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第2章 ◆ 見えるものと見えないものと
16. 不思議な部屋④
しおりを挟むドロリと溶け出したような体に、腐ったような臭い。近寄るには勇気がいる見た目。
その様子を改めてよく見れば、最初に会った黒いものとはどこか違うかもしれないと思いました。
目の前の黒い存在は私達を前に何をするでもなく、ただただそこに立っています。
ときどき空気が抜けるような音がするのは、頭がないからでしょうか。
…怖いものではない、のかな。
そう思って、リィちゃんの背中から前へ一歩踏み出して目の前の存在に近づいてみます。
背にしたリィちゃんが私の名前を叫んだけど、黒い存在が私に向かってゆっくりお辞儀をしたような気がしました。
その傾く体に思わず手を触れると、何かが私の中に入ってきました。
「…っ!?」
「クリスちゃん!!」
何かが体を駆け巡るように広がっていく感覚に眩暈を感じながら、これは魔力だ、と根拠もないけどそう確信しました。
思わず黒い存在に触れた手は、どうしてかその体に吸い付くようにして離れませんでした。
そのまま立っていられなくなって、がくんっとその場に座り込みます。
「クリスちゃんっ、大丈夫!?」
「だ、だい、じょうぶ…」
慌てた様子でリィちゃんが私の肩を支えてくれました。
駆け巡る魔力に酔いそうになりましたが、それがだんだん気にならなくなって、大きく息を吸って吐き出します。
ドロリとした魔力は私の体を通ると、また目の前の存在に戻っていきました。
その感覚にどこか覚えがある気がしたけど、その思考も手が離れたことによって頭から抜けていきました。
目を上げるとそこには何もなくて、さっきまでいた黒い存在も跡形もなくいなくなっていました。
「ど、どこにいったの…?」
あんな大きな存在が一瞬で消えてしまったことにびっくりして辺りを見回しましたが、魔宝石の光と私達しかいませんでした。
リィちゃんもびっくりしたような表情をしています。でも、それは黒い存在に対してではなく、私に向けられていました。
「…クリスちゃん…まさか…」
「え?」
どうしたの、と首を傾げたら、リィちゃんは目を閉じて首を振りました。
「なんでもないわ。今は目の前のことを考えましょう」
「…?」
とても気になったけど、今はリィちゃんの言う通りだ。
小さく頷いて、再び辺りを見回します。
またあの黒い存在が出てくるかもしれないと思いながら光の向こうの闇を見つめていると、ピシリと何かが割れるような音がしました。
リィちゃんも気がついたようで、お互いに視線を合わせたその瞬間、雷が落ちたような大きな音が響き渡りました。
そのあまりのことに2人で耳を塞いでその場に座り込みます。
「な、何が起きてるの!?」
「クリスちゃん、空間が歪んでるみたいだわ!」
バリバリバリと大きな音があちこちで鳴り響いて、床も揺れているような感覚になります。
リィちゃんが空間と言ったので、これはそれが崩れている音なのでしょうか?
一番大きな音が響くと、それを最後にぱたりと一切の音が止みました。
しんとした空気にゆっくり顔を上げると、目に映ったのはもう暗闇ではありませんでした。
「…武器庫?」
リィちゃんと辺りを見回して確かめてみると、いつの間にか私達は寮の武器庫に戻ってきていました。
私が畳んでおいた布団があるから、間違いありません。
「空間が崩れたから帰って来れたのかな?」
「そうかもしれないわね」
でも、どうして急に空間が崩れたんだろう?
あの黒い存在がいなくなったから?
ロジーちゃん達は?あの黒い魔剣は?
奥にある部屋の扉の方を見ましたが、そこには棚しかなく、ひっそりとあったあの扉はありませんでした。
ロジーちゃん達に言われた時は確かにそこにあったはずなのに。
一人で首を傾げていると、外が騒がしくなってきました。
出入り口の扉へと視線を向ければ、ルルーシア先輩とルミナさんの声が聞こえてきます。
「ルミナ、クリスは本当に武器庫にいるのか?さっき探した時はいなかったぞ?」
『今度は大丈夫だ。ほら、耳がいいシーニーがここにいると言っておるのだから間違いない』
『クリス~~~!!大丈夫~!?』
ハイテンションな声で呼ばれて、緊張が一気に抜けます。そのままリィちゃんと笑ってしまいました。
武器庫の扉を開けて、一番最初に目にしたのはルルーシア先輩でした。
先輩はとてもびっくりした顔をしていましたが、困ったように笑って私のおでこをこつんと小突いてきました。
「クリス、どこに行っていたんだ?夕食の時も点呼の時間にも部屋にいなかったし、探し回ったぞ。契約獣達も心配していたんだからな」
「ごめんなさい…って、点呼の時間!?」
すぐこの場に時計はありませんが、窓の外の暗さを見れば昼間ではないことはわかりました。
廊下の明かりも足元しかついていなかったので、消灯時間も過ぎているということになります。
妖精さん達に武器庫に連れて来られてから、10時間も経ってたの!!?
あの空間ではそんなに時間は感じなかったのに…。
自分が長い時間いなくなっていたことに気づいて、勢いよく頭を下げて謝ります。
「先輩、本当にごめんなさい。これにはわけがあって…」
「ああ、わかっている。とりあえず、今日はもう遅い。部屋に戻れ」
寮の規則を破ってしまったから怒られると思ったけど、先輩は首を振って、部屋に帰るようにと背中を押してきました。
先輩の顔は怒ってはいるのですが、怖いものではなくてどこか心配そうな感情が見えました。
その不器用な先輩の優しさに、胸が温かくなります。
「先輩、ありがとうございます。明日、ちゃんと報告します」
「ああ。誰かは知らないが、その従属しているエルフも今晩だけは部屋に泊めてもいい」
先輩はリィちゃんを見てそう言うと、ルミナさんとそのまま自分の部屋へ帰ってしまいました。
何事もなかったかのように静かになり、さっきまで騒いでいたシーニーに視線を落とします。
その青い目は、じっと私を見つめていました。
それは私をと言うより、何かを見透かしているようなものでした。
「シーニー…?」
『クリス、おかえり~。フォルトも寮の外で待ってるよ。迎えに行こう!』
シーニーはそう言ってにこっと笑うと、私の肩の上に飛び乗ってきました。
その様子はいつものハイテンションなシーニーで、さっきまでの静かに見通すような目をしていたのが嘘のようです。
気になるけど、フォルトを待たせているようだったのでリィちゃんと一緒に急いで寮の外に迎えに行きました。
ずっと待っていてくれたその親友は、扉の前で寂しそうな背中を向けて外を眺めていました。
意識が外に向いているせいなのか、私がこんなに近くにいることに気づいていないようです。
その後ろ姿に堪らなくなって、後ろから抱きつきます。
「フォルト!」
『おわっ!?クリス!…と、リリー!?』
「久しぶりね、お邪魔してるわ」
抱きつかれたフォルトは、顔だけこっちに向けるとリィちゃんが一緒にいることにびっくりしていました。
リィちゃんはここにいるのが当たり前のように笑顔でフォルトに答えています。
うん。私もびっくりしたよ。
あの時は流されてうやむやになったけど、リィちゃんには訊かなきゃいけないことがある。
自分の部屋に戻って、リィちゃん、フォルト、シーニーに並んで座ってもらいます。
これだけ入ると、一人部屋では狭く感じました。
「初めにフォルトとシーニーには心配かけてごめんなさい。話すと長くなるんだけど、聞いてほしい」
頷いた2人を見て、武器庫であったことを説明しました。
ときどきリィちゃんも補足してくれて、あらかたの説明が終えた頃、フォルトが大きなため息をつきました。
『俺もクリスの気配が消えて焦った。まさか別の空間にいたとは思わなかった』
『本当、フォルトは魔力感知が下手だよねぇ』
がっくり落ち込むフォルトに追い打ちをかけるように笑うシーニー。
それはいつものからかうような声色ではなかったから、これは、たぶん、本気で責めている。
青い目が冷たい温度になっていることにフォルトも気がついて、また落ち込みます。
「フォルト、そんなに落ち込まないで。今回はいきなりのことだったし、誰にもどうしようもなかったよ」
『…それじゃあダメだ…俺はそれで過去失敗したんだ。あれからたくさん時間があったのに、クリスの味方になるって決めた時にもその努力を怠った俺が悪い。いや、本当、何してたんだろうな俺は』
「フォルト…」
悔しそうに唸る親友のつやつやな毛並みを慰めるように撫でます。
リィちゃんは静かに私達の様子を見ていました。
『フォルトのことは、まあ、あたしに任せてくれる?ルミナとも相談したんだけど、フォルトにはもう一段階上にランクアップしてもらおうと思ってるから』
「え?ランクアップって…フォルト、強くなれるの?」
精霊獣だってことだけでもすごいことなのに、その精霊獣にもランクがあるってこと?
『それはフォルト次第だなぁ。…んー。長く人間の体だったのもあって感覚とか鈍ってるみたいだし、精霊獣の勘を取り戻してもらうのと、特訓もしてもらうよぉ』
シーニーは真剣な顔でそう言うと、フォルトと目を合わせます。
その視線を受け止めたフォルトは大きく頷きました。
『クリスを守れるならなんだってやってやるよ。この名に恥じないようにな!』
『偉い!よく言った!覚悟しといてよ~~!』
バシバシとうさ耳ビンタを受けながら、『頼む』とファルトはシーニーに頭を下げました。
その時のシーニーの表情が、『もちろん』と言うようにきれいに笑ったように見えました。
シーニーは明るくて元気なうさぎさんだけど、こういう時、とても頼もしく見えるのが不思議だなぁ。
そんな2人の様子を見て満足したら、その隣に座っているもう一人の親友に目を向けます。
「リィちゃんはどうして私のところに飛んでこれたの?」
穏やかに微笑むリィちゃんは、静かにまっすぐに見つめてきました。
その目は新緑を思わせる爽やかなグリーン。
リィちゃんが魔法を使う時もこの色を纏っています。
その色に、あの時気がついたのです。リィちゃんが不思議な部屋で私の声に応えてくれた時に。
どうして今まで気がつかなかったんだろう。
私の中にも、その色がある。
「教えて、リィちゃん。妖精さん達にもルルーシア先輩にも言われたけど…リィちゃんから、リィちゃんの言葉で知りたい」
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