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これがあたしのバレンタインだ!
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翌朝、千紗は洗面台の前で、呻吟していた。母のヘアアイロンを借りて、寝癖を直しているのだが、やりつけないので、上手くいかない。
「あちっ」
挙げ句、ヘアアイロンで火傷をする始末だ。
「何、どうしたの」
母が千紗の声を聞きつけて現れた。そして千紗を一目見るなり、すべてを了解した顔で、
「髪の毛、直すのね。ちょっとかしてごらん」
と言って、千紗からヘアアイロンを受け取ると、慣れた手つきで寝癖を直してゆく。
「どうする? 後ろに流す? それとも内巻かな」
「う~ん、内巻で」
「お客さん、髪の毛のコンディションは良いから、きれいに仕上がりますよ」
そう言って、母は、あっという間に千紗の髪を整えてしまった。
「はい、出来上がり。じゃあ、続いてお母さん使うから」
「うん。ありがと、お母さん」
弾むようにそう言うと、千紗は自分の部屋にとって返し、箪笥の上の鏡の前に立った。右に左に頭を動かしながら確認する。あら、こんな風に内巻にすると、あたしもそれなりの女の子に見えないか? 千紗は嬉しくなって、思わずぴしゃっと口に手を当てた。
そして、たんすの小引き出しから、伝家の宝刀、レモンエッセンスを取り出すと、自分の頭に盛大に振りかけた。
「いちちちち」
一部が目に入ってしみる。千紗が慌てて手で拭うと、レモンの爽やかな香りが立ちのぼった。千紗は、それを胸いっぱいに吸い込むと、満足げに頷き、部屋を飛び出した。
いつもの場所で山田菜緒と落ち合うと、二人そろって学校に向かう。
「あれ、ゴンちゃん、今日、なんかいい匂いしない?」
歩きながら、菜緒が鼻をすんすんさせて言った。
「わかる?」
千紗は嬉しくなって、すぐにネタばらしをする。
「これ、レモンエッセンスなんだ。今日、振りかけてきたんだよ」
「ああ、そうなの。確かにレモンの香りだ。良い匂いだね」
外を歩いていて香りが伝わるなんて、ちょっとかけ過ぎたかな、と思いつつも、自分からレモンの香りがすることに、千紗は大満足だ。
学校に着くと、いつもは見かけない一年生の女の子達が、二年生の下駄箱をうろうろしていたりして、もうすでにイベントが始まっていることを、千紗は感じた。
千紗が上履きに履き替えて顔を上げると、一番右の上から二番目の靴箱に、薄いピンクのリボンがついた小袋が入っているのが見えた。一瞬、誰の靴箱だったっけ、と思ったが、わざわざ近づいて確かめることはしなかった。
不参加、不参加、と、口の中で唱えながら、千紗は、階段の踊り場で、隣のクラスの男子が、三年生の女子からチョコレートを貰っている脇を小走りで通り過ぎ、廊下で、朝からさやか達と上機嫌で談笑する菊池には見向きもせずに教室に入る。
いつも以上にハイテンションな教室の騒音に、いささか顔をしかめながら、千紗は自分の席に着いた。そして、いつものように、後ろの席の小林洋子とお喋りしていると、関町浩介がずかずかと入ってきて、隣の机に音を立てて鞄を置いた。
「くっそ、つまらねぇ」
関町は、吐き捨てるように言った。
「どいつもこいつも、バレンタインってさ」
「まぁまぁ、今日だけだって」
小林洋子が取りなすように言うと、
「どうせ、お前らだって、どっかの誰かにやるんだろ」
と、不機嫌全開だ。
「私はやらないよ。だって、特に好きな男子、いないもん」
小林洋子が、あっさりと言った。アニメオタクの洋子には、アニメの中の人しか、好きな人はいないのかもしれない。
「あたしも、そうだよ。バレンタインは不参加」
千紗が続いた。
「二人とも? そうなんだ。そう言う女子もいるんだ」
「いるよ」
少し落ち着きを取り戻した関町が、急にくんくん辺りを嗅ぎ出した。
「あれ、なんか匂わねぇ」
「そりゃ、今日はチョコが飛び交っているもの」
「いや、チョコじゃない」
関町は、目を閉じて嗅いでいる。
「うーんと、うーんと、あ、わかった。レモンだ」
その瞬間、千紗は自分の顔が強張るのがわかった。やっぱりつけすぎたかな。
「なぁ、なんか、レモンの匂い、するよなぁ」
「うん、する。ゴンちゃんから」
そう言うと、二人が同時に千紗を見た。
二人の視線に囲まれて、千紗は自分が紅潮するのがわかった。ここまであからさまにばれて、ごまかす事ってできるかな。できないな。
「あの、あの、レモンエッセンスを少しつけてきたの」
千紗は白状した。
「レモンエッセンスか」
小林洋子が言った。
「本当のレモンの香りみたい。良い匂い」
「でもあたし、加減がわからなくて、つけすぎたのかも」
「ううん、そんなことないよ。でも、香水じゃないから、香りが飛ぶのも早いんじゃない。大丈夫、大丈夫」
小林洋子は、アニメオタクで、少し変わっていると思われている。でも、近くの席に座って千紗がわかったことだけど、彼女から、嫌な言葉を聞いたことがなかった。自分に大好きな物があって、それがとても大切だから、人にも大切な物があるだろうと、そんな風に考えられる結構すごい人だと、今の千紗は思っている。だって、こんな行き届いた言葉を言える人って、なかなかいないよ。
「あちっ」
挙げ句、ヘアアイロンで火傷をする始末だ。
「何、どうしたの」
母が千紗の声を聞きつけて現れた。そして千紗を一目見るなり、すべてを了解した顔で、
「髪の毛、直すのね。ちょっとかしてごらん」
と言って、千紗からヘアアイロンを受け取ると、慣れた手つきで寝癖を直してゆく。
「どうする? 後ろに流す? それとも内巻かな」
「う~ん、内巻で」
「お客さん、髪の毛のコンディションは良いから、きれいに仕上がりますよ」
そう言って、母は、あっという間に千紗の髪を整えてしまった。
「はい、出来上がり。じゃあ、続いてお母さん使うから」
「うん。ありがと、お母さん」
弾むようにそう言うと、千紗は自分の部屋にとって返し、箪笥の上の鏡の前に立った。右に左に頭を動かしながら確認する。あら、こんな風に内巻にすると、あたしもそれなりの女の子に見えないか? 千紗は嬉しくなって、思わずぴしゃっと口に手を当てた。
そして、たんすの小引き出しから、伝家の宝刀、レモンエッセンスを取り出すと、自分の頭に盛大に振りかけた。
「いちちちち」
一部が目に入ってしみる。千紗が慌てて手で拭うと、レモンの爽やかな香りが立ちのぼった。千紗は、それを胸いっぱいに吸い込むと、満足げに頷き、部屋を飛び出した。
いつもの場所で山田菜緒と落ち合うと、二人そろって学校に向かう。
「あれ、ゴンちゃん、今日、なんかいい匂いしない?」
歩きながら、菜緒が鼻をすんすんさせて言った。
「わかる?」
千紗は嬉しくなって、すぐにネタばらしをする。
「これ、レモンエッセンスなんだ。今日、振りかけてきたんだよ」
「ああ、そうなの。確かにレモンの香りだ。良い匂いだね」
外を歩いていて香りが伝わるなんて、ちょっとかけ過ぎたかな、と思いつつも、自分からレモンの香りがすることに、千紗は大満足だ。
学校に着くと、いつもは見かけない一年生の女の子達が、二年生の下駄箱をうろうろしていたりして、もうすでにイベントが始まっていることを、千紗は感じた。
千紗が上履きに履き替えて顔を上げると、一番右の上から二番目の靴箱に、薄いピンクのリボンがついた小袋が入っているのが見えた。一瞬、誰の靴箱だったっけ、と思ったが、わざわざ近づいて確かめることはしなかった。
不参加、不参加、と、口の中で唱えながら、千紗は、階段の踊り場で、隣のクラスの男子が、三年生の女子からチョコレートを貰っている脇を小走りで通り過ぎ、廊下で、朝からさやか達と上機嫌で談笑する菊池には見向きもせずに教室に入る。
いつも以上にハイテンションな教室の騒音に、いささか顔をしかめながら、千紗は自分の席に着いた。そして、いつものように、後ろの席の小林洋子とお喋りしていると、関町浩介がずかずかと入ってきて、隣の机に音を立てて鞄を置いた。
「くっそ、つまらねぇ」
関町は、吐き捨てるように言った。
「どいつもこいつも、バレンタインってさ」
「まぁまぁ、今日だけだって」
小林洋子が取りなすように言うと、
「どうせ、お前らだって、どっかの誰かにやるんだろ」
と、不機嫌全開だ。
「私はやらないよ。だって、特に好きな男子、いないもん」
小林洋子が、あっさりと言った。アニメオタクの洋子には、アニメの中の人しか、好きな人はいないのかもしれない。
「あたしも、そうだよ。バレンタインは不参加」
千紗が続いた。
「二人とも? そうなんだ。そう言う女子もいるんだ」
「いるよ」
少し落ち着きを取り戻した関町が、急にくんくん辺りを嗅ぎ出した。
「あれ、なんか匂わねぇ」
「そりゃ、今日はチョコが飛び交っているもの」
「いや、チョコじゃない」
関町は、目を閉じて嗅いでいる。
「うーんと、うーんと、あ、わかった。レモンだ」
その瞬間、千紗は自分の顔が強張るのがわかった。やっぱりつけすぎたかな。
「なぁ、なんか、レモンの匂い、するよなぁ」
「うん、する。ゴンちゃんから」
そう言うと、二人が同時に千紗を見た。
二人の視線に囲まれて、千紗は自分が紅潮するのがわかった。ここまであからさまにばれて、ごまかす事ってできるかな。できないな。
「あの、あの、レモンエッセンスを少しつけてきたの」
千紗は白状した。
「レモンエッセンスか」
小林洋子が言った。
「本当のレモンの香りみたい。良い匂い」
「でもあたし、加減がわからなくて、つけすぎたのかも」
「ううん、そんなことないよ。でも、香水じゃないから、香りが飛ぶのも早いんじゃない。大丈夫、大丈夫」
小林洋子は、アニメオタクで、少し変わっていると思われている。でも、近くの席に座って千紗がわかったことだけど、彼女から、嫌な言葉を聞いたことがなかった。自分に大好きな物があって、それがとても大切だから、人にも大切な物があるだろうと、そんな風に考えられる結構すごい人だと、今の千紗は思っている。だって、こんな行き届いた言葉を言える人って、なかなかいないよ。
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