クリスの魔法の石

夏海 菜穂(旧:Nao.)

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第1章 ◆ はじまりと出会いと

48. 校外学習⑤

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 さっきまでの砂埃が嘘のように視界が開けて、竜巻が消えたその場所に、すすなのか泥かで汚れた水色の髪の女の人が俯いて立っていました。
 その髪の色でなかったら、エレナさんと気がつかなかったかもしれません。
 服装は血まみれで、いたるところに傷があるのがわかります。右の腕は力が入らないのか、だらりと降ろされていました。
 その様子から、あのきれいだった淡い水色の髪は血で染まって黒くなっているんだとわかりました。

「エレ、ナさ…ん、どう…したの?」

 力なく立っているエレナさんに呼びかけます。
 でも声が震えて、ちゃんと届いたかどうかわかりませんでした。

「クリス、知り合いか?」

 クロードお兄ちゃんがエレナさんに目を向けたまま問いかけてきました。
 それに小さく頷くと、お兄ちゃんの緊張感が大きくなったような気がしました。

「エレナさんは、私達がおでかけの時に助けてくださったランドエルフで、オルデンの騎士様です」
「だいぶ怪我してるみてーだけど、エルフはあれくらいじゃ死なない。問題は、なんでこんなことして来るのか、だな」

 私の左側にいたリィちゃんがお兄ちゃんにエレナさんについて簡単に説明してくれました。
 それに続いて、カイト君も状況を観察するように言います。

「……そうだな。リリーちゃんとカイト君は気がついてるかもしれないが…かなり歪な魔力が彼女を覆っている」

 お兄ちゃんが呟くようにそう言うと、リィちゃんとカイト君はそれに頷きました。
 エレナさんを覆っている魔力が見えている三人にびっくりします。私には全然見えないから。
 さっきから変な空気がまとわりつくように漂っているのはわかるのですが、これが魔力なのでしょうか?

 静かすぎて耳が痛くなるような感覚の中、先に動いたのはエレナさんでした。
 俯いた状態から顔を上げたエレナさんの目は、いつもの鮮やかな野イチゴ色ではなく、どんな光も吸い込んでしまいそうな真っ黒な色をしていました。

「……に、っ……て…」

 何かを呟いたかと思うと、左腕が上へと掲げられ、無数の風の矢がエレナさんの周りに出現しました。
 そして、そのまま左腕が降ろされてその手のひらがこっちに向けられると、矢が瞬く間に放たれていきます。

 あの風の矢は、エレナさんの魔法だったの!?

 さっきよりも本数が増えて、掃っても掃ってもその本数は減る気配がありません。
 その上、矢の勢いも増してきて私達を庇うお兄ちゃんの顔に焦りが滲みます。
 お兄ちゃんの戦闘力なら、こんな攻撃くらい剣技で一掃できるのですが、エレナさんが私達の顔見知りということで本気が出せないのです。
 それでもエレナさんが矢を放ち続けていれば、いずれ魔力が尽きて矢が止まるかもしれない…。
 きっとお兄ちゃんはそれを狙っているんだと思いました。

 だけど、このままじゃ…。

 ちょっとの隙で鋭い風の矢がお兄ちゃんの服を掠めていきます。矢の攻撃は止まることなく迫ってくるので、休む間もありません。
 エレナさんの魔力が尽きるのを待っていては、お兄ちゃんの限界がきてしまいます。
 せめて、お兄ちゃんの攻撃魔法の「光の刃」でエレナさんを動けなくできたら、何とかなるかもしれない。
 そのためには、お兄ちゃんが魔法を詠唱できる時間を稼がないといけません。
 でも、ここにはそんな時間稼ぎができるような力を持った者はいませんでした。
 どうしてか、私達以外誰もいないのです。助けを呼ぶこともできないと思いました。

「…っぐ!」

 その時、お兄ちゃんの右肩に風の矢が刺さりました。そのまま崩れるように膝を折ります。
 血は出ていないけど、とてもお兄ちゃんが痛そうな顔をしているので、もしかしたら神経に作用する矢なのかもしれない。
 そう思った瞬間に、お兄ちゃんの背中で護られていた私達が矢の標的にされます。
 とっさにエレナさんの方を見れば、左手は私達に向けられたまま微動だにしていませんでした。
 でも、よく見るとエレナさんの虚ろな目には涙が。

 エレナさんが泣いてる。

 それを見た瞬間、体が熱くなって気がつけばお兄ちゃんの前に飛び出していました。
 その突然の行動に、お兄ちゃん達はびっくりして動けない様子でした。


「エレナさんっ!!もう、やめて!!」


 無数の矢が私を射抜こうとした瞬間、ぴたりとその動きを止めました。
 でも、ガタガタとその場で震え、今にも私を貫こうとしています。
 それにはっとして、もう一度エレナさんを見たら、エレナさんの左手が震えていました。

「…っ、クリ、す…ちゃ……」

 合わされたその目は、いつもの野イチゴのような色でした。
 それは右目だけだったけれど。
 その様子に、エレナさんの意識が一時的に戻ってきたのだと思いました。

 エレナさん、本当はこんなことしたくないんだ!
 まだ完全ではないけど、このままエレナさんの意識を取り戻すことができたら、誰も傷つかなくて済むかもしれない!

「エレナさん!ひどい怪我だけど、どうしたの!?」
「…っ、ううぅ、…っく、…っ」
「エレナさん!エレナさんっ!」

 エレナさんの意識が飛ばないように、何度も名前を呼びました。
 エレナさんも、何かに苦しみながらも必死に風の矢を止めているようでした。
 自分で魔法の解除ができないということは、何かしらの魔力干渉に遭っているということを意味していました。
 その魔法は、魔法について勉強していた時に偶然見つけた限定魔法に分類されていた危険な魔法の一つです。
 干渉を断ち切るには、その干渉に遭っている者が死ぬか、干渉者を見つけて倒すか、大体その二択です。
 もう一つ道があるにはあるのですが、それは確実なものではないし、その魔法を使える人はごく稀だと言われています。
 ここに精霊さんがいれば話は別なんだろうけど…。

 選択肢は二つ。
 だけど、エレナさんを攻撃できるわけない。
 かと言って、干渉者がどこにいるのかわからない。

 今ここには、選択肢なんてないのだと思いました。

 だめっ!考えなくちゃ!
 考えて、考えて、私!
 何のために魔法の勉強をしてきたの!?
 魔法が使えなくても、魔法に対抗できるようにするためだったはず!

 後ろ向きな思考を振り払うように首を振りました。
 その勢いのまま振り返れば、まだ矢が刺さったままの肩を押さえているお兄ちゃんとそれを支えるリィちゃんとカイト君の姿が。
 二人とも、なんとも言えない複雑な表情をしていて、どこか迷っているようにも見えました。

 目の前の矢はじりじりと私に近づいてきます。
 それは、エレナさんの限界が近づいてきていることを示していました。

 もう、考えてる暇なんてない。
 どうすれば―――――……


 ―『エヴァン先生から預かったものだ。困ったことが起きたら開けるようにと伝言もな』―

 ―『中身は知らないが、エヴァン先生のことだ、きっとクリスさんの助けになるものを入れてくれていると思うぞ』―


 もうだめだと思った瞬間、リスト先生の言葉が頭に響いて迷わず左ポケットに入れていた巾着袋を取り出します。
 相変わらず、何も入っていないみたいに軽い。だけど、もう頼るものがこれしかない。これに賭けるしかない!

「お願いっ!!エレナさんを助けて!!」

 そう叫んで、巾着袋をエレナさんの方へと放り投げました。
 その勢いで巾着袋の紐がほどけて、口が開きます。
 すると、眩い光が辺りを包みました。
 それに目を開けていられず、顔に手をかざします。

『あははっ。やっと呼んでくれたわね。任せてクリス』

 光の中から聞き覚えのある声がして、思わず目を開けてしまいました。
 そこにいたのは、淡い黄色の蝶のような羽を持つきれいなお姉さんでした。
 羽から零れる光の粒が辺りを漂って、焦っていた気持ちとか不安な気持ちがだんだん収まってきます。
 その零れる光は、私が知っている妖精さんと同じだと思いました。

 あれ?待って、私が知っているのは、もっと小さかったはず。

 呆けたように見上げていると、その人は拗ねた顔で文句を言いました。

『なあに?わたしが誰だかわからないってことないわよね?光妖精のフェルーテよ』
「えっ、えええええっ!!!?」

 びっくりした私の声に、フェルーテちゃん(?)の肩がびくりと動きます。

『ちょっと…そんなに驚くこと?』
「だ、だってだって!大きくなってる!小さかったのがきれいなお姉さんになってたら誰だってびっくりするよ!!」

 今目の前にいるフェルーテちゃんの姿は、きれいな長髪を先の方だけ緩く三つ編みにして、頭には光で編んだような冠をしていました。
 よくよく見れば、小さい姿の時と同じようなデザインの服を着ていることに気づきました。
 なるほど。大人になると、丈が伸びてエンパイアドレスになるのですね。
 小さいフェルーテちゃんもかわいかったけど、大人な女性の姿もとても魅力的でした。

『ふふーん♪その点では成功したわね。言ってなかったけど、こっちがわたしの本当の姿よ』

 ええええええっ。
 もうびっくり以外、何の反応もできません。
 完全に頭が追い付かないでいると、フェルーテちゃんの顔が真剣なものに変わります。

『で。遊びはここまでにして…。この場所、空間魔法で閉じ込められてるじゃない。何をやってるのよ、エヴァンは…』

 なんと、私達は空間魔法で閉じ込められていたようでした。
 なるほど、だから私達以外誰もいなかったんですね。
 みんなの声が急に聞こえなくなったのも納得です。

 フェルーテちゃんは、ここにいないエヴァン先生に文句を言いながら、ぱっと私に向かっていた矢を全て消してしまいました。
 そのあまりにも何気ない動きのせいで、一瞬何が起きたのかわかりませんでした。
 フェルーテちゃんは虫を払いのけるように手をひらりと動かしただけだったのに、それだけで無数の矢の魔法を解除したのです。

 あれだけの苦労をちょっと手を払っただけで…。
 フェルーテちゃんって、もしかして妖精の中でも上の方の等級にいる妖精なのかな?
 それとも、妖精の力は想像していた以上に人よりも桁違いに強いとか?

 フェルーテちゃんの力にびっくりしながら、こんなに簡単に解除できるならもっと早く巾着袋を出せばよかったと後悔しました。
 そうすれば、お兄ちゃんも痛い思いをせずに済んだかもしれない。お兄ちゃん、ごめんなさい…。

 お兄ちゃん達の方を振り返れば、右肩の矢が消えていました。
 それにほっとしていると、フェルーテちゃんがエレナさんを見つめながら言いました。

『それで、あのエルフ大丈夫なの?随分とボロボロだけど…』
「そうだ!エレナさんっ!!」

 いくらびっくりしていたとはいえ、エレナさんのことを忘れていた自分を殴りたい。 
 フェルーテちゃんは、『この空気…なんだか嫌な予感がするわね』と呟きながら、何かを警戒するように周りを見渡しています。
 
 エレナさんは、魔法が解除されたことでその場に座り込んでいました。
 それでも何かに苦しんでいるようで、左目もあの真っ黒な色のままです。
 その目の色にはっと気がつきます。

 どうして気がつかなかったんだろう。
 あの目の色、あの子と同じだ。




 学校の図書室で会った、白髪の黒い目をした男の子と。



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