景色を見てもなんとも思わなかったが、今日はちがう。きれいだな、と思う。
もぐらの悪魔少女と悪魔少女狩り隊との戦いを見て、心が動いた。もぐら少女の姿は鮮烈だった。
彼女はひとりで、強そうな悪魔少女狩り小隊と戦っていた。お姉さんを殺された、と言っていた。そして私に、生きて、と伝えてくれた。
初対面だったが、あの子の言葉は不思議と心に響いた。純真そうな笑顔が眩しかった。また会いたいな、と思いながら、リリカは夕陽を眺めていた。
もぞもぞ、とベンチの横の地面が動いた。大きなもぐらが顔を出した。
等身大のもぐらの姿がぐにょりと溶けて、液体のように不定形になり、すぐに13歳の美少女に変身した。土にまみれて汚れた服を着ている。
もぐらの悪魔少女、ルナル・ファロファロ。
リリカはびっくりした。また会いたい、と考えていたちょうどそのときに会えたから。
「こんにちは~。それともそろそろ、こんばんは~かな?」
「どっちでもいいわ。こんにちは。会いたいと思っていたの」
「そうなの? うれしいな~」
ルナルはリリカの隣に座った。
「今日は悪魔少女狩りのやつらにからまれなかった?」
「うん。会ってないよ。あの人たち、怖くて嫌い」
「わたしのお姉ちゃんの仇なんだ。悪いやつらだよ」
「評判悪いよね。村の女の子たちを殺して回っているんだって。みんな、あいつらを憎んでいるんだけど、小隊長が教皇様の甥で、怖くて手出しできないらしいよ」
「わたしがダダを殺すわ」
リリカはまたびっくりした。なんて勇気のある女の子なんだろう。私よりずっと年下みたいなのに。
「どうやって殺すの?」
「わかんない。昨日は落とし穴でやっつけようと思ったけれど、失敗した。これからはむこうも警戒してくるだろうから、単純な落とし穴では倒せないかも」
「私が武器を渡そうか?」
「なにか持っているの?」
「リストカットに使っているナイフなら、いまもあるよ」
リリカが水色のワンピースのポケットから、小さなナイフを取り出した。鞘から抜き出し、シャープな刃をルナルに見せる。
「ちょうだい。もうリストカットなんてしないで」
「そうね。やめられるかどうかわからないけれど、がんばってみる。ナイフはあげるわ」
「ありがとう。地面から不意打ちして、これでダダの足首を斬ってやる」
ルナルはナイフの刃を自分の左手の親指に当て、切れ味を確かめた。さして力を入れなくても、すぐに皮膚が切れ、血がたらりと流れた。
「よいナイフだね」
「軍事用のものよ。兵士のお父さんが何本かナイフを持っているんだけど、そのうちの1本を盗んだの」
「盗んだ? 怒られないの?」
「お父さんは飲んだくれなの。ナイフの管理もできない能なしの兵士なのよ」
「あはははは、なにそれ」
「私、リリカ・アルゴ。17歳よ」
リリカが、ルナルの幼さの残る笑顔を見つめながら名乗った。
「わたしはルナル・ファロファロ、13歳」
ルナルが答える。
「お姉ちゃんが17歳だったわ。やさしくて明るい人だった。大好きだったのに、ダダたちに殺されちゃった」
「怖いね、あの人たち」
「怖いよ。お姉ちゃんは蝶の悪魔少女に毒殺されたの。神聖少女騎士なんて言っているけど、女騎士たちはみんな、悪魔少女なんだよ」
「悪魔少女が悪魔少女狩りをしているの?」
「そうなの。正義の悪魔少女なんて言って、わたしたちを悪の悪魔少女と決めつけて、狩っているんだよ」
「なにそれ。ひどいね」
「ひどいよ」
「同じ悪魔少女なのに、正義とか悪とかバカみたい」
「ダダに忠誠を誓えば、正義の悪魔少女になれるんだって。あの残忍で糞みたいな男に忠誠なんて、死んでも嫌」
「嫌だよね。あの男、人でなしだよ。目を見ればわかる。お父さんと同じよ。女を物だと思ってる」
今度はルナルが驚く番だった。彼女は目を見開いた。
「リリカのお父さんも人でなしなの?」
「そうよ。大酒飲みで、家の中では乱暴者。毎日、私やお母さんを殴るの。そのくせ小心者で、外では臆病なのよ。長年、兵士をやっているけれど、下士官にもなれないの。無能な兵士で、有害な父親よ。死ねばいいのに」
リリカが激しい口調で言う。ルナルはそんな家庭があるんだと知って、暗い気持ちになった。ステラが殺されるまで、ファロファロ家の雰囲気は温かかった。あの家に帰りたい……。
「自分の家にいると、私自身が死にたくなってくるの。それで、手首を切ってしまう」
「死なないで、リリカ」
「死なないわ。私、ルナルが好きになっちゃった。友だちになってくれる?」
ルナルは心の底からびっくりした。初等学校でいじめられるようになって以来、新しく友だちができたことなんてない。
「え? え? わたし、悪魔少女だし、もぐらが大好きな変な子だよ?」
「もぐらが好きな悪魔少女なのね。素敵な個性だわ」
「素敵? 個性? そんなふうに言われたのは初めて……」
「あなたは唯一無二だわ。心やさしい悪魔少女。ねえ、友だちになってよ」
「うん。こんなわたしでよかったら」
「私の方こそ、リストカッターの暗い女だけど、よいかしら?」
「いい! 新しくできたお姉ちゃんだと思って付き合いたい」
「あなたのお姉さんのかわりにはなれないけれど、けっして裏切ったりはしないわ」
「うれしいな。また会いにくるね」
「うん。私、よくこのベンチに座っているから、話しに来て。そのうち、家にも案内するわ。お父さんがいない時刻に」
「楽しみにしてるね!」
翌日の日中、ルナルはダダたちの行動をこっそりと観察しながら過ごした。相変わらず、ひどいことをしていた。
肉屋の娘ノンナ・コロンが羊を捌いているとき、殺し方が残酷だ、悪魔少女にちがいないと言いがかりをつけて、牢屋に連れていった。めちゃくちゃだ、とルナルは思った。
どうやってダダを殺そう?
また落とし穴をつくろうか?
落ちた瞬間にナイフで足首の腱を斬ってやる。そして、今度こそ地底に引きずり込む。
生き埋めにしてやる……。
午後3時頃、悪魔少女狩り小隊はホテルに帰っていった。
それを見届けてから、ルナルはラシーラ河畔のベンチへ行った。リリカが座って、滔々と流れる川面を見つめていた。
「こんにちは、リリカ」
「こんにちは、ルナル。また会えてうれしいわ」
「それはこちらの台詞だよ、新しいお姉ちゃん」
「うふふ。ルナルのいいお姉さんになれるかなあ?」
「なってよ!」
「努力するわね。今日はお母さんが焼いてくれたクッキーを持ってきたのよ」
「うわあ、クッキーなんて久しぶりだよ。いつもミミズや幼虫を食べているから」
「もぐらの悪魔少女はミミズを食べるのね。美味しいの?」
「美味しいよ!」
「そうなの? ふふっ、やっぱりあなたは個性的ね」
リリカは黒い肩掛け鞄から紙袋を取り出した。その中には砂糖とバターの匂いがするクッキーがたくさん入っていた。
「食べていい?」
「どうぞ」
「いただきまーす」
ルナルはクッキーをひと口サクッと噛んだ。甘くて、舌がとろけるようだった。人間の食べ物を味わうのは、姉を失った最悪の日以来のことだ。
彼女は夢中になって2枚、3枚と食べた。
「美味しいよ~。すごく美味しい~」
「全部食べてもいいわよ」
「えっ、それはさすがに悪いよ」
「私は家で食べられるから。お父さんはひどい人だけど、お母さんはやさしいのよ」
「リリカのお母さんに会いたい」
「お母さんなら、もぐらの悪魔少女だって受け入れられると思う。とっても心が広いから。あーあ、お母さんが離婚してくれたらいいのになあ」
「すればいいと思う。どうしてしないの?」
「離婚の話を切り出したことはあったのよ。でも、お父さんが暴れたの。絶対に離婚しない、2度と言うな、言ったら殺すぞ、なんてわめくの」
「ひどいね」
「どうしようもないろくでなしよ。お母さんはとてもいい人だけど、男を見る目だけはなかったのね、残念。もっとも、ふたりが結婚していなかったら、私は生まれていないけれど」
「理不尽ね」
「この世は理不尽よ」
「でもこのクッキーは最高ね」
ルナルは本当にひとりで全部食べ尽くす勢いだった。リリカは妹を見守るように、やさしいまなざしを向けている。
「世界は嫌なことで満ちている。でも、リリカとの出会いやこのクッキーのように、よいこともある」
「そうね。ルナルとの出会いのように、素敵なこともある。嫌なことの方が多いのが、やっぱり理不尽だけどね」
「ダダを殺して、この世の不正をひとつなくすわ」
「気をつけてね」
ふたりは太陽が遠くの山脈に落ちるまで、談笑しつづけていた。
河畔のベンチを建物の陰からそっと見つめている人影があった。
ホテルから再び外出したダダとその配下たち。
「あのふたり、親しくなっていたのか。これはいいぞ。罠を仕掛けよう」
「どんな罠ですか」
「おまえの異能を使おう」
ダダとシャンが小声で密談するのを、ユウユウは不安そうに聞いていた。
ルナルを殺されたくない。
しかし、いまは反対できる立場ではなかった。
この世界はどこまで行っても理不尽だ……。
翌朝、ルナルはベンチのそばの地面から顔を出した。
リリカが座っていた。朝からいるのはめずらしい。
「おはよう、リリカ」
「おはよう、ルナル」
あいさつを交わし、ルナルは大好きな友だちの隣に腰掛けた。
「昨日はクッキーをどうもありがとう。とても美味しかったよ」
「そう。では今度はこれなどいかが?」
リリカは鞄からシュークリームを取り出した。昨日とはちがう赤い鞄。
「うわあ、すごいや。シュークリームなんて、お誕生日にしか食べられなかったよ! もらっていいの?」
「いいわよ。最後のシュークリームだと思って、味わって食べなさい」
「?」
ルナルは微かな違和感を感じたが、シュークリームの誘惑には勝てなかった。すぐに食べ始めた。
「美味しいよ! もう死んでもいいくらい美味しいよ」
「では死になさい」
リリカが赤い鞄から、一昨日とは別のナイフを取り出して、ルナルの胸に刃を向けた。
「リリカ? いったい?」
ルナルが戸惑って、食べるのをやめた。シュークリームはまだ半分残っている。
リリカが躊躇なくもぐらの悪魔少女の心臓をナイフで突き刺した。
「あがっ」
ルナルはシュークリームを取り落とした。
「どうして……? 裏切らないって言ったのに……」
「この世は理不尽にできているって、知っているでしょう?」
ルナルは、最期まで信じられないという表情で死んでいった。
リリカが一瞬どろどろに溶け、すぐにシャンの姿になった。
建物の陰から、ダダ、ノナ、ユウユウ、アモンが現れた。
ユウユウはまるで自分が死んでしまったような沈鬱な顔をしていた。完全に涙目になっているが、ダダの前では泣けないと思ってかろうじて堪えていた。
「見事だ、シャン。変身の悪魔少女」
シャンの異能は、他の人間に変身できることだった。声まで完全にコピーできる。
リリカ・アルゴになりすまし、もぐらの悪魔少女ルナル・ファロファロを抹殺した。
ノナとアモンが、ルナルの死体をラシーラ川へ放り投げた。
シャンはベンチについた血をハンカチで拭き取った。
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